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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

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aftertalk #20

2008年02月15日

clasics #20ということでした。見られないとかなんとかいってこの後ワールドカップ見られることになったんだけどね。

ワールドカップの開幕4日目、というと6月10日辺りかな。ワールドカップが生で見られないなんてと嘆きつつ仕事から帰ってきてBSの録画中継見たりしていたけど、夜更かし早起きして必死に見るなんてことはしなかったなあ。つまりそれほど肩入れしてみているわけではなかったってことか。まあ今もテレビつけてサッカーやってれば見る、大事な試合やどうしても見たいけど深夜早朝で見られなさそう(見ても記憶が薄そう)な場合は録画するというスタイルはずっと変わらない。当時は会社の人たちがワールドカップに浮かれていて(あえてこう書いておきたい)睡眠不足な人たちがイタリアとかベッカムとか言ってたのに背を向けて、アイルランドとかメキシコとかそういうところを見ていた。会社で馴染んでいなかったからひねくれた、もしくは元々人間がひねくれているだけなんだろうけどね。にわかフーリガン、みたいのが渋谷とか新宿にうわーっと出てきているのをニュースで見たときは、正直に言うと寒気がした。鳥肌が立って興奮してと言う意味ではなくて、恐ろしかった。
「サッカーが人々の心をひとつにした」なんてテレビのニュースで言っていそうな言葉はまったく思いつかなかった。思ったのは、サッカーが人々を「洗脳」するという恐ろしさと、社会の表面をなぞるように浮遊しながら生きていく人たちの恐ろしさだった。

あのときなんであんなことを感じたのだろう。自分の方がサッカーを長く見ているぞ、というくだらない自尊心?それとも単純に群衆への恐怖?そのわりにはぎゅうぎゅうに詰まったゴール裏に通ってるわけだけど。まあ、単純にうらやましかったんだろうな。まっすぐに物事を楽しめる人たちのことが。
自分はすぐに疑うし、すぐに諦めるし、すぐに嫌悪する。人の好きなことが嫌いで、人の目につかないようなところにあるマイナーさを好む。10年以上も同じサッカーチームを応援している、ということ自体が奇跡のようなものだ。コンサドーレは奇跡を生んだとかかっこいい言葉をほざくつもりはない。自分にとっては「奇跡」じゃなく、「そこにあるもの」だ。
ワールドカップの終わった後は札幌の試合を見に行く人が劇的に増えたというわけでもない(まあ弱かったしね)し、劇的に変わったとすれば練習場などのインフラ面が大きいだろう。ただ、それだけでもワールドカップの価値はあったのかもしれない。


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22:30

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aftertalk #19

2008年02月13日

clasics #19でした。
関東に住んでいた頃はサッカーしか見に行かなかった訳じゃない。時には野球とかラグビーとかバスケとか見に行ってた、ちょっとだけど。
スポーツ観戦していると雨にたたられるのはよくあることで、とりわけ記録的短時間豪雨ってやつに出くわすともう観戦どころじゃなくて、とにかく雨をしのげる場所を探すのに必死になる。

札幌の試合でも記憶に残っている雨の試合がある。最近のものなら中止になった徳島や山形の試合、古いところだと高知の柏戦だけど、自分が真っ先に思い出すのは98年の三ツ沢、フリューゲルスと戦ったときのこと。
日中も降り続いていた雨は夜のキックオフ前にいよいよその激しさを増し、ピッチは田植えをした直後の田んぼみたいにぬかるみ、雨に煙って反対側のゴール裏も見えない。ゴールがどうやって決まったのか決められたのかもよくわからないまま、1-2と負けている場面で札幌は相手ゴール前でFKのチャンスを得た。蹴るのは当時の10番、ウーゴ・マラドーナ。三ツ沢アウェイゴール裏の最前列に立っていた自分は、ウーゴがボールをセットしたときに「これは壁の外側を抜けて曲げてくる、そして決まる」と理由もなく確信した。そしてウーゴが蹴ったボールはほんとうに、低い弾道で壁の外側を巻いてGKの手をかすめ、ポストぎりぎりのコースを通って目の前のゴールに吸い込まれた。
ゴール裏はずぶ濡れのサポーターが歓喜を爆発させ、自分は勢い余ってピッチに落ちそうになった。自分の思い描いていたとおりにゴールが決まるなんて、あんな経験をしたのははじめてだった。

同じく雨の中で予想できないゴールが生まれた、という記憶の試合もある。2000年の夏の終わり、台風がやってきた小瀬の試合。このときも同じようにキックオフの時間が近づくにつれて雨脚が強まってきて、試合が始まったときにはやっぱり田植え直後のようなピッチに。自分含む数名はなぜかテンションが上がってさつま白波を飲んだくれて暖を取り試合を迎えるという体たらく。試合もボールを蹴っているというより水たまりに足を突っ込んでいるような感じで、CKのボールを取りに来た野々村がサイドラインで足を滑らせて転んで、本人もサポーターも大爆笑しながらCK見たり。
そんなときでもすごかったのは、やはりエメルソン。ボールが動かないのでドリブルも速さも生かせないと踏んだからなのか、ペナルティエリアの手前でボールを持つと右足を一閃。ボールはゴール右上隅にむかって、不思議な引力に引かれたのように吸い込まれた。

しかしなんで雨が降るとテンションが変な方向に上がるんだろうか。
ついつい盛り上がって変なコールやってはっちゃけたりとか……。


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23:57

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aftertalk #18

2008年02月07日

世間のニュースとを全く無視して過去へと進むこのブログ、今回はclasics #18でした。時期的にGW空けに書いたってことか。この時期に試合に行ったかなあ、と考えてみてしばしのこと、ようやくナビスコで仙台に行ったんだっけと思い出した。どうも仙台の記憶はありすぎてなかなか思い出せない、もしくは昔のことすぎてもう思い出せない、もしくはいい歳になってきたので記憶力が衰えて思い出せない、どっちかだな。どっちかっていうと三つ目の可能性が最も強いんだけど。そもそも年齢の話をしているという時点で自分もいい歳こいているという突っ込みは自主規制しておこう。

仙台とか山形に行くには鉄道と車と半々ぐらいの割合で、鉄道だったら早朝の新幹線、車だったら近くに住んでいる友人に乗せてもらうかレンタカーを借りてみんなで行くか。このときは確かワンボックスのレンタカーを借りて相乗りしていったんだっけなあ。車で行くときは金がかからないように深夜集合(「じゃ、24時に八重洲口ね」と軽ーい口調で)して、そこから行けるところまでずっと下道(国道4号線)。うまくいけばそのまま仙台、うまくいかなかったら黒磯あたりで東北道に乗って北上。そしてどこぞのSAで時間調整という名の仮眠。というパターン。山形に行くときもまあだいたい同じルートで、村田JCTから山形道に乗るかどうかっていう違いくらいしかない。確か、この仙台行きの時がまさに「国道4号激混み→一向に進まなくて東北道に避難」っていう感じだったと思う。夜中の国道4号はトラックが高速でばんばん向かってきたり煽られたりでかなり怖くて運転なんてできなかったので、自分はもっぱら助手席で運転してる人を寝かせないために喋ってるのが主な役目だった。運転してるよりも、そうやって口を動かしていた方が自分も眠くならないし、RCサクセションの「スローバラード」みたいに上手く寝られない。だったら帰り道に疲れて眠るほうがいいし、そうでもしないとろくに眠れやしなかった。

もっと昔に車で遠征したとき(山形だっけか)、深夜に国道を走っていて休憩しようということになり、通りがかったファミレスに入ったことがあった。午前3時とか4時とかそれくらいの深い時間だったと思う。みんなで飯を食ったりコーヒー飲んだりしてまったりしていると、自分の後ろで若い女の人と細身のスーツを着た男の人が話している。眠気と変な高揚感で頭の中がごっちゃになっている自分たちはろくに会話らしい会話もなくぼけっと過ごしていたんだけど、次第に後ろの男女が話している内容にみんな聞き入ってしまっていた。

マルチ商法ってやつでした。

まあ、こういう経験をするのも遠征の醍醐味、ってことで。


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23:32

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aftertalk #17

2008年02月04日

clasics #17でした。名古屋戦のはっちゃけぶりからちょっと落ち着いた感じになってます。

あのあとすっかり負け続きだったから勝った思い出もネガティブな方向に持っていってしまうのはしょうがないというのか、根がこういう性格だからか。時期的にはナビスコで柏に何もできずにまた負けた(ロースコアだったが試合内容はぐだぐだ極まりなかった)後あたりに書いたと思う。柏の葉に行ったらちっとも人が並んでないのにえらく気が抜けた。ナビスコ予選リーグなんて昔からそんな感じだと言ってしまえばそれまでなんだけど、気合い入れてきたはずの肩の力がごっそり抜けた。そして例によって試合内容はよく覚えていない。まあこれだけ年月が経ってしまうと試合内容なんてさっぱりと忘れてしまうものだけど、ゴール裏のことだけは覚えているのがなんというか。確か試合開始直後まで誰かが女の子に変な絡み方をしていて、ゴール裏にいた他の人がそいつを引き離して連れて行ってというトラブルがあった。あの時の柏の葉に限らず、試合前に何らかのトラブルがあるとテンション落ちるなあ。大小を問わずにトラブルというか事件というかはゴール裏にいたらどこかであるものだけど、こういう風にサッカーとか応援とか関係ないところで何か起こってしまうのがいちばん参った。応援に関する議論なんてのはなんぼでもできたんだけど、それ以外のところではもうほんとにノータッチっていうか関わりたくなかった。応援のこととサッカーのことで頭がいっぱいだったし、良い意味でも逃げという意味でもそれ以外のことは考えたくなかった。幸い、周囲の人たちがいろいろと気を遣ってくれたおかげで自分はそういう状況に放り込まれることはなかったんだけど。

そんなモヤモヤがあったのか、今回の話も過去の思い出話に逃げてるところがある。ゴール裏で昼寝ができたっていうのは97年の愛鷹のこと。沼津からタクシーに乗ったらこれがまたのどかな雰囲気の漂う山の中の競技場で、札幌ゴール裏に集まったサポーターも、グラウンドの札幌選手より少ないくらい。春の日差しを浴びてみんなほのぼのした雰囲気で、選手が練習に出てくるまではヒマでヒマでみんな芝生に寝っ転がって昼寝して、選手が出てきたところでやおら起き出して応援するという。今となっては、トップチームの試合でもうあんな空気は味わえないだろうなと思うと少し寂しいという気もする。多分にノスタルジーとロマンチシズムが含まれすぎている気持ちではあるけど、否定はしない。それほどにあの時の空気は幸せなものだったから。


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23:07

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aftertalk #16

2008年01月31日

clasics #16をお送りしました。

まあ、現場からも離れた位置にいるんで応援がどうとか歌がどうとか言う気はない。あえて言うならこれを書いてから応援のバリエーションもタイミングも良くなったってことくらい。

どんなチャントを作ろうかとかアウェイ時代はあんまり考えたことがなくて、それはホームの応援スタイルを主流としてやっていこうということを考えていたからこそ何もしないということもあったし、それよりも才能がなかったというのも……(カジヒデキの曲を提案したら却下されたこともあったっけ……)。海外リーグの応援なんかもよく知らなかったし、見ている限りでは札幌に導入できるようなものも見あたらなかった。ワールドカップの盛り上がりとともにタイアップされる楽曲には耳もくれず、聴いているのは応援とは無縁の曲ばっかりだったし。何を聴いていたんだろうかね、と昔のMDを探していたら小谷美紗子やら川村結花やら電気グルーヴやら……音楽的趣味と応援とは結びつかないものだったようです。でもサッカーを見るようになってoasis聴き始めたりしたなあ。

応援とは結びついていなくても音楽を聴くのは好きで、遠征の時は最初はウォークマン、そのつぎはMD、今ではiPod。文明の進化を感じるねえ。10歳の時にはじめて買ったウォークマン(的なもの)にオフコースのカセットテープを入れて毎日聴いてたり、塾の行き帰りにガンガンとテクノをかけてたり。MDは確か99年あたりにMDラジカセと合わせてシャープのを買ったんだけど電池があまりにも保たなくて毎日充電してたら2年くらいであっさりと壊れて、MDウォークマンを買い直した。これもガム型充電池を入れるところが壊れてしまって、外付けの電池ボックスをつけたままで持ち歩くようになってしまった。どこに行くにも音楽が一緒。鞄の中にはMDがいつも5枚くらい入っていて、それが遠征になると10枚近くにふくれあがるので荷物をまとめるのに苦労したとか。これだけ聴いてても音楽的才能っていうのは育たないなあ、やっぱああいうのは天性のものなのかね、とチャントを考えるときに困ったこともあった。自分のアイデアで今でも歌い続けられるようなチャントを作りたかった、という気持ちもあったけど、自分の役目ってそっち方面ではなかったんだろうと今では思っている。

応援スタイルの流行り廃りのサイクルがえらく早かった昔だけど、数年前からは落ち着いてきたのかなと思う。札幌だけでなく、Jリーグ全体を見て。「これがウチ」っていうスタイルがチームごとにだんだんできてきたんだろう。あと、ひとつのチャントがだんだん長くなってきているというのも感じる。あくまでもそれがいいのか悪いのかどうかは別としてということだけど、ってこう書くと今の応援が悪いなんて意味に取られてしまうな。でも昔と比べれば良いですよ。少なくとも自分がリードを取っていた当時よりは勢いも流れもある。試合の流れを作るという意味では、今の方が格段に上だろう。
つまりは自分も歳を取った、そういうことだ。なんだかユニコーンの「すばらしい日々」みたいな境地。


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23:31

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aftertalk #15

2008年01月29日

clasics #15でした。
正直こないだパラグアイネタを書いたので書くこともあんまりないような気もするが、まあ「『パラグアイ』という言葉をご存じの方はいらっしゃるでしょうか?」という出だしはまるっきりアホだと思う。

でもまあ前回書いたときにうろ覚えだった「パラグアイ」の由来がここを読んでちゃんと思い出せたので良かった。過去のものはじっくり読むということもなくデータを掘って載っけているので。コパアメリカで4失点したことなんてすっかり記憶の彼岸に飛んでってましたよ。この「cllasics」のデータは最初FDDに取ってあって、もうFDDなんて使わないやーと思ってUSBメモリに移しておいたものを使ってる。ちゃんと一回ずつテキストデータとHTMLを保存してた。自分で書いたものは気恥ずかしかったりして保存しない質なんだけど、コンサイズムの原稿だけは取っておいてあるっていうのは当時の自分にとっても大事だったということなんだろう。探している途中で大学時代のレポートとか卒論が出てきたけど、あまりにも酷い出来だったので見なかったことにした。書いていたのは家のパソコンと、ちょこっとだけモバイルギア。どっちにもATOKを入れて「WZ EDITOR」というエディタでずっと書いていた。今でも同じエディタを使ってる。

当時のパラグアイの映像とかコパアメリカの映像なんて残ってはいないからどういうふうに、というのが上手く例えられないのだけど、アルゼンチンリーグでボカの試合なんかを見ていると、ゴールが決まったときに見にくいからゴール裏の上の方に固まっていたボケンセたちがわーっと駆け下りてゴール裏の金網に一斉によじ登るような感じ。YouTubeあたりで探せばそういう動画もあるんだろうけど、探すのは一苦労なので。ゴールが決まったときの高揚とか、感情の爆発とか、そういうのはどこの国でも一緒なんだなあと思う。けれどももっと喜びたかったから、ああいう「仕込み」をしたんだろう。結局パラグアイができたのはあの一試合だけだったんですけどね……。


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23:36

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aftertalk #14

2008年01月25日

clasics #14でした。

日立台で味わった絶望というのはそれはけっこう凹まされたものだった。つい先日に気楽な立場でちばぎんカップを見に行ったのと同じ場所で、山瀬以外はなすすべもなく敗れてしまった。前の週に気持ちよく名古屋に勝ったのは神様が魔法をかけ間違えただけだったのか。左サイドラインでロブソンがキープして突破、と思ったら簡単に柏の選手に吹っ飛ばされたときに、「ああ、このガイジンはハズレなんだな」としみじみ思ったものです。ちっとも動けやしない。どうにかなるんだろうかこのチーム、と思いながらどうにかしようとしていたんだけどどうにもなることもなくそのまま試合終了。

このときの自分の周りの出来事についてはよく憶えていないけど、相当にキツい時期だったことだけは確かだ。体調は悪いし(前回書いた蓄膿症が完治していない)眠れないし仕事はうまくいかないというか失敗だらけだったし、という悪循環のループから自分を振り払えないままどんよりしていた。「ムネオハウス」とか「雪印」とか柏サポに言われてもなにも感じない程度には。「移転反対」だけはしっかりやったけど。個人的にあのスタジアムの臨場感は国内屈指だと思っているし。
そういうどよどよした気持ちをどうにかフットボールで吹き飛ばしてしまいたいとも思っていたんだけど試合は寒いし天候も寒いまんまで、人生ってこういう悪い循環が続くものなのかもなー、とか思って柏で飲んで電車がなくなって帰れなくなったりした。なんだろうな、飲んでないとやってられない、そんな感じ。ワールドカップがこの年の6月に日韓で共催されるということに対しても、なにそれ?おいしいの?っていう感じで、特にチケットをなんとしてでも手に入れるとかそういうことは全く思ってなかった。マイナーな試合のチケットが誰かから流れてきたら見に行こうかと思っていた程度。それよりも現状の札幌をどうにかしなければ。降格を阻止しなければ。そんな考えばかりが頭の中を駆けめぐっていた。そのためには、とにかく、声を上げることしかできない。できるだけ大きな声で応援することしかできない。小さかったら周りを鼓舞し、大きかったらもっと盛り上げ、チームのために、勝利のために、泥臭くてかまわないからゴールを決めること、どんなかっこ悪くても勝利を掴むこと、それが今の札幌に一番必要なことであり、そして現状、勝利からは一番遠い場所にいることを知っていた。
声を上げなければ、と思っていても、この頃の自分は社会の中では声を上げることもできなかった。ほんとうは声を上げて、行動を起こして、変えていくのだろうけど、何をどう変えて、なんのために動いていいのかわからない。上司は相談を取り合ってくれない。どうしたいのか、どうすればいいのか、まったくわからないまま毎日が過ぎた。会社はコアタイムつきのフレックスなんだけど、ぎりぎりに出勤することが多くなった。会社に行きたくない気持ちがどんどんピークに達しつつあって、どうしようもなくなってこっそりさぼったりもした。
あと、外に一人で営業周りに行ったときや出張に行ったときは会社に帰りたくなくて、適当な理由をでっち上げては本ばかり読んでいたり、ふらっと公園でぼんやりしていたりした。本当に何をどうしていいのかわからず、歩きまくって忘れようとしたり、酒で忘れようとしたり、自分の後ろにいる「何か」を振り払おうと必死に追い出そうとしていた。自分のことは自分の問題。他人に相談するなんておこがましいし、どうせろくな返事なんて帰ってくるわけがない。そう思ってひたすら現実逃避のように本を読み、音楽を聴き、フットボールに意識的に溺れていった。それ以外の生活なんて、どうでも良いや、という考えさえ起きてきていた。でもひとつだけ、たったひとつだけ、欲しいものがあった。それは現実を受け止めて、それに耐えきれる勇気。あるいは、それをよしとせずに動くための勇気。その勇気をフットボールに助けて欲しかった、助けられたかった。
けれど、あの時の札幌のフットボールは、僕に何も与えてはくれなかった。美しいシュートでなくてもいい、泥臭くボールを追う姿だけでいい、それだけで十分だったのに、それすらも見ることができなかった。「それでも人生は続く」なんてかっこいいことを書いてはいるけれど、僕はどんどん精神的に崖っぷちに追い詰められていって、そしてついにある日、いつもの通勤で乗り換えを待つホームに並びながら、意識が遠くなって汗が体中から噴き出た。たまらずふらふらとベンチに座り、呼吸が落ち着くのを待っ。30分ほどしてようやく治まってきたので会社に行き、70%程度の力で働いて、早々に切り上げて帰宅した。何故こんな風になってしまったのかは、まだわからなかった。そんな状況でコールリーダーが務まっていたのは奇跡と言う他になかった。

CONSISM本編では強がって書いていたけど、あの文章のほとんどは自分に向けて書いたものだといっても差し支えない。勇気が欲しい、手に入れたい、と心の底から思っていながらもこの頃の僕は、一方的に悪くなるばかりの環境から必死に立ち直る術をなんとか掴もうとしたり、必死に忘れようとしたり、自暴自棄になったり、していた。誰も助けを呼ばなかった。すべて自分自身の問題だと信じ込んでいたからだ。今にして思えば、誰かに相談した方がよかったのかもしれない。でもそれは自分の中で巣くっている矮小なプライドが邪魔をして、できなかった。そしてまた自分自身の矮小なプライドに怒り、悲しみ、蔑んだ。仕事をどうこうするというよりも、誰か助けて欲しかった。
こうして僕自身の混乱は度を深め、7月にはぶっ倒れてしまうことになる。


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23:42

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aftertalk #13

2008年01月20日

clasics #13でした。
高知で観光という名の現実逃避にはっちゃけたせいか、直前に引いた風邪が悪化してしまってしばらく寝込んでいた時期のお話。
普通に風邪なんだろうなー、だけどなんかめまいが止まらないわ吐き気がするわ偏頭痛が治まらないわ、となんとか会社に出ていたんだけどとうとうダウンして「これは風邪じゃない!」と思って調べたら、この症状にぴたり合致するのはメニエール病。さすがに難治性の病気に当てはまってるとわかったときは青くなった。慌てて耳鼻科に駆け込んだら「あー、蓄膿症」と言われほっとするやら落ち込むやら。レントゲンを撮ってみたら鼻梁の片方の影がもやもやしていて、ここに膿がたまっているのかーとはっきりしない頭で思っていた。ちなみに本編で「鼻の病気」と濁したのは、蓄膿症というのがかっこ悪かったから……。
子どもの頃から耳鼻科にはお世話になっていて中耳炎とアレルギー性鼻炎で何年も通院していたけど、まさか蓄膿になるなんて思わなかった。たっぷりと抗生物質をもらって、有給もちょっともらって2,3日家でずっと寝ていた(というかそれしかできなかった)。ちょうどそれが磐田戦に重なっていた時期で、近辺の人に「すいません休みますごめんなさい」と電話をして、携帯電話から送られてくる速報メールを頼りにぼんやりしてた。晴れた日に外にも出られず、ただ寝ながら試合結果を待つというのはなんとも心細いものだ。いまでも風邪を引くと、こめかみから鼻筋のあたりがぞわぞわして気持ち悪かったりする。

その症状が何とか治まって行けたのが瑞穂での名古屋戦。これは思い出深い。
内容の全くない3連敗をストップさせたというのと、俗に言う「パラグアイ」発祥の地ということで。
「パラグアイ」って何?というと、一言で言うとゴール裏最前列へのなだれ込みのことです(当然ピッチには入らない)。国際試合の映像(ワールドカップ予選だったかコパアメリカだったか)で、ゴールが決まったときにパラグアイのファンが一斉にゴール裏最前列へなだれ込んで大騒ぎしていたのを見ていた自分を含む数名が「ああいうのやりたいよねえ」と言い合っていたのでいつのまにかそういう俗称になった。そんなふうに構想はあれどもタイミング的にできなかったのを実現できた、という意味で思い出深い。
瑞穂はピッチレベルが比較的低い競技場でゴール裏の前のほうまで行くと見にくいので、上段部分に集まって応援するように呼びかけて「あわよくば」と考えていたけれどあんなにうまくいくとは思わなかった。3-5-2にシステムを戻してもパッとしなかった前半はさすがに絶望しかけたけど。ところが後半は見違えるように動きが変わり、まずはグラウンダーのクロスからオウンゴールを誘う。うそー、っていう感じで最前列になだれ込む数名。で、また戻って応援しているとすぐに山瀬のゴール。今度は1点目の数倍の人間がなだれ込む。きょうは何とかなるんじゃないか、と思っているととどめの3点目、こんどは大部分のサポが最前列へどわーっと。あの様子を横から見ていたら楽しいシーンだっただろうなあ。みんなものすごい速さで駆け下りて、ゴールを決めた森下も思わず看板を超えてゴール裏まで来てしまってイエローカードにみんなで苦笑いしながらイエローサブマリンを歌い、非常に気持ちよくマフラーを掲げてGO WEST。ちなみに試合終了後、森下はもう一度ゴール裏まできてくれました。日曜夕方の名古屋ということであんまりゴール裏の人数はいなかったけど、一体感はものすごく感じたゲーム。
まあ、03年前半戦の思い出でいい思い出というのはこれくらいしかないんだけどね……。


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21:09

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aftertalk #12

2008年01月18日

classics #12でした。

開幕戦は広島空港からビッグアーチへの足を全く考えないまま行ったなあ。他のサポーターの方が借りたレンタカーに折良く乗せていただいたけど。一泊したんだったかなあ。それとも日帰りにしたんだったかなあ。観光もしないで帰った記憶があるから、日帰りだったのかもしれない。なんにせよ試合のインパクトが後ろ向き満載で強烈だったのでお好み焼き食べた以外はほとんど覚えていない。3失点目あたりから一緒に応援してた人がトラメガ下ろして呆然としてたなあ。気持ちはわからないでもなかったけど、開幕してしまった以上諦めるわけにもいかなかった。訳のわからないまま失点を重ねるチームを見ながら「なんで?なんで?」ってずっと思ってた。ピッチ練習開始のときに柱谷のチャントを歌っちゃったから?外人がハズレだから?4バックだから?って。真相がどうあれ、歯車が全くかみあっていない感はずしずしとのしかかってきていて試合が終わった後には怒りも何も残らなかった。あそこで何も言えなかったことが自分の甘さなんだろうと今でも思う。

そんな気持ちを引きずりながら翌週は高知で仙台戦。こっちは逆に試合のことをさっぱり忘れてしまっている。というのも、ずっと前から有休を使って2泊3日でいろいろ回るぜ!と考えてもろもろ予約していたので、これまたタイミングの悪いことこの上ない。でもせっかくなので前泊して高知市電をほぼ前線乗りつぶし(そして高知港で黄昏れる)高知城とかレンタカーで坂本龍馬記念館とか行ったなあ。宿泊先のホテルに仙台の選手が泊まっていたり。こういうことばかり憶えているのは、試合内容がスッカスカだったんだろう。もしくは開幕戦でやられすぎて脳内が逃避行動起こしてたか。試合後最短のタイミングで思い出せるのは仙台サポの友人がバス(仙台から高知までバス!)から手を振ったことくらい。正直すごく萎えた2週間の出来事だった。前泊だったから観光できたようなもんでもあるし。

で、おみやげ(義理は通す)抱えて会社に行ったら「弱いねえ」のオンパレード。それでもっと萎えちゃったし、こんなに萎えてていいのか俺、とか、なんで応援で流れを変えられなかったのか、とか思うところはいっぱいあった。開幕にしてもう変えられないくらい強烈な負の流れだったといえばそれまでなんだけど、それをどうにかしてプラスにまで持っていくのが応援の力だと思っているから、そうできないのが辛かった。「しっかり向き合うことが大切」と書きながらも、あのとききちんと向き合うことができたかというと、まったくゼロだ。そして終わってからようやく怒り出すんだからなあ。沸点が低いのかどんだけ抑えてたんだかと。

「最悪からのスタートなんだから、何も怖くない」だなんて、そんなはずはなかった。J2に落ちることを何度も何度も考えてしまって、どうしようもなく怖かったはずだ。ただそれを他人に見せるのが怖くて虚勢を張り続けていたし、張り続けていなければならない理由も立場もあった。それとは別に弱音を吐き続ける自分とのバランスが取れなくなっていくっていうのはわかってはいたけれど、それでもあんなに続けていたのは、なぜだったんだろう。


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21:43

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aftertalk #11

2008年01月16日

clasics #11でした。

コールリーダー時代の印象を一言で言うなら、勉強させてもらった、ということに尽きる。アウェイのサポーターになった頃はサポーターの中でも最年少の部類で、年齢を言うだけで珍しがられたりした(年寄り臭い性格だったというのもあるかも知れないけど)。周囲はみんな大人というか社会人で、年上の人たちと交流していく中で学んだものはいっぱいある。振る舞い方や話し方、目上の人に対する礼儀、立場をわきまえるということ。いろんな人がいっぱいいて、社会は自分のような人間ばかりじゃないんだ、と実感したりした。ゴール裏はゴール裏の論理と行動があって、それは会社社会ではまったく異なるということも。物事を解決するのは最終的に現場での話し合いだと思っていたんだけれどそれはゴール裏での方法でしかなくて、仕事においてはその論理が通用することはまずなかった。そういう「割り切れなさ」をうまく咀嚼したりやりすごしたりできなくて、ものすごくジレンマだった。

もうひとつ学んだのは「自分は小さい」ということ。自分一人で世の中を回しているかのような考え方をしていたけど、それはなんと言おうか、ガキの戯言みたいなものだった。コールリーダーという立場に甘えていたんだろうな。「自分は偉いんだ」って錯覚しちゃってた。本当は何も偉くなくて、それぞれの役割をそれぞれが果たしていたという、ただそれだけのことだったんだとわかったのは皮肉にも札幌に戻った後のことだった。リーダーだったときはそういうことがわからなくていろいろとやらかした挙句にゴール裏で年上の人たちに諭されたり、叱られたり、それ以外でも就職活動で「なんで俺を雇わないんだ」って泣きそうになりながら電車に乗ったり(えんえんとシアターブルックを聞きながら耐えた)、そういうことの積み重ねが今の自分につながっているんだよなあと思う。積み重なった結果としてこれかよ、っていうのは申し訳ないことなんだけど。

あとはこの時期、もうどうしようもなく会社で働くことが嫌で、眠れない時があることもピークになりつつあって、早くフットボールに触れること、応援することでモヤモヤを吹き飛ばしてしまいたいとも思っていた。その一方で「ストレス解消に応援を使うなんて」とも思っていて、それが開幕戦の大敗でドツボ方面に入っていく直前のことでした。これを書いた翌週はいよいよ、ビッグアーチで鬼の5失点を目の当たりにすることになります……。


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22:07

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