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2013年09月02日

留萌・佐賀番屋の一般公開

留萌市礼受町にある「佐賀番屋」が一般公開されるとあって、お盆の頃の8月10日に見学してきました。

ここは以前から気になっていたけど個人の住宅なため普段は公開しておらず、観光客が多いとか地元の人達が帰省してるとか、学校が休みだから先生が交代で詰められるとか、色々な都合があってこの時期にだけ公開しているようです。

国指定の史跡・重要有形民俗文化財だそうで、北海道遺産にも指定されており、留萌市の教育委員会が主催して公開しています。
年に一度の御開帳
鰊番屋の建物は道内のあちこちに残っていますが、ここは番屋の建物だけではなくて、船着き場や鰊の一時保管倉、竃跡、干し場、製品保管倉、網倉、船倉など、周辺の施設がそっくりまとまって残っているので貴重です。
おまけに裏山には、守り神として建立した稲荷社まで残っています。
それ故、正式には「佐賀番屋」ではなくて「佐賀家魚場」と名付けられています。

周辺の配置を示した写真(説明パンフレットをスキャン)
魚場の全景

これが番屋(母屋)で、江戸時代末から明治初頭にかけての建造と考えられています。
屋根が波打っているのも味がある
後代に改修が施され、当初は左側にもっと伸びていた棟を切り詰めたそうで、煙突の下あたりにあった玄関も右寄りに移されたそうです。

母屋の右奥にある船倉(左)や製品保管倉(右)と裏山の神社
倉と神社
干し場を臨時駐車場として提供していました。

さすが漁師だけあって、柱に気圧計が吊るされていました。
ニシン来たか?
繊細な気圧計を荒縄で吊るすというのもなぁ・・

障子の部分に貼られた古い文書は虫食いだらけです。
壁に耳あり障子に目張り
不要になった出納帳の類でしょうか

薄暗い倉庫に保管されている「もっこ」などの漁具
ランドセルになるかも
明日からでも使えそうな雰囲気でした。

どうやって使うのか興味津々な道具ばかりで涎が・・
お宝に見える

船倉に保管されていた船
改造すれば高速艇?

大きな船の舳先は屋外に突き出してます。
どうやって出す?
横向きに格納すれば納まると見えましたが・・そもそも元来は壁が無かったのか・・。

どうせだから神社にも登ってみましたが、この坂が急で、雨上がりだから余計に滑ります。ロープを張ってなかったら無理ですね。
高い所は大好き
手前を横切ってるのがJR留萌線の線路です。

こんな社でした・・裏から何かが出てきそうな雰囲気。
鎮守様がおわす

母屋と干し場、前浜、一時保管倉(道路と浜の間)を見下ろした光景
絶景かな・・というか絶壁だな
こんな急坂を下って戻るんですが、最後に勢いを付けて駆け下りると、鳥居の下に見える線路に飛び出ます。(あぶねぇ~)

これが船着き場:杭が残っています・・鰊はどこへ行ったやら。
カモメの水平線

鰊を釜茹でにした竃の跡
五右衛門風呂を連想する

鰊を一時保管しておく倉
我が家より立派かも
コンクリートの岸壁の角には「昭和二十六年○月二三日」と彫られていました。


増毛へ向かう途中に、番屋だったかも知れない雰囲気の屋敷がありました。
いかにも番屋
番屋にしてはガラス窓が大き過ぎるので、後代の改修かも。

開校133年という気が遠くなる歴史を持つ増毛小学校は昭和11年の建築で、当別町の弁華別小学校(9/10投稿予定)と1・2を争う古い校舎です。
増毛効果を期待する

こちらが風格と貫禄のある体育館
お遊戯よりは武道が似合う

校舎の保存を望む声があるのは当然ですが、使う方にしてみれば不便この上ない話で、遂に旧増毛高校の校舎へ移転してしまいました。
従って、現役校舎としては弁華別小学校(昭和12年建築、開校121年)が最古になります。

留萌市内の某観光案内所に寄って「萌っ子缶バッジ」を買い足し、以前に紹介した「オロロンマップ」の増毛版をもらったら、「アメダスの観測施設」が載ってました。
それらしく描かれている
この地図って、実物(or写真)を見て描いたとしか思えないほど忠実で、雰囲気がよく出てるんですよね。

 
帰りは、時々通行止めになる「増毛稲田線」(道道94号)を通って雨竜へ出ました。この道はかつて「信砂越え」と呼ばれた山道で、松浦武四郎も通っています。
ただ単に、留萌まで戻るのが嫌だから近道を通っただけなんだけど、途中に廃校となったらしい体育館がありました。
こじんまりした体育館

蕎麦畑を背景に、竜西小中学校(昭和46年閉校)の閉校記念碑が立っていました。
誇りは高し 山よりも

 
月形から浦臼にかけての地域をまるごと、遺跡や歴史施設などをひっくるめて「田園空間博物館」という概念で連携しています。
地域まるごと博物館
十勝地方にも似たような地域がありました。

廃校になった鶴沼小学校は「農機具展示施設」として活用されています。
鶴が訪れる沼の向かい

これでもか、というくらい農機具が各教室に展示されていましたが、持ってる物を全て並べるのではなくて、少し整理して系統的に並べた方が学習のためになるだろうに。(唐草のような模様の便器まで展示してあった・・それはそれで個人的に興味深いのですが)

廃校になったすぐ後に別の施設として活用されると、学校関係の資料が保存される利点があるようで、ここには鶴沼小学校関係の古い教科書や書類やらの珍しい資料が多数展示されていました。

「希望の鐘」って何かと思ったら、授業の開始や終了を知らせるチャイムでしょう、きっと。
日本コロムビア製


posted by 雁来 萌 |22:21 | 蝦夷の細道 | コメント(0) |

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