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2006年01月07日

煩悩との闘い:高円宮杯

プロチームや社会人、学校チームなど、チーム形態や年代を越えてサッカー界の頂点を目指すのが天皇杯であり、そのユース年代版の大会が高円宮杯全日本ユース選手権大会です。
普段はクラブチーム同志、あるいは高校(や中学)サッカー部同志で覇を争っているチームの垣根を取り払い、同じ土俵(ピッチ)の上で闘って、真の日本一のチームを決める、という意義があります。

当初は観戦・応援に行くことは全く考えておらず、お留守番のつもりでした。予選の1次リーグでは第1戦から(私的な)目論見が外れ、決勝トーナメント進出は無理っぽい状況になりました。しかし、1勝1敗1分の成績で決勝Tへ進み、次は勝てないだろうと思ってるうちに勝ち進んで、とうとう準決勝にも勝ってしまいました。

さぁ、大変です。決勝戦を見に行きたいのは山々ですが、3連休の最終日なので帰りの便は満席だから、空席待ちしたって乗れる保証は無いし、直前だから早期割引も使えないし・・と、かなり悩みました。でも、「自分がここで迷っちゃイケナイよな」と考え(なぜイケナイのか?・笑)、夜通し時刻表やネット上のダイヤと首っ引きで日帰りの旅行日程を立てたのでした。
急遽テレビ中継も組まれましたが、現地で見るんだから録画を見る必要は無いと考え(本当はビデオが故障中だから)、録画のセットもせずに出かけました。

2005年10月10日の朝6時ころにS駅のホームで列車を待っていると、1年生のO君が手ぶらでやって来て、同じ列車に乗るんです。千歳に着いたら他の居残りユース選手達も集まっていて、みんなで決勝戦に行くんだそうです。私は羽田で他のユース系サポ達と合流し、電車を乗り継いで会場に向かっていると、HFCの職員と鉢合わせしたり・笑。

会場の「さいたまスタジアム2002」は、皇族がご来臨するにしては警備が緩いことと、入場口へ誘導する案内が分かり難いという印象を受けました。まぁ、こんな大会に押し掛ける方がオカシイのかも知れませんが。
会場内では、当然予想された顔や、全く予想外だった(札幌の人間がなんでここに居るの?という)顔などに遭遇しました。他人のことは何とでも言えますから。

選手達が夢のような舞台でプレイできること、その彼らを同じ空間で見守ることができること・・勝負の結果はどうでもいいですよ、私的には・・短い時間とはいえ「優勝かよ?」と思わせてくれたし。あのまま優勝してしまったら・・喜びのあまり、東京湾に沈んでいたかも知れません。

サポ


欲を捨て、お題目を唱えながら御仏に祈れば救われるのです

試合後


試合後、まるで優勝したかのような歓待を受ける選手達
 

残念ながら、帰りの飛行機に間に合わせるために、表彰式が終わるまでは会場に留まれませんでした。帰りもホームを駆けながら電車を乗り継いで、成田空港に辿り着きました。日帰りするには、成田から千歳に飛ぶしかなかったんです。海外旅行から帰ってくる時以外は使わないルートですね。

薄暗いうちに自宅を出て、帰宅した時はすっかり夜になり、長い1日でした・・それから2日間ほど、体のあちこちが痛みましたが、満足感は1週間以上続きました。

参考までに:
千歳→羽田+成田→千歳という経路でも、往復割引が適用されます。あくまでも「札幌-東京」という路線を往復すると解釈され、千歳の代わりに丘珠を利用しても同様です。(そういう便があれば)


posted by 雁来 萌 |08:05 | 闘う若梟 | コメント(0) |

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