2013年09月26日
濃霧の中の難読地名域
8月中旬に日本クラブユース選手権(U-15)を観戦するため十勝地方に滞在してた折、どうせ十勝まで行くんだから、「ちょっと」足を伸ばせば釧路まで行けると考えて、釧路地方のアメダスを探索してきました。
試合が終了した夕方に、中札内から近道を通って豊頃に出ました。
浦幌で夕食を食べたら暗くなってしまい、釧路を通過して海岸沿いの道路(道道142号)をひた走り、翌朝の目的地である知方学へ向かいました。
この辺は地名の読み方が難しく、難読地名が多いことで知られています。
霧が濃くて見通しが悪いから、あまりスピードを出せません。鹿が飛び出してくるかも知れないし。
そんな濃霧の中に突然、地名が書かれた看板が出現する訳で、何と読むんだったか思い出してる余裕はありません。昼間だったら1枚ずつ写真に撮るんですけど。
地 名(よみがな)・・・・私的連想
又飯時(またいとき)・・・三度の飯
宿徳内(しゅくとくない)・最上徳内の宿営地
来止臥(きとうし)・・・・バイアスロン
十町瀬(とまちせ)・・・・新潟県の十日町
浦雲泊(ぽんとまり)・・・先斗町で鞠つき
冬窓床(ぶいま)・・・・・雪が吹き込む寝床
初無敵(そんてき)・・・・ショムニのライバル
入境学(にこまない)・・・越境入学
餞夫向(せきねっぷ)・・・夫の小遣い
分遣瀬(わかちゃらせ)・・バレバレのヤラセ
老者舞(おしゃまっぷ)・・月下美人
知方学(ちぽまない)・・・風水の知識
去来牛(さるきうし)・・・牧場経営
よほど几帳面な・・というか、極度にマニアックな人物が漢字を選んで当てたのでしょう、3文字に拘って。
これに比べたら、以前に出題した「判じ物シリーズ」なんて幼稚なもんです。
暗い夜道の運転と頭の体操にいい加減疲れてきた頃に知方学へ到着しましたが、目的地を下見しようにも真っ暗な中に濃霧がかかってたら、下見というほどの役には立ちません。 諦めて先に進み、曲がりくねった4kmほどの砂利道をゆっくり走って、尻羽岬(しれぱみさき)の展望台に着きました。 照明が何も無いので真っ暗です・・有ったとしても濃霧だから電気の無駄ですけど。 意外なほど広い駐車場の隅にマトモな造りのトイレが立ってたので、今夜はこの駐車場で宿営することにしました。携帯が圏外になること以外、問題はありません。 翌朝、海から吹き付ける風に揺すられながら目が覚めても相変わらず濃霧で、展望も何もあったものではなく、遊歩道の写真を撮る気にもなりません。
アメダス探訪「知方学」の巻(2013/8/16) この小学校以外に考えられないんだけど、校門から校舎が見えないほどの濃霧だから、アメダスがなかなか見つかりません。 まだ朝5時過ぎだし・・多分、あれだよね。 近寄って確認します。 測器は普通に4要素です。積雪なんか測るほど積もらないし。 風速計のポールが低く、古い時代の標準だった6.5mのようです。 函館海洋気象台の管内で使われていた、お古なのかも。 校庭も霞む濃霧・・夏場は毎日こんな感じなんでしょう。 塗装が剥げた「郷土資料館」という看板が付いています・・中に何があるのかな。 校舎の前には、廃船を利用した花壇がありました。
アメダス探訪「太田」の巻(2013/8/16) 厚岸の手前の「門静」から内陸に少し入り、太田に着きました。 ここは屯田兵が入植した土地なので、太田屯田開拓記念館があり、かなり昔に見学したことがありますが、こんなに立派な施設じゃなかったなぁ。 内陸の台地だから海霧も解消しています。 近くに「太田屯田兵村中隊本部跡」という碑が立っていました。 そもそも「太田」という地名は、屯田兵が入植する適地としてこの地を紹介して開拓に尽力した、「太田紋助」という人物の功績に拠っています。 少し離れた場所に「太田屯田兵事業所跡」も・・事業とは馬産? 後方の建物は浄水場です。 この道路の脇だろうからと少し探して、見つかりました。 民家の土地のような・・ トウキビ畑の隣です。 少ないながら、積雪も測っています。立地に問題は無いみたい。
アメダス探訪「標茶」の巻(2013/8/16) 途中に信号が1ヶ所しか無い退屈な田舎道を35km走って、標茶に着きました。 地図上の下調べでは近くに広い土地があって大きな建物が立ってるようだったけど、何の施設なのか地図には書いてなくて心配でしたが、道路脇に見つかりました。 向かいにあった大きな建物はJAの施設でした。 広い草地の中に立っています。 小雨で草が濡れてるから長靴に履き替えて接近 内陸なせいか風は弱く、プロペラが回りません。
アメダス探訪「塘路」の巻(2013/8/16) 釧路川に沿って国道を南下し、塘路に着きました。 小学校か消防署だろうと思ってたら小学校には無くて、消防署の分団と住民センターとが並んだ施設にありました。 駐車場の脇に「塘路地域自主防災用品格納庫」と書かれたプレハブがありました。 ここでは雨量だけを測っています。 隣に草ぼうぼうの地震計もありました。 街の中に、釧路集治監の事務所として建築された建物を利用した「標茶町郷土館」があって、大昔に見学したことがあります。 確か、昆虫のコレクションが素晴らしかったと記憶・・ 近くに、「塘路教育所之跡」がありました。 明治39年の創設だそうで、駅逓があったくらい早くから開けた土地だし、住民の多大な寄付によって設備が整えられたとか。 町内では、集治監の看守の子供達の為に、明治19年に開校した標茶簡易小学校が最初の学校で、集治監の構内に建てられたそうだから、教育にも熱心だったんでしょう。
posted by 雁来 萌 |07:43 | 気象細事記 | コメント(0) |
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