2008年04月18日
人を騙すための道具
仕事の都合上、確率値とか期待値とか順位とかの、統計的指標を使うことが多いです。 学生だった頃に統計学の講義があって、既に他界してしまった先生が、初回の講義の冒頭に言いました。 「統計学は、人を騙すための道具である」と。
確かに、そうとも言えます。 統計の取り方(指標となる数値の求め方)は色々とあるので、自分に都合が良い数値が出てくる方法を使って、その値があたかも普遍的な真理を表現しているかのように見せるのが、統計学の極意だそうです。 それで、「そんな、人を騙す術を身に付けてしまったら、ロクな人間になれない」と思った私は、あまり統計学を勉強しませんでした。(説得力のある言い訳) その先生は「数字と英語を使えば人を騙せる」とも言い、「だから、数字と英語ばかりを使ってる人には用心しろ」と教えられたので、私はアメリカ人を信用しません。(笑) 雁来練習場脇の地面に記された象形文字? PK戦でもあったんでしょうか 「確率」というのは、同じ事を無限回繰り返した場合に期待される値であって、現実には無限回も繰り返すことは不可能なのだから、確率値と同じ頻度で起こることはありません。 ところが、「サイコロを6回振ったら、1の目は1回出る」と信じてしまう人が多いようです。 「ギャンブル」や「くじ」というのは、賭けた方が必ず損をする仕組みになっています。賭け金からテラ銭(手数料)を差し引いて還元された額を分配するんですから、何回も繰り返して賭ければ賭けるほど、払い戻される金額は(出資額より必ず少ない)期待値に近付いて行きます。 「たまに大儲け出来るかも知れない」と錯覚する人達から、合法的に金をマキ上げるのがギャンブルの胴元であって、その「たまに」は「自分には該当しない」と冷静に考える人が多ければ、ギャンブルは成り立たないはずです。 三者択一の問題
posted by 雁来 萌 |22:52 | 雑念 | コメント(0) |
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