コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2011年09月25日

第29節HOME徳島戦分析

途中投入のウッチーから、途中投入のスナマコにボールが渡り、スナマコがシュート!キーパー正面でセーブされたけれど、あれが入って1-0で勝っていればゲームプランとしては完ぺきだった。

古田 寛幸 → 砂川 誠  	後半22分
岡本 賢明 → 内村 圭宏  	後半33分

↑の青い部分がこの試合で一番訴えたかったメッセージのような気がするんだよね。勝負所はココであると。この時間帯で決着つけろという…

よく比較される2007年。選手のコンディション面では試合数が多かった2007年の方がキツかったと思うが、中2日という過密日程では堅実にいくのが常套手段だろう。
2007年は監督1年目、今年は監督3年目、戦術のバリエーションが当時より多いのは当たり前だ。2007年当時の記憶がダヴィしかないのなら西谷が可哀相だよね。いつの時代も昇格は総力戦なのだ。助っ人だけで上がれるわけが無い。クライトンとダニルソンでわかったことでもある。

一方徳島も負ければ昇格戦線から後退。AWAYなので「最低ドローで勝ち点1」というサッカーだったように思う。徳島サポも笑顔と拍手で迎えていた。

http://www.consadole-sapporo.jp/info/topteam/2007/

2007年の試合結果を眺めてみると、8月末から10月中旬まで大失速。
しかし、1点差勝ちで4連勝し持ち直している。その内1-0勝利で3連勝を飾っている。AWAYの試合をどう乗り切っていくかが、今後のポイントになろう。

国立、京都、鳥取、徳島、味スタ、正田、平塚。

AWAY7番勝負 と呼ばせてもらおう。

ここをどう乗り切るか、どうやって勝ち点を積み上げるのか。

AWAY戦特に、実力伯仲同士でこう着状態が続く試合では、0-0で終わりそうな試合を1-0にする試合運びが求められる。いまどきカテナチオは流行らないかもしれないけれど、守備的にしてまでも勝ち点3にこだわらなければいけないような試合もあるだろう。

ファイターズの試合で一番見応えのある試合はダルビッシュが登板した試合だ。投手戦は打撃戦よりも「商品」になることがある。チケットの対価として守備の価値が高く評価される試合というのがある。
今のコンサも「守備」が見どころであり、商品であるという側面もあると思う。ブログ、ツイッター上を拝読する限りでは、ホスン、山下、櫛引、河合の評価がウナギ登りだ。土用の丑の日と間違うくらいだ(嘘)。

そんなわけで、いつまでもバルサチックな攻撃サッカーばかり夢見る夢子ちゃんじゃダメだってことさ。
2位じゃダメなんですか?いやいや2位でいいんです。2位ならね。でも3位だったらヤバいと思いたい。得失点差で差される可能性がある。ということはやっぱりベースは堅守じゃないと。18位から2位まで上がってきた要因はズバリ「堅守」で持ちこたえてきたから。大崩れ大負けしてないことがチーム全体の自信になっている。

であれば長所を伸ばす戦術でいいのではないかと思う。オランダ・スペイン路線で行くのもいいけど、身の丈サッカーはイタリア、せいぜいイングランドだと思うぜ。ふたを開けたらチリ・メキシコって気もするしな。俺はJ2のドイツを目指して欲しいな(言いたい放題)

現実路線を走るのも悪くないんじゃないかなぁ。
一時6000人を割り込んだ厚別のお客さんが1万人越えたでしょ?それが答えだと思うんだよね。


http://www.jsgoal.jp/game/2011/20110200030120110924.html
(ゲームサマリー)

http://www.sponichi.co.jp/soccer/games/2011/j2/0924/001.html
(シュート数  札幌10 徳島11)

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2011/data/rank/rank_j2.html
(順位表)

posted by odo |18:51 | データファイル2011 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年09月25日

7並び♪

平岡付近で到達

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posted by odo5312 |15:30 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年09月25日

今日の菓子

大通地下歩道空間で買った羊羹。ネーミングに惹かれて買うことってあるよね

110925_120614.jpg


ところで、なぜ龍馬?

ググってみた。検索ワードは「龍馬 浦臼」

http://www17.ocn.ne.jp/~mamesatu/samamoto.htm


明治29年、北海道開拓を目指した坂本竜馬の意を受けた甥・坂本直寛は、北見を視察する途中、浦臼の聖園農場に立ち寄ります。

これを機に明治30年、直寛は4人の子どもを連れて浦臼町の浦臼沼の北側に移り住みました。

その後、高知では、坂本龍馬の養子・高松太郎が没したため、妻の留とご子息が、坂本直寛を頼って浦臼町に移住、没するまで浦臼町で駄菓子屋を営みつつ、浦臼町の発展に尽力


posted by odo5312 |15:20 | スタジアムグルメなど | コメント(0) | トラックバック(0)