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2011年10月21日

アメダス探訪・石狩編

先月のプレミアリーグの試合が終わった後、雨が降る中を北へ向かいました。アメダスですから、天候に贅沢は言ってられません。

まずは遠くから、浜益、厚田、石狩 の順で回ろうと思ったけど、探索に難航して時間を費やし、石狩に戻ってきた頃には日が暮れた上に雨天で暗くて発見できず、後日出直しとなりました。

明るいうちに遠くから:アメダス「浜益」の巻(2011/9/18)
小学校の敷地だろうと思ったら違ってて、散々迷った挙句に、JA施設の横の橋詰めに見つかりました。
浜益川河口
最近の降雨のせいか、川の水位が高いです。河口だからかな?

測器:向かいの建物にも風速計が立っていて、惑わされました。
冷気が流れ出る立地かな

風向風速計と日照計
飛んではいけない
西風に回って回って回って回るぅ


少し戻って:アメダス「厚田」の巻(2011/9/18)
ここも散々騙されました。
役場だろうと思ったのに・・小学校にも無くて徘徊し・・見付けたっ!
消防署はよくあるパターン
と思いますよ。風速計と温度計があるし、消防署だし、隣は郵便局だ(った)し。

ところがこれが偽物・・いや、消防署の業務に利用する本物なんだけど、ワタシの目的とは違うの。

向かいに土産物屋があって、駐車場からの眺めが宜しいです。
♪今はもう秋、誰もいない海
防波堤で囲まれた人工のビーチで、石狩湾を挟んだ対岸は小樽方面です。

大網元の屋敷跡だそうです。
♪ニシンはどこへ行ったやら・・網元どもの夢の跡

川の向こうにそれらしいポールがっ!
対岸・・成就

対岸に渡って砂利道の土手を進み・・・間違いなく風向風速計と積雪深計だけど、建物がなんか変・・。
屋根の造りが異様

お寺だよ・・水色の小屋の奥にありますが、境内だからこれ以上は接近せずに退散。
♪山のお寺の鐘が鳴る
報恩講とかの最中で、無理やり改宗させられたら困るし。

仕方がないから、こっちの風車で妥協(笑)
原理は似たようなもんだ

帰る途中に:ここもお寺のようですが人影は無く、かつては私設の小学校だったような雰囲気・・正しく寺子屋か。
お寺さんその2
玄関の屋根が鰊御殿を彷彿させる造りです。


日を改めて:アメダス「石狩」の巻(2011/10/1)
前回は日没サスペンデッドとなって諦めたので、位置を綿密に調べ直した今回は確信を持ってリベンジに向かいました。

道産子でも読めない人がいるかも知れない地名「生振」(おやふる)
どっちだ

大そうな門だなぁ
モアイはいない

民家風の蕎麦屋かと思う雰囲気・・水車でもありそうな。
お寺さんその3

げっ、濡れた草地・・長靴はいつでも積んであるから慌てない。
土地はたくさんある
防風林とか街路樹の高さが気になります。

墓と一緒だよ
やがてこっちにも造成される?

風速計は北西の冷たい風にぶんぶん回ってました。
暗雲たちこめる

石狩に向かう途中で、福島県の「スパリゾートハワイアンズ」が営業を再開したというニュースがラジオから流れました。
そう言えば、あのゴルフ場の位置に「茨戸ハワイランド」があったよな・・展望室が昇降するタワーがあったよなぁ・・と回想。

当時、「ハワイ」とか「ロンドン」と名の付くお店があちこちにあったような・・。

 
これで、石狩地方のアメダス11ヶ所は全て見て回りました。
道内の既訪地点は60ヶ所ほどになったので、生きてる間に「日本百アメダス」踏破も夢ではないかも。


posted by 雁来 萌 |20:24 | 気象細事記 | コメント(1) |

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この記事に対するコメント一覧
漁業家番付で横綱の大網元

最近になって読み返した資料(*)によると、大正7(1918)年に出版された漁業家の番付である「北海道百番附」(by 矢谷重芳)では、厚田の佐藤松太郎氏は西の横綱に格付けされています。

小平町鬼鹿に巨大な番屋を建てた花田家でさえ前頭の格付けなんだから、横綱ってどんだけの大網元だったんでしょう。
↓旧厚田村の栄誉村民だそうです。
http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/profile/a-chiikis00023.html
http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/museum/if0074.html

(*):「浜益ニシン年代記」(平成18年、石狩市はまます郷土資料館特別展図録)

posted by 萌| 2011-12-11 13:55

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