2014年10月24日
鷲ノ木遺跡と灯台資料館
ホントは寒くならないうちに利尻・礼文へ探訪の旅に出掛けたかったんですが、土・日に試合はあるし天候が芳しくなかったしで、まだ行けてません。 雨が降るのは(さほど)構わないんだけど、風が吹くと桶屋が海が荒れて船が揺れるとか、欠航するとかいう事態になる恐れがあるのがネックです。 博物館や郷土資料館が10月いっぱいで閉館してしまうから、今年は既に諦めムードです。 北がダメなら南へ、と渡島半島で気になる地点を巡って来ました。奥尻島行きも、今年は無理かな・・船の運航ダイヤが不便だし、冬になると便数が少なくなって。
最初の目的地は、鷲ノ木遺跡です。→かなり詳しい説明 ここは道央道の建設に先立って調査された遺跡で、道内最大規模のストーンサークルが発掘されました。 国道脇には遺跡への入口を示す標識がどこにも立ってなくて、多分、ここだろうと思った砂利道に入り、しばらく進んだ分岐点に初めて粗末な看板が立っていました。 渡島半島にはヒグマがいますからねぇ。 その先にも分岐点が幾つかあり、動物的な勘と人間GPSの指示に従って進むと、遺跡の説明板がありました。 しかし遺跡内は立入禁止で、柵の外から撮影しても「鷲ノ木遺跡」と書かれた看板しか写りません。 仕方が無いから3つ前の分岐点まで戻って反対側に回り、車止めが立ってる道を歩いて進み、藪をこいで斜面を登り、(人間を含む)動物よけのフェンスの隙間からストーンサークルを撮影しました。 遺跡の真下に道央道の「鷲ノ木遺跡トンネル」が通っているから、道央道は墓場の地下を走ってることになります・・道理で涼しい訳だ。 これがサークルの左半分で、石の円が二重になってることが分かります。 こっちが右半分で、さっきの看板が向かいに立ってます。 周囲には足の踏み場も無いほど栗の実が散らばっていて、縄文時代から聳えてた木じゃないにしても栗の木が育ち易い環境だということは、古代人の食糧が豊富で住み易かったということでしょう。 鷲ノ木といえば、箱館戦争の折に旧幕府軍が上陸した地ですが(記事)、前を走ってた車の運転手が土方さんでした。 五稜郭は今年が築城150年目に当たり、「五稜郭おもてなし隊」という長期間のイベントが開催されたようですが、このストーンサークルは4千年前の建造物ですから。 その次に横津岳レーダーを見に行きたかったんだけど、旧スキー場へ通じる道路が災害復旧工事中で、「尖った石ころでタイヤがパンクするかもよ。」という看板が立ってたので素直に退却しました。
次は恵山へ向かいます。 旧椴法華村の突端にある恵山岬灯台の周辺は公園になっていて、 その一角に、灯台資料館「ピカリン館」があります。 館内の中央に古い恵山岬灯台の模型が立っていました。 灯台の仕組みやら歴史やら、色々と勉強になります。 すぐ傍にホテル「恵風」(けいぷ)があるので寄ってみたら、フロントにピカリン館の無料入館券がありました。(大失敗) 3階の窓に目隠ししてあるのは、宿泊客用の浴場があるからです。 日帰り客用の浴場は1階の左側にあって、一応は塀のような仕切りがあるんですが、露天風呂が表側にあるのも珍しい。 廃船にお湯を張った足湯だそうで・・これがホントの「湯船」 火山が目の前に迫り、温泉としてはありがちな立地です。
次は函館の北大水産学部に寄り、水産科学館を見学しました。 ここは北大総合博物館の分館と位置付けられており、ホルマリンに浸けた魚類の展示だけじゃなくて、海鳥や海獣、漁船、漁法、漁具など多岐にわたり、面白くてたまらない施設でした。 11月3日まで北大総合博物館で、練習船「おしょろ丸」関係の企画展が行なわれている最中なので、「貸出中」と書かれたカードがあちこちの展示物(があった場所)に置かれていました。 こっちが正面入口かと思ったら後に増築された別館で、前庭にはカッターや錨が展示されています。 左がおしょろ丸III世の錨、右がIV世の錨です。 洞爺丸事故を受けて国鉄が錨の形を改良し、「国鉄型錨」と呼ばれる特徴がこの錨にも見られるそうです。 いつだったか函館で試合があった折に、何かの用事で中央埠頭に行ったら、おしょろ丸(IV世)がちょうど出航するところでした。出航といっても、向かいのベイエリアに向かっただけのようですが。
横津岳に寄らなかったせいか1日目のミッションが順調に進み過ぎてしまい、翌日に回ろうと思っていた檜山地方も今日のうちに回れそうなので、峠を越えて檜山へと向かいました。(つづく)
posted by 雁来 萌 |21:08 | 蝦夷の細道 | コメント(0) |
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