2014年02月12日
サーモン科学館と100m2運動
カムバック・サーモンなどと、他人事だから気軽に言うけれど、鮭は重要な使命を帯びて川と海とを往復しているのだとも解釈できます。 内陸の土壌で生成された養分が川に流れ込んで、水中に棲んでる魚や昆虫を育てることは分かりやすいです。 さらに海へ流出した養分が、今度は海の生物を育てることになります。山の森が海の昆布を育てるように。 その海へ流出した養分を取り返しに行ってるのが鮭であって、養分が多い海洋で大きく育った後に母川へ戻って上流まで遡り、その死体が鳥や川に養分を供給して森を育てる、という生態系の循環を担っているとも言えます。 鮭はな~んにも考えないで長旅をしてるように見えるけれど、何も考えてないのは人間の方かも知れません。 海へ流出してしまった放射能を、追っかけて行って回収する方策は無いもんでしょうか。
標津町には「標津サーモンパーク」があります。 正面のモニュメントは、イクラにしか見えないんですけど。 当館の目玉である大水槽で様々な魚が泳いでいます。 確か、真駒内のさけ科学館で鮭を回帰させた学芸員が標津に移って、この施設の構想・企画に携わったと記憶しています。 こちらは魚道水槽で、流れる川の中を横から眺める方式です。 学芸員ならば鮭の雌雄を見分けられるそうですが、雄のような顔付きの雌もいるし雌のような雄もいるんだそうな・・考えさせられる。 その魚道を上から眺めるという興醒めな趣味 以下は水槽を巡りながら・・威圧する貫禄があるイトウさん パーマークが綺麗なヤマメさん キャビアを生産するチョウザメさん これは寿司詰めさしずめ、板前さん チョウザメには歯が無いから、口パク指パクしても大丈夫だと書かれていますが、 チョウザメに病気を伝染させてはマズいし、隣にいる熊の牙を見たら指を咥えさせる気にはなりません。←本音 上から見ると、館内の人の流れというか、水の流れがよく分かります。 大水槽の舞台装置を上から見下ろす図 お約束のトイレの壁に、塩分濃度の学習資料が貼ってありました。 魚の腎臓の仕組みを解説しています。
五里霧中の知床峠を越え(天候が悪いことは承知の上だから気にしない)、網走側に下って知床自然センターに着きました。 ここには「しれとこ100平方メートル運動ハウス」という建物があります。 列島改造による土地投機や開発が進んで、離農した原野が切り売りされたため、昭和52(1977) 年に当時の藤谷斜里町長が「しれとこ100平方メートル運動」を提唱し、土地を買い取るための募金を全国に呼びかけました。 屋内には、その募金「100平方メートル運動の森・トラスト」への参加者の氏名がプレートに記載されて、四面の壁全体に貼られています。 昔は募金をする度にプレートが増えたんですが、プレートを貼るスペースが足りなくなったので、途中からプレートは1人1枚のみとして集約し、以後の募金者は名簿に記入することになりました。 これがその名簿で、年ごと都道府県ごとに五十音順に列記されています。 今年はこれだけの募金者が増えました、と年ごとにまとめてフエルアルバム式に綴じ足していき、そのアルバムも2冊目になりました。 ・・なんだか、原爆による死没者名簿の追加分を毎年奉納するような・・。 はるばる知床まで出かけていって植樹作業に参加したこともありますが、現在は植樹した樹をどうやって鹿の食害から守るか、という作業に苦労しています。 鹿と争うことになろうとは想像もしませんでした。 熊の目撃情報をお寄せ下さいと。 虎は死して皮を残すと言いますが、熊だって毛皮や熊の胆を残します。 見ると、「素通り厳禁!」「絶対にさわってください」という注意書きは珍しいです。 この熊がなぜ死なねばならなかったのかを考え、「彼の生きたあかしを、ぜひ触って感じてみてください」とのことです。 こちらは冬眠中・・というか尻に敷かれます。 小熊の耳に穴を開けて付ける発信機だそうで・・熊ピアスか。 ドラム缶で作った薪ストーブにも見える熊用の罠 仕切り戸というか蓋が曲げられて外れそうになっているような・・腕力は十分にあります。 キャンプなどの食料を保存する、フードロッカーとフードコンテナ 熊が開けられない構造になっていて、こんな容器に入れておかないと、熊を餌付けすることになってしまいます。民家の冷蔵庫だって開けるんですから。 やっと人里に下りてきた気がします。 熊の崇りなのか荒れた天候になって、雨粒だか波飛沫だか分からない水滴が顔に当たります。 ウトロの街やオロンコ岩、ゴジラ岩などが見えてきました。 この後、宇登呂のアメダス(前報)を経由して、斜里方面へ旅を続けます。
posted by 雁来 萌 |21:24 | 蝦夷の細道 | コメント(0) |
スポンサーリンク
スポンサーリンク