2013年11月30日
オホーツク文化の海岸線
内陸の歌登から海岸を目指し、オホーツク海に出ると枝幸町です。 9月下旬だから日も短く、もう夕方だから今日の探訪は9ヶ所で終わりそうな見通し。
アメダス探訪「北見枝幸」の巻(2013/9/28) ここは旧測候所だった観測所なので、迷いようがありません。 左手前に庁舎があったんでしょうか。 バス停にも名を残していますが、今は測候所ではなく「特別地域気象観測所」です。 はがれ落ちた時刻表をフェンスに引っ掛けてあるなんて! 海岸なせいか、標板もかなり腐食しています。 雨量計は地面に置いてありますが、雪が積もる頃には支柱に乗せるんでしょう。 測風搭の風向風速計と日射計 目立たないけど、測量用の標石 そこに落ちてるのは、鳥の死骸のような・・ 不吉ながら、これで宗谷地方(本土)のアメダスは踏破しました。 バイパス沿いに(写真で)見覚えのある面白い建物があったので、開館時間ギリギリだけど寄りました。(帰る時には17時06分) 「オホーツクミュージジアムえさし」という博物館で、ここではオホーツク文化期の「目梨泊」遺跡から発掘された遺物などを展示しています。 オホーツク文化はオホーツク海を舞台に活動した海洋狩猟民族の文化なのですが、続縄文時代から擦文時代にかけて一世を風靡したのに忽然と消えてしまいました。大陸文化の影響も受けているせいか、他の地域の文化とはちょっと違っていてエキゾチックです。 ロビーには子供用の遊戯スペースが設けられていました。 土器の中で遊ぶなんて楽しそう。 次の雄武も旧測候所でしたが、枝幸からの距離が50kmほどと長くて、この間は海岸にも山間部にもアメダスが無い非観測地帯となり、いつも不便です。 途中にある道の駅「マリーンアイランド岡島」は建物が船の形をしてるから寄ろうと思ったけど、17時に閉まってしまいました。 ようやく雄武に着いた頃にはすっかり暗くなって、今日のミッションは強制終了。 ここの道の駅「おうむ」は高い搭の途中にホタテ貝の形をした展望台が張り出していて面白いのですが、国道の横にあって騒々しそうだったので、翌日は逆戻りになることを承知で興部まで進みました。 途中の日の出岬にあるホテルで日帰り温泉に入ろうと思ったのに、大浴場の改修工事中(~11/30)で日帰り温泉は営業しておらず残念。
翌朝、興部の道の駅「おこっぺ」で目が覚めてトイレに行ったら隣に銭湯があった・・後の祭り。 道の駅には鉄道資料館もあるし、「ルゴーサ・エクスプレス」という客車が置かれていて、ライダーなどが無料で宿泊できるらしいです。 でも、自前のテントで寝てるライダーがいました。 SLの車輪も展示してあって、駅の跡は広い公園になっています。 このお宅は「米田御殿」と呼ばれるらしく、興部町が指定した歴史的遺産の第1号だそうです。 1922年に、皇族の伯爵が当時の興部村を訪れる際に、実業家の米田常作氏が私財で迎賓館を建てたというから痛快です。建物のみならず庭も素晴らしかった。
雄武までの半分ほど戻った位置にある「日の出岬」での日の出の光景 この岬に立つ展望台「ラ・ルーナ」はガラス張りで、異様と言えるほどユニークなデザインです。 夜間には照明を点けるんだそうですが、それじゃぁ外の景色とか漁火とか見えなくなるんじゃ・・ トイレも後から設置したように、不思議な構造と配置をしてました。 手洗いも間に合わせな感じの造作 向こうが日帰り温泉に入ろうとしたホテルで、 手前の小山は、アイヌ民族の蜂起を通報するための烽火台だそうです。 1789年に国後島や根室地方で「クナシリ・メナシの乱」という事件が起こり、その影響なのか道内に6ヶ所の烽火台が設置されたそうですが、実際に使用された記録は残っていないとか。
アメダス探訪「雄武」の巻(2013/9/29) 橋の隣にあって分かりやすいですが、昨夜は暗くて気付かずに通過しました。 フェンスではなく小屋に貼ってあります。 お行儀よく並ぶ測器達 標石はご丁寧に守られていました。 朝日に輝く測風搭は神々しい雰囲気を醸し出しています。 手前の草地に庁舎があったのかなぁ。 興部へと続く・・
posted by 雁来 萌 |21:49 | 気象細事記 | コメント(0) |
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