2014年07月05日
焼売の発祥地は天売・焼尻
もちろん、ウソですよ。まさか信じる人はいないだろうけど。 「焼売」と書いて「しゅうまい」うまい。 それぞれの漢字の読みを合成すれば「しゅうまい」と読めなくもないけれど、この漢字を見ただけで食品の姿を想像するのが難しいです、個人的には。 一方、「餃子」と書いて「ぎょうざ」。 ところが片仮名では「ギョーザ」と書く場合がほとんどのようで、「ギョウザ」という表記は稀にしか見かけないのが不思議です。 「ぎょうざ」と入力して変換すると、「餃子」や「ギョウザ」は出てくるけど「ギョーザ」は出てこなくて、余の辞書にはありません。なのに、飲食店の看板やメニューにはほぼ「ギョーザ」と書かれています。 正直言って、最近までそんな表記に違和感を覚えなかった自分の神経もどうかと思いますけど・・気付いただけマシかも。 お店と本文とは直接関係がありません。
さて、本題。←おぃ 北海道本土のアメダス(219地点)は、立入禁止になってる1ヶ所を除いて踏破したので、次なる目的地は離島に散在する6ヶ所です。 最も簡単なのが焼尻島で、ここは車をフェリーに載せたりレンタカーを借りたりする必要も無いから、我が身一つで(可能ならば泳いででも)島に渡って手っ取り早く片付けられます。 焼尻島に渡るんだったら天売島にも寄りたいし、さほど混雑しない割に船の便数が多めな今の時期ならば羽幌からの日帰りも可能なので、6月上旬に両島を巡ってきました。 四半世紀ほど昔の冬に、仕事で何代目かの「天羽丸」に乗って焼尻島に渡った時は、ホントに「木の葉のように揺れる」という表現が実感できるほどで、防波堤を出たらすぐ横になって死んだフリをしてたものです。 翌日も海が荒れて、1泊余計に滞在しました。 今回は天候も穏やかな(日を選んだ)ので、船の動揺が苦手な自分でも快適なクルーズでした。 両島の観光情報については、留萌観光連盟が作成したおろろんマップの「天売島・焼尻島」(PDF:1.3MB)を参考にして下さい。(222kBのjpg画像:http://www.rumoiclub.net/map/images/teuriyagisiri_l.jpg) アメダス探訪「焼尻」の巻(2014/6/7) 金曜日の夜に自宅を出て苫前の道の駅で1泊し、羽幌港から朝一(8:00)の船便で焼尻島に渡ります。 羽幌沿海フェリーの埠頭とフェリーターミナルは、移転して新しくなりました。 フェリー(おろろん2)の船体は新造ごとに大きくなり、 昨年は高速船(さんらいなぁ2)も新しくなりました。 所要時間はフェリーの半分くらいですが、料金は高めで、車両を積めません。 舷側に描かれているのは、沿岸バスのキャラクター「観音崎らいな」です。 「観音崎」とは天売島の景勝地であり、「らいな」は高速船「さんらいなぁ」から拝借しているので、この船体に取って付け打って付けなキャラです。羽幌港連絡バス「観音崎らいな号」にも使われています。 フェリーターミナルの窓口で、萌えっ子缶バッジの「天羽みなと」を買いました。 窓口の職員は・・このキャラには似てませんでしたが、怪しまれたに違いない・・だんだんコレクションが増えていくような・・。 新しい高速船の就航を記念して昨年の6月は3割引きの料金だったんですが、今年も6月中は3割引きでした。予約が必要だと言われる高速船も乗客は疎らで、6月は狙い目かも知れません。 あちこちの施設にオロ坊(OROBAH:ハボロの逆読み)のぬいぐるみが置いてあって、実物は茹で蛸よりも真っ赤な色と真っ黒な色の取り合わせでそそられたのですが、(幸い)どこにも売ってませんでした。 高速船なら35分、フェリーなら60分、泳いだら1昼夜? で焼尻島に着きます。 島で6段変速のレンタサイクルを借りたんですが、それでも普段の運動不足が祟って登り坂がしんどく、スクーターを借りた方が良かったかも。 自宅を出てから半日経って目的のアメダス地点に到着しました。この自転車で。 白亜の焼尻島灯台の近く、綿羊牧場の入口に立ってます。 アメダスの敷地全景と「津波地震検地網」の観測局(左)だそうです。 温度計(左)と雨量計(右)、後方が綿羊の牧舎です。 風向風速計と日射計 ついでに焼尻島灯台も見学します。 さらに牧場の綿羊も見学・・やや警戒されました。 少し先に、白浜野営場があります・・キャンプにはジンギスカン。笑 ここはアメリカ人「ラナルド・マクドナルド」が上陸した地だそうな。 漂流を装って焼尻島に上陸し、更に利尻島に渡って捕えられ、長崎へ送致されました。幽閉の身ながら、日本人にネイティブの英語を教えて、開国の交渉に役立ったとか。 今回の旅行における第二の目的地:焼尻郷土館(旧小納家住宅) 手前の出っ張り部分は郵便局だった部屋で、現在の郵便局は向こう隣にあります。 反対側から見ると蔵も立派です。(内部は見学できます) 風雪に堪えて削られた板や柱 一階には生活用具、二階に郵便局や電話局で使われた文物などが展示されていて、(頬擦りしたくなるような便器とか)色々と面白い物があったんだけど、内部は撮影禁止なので写真を撮ってません。→参考(1、2) 羽幌町役場の焼尻支所だそうですが、診療所のような雰囲気です。 近くに会津蕃士の墓がありました。 こんな所まで(さらに宗谷まで)、北方の警護のために派遣されたなんて。 最重要のミッションを無事に果たしたので、天売島にも渡ります。 出港まで時間があるので港近くのトイレに入ったらびっくり・・ 間違えて女子トイレに入ってしまったのかと焦りましたよ。 小さな島だから水は貴重なのですが、何のために?
天売島を訪れたのは初めてで、ここは野鳥の島です。オロロン鳥(ウミガラス)やウミスズメ、ウトウ、ケイマフリの乱舞が見られて、ヒッチコック映画の世界を堪能できます。 港にある「おろろんレンタル」でママチャリを借りて(3時間1000円)、その2階に怪しい郷土資料館(もどき)があったので見学しました。(入館料の300円は免除) 「天売ふる里館 森脇洋三コレクション」と表示されています・・ワクワク。 骨董品というか、近所でいらなくなった物を引き取って集めたそうです。 この雑然さがたまらない。笑 こんな物、持ってていいのか? 訪問の目的地その1: 昔の郵便局だった建物を利用しているそうで、「天売海鳥研究室」というアカデミックな施設です。 夏の間だけ、学生が滞在して海鳥の調査研究をするんだそうです。→参考:天売島海鳥研究発表会 - 北海道海鳥センター(PDF) 訪問の目的地その2: 鰊御殿が残っていましたが、内部は非公開で、 隣に立ってた蔵は崩壊寸前でした。 何だか分からないけど、造り酒屋だったような屋敷もありました。 開校120年となる天売小・中学校では運動会をしてました。 これが高校の校舎だとは信じ難いけれど、天売高校です。 一般住宅に見えますが、羽幌町役場の天売支所です。 「海の宇宙館」という命名からして不思議ですが、 モンゴルのゲル(パオ)のような外観の建物は、自然写真家・寺沢孝毅氏が私費を投じて建てたギャラリーだそうで、館内に写真を展示してあり、屋外にも写真パネルを並べてありました。 館内にはカフェもあって、どうせだから外の庭のテーブルでお茶しました。草地はキャンプサイトになっています。 なんだか夢のような光景と環境で、こんな長閑な所で暮らしたい・・とは思いませんが(きっとボケるから)、1年に1度くらい来るのも悪くはないと思ったのでした。 天売港の防波堤と灯台、遠方は焼尻島 港で海底を覗いてみたら、水中メガネを使ってないし偏光フィルターを使ってる訳でもないのに、海底が手に取るように見えるんですよ。 ウニがゴロゴロ転がってるし、魚が泳いでるのが見えるんです。 室蘭生まれの人間なもんで、港といえば「油やゴミが浮いてる汚い水溜り」というイメージしか持ち合わせていない身には新鮮な光景でした。 夢のような半日を過ごした後、天売島(中央)を後にして焼尻島(左)に寄ってから羽幌港に戻ると、 文字通り地に足が着いたというか、現実の世界に引き戻された気がしました。浦島太郎のように。
古地図上では、焼尻島の名は古くから「ヤンケシリ」と記されており、エハンケシリ(=近い島)が語源だとか。 天売島は「テウレ」(=魚の背腸)だと言われても不可解だし、チェウレ(足)だと解釈すれば納得できても真偽の程は不明で、焼尻島の形だって足跡に見えます。 かなり古い時代から蝦夷の地図には羽幌沖に島が二つ描かれていて、昔は両方を合わせて「ヘウレ島」だと解釈されていた節があります。 そのうち、手前にある島を「ヤンケシリ」と呼ぶようになったと考えられますが、時代によっては奥にある島に「ヤンケシリ」と書かれて手前の島に「テウレ」と書かれていたりします。まぁ、蝦夷ヶ島の沖合いに浮かぶ小島など、どっちがどっちでも構わないという程度の扱いだったのかも。
posted by 雁来 萌 |22:12 | 気象細事記 | コメント(1) |
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この記事に対するコメント一覧
天売島の鰊御殿
天売島に残っていた鰊御殿は、「旧池田家住宅」のようです。↓
http://www.northerncross.co.jp/bunkashigen/parts/104139.html
ずいぶんと荒廃してしまいましたが。
posted by 萌 | 2014-12-19 23:18