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2007年05月18日

書くことは考えること

北海道新聞の「おじさん図鑑」というコラムに面白い話が載っていました。その一部を紹介させて頂くと:
・・書くことによって頭の中が整理できるし、新しい語彙も獲得できる。「書く」ことは「考える」こと。そして「考える」ことは、感情を整理し、自分を分析することだ。さらに「書く」ことは「相手の気持ちを推し量り、思いやる」ことにも通ずる。・・

元々の記事は「電話よりも手紙を書こう」という主旨の提案なんですが、確かに、文章を書くことは考えることのようで、「ブログを書くことによって・・」と読み替えても通じそうです。
最後の「相手の気持ちを推し量り、思いやる」部分を実行できているかどうかは甚だ疑問でありますが。

書くことは他にも効能があります。右手(指)を動かすことによって、左脳にある言語中枢に刺激を与えれば、事故や病気で失った言葉が回復しやすくなるそうで、言葉を取り戻す訓練のために字を書く、という話を聞いたことがあります。

単に「言語中枢」と言っても、言葉を話す機能と、聞いた言葉を理解する機能、文字を読み書きする機能、の3種類に領域や分担が分かれているとか。
さらに最近知ったことですが、脳の中に漢字の読み書きを制御する、辞書のような領域があるらしく、この領域が圧迫されたりすると、仮名の読み書きや会話には支障が無いのに、漢字の読み書きだけが出来なくなるそうです。

ということは、言語中枢は4種類の領域に分かれていることになり・・じゃぁ、漢字を使わない民族では、辞書の領域は働いていないのかい? という疑問が湧いてきます。
逆に外国人から極東人を見れば、あんな暗号のような複雑な記号を駆使する民族なんて、気味悪くてしょうがない、と思われてるかも知れませんけど。

マヤ文明で使われた絵文字には表音文字と表意文字とがあって、これらを混ぜて使っていたらしい、と解釈されているようです。
西欧人は表音文字であるアルファベットしか使わないので、マヤ文字を解読するのが難しいけれど、表音文字と表意文字(漢字)とを併用している日本人ならば、マヤ文字を簡単に解読できるアイディアが浮かぶのではないか?という説を読みました。

文字を持たない民族の場合はどうなるんでしょう。文字によって記録を残すことが出来ない分、全てを記憶しておかなけれならないというのも、特殊な能力が無ければ出来ない芸当のようにも思えます。
「日本書紀」は、稗田阿礼という語り部が暗唱したことを口述筆記した書物である、とされています。その説には異論もあるようですが、もし自分にそれほどの記憶力が備わっていれば、苦労が少なくて済んだ筈なのにな、と。

凡人は、考えれば考えるほど、頭の中が整理できなくなります。笑

posted by 雁来 萌 |14:02 | 雑念 | コメント(0) |

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