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2013年01月05日

古代人が使った水洗トイレ

お正月モードですから、年賀状(サポ友向け)に採用した画像を。
クジャクサボテン
月下美人というか、目下美人・・翌日の状況は分からないけれど、(目下のところ)美人です。   年末年始の休日を利用して、ここのブログに相応しい?トイレの勉強をしていました。笑 休日とは言っても、年末の27日に急な仕事が舞い込んできて、翌日までその作業に追われただけでは済まず、29日と30日の未明に出社しなければならなくなってしまいました。 従って、年末は正月だかなんだか訳の分からない半休日を過ごすことになり、買い込んでおいた書物をあまり読めませんでした。 ここでいう古代人とは古代ローマ人などではなくて、日本の古代(飛鳥・奈良・平安・鎌倉)の話です。 なるべく表現を選んで書いていますけど、正月からトイレの話なんか読みたくないという方は、どこか他を見てた方が良いかも。



「水洗トイレは古代にもあった」という書籍の表紙カバー
トイレ考古学とは
by 黒崎 直(吉川弘文館、2009):ISBN978-4-642-08030-9

副題として「トイレ考古学入門」と書いてあるように、遺跡を発掘して古代のトイレ跡を調べ、古代人の生活様式や都市の水利システム、さらには環境にやさしい有機肥料のリサイクルまでをも探る調査研究を解説しています。

上の写真は秋田城(8~9世紀)跡出土の水洗式トイレの復元家屋、下は藤原京跡出土の水洗式トイレ遺構だそうです。

この本は、そもそも北海道立埋蔵文化財センターの書棚で見付けた書物で、ペラペラとめくったら「この本は読まなければならない」と思い、本屋へ行った時に探して購入したものです。

 
古代の遺跡を発掘していると色々な穴が見つかりますが、それらが墓穴だったり、柱を立てた穴だったり、ゴミを捨てた穴だったりする訳です。

ところが、それらとは似てるけど立地の状況が少し違っていて、何の目的で掘った穴なのか分からない場合も多いそうです。
たとえ漠然と「これはトイレ跡じゃないのか?」と思っても、証拠が無ければ考古学的には立証できないから、トイレだとは識別されないまま調査が終わってしまうそうです。作業期間や予算も限られているし。

めげずに真実を見極めようとして穴の中に残っていた土壌を分析すると、例えば野菜・果物の種とか、魚の骨とか、特徴的な木片とか、寄生虫の卵などが検出されたならば、それらが物的証拠となって「この穴はトイレ跡だ」と判定きるようになったそうです。(他の穴だった可能性も少しはありますが)

不思議なもので、一旦そういう視点で遺構を見るようになると、従来は看過されていたトイレ跡がたくさん見つかるようになったんだとか。

 
トイレと言っても穴形のタイプだけじゃなくて、古代の都を通っていた大路の側溝から水を引いて自宅の敷地内に迂回させ、洗浄後の汚水を再び側溝に戻すという、水洗式のトイレもあったそうだから驚きです。
奈良時代や平安時代の昔から、水洗トイレがあっただなんて。

「厠」(かわや)は「川屋」、つまり「用を足す川に建てた小屋」から来ているとか・・そう言えばかなり昔、○○県のとある駅のトイレに入ったら、真ん中を通る樋の中を常時水が流れる形式になっており、小川を跨ぐ感じで怖かったですぅ。笑
川の水や地下水が豊富な土地ならばそれもアリかと思うけど、携帯なんか落としたら回収できませんよ。
さすがに現在まで存続してるとは思えませんが、どんな構造に変わったのかな?

 
本の裏表紙には、藤原京跡で出土したトイレの復元案の模型(人形付)の写真も載っています。
三者択一
踏み板が出土していないので、打ち込んであった4本の杭をどう使って踏み板を固定したのかを考えると、複数の解釈が可能です。
でも真ん中の案だと、踏み板に乗ってしゃがむ時に踏み板が外側に広がる、という危険な状況が起こるかも・・。

 
この本はずいぶんとタメになるものの、こんな奥が深いというか底が深い勉強ばかりして古代人の生活に妄想を逞しくしてると、肥溜に落ちる夢を見そうで心配です。
去年の暮れには実際に似たような夢を見て、焦って目が覚めましたから・・そんな初夢はイヤだ。
幸い、慌てて起きるほどの不吉な初夢は見なかったので、胸を撫でおろして下腹をさすっているところです。


posted by 雁来 萌 |20:16 | 雑念 | コメント(0) |

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