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2010年03月29日

仕事にアブれて聖地参拝

・・「聖地3敗」などと変換されるなんてっ!!

2週間前は今年初めてすいか作業が出来ると思って宮の沢に行ったら、雪が降ってピッチが使えずに周囲をランニングしただけなので、作業はありませんでした。

1週間前の3連休は仕事が忙しくて、宮の沢へは行けませんでした。

先週末の土曜日は満を侍して用意してたのに、また積雪で練習会場が札幌ドームに変更されてしまい、すいか道具を持ってドームに行こうかと思いましたよ。

練習後のドームのピッチに立ち入れるとも思えないので、こうなったらもう、行く所は雁来しかありません。(そっちか)


雁来練習場の駐車場は除雪されていましたが、ピッチはまだ積雪状態です。
見通しは良好
測った訳じゃないけど、20~30cmかなぁ? 今月末からの暖気で融けることを期待します。

 
アミューズメントパークでは、少年の「ニューセンチュリーカップ」が行われていました。
土曜日が新6年生の試合、日曜日が新5年生だったようです。
ニューセンチュリーカップ
ここで言う「ニューセンチュリー」とは今世紀のことですから、「21世紀枠」という言葉を連想してしまいます。

小学生のピッチサイズに必要な分だけを除雪して、試合を行っていました。
監督より怖い保護者
いよいよ外サッカーが始まりましたが、昨年の状況に比べると雪の量がかなり違います。

ハーフタイムに、マーカーに接近して撮影
わざとらしい雪が


例年だと春分の日あたりに墓地の植木を掘り出しに行くんですけど、今年は1週間遅れました。
時期が遅いことを勘案しても積雪が少なめで、例年の量に比較して8割程度という感じです。

札幌市の辺境に作られた里塚霊園の、その中でも場末に立つ「豊平墓地移転記念碑」
移転記念碑
もう20数年前になりますが、豊平墓地から里塚霊園にそっくり移転してきたので、この辺の区画は和風の古い墓石が多いです。

碑の裏面には、移転に至った経緯が刻まれています。
尊厳が損なわれた

 北の都さっぽろを拓きまちづくりを進めた
多くの先人たちが眠る豊平墓地は 100年
余の歳月が流れた今日 地域の目覚ましい発
展と都市計画の推移に伴い聖地としての尊厳
を損なわれるに至った
 このことから 札幌市は墓主の総意と豊平
墓地移転委員会の協力により8年を費やして
この地里塚霊園に移転改葬を行った
 ここに諸霊の冥福を祈り 記念の碑を建立
する

 昭和62年11月
          札幌市長 板垣 武四

 
この移転先の碑と対になるべき移転元の碑もあり、「きたえーる」の敷地内に「豊平墓地跡記念碑」が建っています。
何これ? パリコレ?

この碑の裏面にも、主旨が書かれています。
跡だもの

 この記念碑は、開拓期以来の先人の霊に報いる
とともに、この地が100年以上の歴史を誇る由緒
ある聖地であったことを後世に伝えたいという
市民の願いを込めて建立されたものであります。

       1999年10月
          札幌市長 桂 信雄

 
双方に12年間の隔たりがあるせいか、全く雰囲気が違いますね。
長く重い歴史を背負ってきた空間が追いやられた先と、全てが新しくなって歴史が作られ始める場との違いです。

もし、厚別競技場が老朽化のためにどこかへ移転したとしたら、かつて聖地であったことなどは忘れ去られてしまうかも知れません。


posted by 雁来 萌 |22:07 | 雑念 | コメント(0) |

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