2010年07月10日
十勝は北海道の恥部なのか
十勝地方から手裏剣が飛んで来そうなタイトルですが、先週末はプリンスリーグの連戦のために帯広へ行きました。 1週間くらい前から週間予報の資料などを見ていると、試合の当日は暑くなるとか、涼しくて雨が降るとか、様々に変わって服装に迷いました。 雨が降った場合に備えて長袖シャツとカッパと長靴を考える一方、暑くなった場合に備えてTシャツと短パンとサンダルを考えるなど、チグハグな荷物を色々と揃えるハメになりました。 1泊目の金曜の夜は車中泊なので、フリースジャケットとベンチコートも積まなければならないし。 帯広へ行ったついでにどこに寄ろうかと考え、古い遺跡などを調べているうちに、十勝川の河口近くにある「十勝太」(とかちぶと)を検索しようと入力したら、「とか恥部と」と変換されました。 ・・北海道の恥部だったのか? 十勝地方って・・。
金曜日の夜中に降った雷雨のせいで土曜日は朝早く目が覚めたので、帯広に着いたのは6時前でした。 まず、国道の脇にある「帯廣発祥の地」の碑を詣でます。 帯広って、こんな草むらから発祥したのか・・(←違) 三叉路の分離帯になってる三角形の土地に建っています。 この木に鍋が吊るしてあって豚が繋がれてたら面白いんですけど。 少し離れた、十勝開拓の先駆者である「依田勉三」の像も表敬訪問せねば。 帯広市民にとっては、札幌市民がクラーク先生に抱く尊敬の念よりも大きいのでしょう、きっと。 この像は「中島公園」の中に建っており・・というか、依田勉三の銅像を建立して土地ごと寄贈した「中島武市」氏を称えて、公園にその名が付けられています。 中島武市氏は帯広の政財界の実力者で、シンガーソングライターの「中島みゆき」は彼の孫に当たります。 国道を挟んだ向かいに「帯廣神社」があるので、車の中から拝みます。 これだけ善行を積んだのだから、試合にも勝てるはず。 次いで、西の方に残る古い民家の「田守邸」を見に行きました。 北海道固有の建築には見えないのも道理で、 昨年に訪れた、川西町の「川原家」と同じ「ワクノウチ造り」になっています。→記事 縁起が良い名前ですね・・シュートは「枠の内」へ。 近くで見かけた別の家屋や納屋?・・も似ています。 「ワクノウチ」というのは内部の構造であって、外壁の造作じゃないんですけど。 開拓の村にある「旧樋口家農家住宅」も同じ造りだそうです。 白樺通を走っていると・・白樺の切り株に乗ってるリスは何? ・・あった!→正面から見た図・・砂箱の番兵なの?
今年のプリンスリーグに参加してるのは8チームだけで、試合数が少なくて早い時間帯に終わってしまうので、土曜日の夕方に北の方へ行ってみました。 まず、何度も訪れている道の駅「しかおい」に寄ります。 町民ホールの前に座ってる、パンダに似た緑色のタワシのような人形は何ですか? 後ろには、梟の形をしたタワシもありました・・これが「しかおい花フェスタ」の「トピアリー」という代物なんでしょうか。 こっちは蝶ですか? 蜂ですか? 後方の建物は「神田日勝記念美術館」です。 そう言えば、一昨年にも中札内で似たようなモノを見ました。(2008/7/6) 次に、道の駅「うりまく」を音ズレました。(←音痴) ここの施設は新しく、訪れた目的は怪しいグッズを調達することですが、ほぼ所期の目的を達成しました。 乗馬体験が出来る「ライディングパーク」もあります。 本物の馬が怖い人は、デパートや遊園地にあったような「ライディングシミュレーター」に乗れます。(貸衣装あり) 霧が濃くて、この先の然別湖まで行く気がしませんが、神様は無事にお出ましになったようです。→鹿追町のトピックス 鹿追町は長崎県の鹿町町(しかまちちょう)と姉妹都市の締結をしているとかで、白蛇の舞が「くんち」に見えるのも納得しました。
日曜日のコンサの試合開始は13時過ぎなので、朝早くに足寄まで行ってきました。 子供の頃から大好きだった理科の実験じゃなくて社会科の実験って何? と思った「高速道路無料化の社会実験」が行われており、この実験に参加すると北海道が狭くなったように感じます。 当然ながら交通量(利用頻度=収入)が多い路線は対象にはならず、並行する道路があって高速料金を払ってまで通ろうとは思わない路線などが対象になっているようです。 運が悪ければ、一般道の方が早く着いたりしますから。 道の駅「あしょろ銀河ホール21」は、旧「ふるさと銀河線」の足寄駅があった跡に建っています。 ここは朝8時から開いているので、時間を有効に使えます。 足型を作ってくれる工房のようです・・警視庁鑑識課指導? 足型を作れるのなら「デスマスク」を予約しておこうか・・。 観光案内の看板・・の支柱まで足の形になっています。 横に置いてある橇に乗せて運んできました。(をぃ) 急な階段を登ったてっぺんに展望室があり、眺めは素晴らしいです。 国道と並行して、左側に線路跡が続いているのが分かります。 足寄高校を卒業した知り合いによると、2つ年下だった松山千春は学校祭でもギターを弾きながら歌っていたそうで、確かに歌は上手かったと言ってました。 帯広へ戻る途中で、道の駅「ステラ★ほんべつ」に寄りました。 ただし、足寄ICから本別ICへは直行出来ないので、一般道を通ります。 ここも、旧「ふるさと銀河線」の本別駅があった跡で、誇線橋が残っていました。 線路は続いてないけど、線路跡は続くよ。 ホームや信号の高さが全然低いから、この線路は後で嵩上げしたような。 本別の隣には、甘納豆の会社「岡女堂」が工場の敷地内に自腹で建設した駅(跡)があって、なぜか痛快ですね・・経営は破綻して身売りしたらしいけど。
無料化社会実験の結果、道東道の音更帯広IC-池田IC間の交通量は前週比で2.86倍と大きく増えて、この伸び率は全国で8位だったそうです。 でも「前週比」と言ったって、翌週から無料になるのが分かっていたら利用を控えるのが普通で、「前週」はその前の週よりも交通量が減っていたはずです。 減っていた値を分母にして割り算し、2.86倍に増えたと言われてもな・・定価を値上げしておいて値引き率を大きく見せるようなもんじゃね? 増やすことに貢献した本人が言う言葉じゃないけども。 道東道は「高速自動車国道北海道横断自動車道黒松内端野線」と呼ばれる道路の一部らしいと最近知ったんですが、その始点と終点とが繋がっているなんて、普段はとても意識できません。 今後も恒久的に無料になったら通行料収入が無くなるのだから、道路の補修費用などはどうやって捻出するのか心配になったりします。
posted by 雁来 萌 |07:47 | 蝦夷の細道 | コメント(0) |
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