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2012年06月11日

昔は鰊御殿、今は原発の村

GW中の4月30日に、いくら雪深い倶知安方面でも雪が融けただろうから、後志北部のアメダス5ヶ所を探訪してきました。
今回はそのうちの3ヶ所を紹介します。

いつアップできるか分らない次回(倶知安、赤井川)は後志北部の後編(倶知安は「羊蹄山麓」に属する)、さらに上川中部が3回分(9地点)貯まっています。

 
アメダス探訪「余市」の巻(2012/4/30)

余市の浜町から沢沿いに内陸へ入り、見当を付けて坂を登ると・・また廃校かよっ!
廃校にしては綺麗過ぎ
校門に表札ねーし・・5年前に閉校した「豊丘小学校」だったらしいです。

檻に入れられた二宮金次郎は初めて見ました。
勤勉の罪で拉致監禁

でも、この場所ではありませんでした・・あの丘の上だっ!
ふしぎ発見

余市らしく、果樹園のようです。
ニッカは日本果汁

積雪深計(超音波式)と雨量計
気候は悪くない?

周辺はブドウ畑で、これが美味しいフルーツ(or余市ワイン)になるんでしょう。
美味しく育ってね

エゾエンゴサクが畑地にも、春の小川にも満開でした。
GWの花、満開


次の目的地である美国へ向かう途中、向こうに見える「滝ノ澗トンネル」から出て来て、海水浴場の駐車場にあるトイレに寄りました。
手前に写ってる建物は、「とよはま」という民宿です。
今は山中今は浜
さっきは内陸だったから豊丘で、こっちは海岸だから豊浜だと納得。

自分の背中の方に進むと、すぐに次の「豊浜トンネル」に入ります。
1996年2月に起こった「豊浜トンネル崩落事故」って覚えてますか?
正確にはトンネルが崩落したのではなくて、崖から巨大な岩塊(推定2万7千トン)が崩落してトンネルの巻き出し部分ごと押し潰してしまい、走行中のバスや乗用車に乗ってた20名が死亡したという事故です。
岩塊の爆破も思うようにいかなくて、遺体を収容するのに1週間かかったという真冬の惨事でした。

現在は新しい長いトンネルが出来て事故現場には海上からしか近付けないんですが、恐らくこんな感じで塞がれているはずです。
封鎖
左奥の細長い岩は「ローソク岩」です。

昔のトンネルは狭くて、しかも途中に急カーブがあるもんだから、毎日通ってる地元の人達でさえ壁に車を擦ったりしたそうです。


アメダス探訪「美国」の巻(2012/4/30)
鮨食いてぇ・・まだ朝10時
生鮨を食べたいけど我慢して、美国港を遠望

黄金岬の展望台(左)と宝島(右)と水中展望船(船底にガラスを張った海底探勝船)
船全体が箱メガネ
てっきり夏場だけの運行かと思っていたら、GWから稼ぎ始めるんですね。

かな~り昔の真冬に、この展望台に滞在して仕事をしてたことがあって、その時に宿泊していた民宿がここだと思います。
おかずは毎日獲れたての魚だった
今は営業していないようですが、周辺には石蔵や番屋などがあって趣があります。

内陸の方へかなり進んで・・あった。
ゴミ置き場か
交差点の脇なので、奥地にしては見付けやすい場所でした。

多分、この農家の土地だったんでしょう。
自宅だけ見ると農家とは思えない

なぜか壊れた百葉箱が放置されています。
ビンテージな百葉箱
何十年も前から観測を続けていて、お役御免になったに違いない。


次の目的地である神恵内に向かうため、向こうから「当丸峠」(左奥)を越えて来ました。
昔は越えるのがしんどかった
この辺は結構な雪が残っていました。自分の立ってる場所が昔の未舗装路だったと思われます。

「大雪崩トンネル」を出て、空中回廊のような「大雪崩橋」を下ってきます。
綱渡りのような道路
こんな崖だもの、雪崩だって起こるでしょう。雪崩で橋脚が損傷を受けないように、V字形のガードが設けられています。


アメダス探訪「神恵内」の巻(2012/4/30)
かなりの傾斜地に立っていました。
海からの風が強そう
左上の施設は浄水場(だった?)らしいです。

雨量計の受水口を見下ろせる地点は珍しいな。
海まで転げて行きそう

下方には神恵内港が見え、丘の上には青少年旅行村もありますが、
寝てる間に崩れ落ちそう
こんな崖の上にあるコッテージには泊まりたくないなぁ。

すぐ横に、放射線のモニタリングステーションがありました。原発がある泊村の隣村ですから。(距離わずか10km)
これが放射線量を測る装置で、
海のベルトはシーベルト、靴紐はシューベルト

こっちは、雨水を採集して分析するためのサンプラーでしょう。
雨水サンプラーか


泊村に残っていた旧川村家番屋は近くに移築されて、「鰊御殿とまり」として公開されていました。(泊村有形文化財)
宿泊はできません

外観はかなり修復されていますが、内部の構造には古い部材も残っています。
屋根瓦が新し過ぎる

天井裏の梁組を見やすいよう、わざわざ照明を当てています。
曲者はいなかった

網元がどっかと座って、(息もせずに)窓の外を眺めていました。
瞬きひとつしない

御殿の横に、旧武井邸客殿(泊村有形文化財)と石蔵も保存されています。
小樽市の公会堂と能舞台の雰囲気
石蔵といっても、レンガ積みに漆喰を塗ってあるなんて紛らわしいです。

客殿には4部屋あり、ここで披露宴も行われたそうで、奥の部屋は15畳ありました。
柔道場に使える
廊下の木象嵌にも手が込んでいます。

男子用トイレと女子用トイレ
中国の青磁のような色柔らかいフォルム


女子用トイレの天井が傘の意匠でした。なぜ傘? 電球の傘?
傘ブランカ

石蔵(資料展示室)は屋根の荷重を八方に分散させる構造が珍しく、
荷重が1点に集中しないか?
「八方方杖合掌組工法」(はっぽうほうづえがっしょうぐみ)と言うんだそうな。傘の骨組みにも見えます。

石蔵に展示してあった古い「携帯用人名カード」
昔の人は偉かった
名刺を束ねたような・・まるで私の単語帳の起源ですね。笑

「鰊御殿とまり」は特に見たいとは思わずに寄ったんだけど、これで300円なら満腹でした。

観覧料を払う入口にある管理人詰所というか休憩所に、見慣れたポスターが貼ってありました。
勝てたはず・・
他の場所でも見たので、全道の消防署に貼ってあるのではないかと・・私の勤務先にも貼ってあります。(決して私の仕業ではなくて、消防署の隣だから?)


posted by 雁来 萌 |21:14 | 気象細事記 | コメント(0) |

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