2015年07月07日
桜井家と山鼻記念会館
前回は栗山の泉記念館と小林家、今回は美唄の桜井家と札幌の山鼻記念会館を紹介します。 以前に美唄へ行った時には、桜井家に寄るのを忘れてしまって。
先月に旭川へ行った途中、今度は通り過ぎないように注意して、美唄の桜井家を見学しました。 ここは、明治34年に屯田兵として沼貝村(現美唄市)に入植した桜井良三氏が、昭和8年に兵屋の位置に建てた母屋と離れ座敷などを、ご子息の桜井省吾氏の遺族の方が敷地と共に美唄市へ寄贈したものです。 逆光になって母屋の構造はよく分かりませんが、昭和初期の和風建築を基本として、洋風の技術も取り入れています。 植木が多くて、屋敷全体の姿を撮影するのが難しいですが、左側の離れ座敷が良い感じです・・流石に床が傾いていたりしますけど。 内部には、豪華な染め付け陶器製の便器が残されており、「美唄市立公民館桜井邸分館」として利用できる部屋もあって、一般公開されています。 庭には、桜井良三氏と省吾氏の胸像が並んでいました。 屋敷の裏へ回ると、周辺を巡るフットパスになっていました。 北海道指定有形文化財「美唄屯田兵屋」が保存されています。 ただしこれは、二軒分の用材を用いて一軒の兵屋を復元したもので・・以前は他の場所にあったように記憶しており、移設したようです。 隣に美唄市指定文化財「美唄屯田騎兵隊火薬庫」も残っています。 火薬庫って防火のためレンガで造られることが多いですが(参考)、ここは木造で火事や洪水を考えるとちょっと心許ないです。
先月の20日、東光ストア行啓通店の隣にある、山鼻屯田記念会館を訪れました。 とんがり屋根がメルヘンチックで、一階にはケーキ屋さんが入居しています。 これは1876(明治9)年に入植した山鼻屯田兵村(240戸、1114人)を記念する会館で、2階の資料室には屯田兵に関する資料や写真類を展示してあります。土曜日と日曜日の限られた時間帯にしか開館しないのが難点ですけど。 東屯田通と西屯田通の両側に並ぶ兵屋の配列(左の方が北) かなり精巧に作られた兵屋の模型で、屋根も横に置いてありました。 壁に掲げられた屯田兵司令官・永山武四郎の「論告」を見上げる 行啓通と東屯田通の交差点を挟んだハス向かいに、広々とした「山鼻公園」があります。 この公園のあたりに第二中隊本部があって、現在の山鼻小学校の場所は練兵場だったそうな。 兵村開設20周年を記念して明治27(1894)年に建立された「山鼻兵村開設碑」 題字は永山武四郎の揮毫です。 街路樹の2倍もあるようなプラタナスが何本も聳えています。 公園の隅に石碑があり、野口雨情が作詞した「赤い靴」の歌詞が刻まれていました。 「♪赤い靴はいてた女の子」・・この女の子の母親と野口雨情が共に山鼻に住んでいたそうで、母親から娘の話を聞いたことが童謡誕生のきっかけになったというのが「定説」だそうな。(定説があれば「異説」もある) 歌詞のモデルとなった「きみちゃん」という女の子は、横浜から船に乗ってアメリカへ連れて行かれることもなく、結核のため東京の孤児院で世を去ったんだとか(9歳)。 「♪今では青い目になっちゃって」・・異人さんに連れられてアメリカへ行っただけで眼の色が青く変わるなんて・・カラーコンタクトか、それとも遺伝子操作かっ!?・・当時は、キリスト教の洗礼を受けると眼の色が青く変わるとも噂されていたとか。 石碑の外形は藻岩山の稜線を象っているらしく、全く知らなかったんですが、この前日に除幕したばかりらしいです。
posted by 雁来 萌 |21:49 | 雑念 | コメント(0) |
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