スポンサーリンク

2015年09月19日

とんがりロードの萌えキャラ

日本クラブユース選手権U-15に伴う帯広遠征Part2として、ノックアウトステージに宛てていた3日間のうち、2日目で敗退してしまったため、翌日も費やしてゆっくり帰宅することにしました。

今回は十勝地方と日高地方の観光地などを紹介します。

太平洋に突き出た襟裳岬を巡るルートを「とんがりロード」と表現することは最近知ったんですが、他に「日勝半島」という言葉も創られたらしいです。
新しい物を創ったつもりでも、実は模倣だった・・という場合もありますが。

 
旧国鉄広尾線の広尾駅には、広尾線鉄道記念館という資料室があるけれど、
広尾駅
以前に「国道が途切れた先は渡し船」という記事の折に訪れた時には朝早過ぎて開いてなかったので、今日はリベンジです。

軌間ゲージなどの鉄道用品が展示されていました。
軌間ゲージ

旧駅舎の向こうに見える大丸山森林公園には展望台があるので、
大丸デパートの山ではない
久し振りに(車で)登ってみることにします。

展望台からは、こんな景色が見えるはずで、
想像の風景
左下の中腹に見える三角屋根は「サンタの家」です。

今日はちょっと霞んでましたが、広尾市街と十勝港を見下ろせました。
実際の展望
日頃の行いが良いから晴れる・・のであれば天気予報はいりません。笑

 
黄金道路をひた走って、襟裳岬まで来ました。
突端まで行ってみたくなる
日高山脈は北海道の背骨に喩えられるので、ここは尾底骨に相当するんでしょう、きっと。

世の中を明るく照らす襟裳岬灯台も、今は昼行灯状態
灯台下も明るい

アメダス「えりも岬」・・傾いてないか?
アメダスえりも岬

この岬には「風の館」という施設があって、結局、南極、「風極の地」とされています。
風極の地

襟裳岬って、風と岩と波と灯台が見物だろうと思うんだけど、なんだかアザラシが主役になっているようで、変な感じ。
捕獲されることになったんだから、のんびり岩の上で寝そべってる場合じゃないのに。

恐怖じゃなくて、強風を体験する風洞室
岬襟萌と千島霧夏・・昆布姉妹
風速25m/sって、そんなに極端な強風じゃないけれど、この扇風機を回すようになってから、反作用で地球の自転速度が少し早くなったとか。←ウソです。

ガラス壁に描かれているマリリン・モンローのようなキャラは何者か? を調べたら、説明がありました。
「岬 襟萌」(みさき えりも)と、「千島 霧夏」(ちしま きりか)という女子中学生だそうで・・「襟萌」ちゃんの方は何でスパッツ姿なの? と思ったら、ラクロス部(部員2人)に所属してるんだそうです。

えりも町の「郷土資料館」「水産の館」に寄りました。
水族館のような水産館ではない
昔の道具を展示してあるし水槽で魚を育ててるしで、資料館と水族館がゴッチャになったような施設ですが、地元の歴史や産業を学習するには良いと思いました。

 
アポイ岳の麓・様似町にある「アポイ岳ジオパークビジターセンター」を訪れました。
ビジターセンター・・宿泊所ではない
背後に聳えるアポイ岳には大昔に登ったことがあります。

施設名を刻んだ緑色のモニュメントは「かんらん岩」で出来ていて、普通は地球内部のマントルでしか見られない「かんらん岩」が、日高山脈の造山運動によってこの辺では地表に露出しています。
日高山脈という背骨が圧迫されて軟骨が飛び出した「椎間板ヘルニア」のような現象かも。

周辺の地形や地質に関する展示はユニークだし、近隣のジオサイトには説明板が立っていて分かりやすいです。

かんらん岩は、北大総合博物館のモニュメントなどにも使われています。
看板岩ではなく橄欖岩

三石まで来て夕方になったので、みついし昆布温泉「蔵三」に浸かって旅の疲れを癒し、道の駅で眠りました。
通告
昔は坂の上にあった温泉ですが、平地に移転してきました。

 
翌朝に明るくなって間もなく、蓬莱山(ほうらいさん)を巡検しに行きました。
とんがりお山
三石川の傍に屹立した小山が取り残されています。

麓には漢詩を嵌め込んだ石板と、北海道文化財百選「蓬莱山の岩」という碑があり、
由緒がありそう

岩山の基部には祠もありました。
修験の道場か

この岩山は珍しい岩石で出来ているそうで(北海道地質百選「三石蓬莱山の角閃岩」)、北大構内にある「聖蹟碑」は、わざわざ三石から(三っつの?)石を運んで作ったらしいです。
成績が良くなる碑

 
この後、苫小牧から札幌へ向かわずに、室蘭で行われるノルディーアのチャレンジリーグの試合を見に行きました。
本日のメインイベント
選手と手をつないで入場するはずの女の子が嫌がってしまい、仕方なく母親が引率して入場したという・・GKだけユニの色が違うもんねぇ・・頭を撫でられても近寄らない。笑

試合は(1-0)でリードしていたのに、後半のロスタイムに失点して同点となってしまいました。(1-1)
しかも天候は霧雨で寒かった。

この看板の背景画は、ライトアップされた測量山の写真だということに気が付きました。←今ごろ
試合できなくて済みません
この2・3日後、火災になったフェリーが曳航されてきて、しばらく埠頭に繋留されていました。

 
帯広から札幌の自宅まで帰るだけなのに、540kmも走ってやっと辿り着いたという・・まぁ、アジア人が北米を経由して南米まで到達したグレートジャーニーに比べればミニトリップですけど。


posted by 雁来 萌 |20:44 | 蝦夷の細道 | コメント(0) |

スポンサーリンク

スポンサーリンク

コメントする