プロフィール
札幌出身、東京在住。05年の秋からはアウェイで大旗を振っていたが、2011年末にOSCが解散したこともあり、同年限りで旗振りは引退。
最新のエントリー
リンク集
コメント
検索
2006年01月08日
本日は、ダージリン・ティーの産地、インドはダージリンのトイ・トレインと呼ばれるかわいらしい鉄道を紹介します。
ダージリンはヒマラヤ山脈の東端に位置する標高2000mあまりの街で、イギリスの統治下、避暑地として開発されたところです。名峰カンチェン・ジュンガが望めることでも有名。
ご覧の通り、たいへん小さな列車です。この写真は2003年3月に撮影したものですが、
今現在SLが運行されているかどうかは未確認です。
2005年12月19日
そういえば、ぺトラがどういう遺跡なのか書いていませんでした。基本的にはビジュアルへの興味から遺跡めぐりをしているので、歴史的なものについてはあまり詳しくないのですが。。。
ぺトラ遺跡は19世紀前半に発見された遺跡ですが、たいへん謎の多い遺跡です。まず、この遺跡を築いたナバタイ人というものがよくわからないらしいです。もともとは砂漠の遊牧民であったが、交易の要衝をおさえ、隊商の保護を保証する代わりに税を徴収して財政をまかなうようになったと考えられているようです。このナバタイ人の国の首都であったのがペトラで、1世紀から3世紀くらいまで商業や交通の要地として、また神聖な場所として栄えたらしいです。

坂道を小一時間登ったところにあるエド・ディル(修道院跡)。高さは45mもあります。エル
・ハズネなどからは、かなり離れたところにあるので、団体ツアーなどでは訪れることは少
ないようです。

エド・ディルからの帰り道に出あった羊(だと思う)たち。
ぺトラ・遺跡の紹介は、これにてひとまず終了ということにしたいと思います。
2005年12月15日
昨日の続きです。
昨日のエントリーの最後の写真に付したキャプションは本文と合って
いませんが、修正は面倒なのでそのままということにしました。
岩を削ってつくった墳墓(だったと思う)。

ぺトラの岩の縞模様。いろいろな色の縞が見られます。
ぺトラの岩には色々な色があり、その岩を砕いた(のだと思う)砂で作ったサンドボトル
はよいお土産になります。左と右では随分完成度が違うように見えると思いますが、
左は1990年に、右は2001年に購入したものです。2度も行ったの?と思われるかもし
れませんが、実は3度行っております。ヨルダンのリピーターはそうそういないでし
ょうねえ。
2005年12月08日
しばらく続けてきたパキスタン・シリーズも、取り敢えず今回で終了することにします。今度はもう少し、メジャーの地域・観光地の写真にしようかなと思ってます。その前にコンサっぽい話題も、と思ってますが。
1997年、あることに気がつきました。イランのイスファハンからパキスタンのギルギットまで陸路で移動すれば、上海~イスタンブール間の陸路の踏破を達成できることに。
というわけで、その年の夏、イランからパキスタンの陸路をひたすら移動する旅にでました。最大の難関はイランを出てからしばらく続く砂漠地帯。日中の気温が50度を超えることはザラという。
ガイドブックにはエアコン付きのバスも走っているという記述があったものの、実際にはエアコンの噴出し口があるだけで、機械の本体はついていませんでした(涙)。窓から吹き込む風はドライヤーの熱風と同じで、吐き気がするほど。日が暮れるまで7時間くらいだったでしょうか。厳しい旅でした。しかし、約18時間のバスの旅を終えてクエッタに着いたときには、不思議と疲れがなかったことを覚えています。
砂漠のオアシスでの小休止。画像から暑さは伝わって来ませんが、なかなかすごい
ものでした。
ここでも写真を撮ってくれと頼まれました。彼らは送ってくれというわけでもなく、ただ
たんに撮って欲しいだけのようでした。
2005年12月06日
スズキとは乗り合いタクシーのことです。スズキの軽トラの荷台を座席に使ってお
り、その名もスズキというのです。で、スズキの写真を撮りに、スズキステーション
みたいなところに行ったところ、「撮られ好き」のパキスタン人に写真をせがまれて
しまいました。
2005年12月04日
ホーム最終戦の際に行われたパキスタン北部地震支援募金では、787650
円も集まったとのこと。僕も協力させていただきましたが、まだまだ支
援は必要と思われるので、今後も状況を注意深く見守っていきたいと思います。
さてパキスタン・ネタ第4弾ですが、パキスタン名物といってもよいであろう
度派手な装飾が施されたバスを紹介します。
写真はクエッタという街のバスターミナルで撮ったもので
す。ところで、パキスタンの男性には写真を撮られるのが
好きな人が多く、バスを撮ろうと思ってカメラを構えると
若い男性と子供がサッと入ってきました。
2005年11月30日
ススト。出入国管理所、税関、ホテルが並ぶだけの国境の街。しかし、本当の国境は
まだ先。
スストあたりの山並み。スストが3100mくらいですから、まわりの山は5000mくらい
はあるんだろうと思います。
スストに一泊したあと、中国へ向けて出発。2時間ほどで憧れのフンジェラーブ峠に
到着。写真は中国側からパキスタン側を望んだもの。あまり標高を感じないかもしれ
ませんが、4900mくらいあります。
2005年11月29日
昨日、パキスタンの地震について調べてみました。が、情報は多いように見
えて、パキスタンに行ったことのある自分にもリアルには理解できないよう
な質と量いういう印象をうけました。救援資金の集まりが今ひとつなのは、
その辺も影響しているのかなと感じました。しかし、忙しい日々をすごし、
なんとか作った時間はコンサに使うという状態だったので、パキスタン地震
について詳しい情報を仕入れることをしてこなかったため、状況が把握でき
ていないだけなのかもしれないですが。。。
さて、昨日の続きです。
ギルギットからバスで、さらにカラコルム・ハイウェイを進んでいきました。
こんな道を進んで行きます。
写真好きの子供たち。彼らから撮ってくれと言ってきた。
2005年11月28日
12月3日の草津戦の際、ドームで、10月8日に起きたパキスタン地震の救援
募金を実施するということなので、パキスタンを旅したときの写真などを
アップしようと思う。
写真はイスラマバード(ラーワル・ピンディ)からカラコルムハイウェイを
600キロほど北上したところにある街。この地域の山のトレッキングの拠点
となっている街だが、僕の目的はフンジェラーズ峠を越えて、中国新疆ウイ
グル自治区へ抜けること。ということで、この街は1日滞在しただけて、翌
日、国境の街スストへと移動した(現在はもっと奥地に国境の街があるらしい)。
プロフィール
札幌出身、東京在住。05年の秋からはアウェイで大旗を振っていたが、2011年末にOSCが解散したこともあり、同年限りで旗振りは引退。
最新のエントリー
リンク集
コメント
検索