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2014年04月01日

毒ガスで生きる化け物

新年度 明けまして おめでとうございます。 今年も・・

地球の大気中に二酸化炭素が増えることに伴って、地球が温暖化することが問題になっていますが、それってホントに異常なことなのかどうかを地球史的に考えてみます。

今日はウソを書いても構わない日らしいけど、(さほど)大それたウソは書かないつもりです。

地球が温暖化すると言っても、長い目で見れば過去にもそんなことは実際に起こっていた訳です。
比較的最近の話としても氷河期と間氷期とが繰り返していて、現在は間氷期に入り始めた時代に過ぎません。
縄文時代は現代より温暖で海水面が上昇し、海岸線がかなり内陸まで進入していた結果、当時の遺跡は内陸側の台地の麓などに残っています。

氷河期には高緯度地方に大陸氷河が成長して海水面が下がり、氷塊が乗った重みで陸地が沈み込んでいましたが、それらが融解した現在は重石が取り除かれた状態だから、陸地が少しずつ浮き上がってきています。

高緯度地方が氷に覆われていたどころではなくて、地球全体が雪や氷に覆われてしまう「スノーボールアース(Snowball Earth:全球凍結)」と呼ばれる状態になった時期が、少なくとも3回生じたとも考えられています。
スノーボール

 
今回は、地球の大気中に酸素が豊富に含まれることが、果たして尋常なことなのか異常なことなのかを考えてみます。
そして、現在の地球上で生活しているほとんどの動物は、酸素を吸って二酸化炭素を放出している訳ですが、これが尋常なことなのか異常なことなのかも考えてみます。

地球の大気組成を学校で習った時には、窒素が78%、酸素が21%、アルゴンが1%、二酸化炭素が0.03%・・だと覚えていたのに、現在の二酸化炭素濃度は0.04%に増えています。
昔は330ppmだったのが現在は400ppmに近づいていて、四捨五入した最初の桁が3から4に増えたんだけど、1万分の1とはいえ結構な増加でしょう。

他山の石というか他星の空気として、比較のため太陽系に属する他の地球型惑星の大気組成を調べると、二酸化炭素が主成分で95%以上を占めており、残りは窒素が2~3%加わる程度で、酸素はほとんど含まれていません。
従って地球の大気は、非常に特異な組成をしていると言えるから、この時点で既に尋常ではないことが分かります。
碧い地球は誰のもの

 
こんな組成になった原因を推定するには、地球の誕生以来の歴史を振り返る必要があります。(地球の歴史を見てた訳じゃないけど)

他の惑星と同じように地球の大気だって、太古の昔には二酸化炭素が主成分だったに違いありません。
その頃に発生した初期の生物(無酸素生物)は、二酸化炭素を糧にして生きるエネルギーを得ていたはずで、そのような生物が(細々とながら)次第に繁殖していったと考えられます。

ところがある時代、豊富な二酸化炭素を効率的に消費して、こともあろうに酸素を放出するという新しい生物(要するに植物の祖先)が出現しました。

酸素は非常に活性的な元素で、何とでも反応してしまう厄介な代物です。
金属を腐食させるし、もっと急激な反応だと他の物質を燃やしたり、場合によっては爆発させたりします。

現在の動物は、このような過激な反応によって生じるエネルギーを、活発な運動のために活用している訳ですが、当時のか弱い原始的な生物にとっては、酸素は猛毒な気体だったはずです。
何しろ酸素は消毒薬(例えばオキシドール)として使えるくらい、微生物にとっては致命的なダメージを与えるほど強力な元素ですから。

それほど強力な毒ガスを発生させる新生物は、それまで平和に暮らしていた生物から見れば、自分達に必要な二酸化炭素を大量に浪費する一方で、毒ガスである酸素をどんどん排出する新種の生物(というか化け物)に見えたことでしょう。(見える目が有ったら、の話)
Magic Dragon

 
このような植物による「大酸化イベント」に伴って毒ガスを浴びせられた原始的な生物は、どんどん死滅して絶滅するのも時間の問題となりました。

そこで苦し紛れに無酸素生物が考えたことは・・何とか植物に復讐したいものだ・・この恨みをいつの時代にか晴らさなければ・・このまま植物が蔓延ってしまったら地球は破滅してしまう・・たとえ我が身が滅びようとも、植物を道連れにするための方策は無いものか・・

などと考えても名案など浮かぶはずも無く、毒ガスの前に無力な無酸素生物は成す術なく駆逐された末に絶滅してしまいました。
しかし、無酸素生物もただ死滅した訳ではなくて、自らの死骸と共に無形の怨念をも残しました。
その怨念とは、植物に取って代わるべき次の世代の生物が繁殖した頃、植物を絶滅させるような本能的性質が突然に顕在化するような遺伝子を残したのです。

そんな遺伝子を取り込みながら、植物が放出する酸素を利用してエネルギー源とする生物(要するに動物の祖先)が出現し、危険な遺伝子が密かに組み込まれているとも知らずに繁殖してきました。

上には上があるもので、毒ガスを吐き出す化け物が現れたと思ったら、今度はその毒ガスを吸って生きる化け物さえ現れるんだから・・人間はその化け物の末裔な訳ですが・・。
城春にして草木深し

 
無酸素生物が絶滅してから五劫の擦り切れほどの時間が経過して時代は新生代第四紀完新世となり、一世を風靡した植物を凌駕するほどの動物が地球上に繁殖するに及んで、無酸素生物の恨みを晴らす機会が遂に到来しました。

数多ある動物の中でも頂点に立つ存在だと勘違いしている人間は、危険な遺伝的性質を如何なく発揮して盛んに植物を切り倒しては燃やし、無酸素生物の好物だった二酸化炭素を増やしていきます。

地表に繁茂している植物を焼き尽くすだけでは満足できず、固体や液体に姿を変えた植物の死骸までも、地下からあばき出して燃やし続けます。

植物が放出した毒ガスである酸素を利用して植物自体を葬り去り、その結果として二酸化炭素も増やそうとすることは、一石三鳥の名案と言わざるを得ません。
数少ない現役

そのような行動が無酸素生物の怨念を引き継いだ先天的な性質だとは知る由もないし、やがては自分自身が窮地に追い込まれる事態を惹起することにも考えが及ばず、祟り神となった人間は無節操に植物を殺戮し続けています。

 
人間が花を見て摘みたくなるのも、焚き木が燃える炎を見て心が安らぐのも、全ては無酸素生物の怨念に支配されている潜在的な心理現象なのでしょう。

紀伊半島の神宮で大規模な社殿を定期的に建て替えるのは、大量の大木を合理的に伐採するための方便だとは誰も気付いていません。

中部地方の神社では、山から切り出した大木に馬乗りになって坂から落とす祭まで行われて民衆が大喝采する・・これは植物に対する怨恨を昇華させるための集団リンチに見えます。

かつて学校で行われていた棒倒し競争とか、クリスマスに木を切ってきて死に装束を飾り付けるとか、桜の樹の下でジンギスカンを焼いて煙で燻すとか、・・傍から見れば不合理としか思えない行為も、植物を虐待したい衝動に駆られた無意識な所業であると納得できます。
蜜柑・羊羹・仁義好かん

 
人間が八面六脾の活躍をしたお蔭で植物がどんどん死滅するのに伴って、酸素の生産量が次第に減少すると共に、二酸化炭素の含有量が急速に増加してきます。
現在は既にその兆候が現れ始めている、と解釈すべきなのかも知れません。

やがて人間のせいで植物が絶滅し、酸素を吸えなくなった動物も窒息して同じ運命を辿った暁に、地球の大気が再び二酸化炭素で満たされると、かつて地球上に遍く広がっていた楽園が蘇るのです。カムバック・カーボン

その状態を無酸素生物のパラダイスと見るか、破滅的な復讐の果てに残された焼け野原と見るかは重要ではなく、そこからまた無酸素生物が発生し、次いで植物(のような生物)が発生し、続いて動物(のような生物)が発生して再び焼け野原を作る、という同じ過程を何度も繰り返す可能性もあり得ます。
そして誰もいなくなった

人間はただ、そんな輪廻転生のストーリーの中で、一つの端役(というか、迷惑な役の名脇役)を演じているだけに過ぎない・・のかも知れません。


posted by 雁来 萌 |22:22 | 雑念 | コメント(0) |

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