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2016年02月22日

さとらんどdeバーベキュー

昨年の6月下旬に「サッポロさとらんど」へ行ってみました。
バーベキューしに行った訳ではなく、モエレ沼公園の隣にあるので以前から気になってはいたんですが、訪問する機会がなかなか無かったので。

ここは1995年に開園した、都市と農業の共存を目指して整備された田園テーマパークで、昨年は開設20周年に当たります。面積は74.3 haあるそうな。
正式名称は「札幌市農業体験交流施設」というんだとか。

研修室や売店、レストランがある「さとらんどセンター」
中心にはないセンター

遠くの黄色い部分は菜の花です。
菜の花畑に入り日薄れ

長閑な広場とモエレ山
見わたす山の端 霞ふかし

この建物の名称は「さとらんど交流館」なんですが、分かりやすく言えば「農産物直売所」ですね。
農産物直売所

その手前にある市民農園
大通公園も畑になったなぁ

周囲よりも鮮やかな種のラベンダー株がありました。
ラベンダーをベランダで育てる

その手前には「炊事広場」というのがあって、まるで札幌市民向けの巨大なバーベキュー場というか、広大な炊事遠足広場という趣きに感じました。

牧場もあって羊や牛が長閑に歩いているんですが、それらを眺めながらジンギスカンやステーキを食べるという人間は、なんと罪深い生物であることか。

牛の館の近くに、「創立百年記念之碑」(札幌牛乳搾取業組合)が立っていました。
北海道百年物語
酪農王国・北海道の基礎を築いたのはこの組合だそうで、創立は明治28年に遡るんだそうです。→参考
平成7年で100年ですから、昨年は120年目に当たります。

参考ページに紹介されている「酪農の父・宇都宮仙太郎」とは雪印乳業の基礎を築いた人物で、町村農場を創設した町村敬貴さんが渡米して酪農の実習をする時に世話になったそうです。


さてここからが本命の探索なのですが(えっ?)、さとらんどの中に「丘珠縄文遺跡(H508遺跡)」(←「H」は東区の意味)があって、
平成30年度オープン予定

このエリアを「(仮称)丘珠縄文遺跡公園」として整備するんだそうです。
頭と遺跡は使いよう

フェンスで囲まれた部分が遺跡で、縄文時代には存在しなかった山も遠くに見えます。
ゴミも積もれば山となる
あの山は現代になって築かれた貝塚のようなもんですが。

現在は発掘作業を一休みしていて、再来年?から市民ボランティアによる発掘作業を再開するんだそうです。
ドキドキな調査
参加してみたいけど、しゃがんで作業してる状態から急に立ち上がったら脳貧血を起こして倒れるのは必定だし。

あっ、ホタテの貝殻が出土したっ! ←神の手?
カラスの仕業か

 
そして今年の1月下旬に、「さっぽろの縄文」という丘珠縄文遺跡フォーラムが「かでる2・7」で開催されたので、お勉強してきました。↓パンフ画像
http://www.city.sapporo.jp/kankobunka/maibun/news/documents/okadamajomon_forum2015.jpg
アルツハイマーの発症を防ぐ(遅らせる)には、たくさん勉強して脳内の神経細胞を増やすのが良いらしいですから。

札幌市内の遺跡って丘陵地帯の突端に位置してる場合が多く、川が氾濫しても水に浸からない配慮だろうと思うんですけど、丘珠縄文遺跡は石狩川の本流に近い低地にあるので、ハイリスク・ハイリターンな位置まで進出していたことになります。

住居跡があって炉跡も見つかるそうで・・つまり何のことはない、さとらんどは縄文時代から既に、バーベキューの地であったということか。笑
頭の上を金属製の鳥が飛ぶなんて想像もしなかったでしょうに。


フォーラムの帰りに寄った「チカホ」で、「はまます郷土資料館」が「浜益鰊場物語」というジオラマを展示していました。
かなり忠実に再現
建物の寸法に比して人形が大き過ぎますが、建物を解体した際の図面を基にパーツから作り、鰊漁経験者の監修により作業の様子を再現したという、すんごい力作なので見入ってしまいました。

この資料館は旧白鳥家の鰊番屋を修復した建物で、昔は「浜益村郷土資料館」という名称だったんですが、浜益村が石狩市に合併されたため改称しました。

このジオラマも普段は資料館に展示してあります。
館内にはアメリカ製の古い柱時計も吊るされており、なんと月日と曜日を示すカレンダー機能も備えています。


posted by 雁来 萌 |22:22 | 雑念 | コメント(0) |

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