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2014年06月05日

二風谷のナウシカ蝦夷鹿

先月、後述の用事で日高の平取町・二風谷(にぶたに)へ行きました。

ここには「二風谷アイヌ文化博物館」があり、この博物館については以前に「馬と木彫りの里に春の訪れ」という記事で紹介しました。

今回は「萱野茂二風谷アイヌ資料館」の方を訪問しました。
そもそも、「萱野茂資料館」に展示してあった収蔵品を平取町に寄贈して「文化博物館」が開館したという経緯ですから、こちらの方が先輩というか本家に当たります。

交通費・宿泊費の10万円に比べたら、入館料の400円は安いもんだと・・
家から往復3000円くらいかな
大昔にここを訪れた時には、こんな看板は無かったような・・その頃は、受付に萱野さん本人が座ってました。

萱野茂さんは、アイヌ初の国会議員となりました。
年譜
そのお陰か、アイヌ民族を取り巻く環境がずいぶんと変わった気がします。国際的に先住民の権利が認められるようになったことにも後押しされているんでしょう。

萱野さんの言葉なんですが、
『アイヌ民族の考えでは、天から役目なしに降臨した物は一つもない。虫でも、鳥でも、どんな生き物であっても、食べ物を奪い合うことをせずに分け合って食べていたものでした。しかし、今生きている人たちは、その心を忘れてしまいました。その挙句に、原子力と言う悪魔の火。これは人類全部が天に向って唾を吐き続けている様なもの。その唾が、私共の顔に戻るであろう事を案じています。』
と案じながら7年前に亡くなって、(3年前に原発事故が起こって、)現在は息子さんが資料館を継いでいます。

館内の写真撮影は自由なので自由に撮影していると、次第に写真を撮るのが面倒になってきました。
自由にと言われると面倒になる

もっぱら個人的に興味がある種類:マキリ(小刀)・タシロ(鉈)
使い込んだ道具

ゴザで囲まれた小屋の中で、熊が昼寝をしてるのか、死んだフリをしているのか
シエスタ

 
資料館の二階には、世界の珍しい(怪しい)文物が展示されていました。何か珍しい物があったら当館に寄贈して下さいとも・・

上は2mほどの大きなチョウザメですが、下は中国に棲む世界最大の淡水魚で「鰉魚:ホアンイユ(エンペラーフィッシュ)」と呼ばれる魚だそうです。
下が皇帝ならば上は皇后か
チョウザメと似てますが、口が下を向いてて、サイのような角が出ています。

資料館と続いてる別棟の建物は「顕彰記念館」的な広い部屋で、萱野さんの功績とか足跡とかを記したパネルが貼られ、壁にはスクリーンがあったので、ビデオなども上映するのでしょう。

蝦夷鹿の角を組み合わせて作った椅子とテーブル・・座り心地を確かめてみれば良かったかな。
座ってみれば良かった

資料館の横には丸木舟が三艘重ねてあり、裏には怪しげな小屋が保管されていました。
単なる物置ではない
想像するに、これは「奉安殿」ではないかと・・後述の小学校が建て替えられた時に、捨てるに捨てられなくて資料館に寄贈されたのかも。


さて今回の主目的ですが、以前の記事で紹介したイタ
子持ちイタ
の作者である藤谷憲幸さんが6年前に亡くなって、その奥さんがご主人の作品を手許に集めておきたいと言っていた、という話をどこかで読んだので、このイタは奥さんにお返しした方が良いのではないかと考えていました。
私が持っていても宝の持ち腐れになる恐れがあるし、必要とする人の手許にあるのが一番良いだろうと思われます。

そうは思い立っても暦がなかなか吉日にはならず(笑)、伸び伸びになっていました。
憲幸さん(木彫り)と奥さん(機織)は、萱野茂資料館の裏にあった「ポロチセ」という小屋でアイヌ工芸の実演をしていたんですが、その小屋は火事で焼失してしまったので、現在はどこで作業をしているのか分かりません。

萱野茂資料館の受付でポロチセがどの辺にあったのかを尋ねたところ、藤谷さんの居場所を教えて頂きました。
二風谷の中心街というか工芸品店が集まる「匠の道」に沿った、「藤谷民芸」で作業しているとのことなので、お邪魔して奥さんに事情を説明しました。

かなり驚かれましたが(そりゃそうでしょう)、間違いなくご主人が彫った作品でした。
以前は作品に自分の名前を入れてなかったそうですが、萱野さんに言われて名前を入れるようになったそうです。「名前を入れたお陰でこうして戻って来た」と喜ばれました。
何だか、肩の荷が下りた気がします。

イタと引き換えに、ご主人の作品を掲載した写真集を頂いたのですが、
写真集
私自身もこの写真集を発行したことは知っていたので、どこかに売ってないか(あるいはネット上で閲覧できないものか)と探していたけれど、自費出版のような非売品なので見つかるはずもなく、大きな図書館などには納入されている程度でした。

私としては、この写真集は頂いたのではなくお預かりしたもので、全ページをスキャンしたらお返ししようかと考えています。発行部数も少ないので、また別の人に見てもらえる方が役に立つだろうと。

 
昨年、二風谷の工芸品「二風谷イタ」(盆)と「二風谷アットゥシ」(樹皮糸の反物)が、北海道で初めて経済産業省の「伝統工芸品」に指定されました。

以前からそういう申請はしていたんですが、「日本は単一民族の国家だ」とか言う政治家がいるほどの国ですから、日本の伝統工芸品は指定されてもアイヌ工芸品は指定されていませんでした。

アイヌ工芸品はやっと日の目を見る時が来たけれど、憲幸さんは間に合わずに59歳で亡くなってしまいました。

写真集の中に古い建物が写ってたので、どこにあるのか教えて頂いて見てきました。
図書館
明治44年に二風谷尋常小学校が新築されるのに伴って建てられた、「旧二風谷青年会図書館」だそうです。
後で調べると、北海道で2番目に建てられた図書館とのことで、それがこの町にあること自体が驚きなほどですが、かなり傷んでいます。
この玄関の屋根に跨っている棟飾りも、後に藤谷憲幸さんが彫ったそうです。


posted by 雁来 萌 |21:16 | 蝦夷の細道 | コメント(1) |

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この記事に対するコメント一覧
二風谷のチセが再建される

いつまでフリーで読めるのか分かりませんが、焼失したチセが11月中旬に再建されるという記事が載っていました。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/549287.html

posted by | 2014-07-05 08:16

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