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2015年05月08日

札幌創成の頃の史跡探訪

3月の下旬にヤボ用があって時計台の近くへ行ったついでに、付近の史跡を見学してきました。

まずは、札幌3大失望スポットとしてミシュランガイドにも載っているらしい(←ウソです)時計台から。
時計大臣

入場券が雪ミクになってました。
どういう脈絡
クラーク先生が見たら何と言うか・・

内部2階のホールに掲げてあった「演武場」の扁額
演芸場ではない

1階に、札幌ドームや羊、熊、大通のブラック・スライド・マントラなどを象った彫刻を飾ってありました。
よく出来てる
石膏の作品かと思ったら大理石で、上の方に石狩湾、右に馬追丘陵、左下に支笏湖など、かなり精巧に作られた労作です。

昔は北2条通にあった時計台を現在の位置まで曳家で移動したそうで、古い位置に記念碑が立っています。
演武場@
精密な大時計が付いたまま曳いて来たなんて意外ですけど。

よく見ると「傷跡」に見えなくもない。
探しても出てこない漢字


かつて近くに豊平館が立っていました。
豊平館@
この碑は昔、市民会館の玄関先にありましたが、現在は市民ホールの庭に置かれています。

こんな環境だったんだよ、という説明図
洋式高級ホテル

その庭に植えられていたハルニレの大木が残されています。
寄らば大樹の陰
樹齢が三百年と推定されている、市内でも最も古い部類に属するハルニレのようです。

昔は大気汚染の指標として二酸化炭素とか窒素酸化物の濃度を表示していましたが、関心の的が放射線量に変わってしまったとは・・。
見えないものを測るのは難しい


続いて札幌の創成の地である創成橋へ
あの橋の袂で・・という昼ドラがあった
最初は札幌本陣へ通じる木製の橋として明治2年に架けられ、明治43年に石造で架け替えられた橋を2011年に再建したものだそうです。
橋という言葉から思い浮かぶイメージとはほど遠く、長さよりも幅の方が何倍も大きいという、言わば「ずん胴」な体形をしています。

これが「大友堀」と呼ばれていた創成川・・がこんな姿になろうとは。
川は流れる
創成川に架かる橋だから「創成橋」と名付けられたのではなくて、創成橋が架かっている川だから「創成川」と名付けられた、という順序です。

傍に、大友亀太郎像や由来を記した碑があります。
二宮尊徳の教え

創成橋の袂に「北海道里程元標」が立てられており、右隣には「札幌市建設の地」碑も並んでいます。
里かkmかマイルか
全ての道はこの橋の東詰から始まると・・札幌市道路元標は道庁赤れんがの前にありますが。

橋の前に置かれていた車止めの石材や擬宝珠が保存されています。
牛若丸と弁慶が←五条大橋

この擬宝珠や札幌市建設の地碑などは、2011年までこの一角に置かれていて、
立ち退きました
わざわざ一等地にあるビルの角地を凹ませるほど、大事に保存されていました。

開拓の村へ移設された南一条交番(旧札幌創成交番→札幌警察署南一条巡査派出所)なども再現されて、「歴史の広場」と命名され、一帯は創成川公園になっています。
こちら亀太郎派出所

昔からある漢方薬のお店
長生きする秘訣

向かいに、こんな商店もあったそうです。
昔、あったとさ


posted by 雁来 萌 |22:30 | 雑念 | コメント(0) |

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