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2006年02月28日

ツタンカーメン

前々回のエントリーで「王家の谷」への道しるべの写真をアップしましたので、とりあえず王家の谷まで行かなくては、一連のエントリーを終われませんね。

20060228-00.jpg
王家の谷です。エジプトの新王国時代の王たちは、それまでのピラミッド形式の墓の
造営をやめ、谷あいの岩壁に穴を掘って、そこを墓所としました。それら王たちの墓
が営まれたのが、この王家の谷です。各墳墓とも内部の壁画やヒエログリフ(象形文
字)がなかなか美しいのですが、残念ながら写真撮影は禁止でした。壁画やヒエログ
リフの何か不思議な雰囲気をお伝えできないのが残念です。

20060228-01.jpg
これは有名なツタンカーメンの墓の入り口。この墓は珍しく盗掘にあっておらず、そ
の豪華な副葬品はあまりにも有名です。

20060228-02.JPG
カイロ考古学博物館が所蔵しているツタンカーメンの黄金の
マスク。

20060228-03.JPG
カイロ考古学博物館。ご覧の通り、きわめて貴重な古代エジ
プトの遺物が無造作に並べられています。どうやら現在、博
物館内は写真撮影禁止になってしまったようです。


posted by オフ |21:15 | | コメント(0) |

2006年02月23日

OSCの旗

20060223-00.JPG
先日ちょっとだけ書いたアウェイ班の旗の一部分です。この旗のデビューまで1週
間ちょっととなりましたが、そろそろ天気も気になりだしました。

ついでに、エジプトはルクソールの写真を少し。

20060223-01.jpg
カルナック神殿。

20060223-02.jpg
ルクソール神殿。


posted by オフ |20:18 | コンサ | コメント(2) |

2006年02月21日

ルクソール

テンプレートを変えましたが、エントリーの内容とあいまってますますコンサ色が薄れてしまいました(笑)。
が、一応続きものを意図して画像のスキャンをしてあるので、エジプトはルクソールの画像をアップすることにします。

ルクソールはかつてテーベといい、紀元前16世紀から紀元前11世紀くらいまで続いた新王国の首都として栄えた所です。

20060221-00.jpg
カルナック神殿:国家の最高神であるアモン・ラーに捧げるためのアモン神殿を中心と
する神殿。

20060221-01.jpg
134本もの柱が16列に並ぶカルナック神殿の大列柱室。

20060221-02.jpg
ルクソール神殿:これも巨大です。しかし、これでもカルナック神殿に付属する神殿で
にすぎません。写真の中央左に石の塔のようなもの=オベリスク(アモン・ラー信仰の
シンボル)が見えます。もともと二本あったのですが、右側の一本が1836年、フランス
に寄贈され、現在はパリのコンコルド広場に立っています。

20060221-03.jpg
こちらはルクソールのナイル西岸。道しるべに注目。左に行くと有名な王家の谷です。

今日はここまでということにしておきますが、ルクソールの写真はもう少しストックがあるので、またアップする予定です。


続きを読む...

posted by オフ |20:32 | | コメント(0) |

2006年02月13日

バクシーシ(エジプト)

昨日サポーターズ集会の様子を書きましたが、メモが自分でも読めないほどの汚さで(苦笑)、解読してまとめるのに時間が随分かかりました。
実はホームページももっており(コンサとはまったく関係ないページです。このブログもコンサ色は極めて薄いんですが-笑)、サポーターズ集会の詳細をまとめている時間をそちらの更新に使いたいので、要点のようなものを、我々のOSCがよりどころとしているホームページ(コンサドーレ・ワンツー・コム)の掲示板に書き込んでいくことにしました(既に書き込んでいます)。

さて、今日はエジプトの写真の続きです。

20060213-00.jpg
ツタンカーメン墓などのある王家の谷、カルナック神殿、ルクソール神殿などで有名
なルクソールの街です。

20060213-01.jpg
カメラを持って街中を歩いていると、「撮ってくれ」と言われて撮ったものです。

20060213-02.jpg
こちらも「撮ってくれ」と頼まれて撮ったものですが、このあと表題のバクシーシを要
求されることに。

バクシーシはチップと考えてもいいですが、いわゆるチップとは少し違います。もともとはイスラムの教えにある「喜捨」からきているもので、これは金持ちが貧しい人へお金や物を与えるべきであるという考えからきています。しかし、この考え方がちょっと形を変えて、持たぬ者が富める者に積極的に要求するようになったものが、エジプトを旅している旅行者が面食らうバクシーシです。
写真の彼らにしたら、写真のモデルになったわけですから、バクシーシを要求するのは当然の権利と考えているのでしょう。

このバクシーシ的ものを別の思わぬところでも体験しました。それはエジプト航空のオフィスでのことです。向こうが間違った料金でチケットを発券したことがわかったので、返金を要求したのですが、クレジットカードで買ったため手続きが面倒なせいもあったのか、窓口氏が突然、「お前はこの○×ポンドをエジプト航空にくれる気はないか?」と言い出したのです。「日本人はお金があるから貧しいエジプトにそれくらいのお金をくれてもいいではないか」というのです。まさしくイスラムのバクシーシの論理です。それで、僕はどうしたのかといいますと、しっかり返金の手続きをしてもらいました(笑)。ただし、1日では済まずに、足掛け2日かかりました。15年前のことです。今はどんな感じになっているのか、ちょっと気になるところです。


posted by オフ |22:13 | | コメント(0) |

2006年02月13日

遅ればせながら、サポーターズ集会

仕事が暇な季節なので、この時期は毎年帰省しており、3年前からサポーターズ集会に出るようになりました。
あちこちのブログ等ですでに、サポ集の情報は載せられていますが、参加したものとして一応、ちょっとは書いておこうかと思います。
以下、当方の聞き違い、メモの取り違い等々があるかと思います。したがって以下の記事に責任はもてません。それをご理解の上お読みください。

<社長の挨拶>
・日本代表の米国戦の放送があるにもかかわらず、好天・雪祭りにもかかわら
 ずお集まりいただきありがとうございます。
・Jリーグコミッショナーの採点でコンササポが一番の評価(ここのところの
 メモがかなり曖昧です。いずれ社長御自身がブログに書かれるそうですか
 ら期待して待ちたいと思います)
・2005年は5段階計画の2段階をほぼクリア。06年は第3段階に入り、やや
 スピードアップして、第4段階に少し手をかけていきたい。監督は3位以上
 J1昇格を明言しており、フロントも全面的にバックアップしたい。
・キャンプのついて若干の報告。
・昨年は観客動員目標(25万人)を若干下回った(249000人)。
・05年後半には、将来のサポとなるであろうサッカー少年団の子供たちを3000
 人規模で招待した。
・05年の興行収入は4億、06年は4億9000万(30万人動員)をクリアしたい。
・スポンサーについて。札幌セミナーからハウスメイトへ、アディダスからカ
 ッパへとスムーズに引き継ぐことができた。また、全体的にスポンサー料は
 今年は1~2割くらいアップしていただいている。広告収入も増える目途が
 ついている。
・債務超過額は、確定ではないが、9700万から6000万ほど減らし、残り3700万
 ほどとなり、これを今年は解消までもっていきたい。
・ユースは好成績を収めているが、今年も充実をめざす。
・北海道・札幌市の補助金がなくなる2008年問題。→これに備えて、後援会
 の建て直しを模索している(2001年には8000万の寄付があったが、2005年
 には600万まで減少)。2006年には堀前知事を会長に迎え、道内大手企業か
 らの支援を得る第一歩を築けるかと思う。
・ファンクラブ、後援会、パーソナルスポンサーの関係の再構築も考えつつ
 応援しやすい環境をつくっていきたい。
・10周年にあたり、道民から受けてきた支援に対し、コンサというブランド
 力を使って北海道のために何かやりたい。具体的には、青少年育成、サッ
 カースクール。その中で食育・ドーピング問題などにもとりくんでいきた
 い(子供たちの食の問題に取り組みたいという文脈だったと思います)。
 5月には函館でサッカースクールをたちあげ、総合スポーツクラブのだ一歩
 としたい(このあたりメモ極めて不正確につきかなり不確かかもしれませ
 ん)
・環境問題についても引き続き発信していきたい。ドームでもレジ袋廃止。
 ごみの分別回収。
・様々な社会貢献をしたい。昨年の色々な募金などのように。
・コンサの森計画
・北海道を元気づける事業をどんどんやっていきたいということで、社長の
 話は締めくくられました。

次に、事前に募った質問への回答にうつって行きましたが、その前の
会場にいらしていたKappaの高瀬さまの紹介がありました。

う~む、ちょっとどころか長くなってしまいました。
明日以降、時間があったら続きを書きたいと思います。
もしくは、いずれ僕らのOSCの拠点になっているホームページに詳細を
掲載してもらうかもしれません(未定です) 


posted by オフ |00:42 | コンサ | コメント(0) |

2006年02月09日

今日はメジャーな遺跡です。

砂漠が続きますが、今日は砂漠の中にある極めてメジャーな遺跡、エジプトはカイロ郊外のギザにあるピラミッドです。

20060209-04.jpg
まずは砂漠、砂漠した写真から。ピラミッド遠景です。

20060209-05.jpg
おなじみスフインクスとピラミッド。

20060209-07.jpg
非常に評判の悪いラクダ引き。誠実・明朗会計という言葉は彼らの辞書にはないのだ
ろうか、と思うほどです。すべてのラクダ引きがそうかはわかりませんが、最初約束
した金額が守られないことはしばしば。「○×エジプトポンドだと言っただろう?」
「いいや俺が言った○×ポンドというのは、ここまでの料金で、ここから先に行くなら
更に××ポンドだ」という具合です。僕も一度乗ったのですが、やはり途中で料金が変
わり、頭にきたのでラクダから飛び降りてお金は踏み倒しました(笑)
ちなみに、この写真はその時の写真ではなく、しつこく「乗れ乗れ」と声をかけきた
ラクダ引きです。


posted by オフ |19:46 | | コメント(0) |

2006年02月06日

砂漠好きです

なぜか砂漠にあこがれます。でも、そこで生活している人にとっては厳しい自然条件です。雪のない地域に住んでいる人が雪にあこがれる。しかし、雪国の人は雪に苦しめられている、というのと同じ関係でしょうか? 人間は勝手なもので、自分の普段置かれているのと違う環境にあこがれるようです。

なんだかわけのわからないことを書いてしまいましたが、取り敢えず砂漠系の画像を続けることにします。

20060206-00.jpg
これはチュニジアのドゥーズの砂漠の入口です。サハラの端っこともいうべき砂漠で
す。本当はここからツアーで砂漠の中に入って行きたかったのですが、時間がなく断
念しました。

20060206-02.jpg
ツアー用(だと思う)のラクダたち。


posted by オフ |22:56 | | コメント(3) |

2006年02月05日

日向夏(宮崎に行っていたわけではありません)

珍しく3日連続のエントリーです。旅のネタを続けようと思いましたが、今日デパートで思わず買ってしまった日向夏でいきたいと思います。

19世紀の前半に偶発実生として発見され、1887年に日向夏と命名されたとのこと。黄色い皮の下の白皮も一緒に食べるというかわった果物です(中身だけだとすっぱくておいしくない)。昔、現地で買って食べたことがあり、懐かしくなって買いましたが、味は好きな人とそうでない人がいるだろうなあ、というものです。

20060205-00.JPG
4つで700円弱とけっこうなお値段。

20060205-01.JPG
こんな風に切って食べます。


posted by オフ |22:53 | | コメント(2) |

2006年02月04日

砂漠も色々

昨日の記事でパルミラ遺跡はシリア砂漠のど真ん中に位置していると書きましたが、写真を見てもおわかりの通り、うっすらと草が生えており、僕の訪問する少し前に雨がふったようです。しかし、たまに降る雨で人々が生活に必要な水を確保できるわけもなく、オアシスであるからこそ人々は生活できるのですが。

さて、普通皆さんが想像する砂漠というのは、砂が沢山あるところだと思います(以下の2枚みたいな感じ)。

20060204-00.jpg
これはモロッコのメルズーガにあるシェビ砂丘という大きな
砂丘で、サハラの端っこのさらに端っこという感じでしょう
か。けっこう有名な観光地で、近接する街からのツアーで
簡単に行けてしまいます。

20060204-01.jpg
これは中国の新疆ウイグル自治区のピチャンというところにある砂丘です。手前に緑
が見られますが、オアシスに隣接した砂丘なのです。

次の写真も砂漠ですが、上の2箇所とはまったく雰囲気が異なります。

20060204-02.JPG
これはエジプトの西方砂漠にある通称「白砂漠」というところです。カイロからバスで
7~8時間くらい(だったと思う)のところにある、バハレイヤというオアシスの街から
1泊ツアーで行きました。まったく不思議な景色です。世界にはまだ見ぬ絶景や不思
議な景色が沢山あるはずで、これだからなかなか旅をやめられないんです。


posted by オフ |11:34 | | コメント(6) |

2006年02月03日

冬晴れの朝の空気のにおい

僕は今東京に住んでいますが、冬のよく晴れた日の朝の空気のにおいは、中東の春先の早朝の空気のにおいに似ているなと感じることがあります。そして、最近心なしかそんな日が増えているような気がします。中東は砂漠気候に属する地域が圧倒的に多いのですが、東京の朝の空気に中東を感じるということは、東京の冬も乾燥化が進んでいるということでしょうか?

さて、前回のエントリーでシリアのパルミラ遺跡の夕焼けの写真を公開しましたが、今日は、明るい時間帯のパルミラ遺跡の写真をアップします。

パルミラはシリア砂漠のど真ん中に位置していますが、豊富な地下水が湧き出るオアシスで、紀元前1世紀から、地中海とメソポタミアを結ぶ交易路の中継地として栄え、ローマ帝国と結んでいました。しかし、3世紀後半、女王ゼノビアがローマに戦いを挑み、結局は破れて壊滅に追い込まれてしまいます。パルミラ遺跡には、ローマ帝国の街に特有の列柱道路の遺構や、いくつかの神殿、劇場などの建造物が残されています。

20060203-00.jpg

20060203-03.jpg
人物は管理人本人です。基本的に一人旅なので自分の写真はあまりないのですが、
この時はたまたま知り合った旅行者に撮ってもらいました。


posted by オフ |20:52 | | コメント(0) |