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2016年10月25日

トリニダーとかハーシー線とか(キューバ)

先日のキューバの記事の続きです。

ハバナに2泊した後、トリニダーという街に移動。

リニダーは近くにサトウキビのプランテーションが開かれ、サトウキビ貿易の中心地として繁栄した街で(プランテーションの経営は奴隷労働力によっていました)、18~19世紀にサトウキビ農園主らによって建てられた美しい建物が並び人気の観光地となっています。

トリニダーへはハバナからのツアーで訪れるのが便利ということでしたが、自力で行きたいのでバスで行くことにしました。所要時間は6時間。本数はそれほど多くはありません。まだまだ経済が未発展の状態で、人々の移動も少ないのだと思います。ただ、キューバを訪れる外国人観光客が増えているらしく、現地に行ってからのバスチケット購入にはリスクがあるので避けたいと思ってVIASUL(ヴィアスール)というバス会社のサイトにアクセスすると、オンラインでチケットが購入できるということがわかったので、事前に購入しておきました。

10時45分のバスで出発し、17時すぎにトリニダーに到着。

バスを降りると、とたんに宿の客引きに囲まれましたが、僕は宿探しに時間をかけず、すぐに街歩きに出るため事前に予約しておいたので、「宿は予約してある」と言って宿へ向かいました。

客引きは基本民泊の客引きだと思いますが、現状トリニダーで宿に困るということはないようで、予約していなくてもそれほど問題はなかったかもしれません。が、予約したにもかかわらずちょっと問題が発生。

予約した宿はすぐに見つかのですが、なんとダブルブッキングで部屋がないというではありませんか。宿の運営をしている奥さんは「自分のところにはネットがなく、ネットが使える場所で予約のチェックをしなければならないのだけれど、チェックするのを忘れていてダブルブッキングになってしまった。もうすでに部屋に先客がいるので、自分の妹の所を紹介するよ」とのこと。

ということで、その妹さんの家に移動。「申し訳ない」ということで、宿泊料は少しだが安くしてくれました。

以下はトリニダーの写真です。陳腐な言い方ですが、スペイン植民地時代で時間が止まっている感じです。道路に敷かれている石は、サトウキビを欧州に運んだ帰り、空になった船のおもりとして積み込んだものだとか。


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野球をする少年たち(トリニダーにて)。ご存知の通りキューバは野球の国。ハバナの博物館の売店では、僕が日本人だとわかると「イチロー」とか「タナカ」とか日本人大リーガーの名前をあげて話してきました。中東とかでは、日本人のサッカー選手の名前をあげて話しかけてくるのですが、さすがキューバです。ただ、キューバでもサッカーは人気スポーツらしく、ハバナの街ではちょっとしたスペースで子供たちがサッカーに興じていました。


トリニダーに2泊した後、ハバナに戻りましたが、さすがにクラシックカー見物と旧市街散策だけでは飽きてしまいます。ということで、20世紀の初頭にアメリカのチョコレートブランドのハーシー社がハバナ郊外に持っていた製糖工場をハバナなどを結ぶために敷設した鉄道にちょっとだけ乗ってきました。

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ハバナ(カサブランカ駅)とマタンサスを結ぶ路線の間にあるハーシー駅(ここからハバナに戻りました)。

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古いです。

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posted by オフ |21:24 | | コメント(0) |

2016年10月10日

クラシックカーとチェ・ゲバラ

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だいぶ時間がたってしまいましたが、今年の1月末から2月にかけて、キューバに行ってきましたた。

アメリカとの外交関係が回復し、今後、大きく変化すると思われるので「その前に」ということです。

キューバといえば、クラシックカーが現役で走っていることで有名です。観光用のピカピカに塗装されたものも目に付きましたが(エンジンなども取り替えられている感じ)、庶民の乗り合いタクシーとして利用されており、どちらかというとこちらが主力。経済が発展していくと、乗り合いタクシーは最新の車に替えられていくでしょう。

今現在、キューバの魅力の大きな部分は「人」の良さだと思いますが、今後経済が発展していくと格差が拡大して、人々の心がすさんでしまわないか、若干心配ではあります。

それから、サッカーファンにとってキューバといえば、チェ・ゲバラでしょうか?
スタジアムにゲバラの肖像のダンマクが見られることが多いですから(コンサもあったような?)ただ、自分もそうなのですが、なんでゲバラなんでしょうか? なぞです。

ヨーロッパか南米かわかりませんが、サッカー強国のリーグでサポーターがゲバラの肖像のダンマクがかかげられていて、それをJのサポも真似てという感じでしょうか?

ゲバラについては、フィデロ・カストロとともにキューバ革命を指導したことで有名ですが、サッカーが盛んなアルゼンチン生まれということ、そして彼もサッカーに親しんだようです。

しかし、そのこととサッカーチームのサポが彼の肖像をかかげることはすぐには結びつきません。

彼からフィデル・カストロへの最後の手紙に次のような一節があったということです。「勝利に向かって、常に」 

ゲバラのカリスマ性、カッコよさに加えて、この言葉が、勝利をめざすサポの心をとらえ、スタジアムでその肖像がかかげられるようになったような気がしますが。。。


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クラシックカーねらいで旧市街のあちこちをかなり歩き回りましたが、こんな感じでクラシックカー(ほとんどが乗り合いタクシー)がガンガン走っているシーンは容易に撮影できました。

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ゲバラの第一邸宅だった建物内に展示されている写真。

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同じくゲバラの第一邸宅だった建物内に展示されている写真。

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革命広場に面した内務省のビルの壁にもゲバラの肖像が(もう一つの肖像はカミーロという人物のもので、「いいだろフィデル(カストロのこと)」という文字が書かれている)


posted by オフ |21:45 | | コメント(2) |

2016年08月04日

ベイルートの日本食レストランの女主人から聞いた日本代表選手のこと

バールベック

上の写真は、2001年3月、ヨルダン・シリア・レバノンをめぐったときに撮ったバールベック(レバノン)のバッカス神殿(3世紀初めに建造)ですが、この時の旅の写真を眺めていたら、ふと思い出したことがあるので書き留めておきます。

シリアのダマスカスから乗り合いタクシーでベイルート(レバノン)に移動した夜、レストラン東京という日本料理屋に入った。どんな味の日本料理を出すのか興味があった。

それで味だが、味噌汁がきちんとだしをとった本格的な味でびっくりしたことを覚えている。店の主人(けっこうご高齢の御婦人だった)は、味噌だとか鰹節だとかを日本から送ってもらっているが、けっこう大変だというようなこと話していたような。。。
  
さて、記憶はかなり薄れているのだけれど、その方の話で覚えていることがもう一つある。

この店は、前年、AFCアジアカップがレバノンで行われたときに、日本チームに食事の世話をした店で、選手たちも試合の合間に食事に来たそうで、女主人はすっかり選手たちを気に入ったと話していた。選手たちの様子についても具体的に話してくれ、そのなかで今でも覚えているのが中村俊輔の話だ。「試合が近づくと緊張して食欲が落ちる」というのだ。まだ、22歳の若者がおいしい日本食を食べさせてくれるレストランの御主人に甘えて語った言葉かもしれないが、そのころの中村俊輔はまだメンタルが弱かったのかもしれない。(トルシエは中村を2002年ワールドカップのメンバーに選出しなかったが、もしかしてトルシエは中村のメンタル面を評価していなかった?)


posted by オフ |22:27 | | コメント(0) |

2014年10月29日

早周り世界一周(含w杯観戦)…超遅報3

さて、いよいよW杯観戦の地、ナタルへ向かう。

6月18日、 8時少し前にチェックアウトして、タクシーで空港へ向かった。(実はブラジル入国地点をレシフェに決めたときは、レシフェ-ナタルの移動はバスで、と考えていた。しかし、バスのチケットは現地購入しか方法がなく、便数も限られており、チケット購入失敗というリスクを恐れて、結局飛行機での移動を選択。わずか45分の飛行時間にもかかわらず、日本円で5万以上とワールドカップ価格だった。)



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ワールドカップ仕様になっていたタム航空の座席のヘッドカバー。


9時45分発、ナタル行きの便は定刻で出発。レシフェでの日本チームの試合からすでに3日がすぎており、かなりの日本人が第2戦が行われる地であるナタルに移動した後ではと思っていたが、けっこう多くの日本人が乗ってきた。

10時半、定刻通りナタル到着。到着口には、日本領事館員らがいて、ナタルでの注意事項や緊急連絡先などについて記したパンフレット、観光地図などを配布していた。

 空港からナタル市内への足はタクシーしかなく、料金前払い制のタクシーで移動(75レアル)。


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正面の建物がナタルで宿泊したホテル。設備は古びており、安いビジネスホテルという感じだが、宿泊料金はワールドカップ価格で、何と1泊日本円で18000円くらい。スタジアムまで徒歩で行けるという絶好のロケーションなので、料金の高さはいたし方ないか。


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ホテルのレストランからスタジアム方向を望む(試合の翌朝撮影)。


レシフェのホテルでも少し感じたことだが、ナタルのホテルでブラジル人の親切さ、フレンドリーさを強く感じた。ちょっとしたことでも笑顔で丁寧に対応してくれるのだが、肩肘張ったサービスではなく、仲のよい友人に接するような雰囲気なのだ。ホテルのスタッフばかりではない。タクシーの運ちゃんも基本的にフレンドリーだし、ショッピングセンターの警備員も、商店の店員も。治安の心配さえなければ最高なのだが。

さて、この日はこの旅行中の数少ない2連泊の1日目ということで洗濯デイとし、洗濯後は部屋でワールドカップの試合観戦。



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ナタルのホテルのレストランでの食事(ちょっと食べてから写真を撮ったので手前の部分が減っています)。このホテルのレストランは近くの工事現場の人たちなども食べに来る庶民的なもので、ビュッフェ方式・ジュース付で料金は10レアル=約500円。料理は日替わり(昼と夜とでも内容が変わる)でけっこういけた。それからさすがにコーヒーの国だけあってポットに入ったコーヒーと小さな紙コップが用意されており、客は食後にその甘~いコーヒーを一杯すすって出て行った。旅に出てから野菜や食物繊維が不足していたので、毎回、煮豆や野菜の入った料理を多めにとった。 


6月19日。

いよいよ、日本戦の観戦日である。しかし、あいにく朝から強めの雨。試合前にちょっと観光でも、と思っていたが、この天気では海岸に行っても全然綺麗ではない。それより、もっと大きな問題は観戦中の雨対策だ。ナタルは雨が少ないことで有名な場所で、観戦中の雨対策はすっかり忘れていた。荷物をなるべく軽くということに集中していたので、ビニールのカッパをバックパックに入れておくなどということは、まったく思いつかなかった。ということで、ホテルのスタッフに相談して(英語は通じないので、googleの翻訳のページを使って、ポルトガル語と英語でコミュニケーション)、ゴミ袋をもらった。ただ。ホテルのスタッフによると、ナタルでは午後から晴れることが多いとのこと。

 昼前、晴れ間が出てきた。ここまでブラジル観光はゼロである。これはどこかに出かけるしかない。ということで、ヘイス・マーゴス要塞へ行くことにした。この要塞は、1598年にポルトガル人によって築かれ、ナタル発展の基礎になったということである。なお、ナタル空港で領事館員からもらったパンフレットには、要塞のあたりではスリや引ったくりに注意とある。危なくない所はないのか? という感じである。

 要塞までタクシーで向かったが、その少し手前にある、ワールドカップのファンフェスタ会場の前までしか行けなかった。ファンフェスタ会場についても、上記のパンフレットには「ファンフェスタは出入り自由なのでスリ・引ったくりに注意」とある。とにかくしつこいくらいの注意喚起である。まあ、ワールドカップのため、普段、あまり海外旅行をしない層が旅していることが想定されるので、ここまで徹底しなければならないということなのだろうが。

とりあえず、ファンフェスタの会場の横を通りぬけ、要塞へ向かった。土産物屋が並んでいるところを通り抜けると、細い道の両側はちょっとした林で見通しが悪く、人通りもなくなった。警官もいない。まずいではないか(笑)。なるほど、引ったくりに出くわしてもおかしくはない状況だ。ただ、見通しの悪い道はすぐに終わり、要塞に向かう歩道に出た。ここは要塞にいる観光客からも良く見える場所で、物取りとかは出にくい環境である。


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売店の店先にて。


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要塞に向かう歩道からナタル市街方面を望む。


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要塞からの帰り道。遠くに見えるのが要塞。はっきり言って観光地としてはたいしたことはない。


さて、ファンフェスタの会場だが、外からも雰囲気がわかり、寄っていくほどのものでもないだろうと判断してホテルへ戻った(実は入場するにはペットボトルの飲料を放棄しなければならなかったので、それを惜しんだのもあるのだが-何か完全に節約旅行者の思考経路だ)。

ホテルまで乗ったタクシーの運転手は若い男性だった。「イングリッシュ?」というので、イエスと言ってうなずくと、スマホに何か入力し始めた。運転しながらやるので危ないことこの上ない。何をやっているのかと思っていると、入力完了後、少し間を置いて、画面を僕の方に向けてきた。どうやら、翻訳のページにアクセスしてポルトガル語を英語に訳したようだ。画面には英語で「ファンフェスタにはまだ人がいたか?」とある。う~む「実はファンフェスタ会場には入っていないのだよ」といいたいところだが、会話形式が英語表示の質問にイエスかノーで答えるという感じなので、ちょっと困った。ということで、さきほど自分の前にファンフェスタ会場に入っていく客を見かけており、沢山いるかどうかは別にして、いることはいるだろうから、自信のなさげに「イエス」と答えておく。彼は僕の情報をもとに、また、ファンフェスタ会場に戻り客を拾うつもりなのだろうから、責任は重大である。

スマホでの質問は、日本の初戦後、マスコミに報道されて話題になったらしい、日本人サポーターのゴミ拾いに移った。「日本人はいつも試合後にスタジアムのゴミを拾うのか?」 これもちょっと答えに窮した。日本人サポーターが自分たちの陣取った場所を綺麗にしてスタジアムを去ったことはネットで確認してはいたが、それは日本人の行為というより、Jリーグのサポーターの習慣というか文化のようなものだからだ。日本人皆が公共心にあふれていて、常にそういう行動をとるわけではないので、はっきりとイエスとは言えなかった。Jリーグの試合でも、一見さんなどのなかには、紙コップやパンフレットの類、コンビニのレジ袋などにいれた紙くずをけっこう座席のところに置きっぱなしにして帰る人が多い。それを常連さん(サポーターといってよいと思う)が、拾って(場合によっては持参のゴミ袋に入れ)、スタンドの出口のゴミ入れに入れたり、ゴミを集めている場所に持っていったりするのは普通に行われ入る行為である(と思う-自分は札幌サポの行動しかしらないので)。ワールドカップにおける日本人サポーターのゴミ拾いという行為も普段の習慣通りの行動といえると思う。ということで、その行動をした彼らにとってはいつもの行為だと思うので、少し間を置いてから、「イエス」と答えておいた。

しかし、日本での報道はどういうものだったのだろうか? 聞くところによると、「日本のサポーターの行為が外国で称賛されている」止まりだったようだが、それでいい気分に浸っているだけという感じだったのならばとても残念だ。Jリーグを支えるサポの普段の行動にまで踏み込んで、一般の人たちにJリーグの良い点というものを認識してもらうきっけけの一つにしてもらいたかったと思うのだが(そういう方向の報道があったのならばすみません)。 

運転手の質問は、さらに日本の経済に及んだが、そうこうしているうちにホテルに到着した。


15時を過ぎる頃から、スタジアムへ向かう人が現れ始めた。ホテルの目の前の道がスタジアムに続く道なので、よく見えるのである。

キックオフ2時間前の17時くらいにスタジアムに入ろうと考えていたが、外のざわめきに促されるように、16時15分ころホテルを出発。16時半にはスタジアムの入り口に着いた。チケットには、転売防止のため、購入者の名前が印字されており、入場の際、パスポートなどのIDチェックがあるとされていたが、結局はノーチェック、手荷物のエックス線検査のみで入場。


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スタジアムへの道すがら撮った写真。街中は驚くほどワールドカップ・ムードというものがなく、出場国の国旗が街中のあちこちに飾られていた日韓共催のワールドカップ時とは随分違う雰囲気。この歩道橋の国旗はブラジルとナタルでグループリーグの試合をする国のものか?


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スタジアムへの道すがら撮った写真。サッカーボールをかぶったような格好のサポーターが見えるが、この程度は序の口。仮想大会か? という感じだった。


続く。


posted by オフ |19:57 | | コメント(0) |

2014年10月22日

早周り世界一周(含w杯観戦)…超遅報2

前回の投稿で、いっきにスペインのアンダルシアまで行ってしまったが、経路はそんなに単純ではなかった。

最初の目的地はサントリーニだが、もちろん日本からの直行便はない。そこで、成田-フランクフルト-ウイーン(泊)-サントリーニという経路をとった。サントリーニからスペインへは、サントリーニ-ウイーン-マドリッド(泊)と飛び、さらにアンダルシアのセヴィージャに飛んだ。

ヒマワリ畑を観光する拠点としたのはカルモナという街。この日はスペイン代表の開幕戦だったが、スペインの惨敗のせいか街の盛り上がりはもう一つ。


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カルモナ旧市街の中心。

カルモナ-コルドバ-セヴィージャとバスで移動し、車窓から広大なヒマワリ畑を眺めたが、カルモナの気温が38度くらい、セヴィージャは何と40度超え。6月というのに、アンダルシアは酷暑である(湿気がないので日陰は比較的すごしやすいが)。

セヴィージャからマドリッドへは、AVEという高速鉄道で移動。マドリッド1泊後はいよいよブラジルへ向けての移動。


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AVEの一等車の車内。スペイン国鉄は早期に予約すると安い料金で乗ることができ、日本で買うと若干の手数料を取られるものの、かなり安くチケットが買える(今回は9000円くらいで買えたか?)。2等の料金と大差がなかったので1等を選択。


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マドリッドの中心部ソルのあたり。日よけの布が張られていた。


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マヨール広場を囲む建物の柱の陰でフラメンコの歌を唄う青年。駆け足のこの旅で感じられた数少ない”スペイン” 



さて、ブラジルへの移動である。マドリッドからブラジルへは、サンパウロ行きの直行便があるのだが、この旅ではマイアミ乗り継ぎという、かなりの遠回りルートとした。その理由は、ブラジルの国内線の高さだった。

2013年12月、ワールドカップでの日本チームの試合日程が決まると、すぐにホテル・航空券の手配に入ったのだが、自分が観戦しようと思ったナタルへは、サンパウロから日本円で5万以上したのだ。普段はもっと安い航空券があるようなのだが、ワールドカップの影響か、すでに安い航空券は売り切れていた。ということで、アメリカン航空にマイアミ-レシフェ便があったので、それに乗るため、まずマイアミまで飛ぶことにしたのである。(2014年4月からブラジルの航空会社であるタム航空がワンワールドに加盟したが、世界一周航空券を手配した段階で加盟していたならば、迷わず、マドリッド-サンパウロ-ナタルというルートを選択していただろう)。

ほぼ定刻の16時半にマドリッドを出発したイベリア航空便は、20時、ほぼ定刻でマイアミに到着。23時15分発のレシフェ行きアメリカン航空便に乗り継いだ。

翌朝の8時20分、定刻通りレシフェ到着。入国審査はスムーズ済み、税関はノーチェックで通過。白タクの客引きが言い寄ってくることもなく、とりあえず100ユーロを両替して、定額の空港タクシーでボア・ビアジェン地区にある予約しておいたホテルへ向かった。


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午前中の早い時間帯だったが、部屋に入ることができた。通された部屋は居間と寝室が分かれた部屋だった。この部屋で日本円で7000円弱。軒並みワールドカップ価格のブラジルにあって、少々くたびれた感じのホテルではあるが、こんな値段で、こんな部屋に泊れるとはビックリだ。直前にキャンセルが出たからなのかもしれない。 


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部屋からの眺め。レシフェはビーチリゾートとして有名らしい。が、なぜかビーチには人がいない。ワールドカップの試合の狭間で客がいないのか? それともこの日は夕方からブラジルの試合があったからか? しかし、ブラジルの試合は夕方で、この写真を撮ったは午前中なので、そうではないと思うが。



さて、マドリッドから合計で18時間余りのフライトで疲れきっていたが、まずはワールドカップの観戦チケットを受け取りに行かねばならない。レシフェにおける発券所は、ショッピング・レシフェというショッピングセンターに設けられていた。チケット発行の際の混雑を見越して、FIFAのサイトで優先的にチケットを受け取ることのできる時間帯を指定できるようになっていて、僕は12時~13時の時間帯を指定していた。しかし、おそらく、もうチケット発券の混雑はないだろうと思い、10時半ころ、タクシーでショッピング・レシフェに向かった。

ショッピング・レシフェにあるチケット発券所に着いてみると、予想通りまったく混雑はしておらず、というか、誰も並んでおらず、あっさり発券終了。

ホテルからショッピング・レシフェがかなり離れており、また、ショッピング・レシフェでのタクシーの待機時間(実際には運転手がチケット発券所まで案内してくれた)もあったため、往復で3000円強もかかってしまった。チケットは日本に郵送してもらうことも可能で、こちらは40ドル(約4000円)だったので、若干安くあがったのだが。

ホテルに戻り、昼食をとった後、この後、どうするか考えた。レシフェ近郊の有名な観光地といえばオリンダという街で、そこまでタクシーを飛ばして観光してくるか。しかし、16時からブラジルの試合があり、午後には街は人通りがなくなるだろう。そういう状況では治安の悪さに拍車がかかる恐れがある。もちろん僕の大好きな路地裏探訪などは無理であろう。さらに、昼食後、猛烈な睡魔が襲ってきた。ということで、オリンダ観光という選択肢はあっさりと捨て去り、部屋でブラジル-メキシコ戦を見ることにした(結局は眠くてほとんど見られなかったが)。

ちなみに、レシフェ旧市街で日本人サポーターが強盗にあったというニュースを目にした。日曜日は極端に人通りが少なくなり強盗などが多発するので、日本戦があった翌日の日曜日に観光に出かけていて、強盗にあったのではないのか?


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無事手に入れることができたチケット。


続く(と思う)


posted by オフ |19:16 | | コメント(0) |

2014年10月18日

早周り世界一周(含w杯観戦)…超遅報

 長い間海外旅行を繰り返しているが、絶好の旅行シーズンである6月の旅行は初めて。というのは、仕事の都合上、6月には絶対に休めなかったからである。しかし、考えるところあって、2014年の春で長年務めた仕事を辞めた(実際にはいきがかり上、自宅でできる若干の仕事を引き受けたのですが)。それで、6月の旅が急浮上してきた。

 仕事を辞めることを決断したのは2013年の夏。その時、まず思ったのが、2014年のFIFAワールドカップブラジル大会の試合を見に行けるなということだった。ただ、日本代表チームにそれほど強い思い入れがあるわけではないので(やはり普段応援している札幌が一番)、何試合も見なくてもよい。また、6月、ブラジル以外に是非行きたいところがあった。それはスペインのアンダルシア地方である。6月はアンダルシアでは広大な畑にひろがるヒマワリの花が見られるのである。

 一度の旅行でスペインとブラジルに行くということを決めたため、購入する航空券は世界一周航空券の一択となった(普段利用している日本航空も参加しているワン・ワールドの世界一周航空券を使うこととした)。

 12月には組み合わせ抽選が行われ、日本チームの日程も決まった。第1戦が6月13日、場所はレシフェ。第2戦が19日、場所はナタル、第3戦は23日、場所はクイアパ。一方、若干の仕事を引き受けていたため、自分が日本を空けられるのは6月の10日前後から6月いっぱいくらいまで。

で、旅程である。航空機での移動に時差ボケはつきものだが、西回りでの移動の方がずっと時差ボケが少ない(なぜだかはわからないが)。とすると、第1戦を観戦するとするとヨーロッパにほとんど日程を割けない。一方、第3戦を観戦するならば、ヨーロッパをゆっくり周遊でき、場合によってはモロッコあたりにも寄れそうだが、どうもクイアパという街のホテルが極端に少なく、部屋の確保が難しそうである。ということで、観戦は日本チームの第2戦ということにして、すぐにナタルのホテルを押さえた(何回か予約とキャンセルを繰り返し最終的にはスタジアムまで徒歩10分くらいという好立地のホテルを押さえることができた)。もちろん、この時点でチケットは確保できておらず、抽選という関門を通過しなければならないのだが。

 日本出発日は6月9日、6月17日にブラジル入りという予定をたてた。ヨーロッパには約1週間滞在できるので、アンダルシア以外にもう1~2箇所見られる。そこで、浮上してきたのが、ギリシャのサントリーニ島。エーゲ海に浮かぶ島で、白い家が並ぶギリシャの典型的な観光地である。ちょっとメジャーすぎだが、ギリシャを初めて訪れた頃から気になっていた島である。ただ、今までよく海外へ行っていた3月は完全にシーズンオフで天候も安定せず、一方8月だとバカンスシーズンでどれだけ混雑するか想像もつかない。6月ならば観光客の数も夏休み時期よりは少なく、天気も安定しているのでよいだろうという判断である。

ということで、日本をたった後、ギリシャのサントリーニ島に行き、その後スペインに飛んで、アンダルシアのヒマワリを見て、その後、ブラジルへ飛ぶという旅程が決まった。


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サントリーニ島。かなり有名な場所だと思います。


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サントリーニ島の夕日。


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スペインはアンダルシアのヒマワリ。コルドバからセヴィージャへ向かうバスから見たもの。
電線がちょっと邪魔。


続く(と思う)


posted by オフ |19:21 | | コメント(2) |

2010年03月30日

ものすごい棚田

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この3月、中国は雲南省元陽のあたりにある棚田を見てきました。
米を作ろうという人々の執念を感じる光景です。1000年もかけて、この風
景が作られてきたとか。

干ばつのため、水田に水が引かれているのかどうか心配でしたが、写真を撮
ったあたりはこんな感じ。

観光の目玉なので、優先的に水の供給を受けているのではないだろうか?

しかし、干ばつは深刻らしく、水が引かれていない田も多く、棚田観光の拠
点である元陽新街鎮というところのホテルは、給水がほぼストップ。ホテル
の掃除のおばちゃんも水がないと嘆いていた。


posted by glwalker |20:11 | | コメント(0) |

2009年07月30日

開平再訪

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開平一と評される瑞石楼のある錦江里の入り口。

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瑞石楼(1925年建設)を見上げる。

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瑞石楼の内部。

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瑞石楼の内部。

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瑞石楼からの眺め。

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瑞石楼からの眺め。

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錦江里の路地で出会った鶏とひよこ。ここいらの村では必ず(と
いってよいほど?)鶏を飼っている。

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牛も飼っている。しかし、これがけっこう気性が荒いよう。
僕が歩いているの「なんだこのよそ者は」という感じでじっとにらんでいる。首がま
わるところまで目線で追いかけてくる(体をうごかしてまでこちらをみつつけることはな
かった)。
そんな牛が錦江里を出てすぐの道端にもいて、その横を通ろうとしたらにらみつけられ
た。そして最接近した瞬間、その牛、何を考えたか、角を下げた。まずい、これは攻撃
の姿勢だ。スペインの闘牛で見た姿勢とおんなじだ。そう感じた次の瞬間、僕は、猛ダ
ッシュしてその場をのがれた。牛は綱でつながれており、一定の範囲でしか動けな
いのでこれで何とか難を逃れることができた(あの時、牛が僕を攻撃しようとおもってい
たのかどうかは定かではないが)。

(続く予定)


posted by glwalker |21:32 | | コメント(0) |

2009年07月28日

中国へ行ってきた(遅報)

随分、間があいてしまいました。以前から旅を中心としたホームページを
整備しつつあるのですが(レンタルサーバーを借りて独自ドメインで)、
そちらの紹介をする踏ん切りがつかず。いずれ紹介させていただくつ
もりではいますが。

さて、それまでのつなぎとして、旅の写真なんぞを。
まずは中国から(今年の4月の訪問)
行先は昨年も行った開平

開平
最初の訪問では回りきれなかった感が残ったので再訪。
今回は田植えが終了したあとで、緑の水田の向こうに、世界遺産のちょう楼
が見られ、前回とは随分と違った雰囲気。写真は。「開平第一楼」と呼ばれる
瑞石楼。交通は不便で、バスで移動したあと、さらにバイクタクシーで、と
いうのが事前に調べたものだったが、バスターミナルで地図を見せると、
片言の英語が通じて「お前、何がみたいんだ」「建物か?」「ビルディング(建物)」
はたぶんちょう楼のことだろう。ということで、バスに乗り込む。
運転手も、着いたら教えるからというジェスチャー。それを信用して乗車。

大分走った何もないところで、バスの運転手が「ここだ」という。
あごを後ろの方に向けたので、目指す瑞石楼は後方だな、ということで
歩き出す。4月上旬だが、華南の日差しはけっこうきつい。
迷いながら歩くこと30分あまり、ついに上の写真を撮影した場所に。
バイクタクシーで来ると、この角度からみることはなかっただろうから(集落
の入り口は写真を撮った場所とは逆の方にあるので)、バスに乗って迷い
ながら行って大正解。
「ニイハオ」と声をかけながら集落に入ると、お年寄りたちが「ハイロウ、
ハイロウ」と応える。ハイロウ? 何という意味の中国語だろうか。僕は
「ニイハオ」と声をかけているのに。しかし、すぐに「ハイロウ」は「ハロー」なのだ
なとわかった。

そのうち瑞石楼を管理しているらしいおばさんが出てきて、ポケットからお
札を出しながら瑞石楼の方を指さす。「これだけお金を出せば中に入れるよ」
と言っていると瞬時に判断。このジェスチャーは旅先ではよく出会うのだ。
(続く予定)


posted by glwalker |23:09 | | コメント(0) |

2009年02月08日

竹富島は猫が島?

竹富島の写真の続きです。

20090208-00.JPG
まずはシーサーから。

20090208-01.JPG
竹富島観光はレンタサイクルが便利。自分はテクテク歩きましたが。

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島の西側にあるコンドイ浜。

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コンドイ浜で出会った猫。「かまって、かまって」という感じで寄ってくるくせに、
いざカメラを向けるとそっぽをむいてしまう。

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星砂の浜として有名なカイジ浜の入り口。ここにもたくさんの猫が。
しかし、写真は撮らせてもらえず(逃げられたということ)。

20090208-05.JPG
島めぐりを終えて帰ろうというときに出会った猫。
本当のところは知りませんが、聞くところによると島では猫が増えすぎて困っている
とも。無責任な観光客からすると、なかなかの被写体なのですが。


posted by glwalker |10:20 | | コメント(0) |

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