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2010年10月17日

忠別太駅逓と東川駅跡

天人峡の被災地を視察するついでに途中の東川町に寄って、「旭川電気軌道」(あさでん)の東川駅跡も見学しました。
相変わらず「電気軌道」という社名ながら、現在は電線も軌道も無いんですけど。

駅の跡に建てられた記念碑:逆光で見難い
駅跡


複線だった線路跡と、残ってるホーム(右) →往時の写真(堀越さん)
線路跡とホーム

駅裏倉庫って感じで、JAなどの倉庫が旧線路脇に並んでいます。
倉庫

旧町役場の建物を利用した「東川町郷土館」には、電車が保存されています。
郷土館(旧役場)
堀越さんの写真集に載っている「101」の車両が館内に展示されていました。無理に押し込まれてる感じで窮屈だけど、風雨は凌げます。

私が最初に東川を訪れた(通過した)のは、東川線の電車がバスに変わって2年ほど経った後なので、電車が走ってるのを実際に見たことはありませんが、道路脇に「電車が走ってたんだなぁ」という痕跡はありました。

今でも、見る人が見れば当時の線路や施設の痕跡が分かるらしいです。

東川町は、国内外から写真作品を集めてコンテストを開催しているほどの「写真の町」で、「東川町文化ギャラリー」という、発表の場に相応しい施設があります。
文化ギャラリー
絵画や彫刻や写真の展覧会が催されていました。

入口を入ったロビーの冷凍ケースに、氷の彫刻がありました。
アイスマン?
オートバイに跨った氷人・・いつ、どこで製作したんだろう。

市街地の北方にある羽衣公園
羽衣公園
天人峡に舞い降りた天女が、温泉に入る時に羽衣を架けた岩・・ではないそうです。

練習場の「コンサフィールド」の横にいつも旭川のユースバスが停まってて、以前から気になっていたんですが、ここは旭川U-15のクラブハウスのようです。
練習場の横


お約束のアメダス探訪「東川」の巻
アメダス東川
隣は運動公園になっていて、観測の障害になる樹木や建物などは無いようです。

注意書き:イタズラすると罰せられます。
注意1秒 罪一生

公園の駐車場にあったマンホール
マンホールカメラ←ピンホールだろ
大雪山の麓にある写真と米の町ですから、カメラとフィルムと稲穂と旭岳が描かれています。

 
続いて、アメダス探訪「志比内」(しびない)の巻
アメダス志比内

校庭の反対側から:校庭の隅というか教員住宅の庭先にあり、どう見ても背後の樹木の方が高いです。
校長先生のお宅?
風の観測には、やや不都合かも知れませんが、卓越風向の風上側ではなかろうと。

サッカー用のゴールらしい。
シュートは枠へ・・入らない

二宮金次郎(というより「金太郎」という体形)の像
二宮金太郎?
「皇紀2600年」を記念して建てたらしく、銅像を供出させられたため石材で再建したようです。

志比内アメダスは2001年に移転した観測所でして、以前は「忠別」という地点名で、対岸の(旧)江卸(えおろし)発電所の構内にありました。

そこへ行く途中の、(旧)忠別発電所があった付近に立つ標柱
移転した?
ここから少し上流にあった(旧)江卸発電所に通じる導水トンネルや遊水池を建設する際に、中国人や朝鮮人が働かさせられたそうです。

その(旧)江卸発電所は、実は忠別ダム(前報を参照)の直下にありました。
旧江卸発電所跡
樹木を切り開いた部分に導水管が設置されていて、その下に発電所があったんですが、取り壊されてもっと上流に移設(新築)されました。
鉄塔が立ってる右側の建物は、忠別ダムのダム管理所です。

ダムや発電所に限らず、道路や鉄道、飛行場の建設、鉱山の採掘などの工事に中国人や朝鮮人が使役されて、多くの犠牲者が生じている上、マトモに葬られていない遺体もあるようです。

この種の標識は道内のあちこちにあり、慰霊碑が建てられて毎年供養している所もあれば、標識すら無い所もあります。


旭川に戻って、市街地の西側に架かる旭川大橋の近くに復元された「忠別太駅逓」の建物を見学しました。
忠別太駅逓
かなり以前にも見に来たんだけど、その時には見つけられませんでした。

元々は「上川郡農作試験所事務所」」の官舎だった建物で、上川地方に現存する最古(1886年:明治19年)の建造物であり、旭川市の指定文化財になっています。
屯田兵屋みたい
板壁は屯田兵屋に似てて、裏側に回ると兵屋そっくりな造りでした。

後に「樺戸監獄署・忠別太出張事務所」も兼ねて、一室には「上川二等測候所」が設けられ、さらに「忠別太駅逓第一美瑛舎」としても利用されて、「忠別電話局」も設置されたそうです。→参考
間取り

「農作試験所」は何度かの変遷の後に「上川農業試験場」となって現在は比布町にあり、「測候所」は「旭川地方気象台」に変わって現在(2004年~)は宮前通東の合同庁舎内にあります。

 
道の駅で買った「蔵生」:生チョコしっとりサブレ
蔵生
反対に読んだら「なまくら」で・・ブラックチョコを挟んだ柔らかいサブレです。
ホワイトチョコの方が好きなんだけど、そっちは包装紙が白っぽかったので、ほとんどデザインだけで選んだようなもの。


posted by 雁来 萌 |07:57 | 蝦夷の細道 | コメント(2) |

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この記事に対するコメント一覧
Re:忠別太駅逓と東川駅跡

このエントリーにすべきコメントではないのですがお許しください。

昨日厚別に向かう地下鉄で向かいに座っていたものです。
5年くらい前まで宮の沢ですいかをしてましたので、
その頃ご一緒したこともあるので、たぶんあの方が雁来萌さんだと信じてお聞きしたいのですが。

いつもステキな出で立ちでスタジアムにいらっしゃいますよね。
「CONSAOLDS」とバックに入ったジャケットをお召しだったり、
昨日のズボンのバックの「戦」とか帽子のエンブレムの「白い恋人」はお手製ですよね?
すばらしい出来に思わずじっと見てしまいました。
ご家族のご協力ですか?それともご自身でお作りになられたのですか?
これからも雁来萌さんのファッション楽しみにしております。

posted by あこ| 2010-10-17 12:41

久しぶりのすいか作業

あこ さん、いらっしゃいませ。
地下鉄で向かいに座ってたということは、居眠りしてたのを見られていたという・・。

最近着てる黒いシャツは、瓜幕の道の駅で買ったウエスタンシャツです。
Mサイズで合うはずなのにアメリカ人のMサイズらしく、袖が長過ぎて詰めました。

「CONSA OLDS」のジャンパーは自分でも気に入っているんですが、脇が裂けてしまったまま、まだ修復していません。
などという言い方でも想像がつくように、自分で作っているんです。

「戦」(+え)は去年のスローガンなので、今年は「動」(+け)にしようかと思いましたが、構想だけで頓挫しました。

単に、人と同じことをするのが嫌いなだけという・・レプリカを持っていても、あまり着ません。
遠くから見れば、レプリカでも還暦の赤いちゃんちゃんこでも同じだろうと。笑

posted by 萌| 2010-10-17 18:01

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