プロフィール
札幌出身、東京在住。05年の秋からはアウェイで大旗を振っていたが、2011年末にOSCが解散したこともあり、同年限りで旗振りは引退。
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2007年06月05日
先週の土曜日、母校の東京同窓会の総会がありました。 毎年600名くらいの出席者があるという巨大な会ですが、東京に 出てきてから初めて出席しました。 それで、その会で配布される会報(1000部以上刷るらしい)に、コンサ の応援を呼びかける広告を出しました。味スタでのヴェルディ戦へのお誘いをしてみました。サッカーよりも 故郷への想いに訴えかけてみましたが、原稿の締め切りが早かったの で、チームの好調さをアピールすることができなかったのが残念です。 梅雨時ですが味スタには屋根があって濡れずに観戦できますし、おそ らく大勢のサポが集まるはずですから、その声が屋根に反響して、初め て観戦される方にも「おっ」と思ってもらえるのではないかと考えま したが、どのくらいの方に来ていただけますか。。。
2007年05月21日
さて、アルバニア国内は何とか移動できた。 次の問題は、アルバニア-モンテネグロの国境越えである。 実は何も情報を持ち合わせていないのである。頼みの「lonely planet」 には、通過できる国境がしめされるのみ。 地図を見るとアルバニア北部のシュコードラへ行けば、モンテネグロの 首都ポドゴリッツァは近そうなので、何がしかの移動手段があるはずだ。 念のため、ホテルのレセプションでモンテネグロへの行き方を尋ねたが、 シュコードラへ行けばなんとかなるだろう、というもの。 「とにかく明日なるべく朝早く出発して、何としても国境を越えてしま おう」そう思い就寝。 シュコードラ行きのバスが何時なのかわからないので、7時にホテルを 出て、バスターミナルへ向った。早朝のティラナの中心部。7時にしては車の通行量が少ない。なぜなのかはあとでわか ることになる。
建物に施されたカラフルなペイント。
ティラナの鉄道駅。首都の鉄道駅とは思えない小さな駅舎。
鉄道えきの脇にあったバスターミナル。ターミナルとはいえない、ただのバスの駐車場 である。 ホテルから北方面へ向うバスのターミナルまでは歩いて行ける範囲。7時す ぎにバスターミナルに到着。管理室みたいなところに入る人間に「シュコー ドラ」と言って、シュコードラ行きはここからか? 次に時計を指差し「シュ コードラ」と言う。今度はシュコード行きは何時か、という意味である。行き 先だけを言うだけで、色々とコミュニケーションをとるという高等技術を 駆使(って、言葉のわからない国ではこれしかないんだが)。 出発時刻まではわからなかったが、「そこで待っていろ」と指差されたので、 そんなに長時間待つ必要はなさそうと推定。 はたして推定は正しく、だんだん客が集まってきて、8時少し前、駐車場の バスの一台が動き出し、所定の場所にとまった。 8時少し前、出発。道は比較的まともで、2時間半でシュコードラ到着。 例によってバスターミナルというような場所ではなく、さらに駐車場み たいな場所でもなく、普通の道路の端。 次に乗るべきバスは。。。まったくみあたらない。いざとなったら、その へんを歩いている人に片端から声をかけて「ポドゴリッツァ」「ポドゴリッ ツァ」と連呼しようかと思ったが、幸い、旅行代理店のようなものがあった。 ここならば英語が通じるかもしれない。そう思って声をかけてみると、代理 店の主人は英語がダメ。アチャーであるが、すぐに彼の友人という英語をは なす男をつれてきた。彼によるとポドゴリッツへのバスはないとのこと。 国境まで行ければ、モンテネグロ側に公共の交通機関があるかもしれない が、あるという保証もない。 代理店のおやじのタクシーでという誘いにのることにした。料金は使いの こしのレク(アルバニアの通貨単位)+アルファで足りる額(日本円で2500 円くらい)。まあ許せる範囲である。 さて、代理店の契約している炊くタクシーで行くのかと思っていると、 主人の車に案内され、それで行くという。ほんとに大丈夫かいな、と 思っていると、国境の係官がその車ではダメという。どうも、この主人、 パスポートなしで、国境を越えようとしているらしかった。う~む、こ りゃダメだ。 長くなったので、続きは次回。 う~む、コンサとまったく関係ないですね。しかも長い。どこか別の場所を 確保してそっちにでも書くべきか。。。
2007年04月17日
先日、無性にビールが飲みたくなり飲んだはいいのですが、350ml缶(もちろん サッポロ)で1時間半ほど動けなくなってしまった管理人です。アルコールは ダメなのですが、なぜかその日にかぎっていけそう気がしたのですが。。。そん なわけありませんでした。 ところで、締め切りが隣接する仕事がたくさんあって更新する精神的余裕が ありませんでした。でも、気分転換に応援には行っていました。雨の西が丘 も行ってきましたよ。大声を出して思いっきり気分転換をさせてもらいま した。 さて、春の旅の続きです。 サランダからアドリア海沿岸を北上していこうと思ったが、この国のバスは、基 本的には、ほとんど首都のティラナ中心に走っており、希望のルートのバスの便 は極少。仕方なく、前日来た道を戻り、ティラナへ向かうバスに乗ってドレスと いうところへ移動した。サランダ。奇麗な街だった。この国はイタリアとの交流が盛んらしく(この国の歴史を 詳しく述べる余裕はないが、1980年代末?鎖国状態を解いたころ、多くの国民がイタリ アへ渡ったとか)。
アルバニアの南部はたいへん山がちで、かつ道も悪く、移動にはかなりの時間がかかった。
バスのなかから撮ったアルバニアの鉄道。LONELY PLANET というガイドブックには、「鉄 道は評判が悪い。それは乗ってみればわかる」と書いてあった。自分は物好きな方なので 乗ってみようかとも思ったが、運行本数が少なすぎ、そしてノロすぎで、先を急ぐ旅なの で断念。
アルバニア入国2日目に泊ったドレスの街。ライトアップされた建物はモスクだが、この国 ではイスラム教徒とキリスト教徒が仲良く暮らしているらしい。
2007年03月19日
今日はゴディバのホット・ショコリキサーを飲んできました。 いつも女性が沢山いて男が一人で飲むという感じではなかったのですが、 平日の今日は、お客さんも少なめで抵抗感少なし。 普通ホットチョコレートというと、限りなくココアに近いのですが、こ れは完全なチョコレート。濃厚な味がチョコレート好きにはたまらなかった です。 ということで甘党の管理人ですが、春の旅の写真をボチボチ公開して いくことにします。 今回の入国のポイントはギリシャ。 すでに上海とギリシャのイグメニッツァの間の陸路は踏破しているので、 旅のスタートは、そのイグメニッツァということに。 夜遅くアテネに到着したが、翌朝5時半の飛行機に乗るので、ホテルに泊 っても、いいところ3~4時間しか寝られない。ということで空港で夜を明 かすことに。 イグメニッツァまでの飛行機はないので、まずはケルキラ島へ移動。 早朝のケルキラの街を散歩してすぐにフェリーでイグメニッツァへ。 実はケルキラからはアルバニアへの船が出ているのだが、「陸路を 行く」というのが自分に課したルールなので、イグメニッツァへ 行くしかないのだ。早朝のケルキラの旧市街。
ケルキラの港。ここからアルバニアのサランダという町まで船が出ているのだが。
イグメニッツァのバスターミナル。いよいよユーラシア陸路踏破の旅の続きスタート。 イグメニッツァからは、まずイオアニナというところまで移動。さらにバスを 乗り継ぎボーダー(国境)へ。 ギリシャの出国手続き、アルバニアの入国手続きと何の問題もなく終了。 陸路の国境は出国後、ある程度の緩衝地帯があって距離は様々。ここは割と 近かった。 ギリシャを出国してアルバニアの入国ポイントまで歩いて行くと、一人の男 が声をかけてきた。アルバニア側のタクシーの客引きだった。アルバニア側 の出国ポイントの外側なんですけど、ここ、と思ったが、そういうルーズな 国のようだアルバニアという国は。 とりあえず、彼の話は無視。入国したら安いバスや乗り合いのタクシーが あるかもしれないので、簡単には交渉に応じられない。 無事アルバニア入国を済ませて、あたりを見回すが、公共の乗り物はなさ そうだ。ということで、タクシーの客引きとの話に入る。 彼の車の行き先と自分の行き先が合わなかったので、途中で降ろしてもら うということで乗車。めざすサランダという町への分かれ道で降りた。 ほとんど何もない場所だったが、ある程度まてばバス・乗り合いタクシー などが通るはずである。まだ日は高いから大丈夫。と思って車を降りたと たん、サランダ方面へ向う車が止まって声をかけてきた。英語はまったく 通じないが、「サランダ?」といっている。こっちも「サランダ」と 答える。これで「サランダに行くのか、そうだサランダだ」という会話 が成立。どうもタクシーではなさそうで、こうして客をひろって小遣い 稼ぎでもしようということらしいが、この推測が正しいかどうかはわから ない。 まだ、アルバニアの通貨は持っていないので、ポケットからユーロのコイ ンを出して料金交渉。すぐに5ユーロで妥結。みせたコインが5ユーロ 分だったから、指を5本出してきたのかもしれない。距離は忘れたが、 けっこうあったので、よい値段だった。 この日はサランダ泊。翌日からはアドリア海沿岸を北上していくつもり だった。(続くと思う) 写真だけのつもりが、文章が長くなってしまいました。
2007年02月12日
色々と開幕が楽しみになるような情報も流れてきますが、実際にリーグ 戦が始まるまで、話半分に受け止めておきます。 ということで、サポ世間では、練習試合、サポ集会の話題などで持ちきりですが、今日は旅ネタです。 中米はグアテマラのチチカステナンゴという村のマーケットの写真です。これは屋内。トマト、赤ピーマン(?)などの赤が鮮やかです。残念ながらよく写ってい ませんが、インディヘナの女性の民族衣装も奇麗です。
こちらは屋外。
村の教会。
2007年02月07日
先日1枚だけアップした冬の京都の写真の続きです。 何となく嵯峨野へ向かい、何となく歩きました。 目的の一つはカメラのテスト。 デジカメ全盛のこのご時世ですが、フィルムカメラも捨て難く、 海外旅行には必ず持っていきます。 かれこれ10年間の付き合いのカメラなのですが、最近調子が悪く、 そのテストも兼ねての冬の京都散歩でした。 カメラに入れていったフィルムはポジフィルムで、現像後スキャン するわけですが、これがけっこう難しいです。(もちろん写真屋 さんでプリントをしてもらうことができますが、ネガフィルムよ りかなり割高です)![]()
祇王寺。何か目的があったわけではなく、何となく入りました。随分久しぶりの訪問で した。
これも祇王寺
鳥居本。嵯峨野の奥の奥の方に古い町並みを残す場所があります。
イヌバリア
これも鳥居本 暖冬とはいえ、ずっと外を歩いていると体が冷えてきました。そこで選択 した暖を取る方法は「バスに乗る」ということ。 適当なバスに乗り、今度は京都の東側へ行きました(嵯峨野は西側に位置 します)。 ついたところが三条京阪。祇園の町並みを見たりしながら、何となく八坂 神社へ。
八坂神社
八坂神社。画像が横長ですが、カメラの調子が悪く、下の部分がかなり欠けてしま ったせいです。このあとカメラは修理行きということになりました。
2007年01月29日
以前カスピ海を船で渡るとか何とかという記事を書きましたが、 短い旅行日程のなか、トルクメニスタンのビザ待ちの時間がとれず、結局は、 飛行機でカスピ海を挟んでトルクメニスタンの向かい側にあるアゼルバイジ ャンはバクーに移動しました。焦点距離の短いレンズのついたカメラしか持っていないため、思い切り拡大した 画像です。遠くにかすかに油井が見られます。昔、地理で習ったバクー油田のこ とを思い出しました。
バクーの旧市街から望んだカスピ海。カスピ海の風に吹かれ ながらあそこを渡って来たかった。
旧城の城門。
旧市街に残る伝統的建造物。 カスピ海を船で渡るという旅にはいずれまたチャレンジしたいです。その際の 難関はやはりトルクメニスタンになりそうです。
いつもは雪祭り期間に休みあるので4~5日帰省して、サポーターズ集会 参加、OSCの登録、ファンクラブのポイントの景品引き換え、天気の状況を みて小旅行とかいうのが、ここ何年かのパターンでしたが、今年ははずせな い仕事が入り、それはかなわず。 しかし、仕事の合間を縫って週の後半にで帰札、OSC登録、ファンクラブポ イントの景品引き換え、シーチケ購入(検討中)等々を行って、2日くらいの 滞在で帰京ということにしました。 飛行機のチケットは特典航空券。マイルは遠征の際に使用とも考えましたが、 4月からは、また仕事で東京ー札幌を行ったり来りするので、そのうちまた たくさんたまるでしょう。 Cスペース滞在10分で終わりそうな用事なので、我ながらもったいないなあ と思いますが、カメラでも持って久しぶりで小樽などへ行ってみようか、 久しぶりでスキーをしたいが時間的に無理かな、などなどと考えています。 それにしても天気が心配。
2007年01月17日
さて、ウズベキスタンの続きです。 今日はブハラ。 ヒヴァからこの地域の中心的な街ウルゲンチへ移動し、翌日、韓国製、 エアコンなしの軽自動車(エアコンのついている車は少数派だった)で 6時間かけてブハラへ移動。公共の交通機関はそれほど便利ではなく、 この車は白タク。値段は忘れましたが、6時間という乗車時間からは 考えられないくらいの安さ。(日本円で数千円くらいだったような) ブハラはブハラ・ハーン国の首都であり商業都市としても繁栄していた所 ですが、この「ブハラ」は、サンスクリット語で「僧院」を意味し、その名 の通り多くのモスク、メドレセをもつ宗教都市で、以下の写真はほんのその 一部にすぎません。歴史的建造物の多くは16世紀のものということです。 建造物に貼られたタイルが奇麗です。歴代のブハラ・ハーンの居城だったアルク城からの眺め。
カラーン・モスク
カラーン・ミナレット
ミル・アラブ・メドレセ(神学校)
ナディール・ディヴァンべギ・メドレセの入口。2羽の鳳凰の間に太陽があり、その間に 人間の顔が描かれています。偶像崇拝を禁止するイスラムの教義に反するものとし て有名です。
2007年01月10日
今日はコンサネタなし、久しぶりで旅ネタのみです。 本日紹介するのは、ウズベキスタンはヒヴァ。ここは17世紀からホレムズ帝 国の首都が置かれた都市で、二重の城壁で囲まれ、内側の城壁に囲まれた内 城イチャン・カラには、20のモスク、20のメドレセ(神学校)、6基のミナレ ットなどが残され、街全体が博物館都市に指定され、ユネスコの世界遺産に も登録されています。写真は未完成のミナレット、カルタ・ミナル。1852年に着工されたこのミナレットは着 工を命じたアミン・ハーンが亡くなったため、工事が中断されたようで、完成し ていれば70~80mくらいになったであろうといわれている(現在の高さは26m)。
高くそびえ立つのは、イスラーム・フッジャ・メドレセのミナレット。 高さ45mで、ヒヴァに残るミナレットでは一番高い。
イスラーム・フッジャ・メドレセのミナレットの上からの眺め。 8月に訪問したのですが、暑さは半端ではありませんでした。このときは カスピ海を船で渡ろうと思って、中央アジアへ出かけたのですが、さて カスピ海はどうなったか? 続く(かも)。
2006年08月16日
イエメン戦があったようですが、仕事のため見ていません。 僕にとってのイエメンといえば独特の建築物が残る国。本当に興味深いものがあります。写真は首都サナアの旧市街。サナアはイエメンの首都で標高2300mの高原にあります。BC10世紀頃にはシバ王国の支配下、商業都市として栄えていた「世界最古」といわれる町です。そのサナアの旧市街は高さ12mの城壁に囲まれ、400年から古いものでは1000年以上前に作られた多くの伝統的な家屋が残っています。家屋の高さは20mから高いものは50mにもおよび、写真ではわかりませんが、窓にはステンドグラスがはめ込まれています。白い模様は、は化粧漆喰で描かれたものです。何かフリーハンドで描いた絵のような建物やその模様、本当に面白いです。人々も伝統的な生活を守っており、なかなか興味深いです。ただ、部族対立が激しく治安が悪いのが難点です。
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