2013年07月08日
平和と希望に見る事故と災害
6月23日(日)に北海道クラブユース選手権(U-18)が夕張で行われたついでに、以前から気になっていた北炭平和炭鉱の坑口を探索してきました。 翌週に他の炭鉱の遺構やズリ山を調査した結果や、5月に土石流が発生した現場の遠望写真、北広島河川防災ステーションなども紹介します。 北炭平和炭鉱では昭和43(1968)年に坑内火災が発生して9名が死亡、火災を消すための手段として、行方不明だった22名の生死を確認できないまま、2週間後には坑内への注水(=水没)という処置が取られました。 この年には炭鉱事故が相次ぎ、道内の炭鉱で計144名が死亡したそうです。 以前、「バリバリ夕張」というフレーズが流れていましたが、その昔は「夕張 苦(食う)ばり坂ばかり、ドカンとくれば死ぬばかり」と言われてたらしいです。 水没させて消火した後は注水した水をポンプで汲み上げ、遺体の搬出と施設の復旧を進める訳ですが、莫大な費用と時間が掛かったはずです。
野球場の奥に聳えるズリ山と坂道 今はすっかり草に覆われていますが、以前は黒っぽいハゲ山でした。 平和炭鉱の坑口は道道からも見える場所にあり、平和運動公園の野球場の横を通って真っ直ぐ進み、第2駐車場と思われる広場の先にあります。 膝ほどの高さの草むらを進むと、ズリ山へ登る道路の麓に着きます。 さらに山裾の木陰へ進むと、斜坑の坑口が見つかりました。 閉山から40年経ったにしてはあまり傷んでいませんが、看板は外されたようです。 この穴の底で何十人もの鉱員が生き埋めになったかと思うと、暑さも和らぎます。 正面から見ると立派だけど、横から見ると意外にペラペラな壁だけで、その後方はただ山に潜るトンネルです。 こちらは別の坑口で、半分以上が埋もれています。 夕張鉄道の跡地をサイクリングロードにしていた頃に使われていた橋なのか、うち捨てられていました。 左から、ズリ山の坂道、坑口、橋 手前にはルピナスが咲いていて、人間が暮らしていたことが分かります。 野球場のスコアボードから、こんな距離です。 さらにスコアボードの真後ろに当たる位置にも、水平坑の出口にあったらしい背の高い遺構が残っています。斜面を登って内部を調査する気にはなりませんが。 川向かいの野球場の位置にあった選炭場まで、石炭を輸送する施設の土台だったのか。 歴史上の話かと思いきや、炭鉱を原発に置き換えて、炭鉱会社を電力会社に置き換えると、事故が起こった時の対応があまりにも似過ぎてますね。 高い賃金を払って危険な作業をさせるけど、結局のところ作業員は使い捨てで施設を守ることが優先され、人間の手に負えなくなったら注水しかない・・。 今は原子力の時代かも知れませんが、燃料が石炭から放射性物質へ変わる進歩はしたけれど、それを扱う人間の方は全く進歩していないように見えます。間もなく45年になりますが。
ズリ山のてっぺんまで登ってみると、野球場や第2球技場、陸上競技場がよく見えます。 反対側には、オモチャのような自動車教習所(既に閉鎖)が見えます。 向かいの右寄りの沢の先には、「北炭若鍋炭鉱」の遺構が残っているはずです。 かつての「ユーパロの湯」は閉鎖されて「夕鹿の湯」(ゆうかのゆ)に変わり、道路はその先で通行止めになっています。 対岸の左寄りに見える坂道を登って本来の道路に合流し、右側の沢へ2kmほど進めば若鍋炭鉱の跡へ通じるんだろうと思います。 若鍋炭鉱は平和炭鉱よりも古く、明治時代に石狩石炭によって開発された鉱山で、北炭へ吸収合併された後は「若菜辺炭鉱」に変わり、これが後に「若菜」地区の名称になりました。 ズリ山を下りて対岸へ行ってみると、お目当ての坂道は閉ざされていました。 他に登れる道は無いかと探しているうちに、電線を張った柵がありました。 何の畑かなぁ?? わっ! ミツバチの巣箱だっ! ブンブン飛んでるんだもの、慌てて窓を閉めましたよ。 少し除霊でもした方が良いかと思って、メロン城の近くにある霊場をお参りしました。 道に沿って、比較的狭い間隔で石像が並んでいます。
5月の融雪や降雨に伴って、石炭の歴史村を見下ろす「郷愁の丘」の近くを流れる川で土石流が発生しました。(実は昨年も) このため、周辺地域は立入禁止になっています。 ・・というか、無人になった観光施設へ立ち入らないよう、土石流を口実にしてロープを張っているような印象でした。 対岸の道路から被災箇所を眺めてみます。 奥にズリ山があり、これが土石流の元凶なのかも知れません。 手前には「夕張希望の丘」と書かれた煙突が立っていて、2009年にドールズが桜を植樹した公園が右側に広がる斜面のようです。→桜マップで検索できます。 小川の水が流れる水路が深くえぐられていました。 周辺は石炭ズリで出来ているので、土が黒っぽく見えます。 上流の方では、元々あった小川をズリ山が堰き止めたため、池が何個も出来ています。 融雪時期にこれらの池の水位が徐々に上昇し、堤防になっている部分を越えた段階で、一気に流れ出して土石流が起こる・・のではないかと。 草も木も生えていない土地だから簡単に崩れてしまい、毎年のように補修してたら大変ですね。 夕張にとってズリ山は、石炭産業がもたらした負の遺産になっているようです。
帰りに、北広島市にある「北広島河川防災ステーション」に寄りました。 この施設は国道274号が千歳川を渡る千歳川橋の袂にあり、「北広島町防災センター」を兼ねています。→パンフレット(PDF) 左を流れるのが千歳川で、手前を横切って右から合流しているのが輪厚川です。 その奥は排水機場だと思われます。 この施設は災害を防ぐのが目的で、最近になって「XバンドMPレーダ」が設置されました。 XバンドMPレーダ・・って何?→「XバンドMPレーダの整備について」(PDF)、雨量情報の試験運用状況 通常のレーダは反射して帰ってくる電波の強さから雨量を推定しますが、その際に雨滴の「粒径分布」を仮定しています。この粒径分布は、雨雲の種類や季節、地域などによって異なり、それが雨量強度の推定誤差を生じます。 MPレーダでは雨滴の粒径を測れるので、雨量強度の推定がより正確になります。 北広島のレーダはチューニング中の段階なので、まだ雨量情報の画面には表示されていません。 要するに、その粒径分布のパラメータを決める作業中な訳であり、受信電力と雨量とを関係付けるパラメータを決めるためには、ある程度強い雨が実際に降らなければならないのに、今年はまだ豪雨が降っていません。 施設内にはトイレやロビー、自販機があり、普段でも自由に立ち寄ることが出来ます。 ロビーや2階のホールには、施設の広報資料や災害の啓蒙資料が展示されていました。 壁やパネルに洪水被害の状況写真を貼ってあり、惨状を伝えています。 左奥にトイレがあったので覗いてみると、何の変哲も無い仕様だからトイレの話はスルー ・・かと思ったら大間違い、非常用の携帯型トイレが展示されていました。 これを持ち歩いていれば「どこでもトイレ」←こら 普段から備えておくべき防災用品も展示されていますが、 でもガソリンの缶詰って、穴を開けて使う時に危険な気がします。 敷地内には災害(主に洪水)対策用の資材置き場があり、 水防工事や救助作業用のヘリポートもあります。 休憩を兼ねて、ドライブ(や川下り)の途中に寄ってみては如何でしょう。
posted by 雁来 萌 |20:56 | 蝦夷の細道 | コメント(0) |
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