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2009年01月24日

自宅でシーサーマッチ観戦?

今さら知らない人はいないでしょうけど、琉球放送創立55周年を記念して、2月22日(日)に「シーサーマッチ2009」というプレシーズンマッチが北谷(ちゃたん)町で開催されるそうです。→オフィシャルのニュース

どうせ行けないし、当日は芝生席でさえ3,500円もボッタクル取るのか?・・などと思っていましたが、この試合を自宅で見ることは出来ないものか? と考えました。(モノグサ)

お決まりの沖縄土産
「シーくん」と「サーくん」・・ウソだ

仕事柄、STVのライブカメラ(一覧)を見る機会が多いです。
このサイトでは、マラソンとかサミットなどの大きなイベントがあると、臨時にカメラが増設されたりして、最近は沖縄の画像が増えました。

この寒空に、地元の人達がTシャツ姿で写ったりするんだろう・・と、あまり興味が湧きませんでしたが、カメラを設置してある位置を調べると、北谷町なんですね・・えっ!?

何の目的でカメラが増設されたのかは、この際詮索しないことにして地図を拡大していくと、すぐ近くに「北谷公園陸上競技場」があるじゃないですかっ!

ここの美浜アメリカンビレッジライブ中継は、ネットからアクセスしてカメラの向きを変えることが出来るので、試合当日にカメラを競技場に向けておけば、(コマ送り画像ながら)試合を見れるのではないか? と考えた次第です。

北谷公園の中では陸上競技場が最も海側に位置しているようですけど、手前に(背が)高いホテルがあるようだし、低いながらも芝生やスタンドに囲まれた競技場のピッチを、遠くから眺めることが可能かどうかは疑わしいですね。


・・とあっさり諦めて、私の関心は別な方面へと向かいます。

カメラを右の方へ振ると、やや遠方の海岸近くに広がる平地と、さらに遠くには小高い丘が見えます。
この海岸は、かつて戦争中に米軍が上陸した宜野湾の海岸であり、平地は普天間飛行場になっています。
遠くに見える丘は、「嘉数(かかず)高地」とか「前田高地」といった、日本軍が陣地を構えていたために激戦地となった丘で、その背後に首里や那覇が控えています。
海岸に上陸した米軍にとって、首里や那覇を攻略するためには、これらの丘にあった日本軍陣地は難攻な障害になった一方、日本軍の沖縄守備隊にとっては、沖縄(というか日本本土)を守る最後の砦であった訳です。

現在では、これらの激戦地となった丘の多くは、公園として整備されています。例えば→宜野湾市の「嘉数高台公園」

浦添市の「前田高地」は、琉球王朝時代に「浦添城」があった跡であり、現在は「浦添大公園」になっています。城を建てる丘の頂上だけあって、眺望は素晴らしいです。
一番下に掲載されている写真が、ちょうどライブカメラと反対の方角から眺めた景色になり、かつて米軍の艦艇が押し寄せた(というか、埋め尽くした)海も写っています。

20年ほど前、沖縄に旅行した際に「浦添大公園」を訪れ、陣地の跡などを見てきました。公園の脇にある(壊れそうで危なっかしい)急な階段を下ると、慰霊碑が建っています。→広報うらそえ(pdf)
なぜ、こんな怪しい場所を訪れたかというと、私の父が戦争で沖縄に行ってて、この慰霊碑に書いてある「山3475部隊」に所属していたからです。
この慰霊碑の近くには、北海道出身の兵士のための慰霊碑も建っており、堂垣内知事(建立当時)の揮毫による碑銘が書かれていました。
 

満州に行ってた頃で、「17.6.7」(もちろん昭和) と書いてあります。
20歳と9ヶ月だよ
沖縄じゃ、写真を撮ってる余裕など無かったはずですから。


追記(2012/2/8)

22年前に沖縄へ行った時に撮影した慰霊碑の写真が見つかりました。
多分、1989年11月6日だと思います。

「前田高知平和之碑」
前田高知平和之碑

崖に掘られたトーチカに蔓延る草
トーチカ

足元に学校のような建物が見えますが、これだけ急な崖でした。
普天間飛行場
右奥に、問題の普天間飛行場が見えます。


posted by 雁来 萌 |21:34 | 雑念 | コメント(2) |

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この記事に対するコメント一覧
Re:自宅でシーサーマッチ観戦?

シーサーマッチをお天気カメラで‥('_')
チョット期待してしまいました

posted by akamini| 2009-01-25 22:35

あながち無理でもないような

四角いホテルの右下に、競技場のメインスタンドくらいは写っていると思うんです。
その光景だけから試合の内容を推し測るのは無理でしょうけど、雰囲気程度は感じ取れるんじゃないかな~と。

posted by 萌| 2009-01-25 23:32

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