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2012年07月31日

夕張市平和運動公園の遺構

7月21日(土)に行われたクラセンU-15道予選準決勝の折に、旧夕張鉄道の線路跡を(少しだけ)巡る探索をしてきました。

平和運動公園の周辺には、旧夕張鉄道の線路跡や橋が残っています。
もっとも継立から向こうの道道は、ほとんど夕張鉄道の線路跡と並行して走ってるようなもんですけど。

さらに炭坑の遺構も残っており、草は生えてるけど樹が生えてないズリ山が、野球場の奥にあることに気付くでしょう。
スコアボードの後方には炭坑施設の廃墟が隠れており、山裾には斜坑の坑口も残っているらしいですが、今日は短パンなので草藪に分け入る気にはなりません。

 
国土地理院の電子国土ポータルの地図で夕張市平和地区を見ると、左上奥の夕張本町から進んできた線路跡が運動公園の辺りで大きくカーブし、石勝線や道道を跨いでいます。(右下のスケールは100m)
ミステリーサークル
ほとんど180°回転した後、左の方へ進んで山間部に入って行ってます。

同じ範囲を、1977年に撮影された国土交通省の国土画像情報(カラー空中写真)で見ると、そもそもこの公園は「北炭平和炭鉱」の選炭工場跡(右下)や、付近の社宅地(カーブの内側)を公園に整備したことがよく分かります。
上から目線
 ↓オリジナルの空中写真全体(ズリ山も写っている)
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-37/c16/cho-77-37_c16_2.jpg

「平和」という地区名自体が、「平和炭鉱があったから平和と呼ばれるようになってきた」という経緯らしく、運動公園にもその名が付けられました。

なお、平和運動公園全体のネーミングライツを募集してるらしいです。→夕張市の広報販売代行業者

 
運動公園の入口の近くで、旧夕張鉄道は現石勝線の夕張支線を跨いでいます。(昔は右側にも線路があって複線だった)
まず線路を跨ぐ
奥に見える白い建物は、第1球技場の横にあるアパートです。

この橋は「虹ヶ丘跨線橋」という名前で(昔の若菜邊跨線橋なのかなぁ?)、
だから跨線橋

続いて道道を跨ぐ部分は「虹ヶ丘橋」だそうです。
続いて道道も跨ぐ
歩道橋でもないのに、なんでこんな橋が道路に架かってるの?と思うでしょう。

跨いだ先には、運動公園(かつての鉱業所跡)が広がっています。
跨いだ先には礦業所(心の目で)
陸上競技場の背中のあたりには「礦業所前駅」がありました。

さらに、陸上競技場の右裏にある橋へとつながります。
今度は川を渡る橋へ

志幌加別川に架かる橋を渡ると、下の方に別の橋も見えました。
引込み線の橋
これは鉱業所専用の引込み線が通っていた橋のようです。

黄色いハンカチ広場へ向かう途中にある、旧「夕張製作所」の工場が向かいに見えます。
旧夕張製作所
手前の低くて緑色の部分が第1球技場で、ずっと奥の山はマウントレースイスキー場です。

線路跡はサイクリングロードに利用されて北西へ伸びており、
線路は続くよ

その先はここへ出てきます。
駅舎だった千代田休憩所
これは旧「平和駅」の駅舎で、サイクリングロードの休憩所になっていたけど、現在は閉鎖されています。

薄緑色の線がサイクリングロードで、石炭の歴史村から南下して来て、石勝線と道道を渡ったところで抹消されたように途切れています。この先でトンネルを2つくぐった後、錦沢休憩所があることになってるのに。
債権放棄、再建放棄
・・道が途切れてたら探索したくなるじゃないですか。(笑)

構わずサイクリングロードを(車で)進んでみると、錦沢駅跡の方までつながってたはずなのに、これ以上は進めそうもありません。途中にあるトンネルが老朽化して危険になったため、通行止めにして放置されたようです。
出口の無い迷路
何しろ財政再建団体の夕張市ですから、こんな所を整備するような予算はありません。
車1台がやっと通れる幅の道で、しかも両脇からは木の枝や草が伸びているので、往復したらボディーが擦り傷だらけになりました。

GoogleEarth の画像などを見ると、旧夕張鉄道の線路跡を識別できる部分が多く、坂本九記念館の前を通り、栗山や南幌の市街を斜めに横切って、野幌駅まで辿ることが出来ます。
今でこそ何の苦労もなく車で走れますが、山間部は石炭を積んだ貨物列車にとっては難所で、勾配がキツい部分にはスイッチバックもありました。
そんな山中の藪を漕いだりして、線路跡やトンネルを探検して歩く人もいるらしいです。(←私のことではない)

スイッチバックがあった錦沢駅の横には「錦沢遊園地」があったけど、今はサイクリングロードの錦沢休憩所と石碑がある程度らしいです。道道の脇から分け入れば辿り付けますが、地図上に記されている「錦沢公園」の位置とは全く違います。

 
運動公園の向かいに聳える高い煙突を見てきました。
サンタクロースもギブアップ
この煙突は、旧北炭化成工業所がコークスを製造する炉の煙突でした。

高さ63mということは、さっぽろテレビ搭の半分くらい・・東京スカイツリーの10分の1ですか。
どうやって煙突掃除するの?
高い物を見ると登りたくなるのはなぜ?笑

夕張には、鹿の谷、熊の沢、大蛇の沢などという地名があって、自然環境が豊かなことを反映しています。今年はズリ山の付近に親子熊が出没したんだとか。

植樹を鹿の食害から守るネット
飲み食い禁止


posted by 雁来 萌 |07:43 | 蝦夷の細道 | コメント(2) |

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この記事に対するコメント一覧
Re:夕張市平和運動公園の遺構

こんにちは
私も廃道や未知のものに関心があるので今度行って見ます。

posted by dosannko | 2012-07-31 12:26

石炭列車の思い出

dosannko さん、いらっしゃいませ。

私は室蘭生まれなもんで、幼い頃には自宅の裏を石炭列車が走っていて、その貨車を指差し数えて百まで数えられるようになったという・・石炭と鉄道との組み合わせって、私にとっては三つ子の魂のような郷愁です。

かなり大昔の3・4歳の頃に、親の知り合いらしい夕張の炭住を訪問したことがあって、トイレは外にありました。
山の斜面にベッタリ炭住が並んでたけど今はほとんど無く、夕張にはゴーストタウンのような地域もあって、やりきれなくなりますね。

今は道道のトンネルを通って夕張に入りますが、トンネルが無かった時代は峠を越えていて、以前に訪れた旧「鹿の谷小学校」跡の傍にある「二股峠」を抜ける経路を通っていたそうで、そのうち通ってみようかと。

山中の廃墟を巡るには、草が枯れた秋や雪解け後の春が楽なようですが、春は泥にぬかるし、秋には熊と出くわす心配があるし・・。

posted by 萌| 2012-07-31 21:13

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