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2011年02月05日

写真で見る札幌の戦跡

最近、「写真で見る札幌の戦跡」という本を買って読んでいます。

誤解を受けそうな書名ですが、この本は歴代のコンサドーレの試合風景を載せた写真集ではありません。

「札幌郷土を掘る会」というグループが、札幌近郊に残っている戦争中の施設の跡などを訪ね歩いて、それらの現況の写真や古い写真・図面などを載せた本です。
表紙


「札幌の~」とは言いながら札幌市内のみならず、栗山や苫小牧、鵡川などに残っている遺跡や痕跡も調査して掲載しています。

2年前だったか、広尾町の海岸にトーチカの残骸が新たに発見されましたが、広尾から浦幌にかけての太平洋岸には多数のトーチカが残っているようで、苫小牧周辺にもトーチカが残っています。

太平洋の沖合いから押し寄せる米軍が道都の札幌に向けて進軍するとなると、十勝より近い苫小牧周辺の浜辺を上陸地として選ぶに違いありません。

白老から鵡川にかけては砂浜の海岸が続いているし、夏場なら海霧に紛れて探知され難いしで、上陸用舟艇が接近・上陸するには持って来いの地域だろうと思います。

浜厚真の野原サッカー場の辺りにも防衛陣地が配置されていたと知ると、かつてサッカーをして遊んでいた苫小牧の砂浜までも、ノルマンディーの海岸に見えてきます。

 
話は札幌に戻って、月寒には「アンパン道路」という道があるように、かつて月寒から平岸にかけての地域には軍の施設が多くありました。
月寒体育館の辺りは錬兵場だったとか、平岸公園の斜面に向かって射撃の訓練をしていたとか、第一高校は陸軍病院だったとか、色々と興味深い話が載っています。

最近になって「防空作戦室」(表紙の写真)は解体されてしまいましたが、司令官の官邸だった建物は「つきさっぷ郷土資料館」として残っています。

最も驚いたのは、手稲の運転免許試験場の一帯が、手稲鉱山から採掘した鉱石を選別する際に出る鉱毒水を貯めて、鉱滓を沈殿させるための池だったという話です。

他にも、白石区役所の場所は補給廠だったとか、新さっぽろの周辺には弾薬庫が散在していたなど、目から恐竜の鱗がドサドサ落ちるような話ばかりです。

地下鉄の北24条駅から新川通りにかけて「札幌飛行場」があったことは既知の事実ですが、その近くに住んでいた時期には「ここにぃ?」という不思議な違和感を感じつつ、取り残された飛行場の正門を眺めながら歩いていたものです。

 
この書物を読んで全般的に学んだ事として、不自然なほど広い土地に公共の建物が建っているような場所は、凡そ謂れ因縁のあるスポットなんだなぁということです。
足元を確かめながら歩かなきゃ。

posted by 雁来 萌 |22:55 | 雑念 | コメント(0) |

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