スポンサーリンク

2010年04月21日

他力的に本願寺展を鑑賞

北海道立近代美術館では、4月17日から5月23日まで、「本願寺展-ひもとかれる壮大な歴史絵巻」が開催されています。

この展覧会は、宗祖・親鸞聖人の750回大遠忌を控えた記念事業の一環として開催され、2007年から各地で開催されています。

「大遠忌」(だいおんき)とは50年毎の命日だそうで、平成24(2012)年が750回目の命日に当たるため、大規模な法要が営まれるらしいです。→西本願寺の大遠忌ページ(音が出ます)

親鸞の祥月命日は1月16日だそうですが、法要は平成23(2011)年4月から24年1月にかけて、年をまたいで行われることになっており、法要まで既に1年を切ってカウントダウンが始まっています。

・・などと受け売りの知識で宣伝しておいて、実際には300ページもある分厚い図録をゆっくり読みながら勉強し直します。

自宅のすぐ近くにある「西本願寺札幌別院」では、かなり前から展覧会のポスターと看板とを塀に掲げてありました。
ゴ~ン・・祇園精舎の鐘の声
金色の襖絵をあしらったポスターは、紙かと思ったら防水のテント地のような丈夫な材質です。

「世のなか安穏(あんのん)なれ」「平成23年親鸞聖人750回大遠忌」と書いてあり、「世のなか安穏なれ」は、大遠忌法要のスローガンだそうです。

「カウントダウン」とか「スローガン」と表現するあたり、確実に世のなか変わって来ているのでしょう。諸行無常・盛者必衰(弱者必勝?)の理です。

僧房の窓にも、最近になってポスターが掲示されました。
襖ではありません
元々、室内の様子は見えなかったので、目隠しの目的ではないでしょう。

 
展覧会の方は、前々から楽しみにしていたこともあって見応えは十分でした。
金ピカが眩しい文物を集めた展覧会だと混雑するため、ざわつくので落ち着いて鑑賞し難かったり、人の背中を見るために行ったような場合も多かったりします。
でも今回は、会期当初の日曜日にしては込んでいなくて、あずましかったです。

仏教関係の展覧会ならば観覧者の客層や心構えも違うので、静かで心地よいです。展示物(仏)を拝みながら鑑賞する人もいたりします。今回は仏像じゃなくて、肖像画や題字の掛軸とか巻物が多かったんですけど。

どうせ会期途中で展示換えもするだろうから、見切れなかった作品は再び来て見れば良い、という程度のおおらかな気持ちで鑑賞する方が、後々まで印象に残るものです。(一度に全てを詰め込めない脳ですから)

日本史の授業で出てきた「教行信証」とか「歎異抄」とか「栄花物語」とかの、鎌倉時代や室町時代の文物が残っているのも凄いですが、戦国時代には大名との争いや駆け引きにも苦労したようで、その戦乱の世をかいくぐって宝物を保存し続けた努力も驚異てす。

掛軸の軸木の中央部を刳り抜いて親鸞の遺骨を隠していたなんて・・確かに、軸木を掛軸から外して中を改める人なんていませんよね。
勢力争いの過程で、遺骨を奪取するという事件もあったそうですから、驚いてしまいます。
だからこそ、「世のなか安穏なれ」という願いなのでしょうか。

 
昔は「紙」が貴重だったので、何度も書き直して使いました。(リユース)
いよいよ使えなくなった紙(反古)は、ほぐしてから漉き直して再生紙としてリサイクルしたそうです。そのため真っ白じゃなくて、墨が混じった灰色の紙になってました。

この紙を「宿紙」(すくし)と呼ぶことを今回初めて知り、この「モッタイナイ」は見習わなければなりませんね。
紙は表も裏も余白まで使うし、1回鼻をかんだだけでティッシュを捨ててはいけないし、1回拭いただけでトイレットペーパー・・

 
よく、音声ガイドのヘッドフォンを貸してくれますけど、あれを使うと知識を押し付けられる感じがするし、聞いた事しか頭に入らないので、使わないことにしています。
音声が、いぃど
ラジオを聞きながら勉強するように、番組の内容は覚えてるけど勉強した(はずの)内容は覚えてないみたいな。(複数の作業を同時にこなせない脳ですから)

現場では、「学習すること」よりも「感じること」や「考えること」が重要だと考えています。学習ならば帰宅してからでも出来ますから。

 
最近、別な場所で「寺の社務所」という言葉を見ました。
神社ならば「社務所」で良いでしょうが、お寺の場合は「社務所」ではなくて「寺務所」(じむしょ)じゃないのか?・・と冗談で考えていたら、ホントに「寺務所」なんだそうです。
また一つ、賢くなってしまいました。これ以上賢くなっ・・

 
この展覧会の関連事業として、4月25日に記念講演会「本願寺の歴史と北海道」も開催されます(が、当日はドームで水戸戦があります)。 

※いわゆる「遺骨問題」については、ここでは軽々しく言及しません。


北海道の側から見た本願寺との関わりとしては、何をおいても「本願寺道路」でしょう。
伊達から札幌までの道路を開削したのは東本願寺(真宗大谷派)であって、西本願寺(浄土真宗本願寺派)とは別なんですけど、私にとっては、どっちの宗派でも一向一揆に構いません。

中山峠を越える国道230号線の基となる道路を開削して頂いただけで、有難いことです。当時の経路は、現在の国道が通っているルートとはかなり違うんですけども。

豊平区平岸の某所に建つ「本願寺道路終点」の碑
終点の碑
平岸街道に面するこの場所が、道路の終点というよりも札幌の市街地(当時はむしろ奥地)と繋がった場所、という目安なのでしょう。(実際にここが終点だったという確証は無いらしい)

由緒を説明する「とよひら”ふるさと再発見”」プレートも併設されています。
この道は・・いつか来た道

  平岸開基110年を記念して、昭和55年11月に
 建立。明治3年7月、伊達市オサルベツで起工
 し、翌4年10月、平岸まで完成した道路の終点
 を明確にした碑である。この道は札幌が他と
 通じる初めての道らしい道で本願寺道路と呼ば
 れた。
   平岸地区とよひら”ふるさと再発見”委員会・札幌市豊平区

※注:
オサルベツ=尾去別
現在の地名は「長和」(ながわ)で、旧名が「長流」(おさる)でした。
川の名は今でも長流川(おさるがわ)だけど、「お猿の学校」と間違われる長流小学校は地名と共に改称されました。

長和側に建つ「起点の碑」も場所が分かったので、ついでの時に行ってみようかと。


posted by 雁来 萌 |21:17 | 雑念 | コメント(0) |

スポンサーリンク

スポンサーリンク

コメントする