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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

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aftertalk #16

2008年01月31日

clasics #16をお送りしました。

まあ、現場からも離れた位置にいるんで応援がどうとか歌がどうとか言う気はない。あえて言うならこれを書いてから応援のバリエーションもタイミングも良くなったってことくらい。

どんなチャントを作ろうかとかアウェイ時代はあんまり考えたことがなくて、それはホームの応援スタイルを主流としてやっていこうということを考えていたからこそ何もしないということもあったし、それよりも才能がなかったというのも……(カジヒデキの曲を提案したら却下されたこともあったっけ……)。海外リーグの応援なんかもよく知らなかったし、見ている限りでは札幌に導入できるようなものも見あたらなかった。ワールドカップの盛り上がりとともにタイアップされる楽曲には耳もくれず、聴いているのは応援とは無縁の曲ばっかりだったし。何を聴いていたんだろうかね、と昔のMDを探していたら小谷美紗子やら川村結花やら電気グルーヴやら……音楽的趣味と応援とは結びつかないものだったようです。でもサッカーを見るようになってoasis聴き始めたりしたなあ。

応援とは結びついていなくても音楽を聴くのは好きで、遠征の時は最初はウォークマン、そのつぎはMD、今ではiPod。文明の進化を感じるねえ。10歳の時にはじめて買ったウォークマン(的なもの)にオフコースのカセットテープを入れて毎日聴いてたり、塾の行き帰りにガンガンとテクノをかけてたり。MDは確か99年あたりにMDラジカセと合わせてシャープのを買ったんだけど電池があまりにも保たなくて毎日充電してたら2年くらいであっさりと壊れて、MDウォークマンを買い直した。これもガム型充電池を入れるところが壊れてしまって、外付けの電池ボックスをつけたままで持ち歩くようになってしまった。どこに行くにも音楽が一緒。鞄の中にはMDがいつも5枚くらい入っていて、それが遠征になると10枚近くにふくれあがるので荷物をまとめるのに苦労したとか。これだけ聴いてても音楽的才能っていうのは育たないなあ、やっぱああいうのは天性のものなのかね、とチャントを考えるときに困ったこともあった。自分のアイデアで今でも歌い続けられるようなチャントを作りたかった、という気持ちもあったけど、自分の役目ってそっち方面ではなかったんだろうと今では思っている。

応援スタイルの流行り廃りのサイクルがえらく早かった昔だけど、数年前からは落ち着いてきたのかなと思う。札幌だけでなく、Jリーグ全体を見て。「これがウチ」っていうスタイルがチームごとにだんだんできてきたんだろう。あと、ひとつのチャントがだんだん長くなってきているというのも感じる。あくまでもそれがいいのか悪いのかどうかは別としてということだけど、ってこう書くと今の応援が悪いなんて意味に取られてしまうな。でも昔と比べれば良いですよ。少なくとも自分がリードを取っていた当時よりは勢いも流れもある。試合の流れを作るという意味では、今の方が格段に上だろう。
つまりは自分も歳を取った、そういうことだ。なんだかユニコーンの「すばらしい日々」みたいな境地。


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23:31

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CONSAISM clasics #16

2008年01月30日

clasics #16、今回はヒマネタ第2弾。
音楽とサッカーにまつわる話です。


たいてい通勤の時はヘッドホンステレオで音楽を聴いています。本を読んでいるときもあるのですが、そのときも耳にはヘッドホンが刺さったままです。それにラッシュの混雑の時には本なんて読めないので、約一時間電車の中の手持ちぶさたを解消するにはちょうどよいのです。
聴いているジャンルは広く浅く様々に。洋楽邦楽ポップスにロック、クラシックからテクノまで。ちなみに今日はとあるブラジル歌手のボサノバを聴きながらの行き帰りでした。
最近CDショップに行くと、やはりワールドカップというイベントが浸透しているのかいろいろとサッカーに関係した曲を見つけます。有名どころではChemistryが日韓歌手のコラボレーションに参加し、ワールドカップ公式ソングを歌います。ゴスペラーズは「エスコート」という朝日新聞FIFAワールドカップキャンペーンソングをリリースしましたし、タイトルだけで言うならDragon Ashの新曲は「Fantasista」ですし、マイナーなところでいうとカジヒデキも「Footballing Weekenders」なんて曲をリリースしました(ちなみにこのときは、カジヒデキを買ったのですが)。いつの間にかいろんな音楽ににサッカーが入り込んでいるなぁ、とCDショップで考えました。

応援にも音楽性がないとしまりがない、というかリズムを作れない感じがしてもどかしいしつまらないのですが、他のチームの試合や応援を見ているとなかなか独自のスタイルを感じさせるものがあって、いろいろと勉強になったりします。仙台はパンクっぽさを感じさせるし、東京は「東京」にまつわるいろいろな歌謡曲を織り交ぜていたりします。清水は言わずとしれたサンバのリズム。その原曲をしり、そこからまた自分の音楽の趣味の幅が広がっていったりもして楽しいものです。
かといって特徴ある応援だけが耳に残るかと言えばそうでもないもので、たとえば声の勢いで押される浦和や鹿島なんかも、実際アウェーで体感したときは想像以上に気圧されたものでした。そんなものに影響を受けつつも、札幌のゴール裏は「札幌」の応援を築き上げてきたし、これからも築き上げていくでしょう。
昔の札幌のゴール裏も当初はいろいろな歌を歌ってきましたが、98年あたりからは独自性が強く出てきたように思います。それまではフレーズの短い、繰り返す感じのものが多かったのですがこの時以降から長いフレーズで、長めの歌が出てきました。また、ホームの利である観客の多さを活用してわかりやすい、シンプルさを重視するスタイルができてきたと思います。それ以降もいろいろな歌が出ては消え、消えては出てと繰り返しつつ、あの「俺達の誇り 赤黒の勇者・・・」の歌が出てきました。自分はこの曲がすごく好きなんですが、室蘭での道内開幕戦、さらに自分の魂を揺さぶられるような歌がテレビから聞こえてきました。「何も恐れず 胸を張り戦え」という、あの歌です。本当にまっすぐに戦う気持ちを出して、真っ直ぐに歌う声に一瞬試合を忘れて音に集中してしまうほどでした。
 
応援歌の世界にもはやりすたりがあっていろいろな歌が出ては消えていき、自分で考えたものでも札幌のゴール裏には合わずに泣く泣く使うのをやめたものも多くあります。
自分で考えてまともに使ったのは2000年の「VIVA!エメルソン!」のコールくらいじゃないでしょうか。だからこそ、そういう時代の流れを乗り越えて歌い継がれる歌というのはとても強い歌なんだと思います。
どこのチームが同じ歌を歌っている、とかセリエAの中継で同じ歌を聴いた、とか言う声も聞こえる事がありますが、けれどもそれはメロディーこそ同じであれ、札幌のサポーターが札幌のために考え出した歌。札幌の勝利のために歌う歌。一番大事なのは勝利を信じて歌うことなのだと思います。いろんなサッカーの中で歌われる中から吸収してきたリズムやメロディーであっても、それが札幌のゴール裏で歌われる時には間違いなく札幌の歌なのです。まだまだ札幌のスタイルとして築き上げなければならないものがたくさんあるからこそ、いろんなものを吸収することも大事なんだと思います。
 
さて、実は室蘭で歌われた新曲を自分はまだ歌っていません。次に自分が向かうは柏の葉、ここで思いっきり歌って、チームのために力になれればと思います。
 
 


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23:09

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aftertalk #15

2008年01月29日

clasics #15でした。
正直こないだパラグアイネタを書いたので書くこともあんまりないような気もするが、まあ「『パラグアイ』という言葉をご存じの方はいらっしゃるでしょうか?」という出だしはまるっきりアホだと思う。

でもまあ前回書いたときにうろ覚えだった「パラグアイ」の由来がここを読んでちゃんと思い出せたので良かった。過去のものはじっくり読むということもなくデータを掘って載っけているので。コパアメリカで4失点したことなんてすっかり記憶の彼岸に飛んでってましたよ。この「cllasics」のデータは最初FDDに取ってあって、もうFDDなんて使わないやーと思ってUSBメモリに移しておいたものを使ってる。ちゃんと一回ずつテキストデータとHTMLを保存してた。自分で書いたものは気恥ずかしかったりして保存しない質なんだけど、コンサイズムの原稿だけは取っておいてあるっていうのは当時の自分にとっても大事だったということなんだろう。探している途中で大学時代のレポートとか卒論が出てきたけど、あまりにも酷い出来だったので見なかったことにした。書いていたのは家のパソコンと、ちょこっとだけモバイルギア。どっちにもATOKを入れて「WZ EDITOR」というエディタでずっと書いていた。今でも同じエディタを使ってる。

当時のパラグアイの映像とかコパアメリカの映像なんて残ってはいないからどういうふうに、というのが上手く例えられないのだけど、アルゼンチンリーグでボカの試合なんかを見ていると、ゴールが決まったときに見にくいからゴール裏の上の方に固まっていたボケンセたちがわーっと駆け下りてゴール裏の金網に一斉によじ登るような感じ。YouTubeあたりで探せばそういう動画もあるんだろうけど、探すのは一苦労なので。ゴールが決まったときの高揚とか、感情の爆発とか、そういうのはどこの国でも一緒なんだなあと思う。けれどももっと喜びたかったから、ああいう「仕込み」をしたんだろう。結局パラグアイができたのはあの一試合だけだったんですけどね……。


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23:36

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CONSAISM clasics #15

2008年01月27日

大雪が降ってもclasics #15です。
今回の話はaftertalk #13でも触れた「パラグアイ」の話が元ネタ。


「パラグアイ」という言葉をご存じの方はいらっしゃるでしょうか?
国としてのパラグアイの事なら結構知っている人たちも多いかと思います。南アメリカ大陸の中心部にあり、南をアルゼンチン、東ブラジル、北ボリビアに囲まれた内陸国で、人口は約500万人、面積は40万6752平方キロ。もちろん南米なのでサッカーは盛んで、今年行われるワールドカップにも出場が決定していて、有名な選手といえば一も二もなくGKチラベルト。ちょっとさかのぼると、日本でプレーした選手としてはJリーグ発足当初横浜フリューゲルスで活躍したアマリージャ、2000年に川崎に所属していたアルバレンガ。最近では日本からも広山望がセロ・ポルテーニョへ、武田修宏がスポルティーボ・ルケーニョへ移籍しています。

でも今日の話は国としての「パラグアイ」ではなくて、行為としての「パラグアイ」。

1999年、日本はコパ・アメリカ(南米選手権)に初出場し(予選敗退でしたが)、札幌サポーターとしては当時所属していた吉原宏太が途中召集され、出場された事を記憶している方も多いと思います。その吉原が途中出場した地元パラグアイでの試合、日本は0-4と惨敗を喫しました。今となってはどんな試合だったか記憶もおぼろげですが、一つだけ覚えているのがスタンドの様子でした。
テレビで見るとゴール裏にはあまり人がいません、というかみんなスタンド上方に固まって試合を見ているのです。そしてパラグアイが得点すると、そのたびにファンが一斉にゴール裏最前列に雪崩れ込み、それだけで満足しない人はそこからさらにゴール裏の金網をそろって上りだし、それはもう暴れているのか喜んでいるのかわからないくらいの驚喜っぷりを爆発させていたのです。パラグアイが4得点したので都合4回、きっちりと得点の度にゴール裏最前列へ一斉に駆け下り、驚喜し、ひとしきり喜ぶとまたぞろぞろと上へ戻っていってまた応援する。そんな光景が自分にはとても衝撃的でした。その後、同じ試合を見た人たちとひとしきりその話で盛り上がり、「札幌のゴール裏でもやってみたいねぇ」なんて言いつつ応援していました。しかし実際ゴール裏の上方に陣取って「狙って」みてもそううまくいかないのがサッカー、盛り上がるような同点ゴールや逆転ゴールなんて決めてくれないことの方が多かったと思います。つまり「仕込み」をしてはことごとく失敗していたわけです。他のチームのサポーターも同じ事を思っていたのかは知りませんが、得点すると圧死するんじゃないかと思うくらい一斉にゴール裏の最前列に押し寄せる光景をいくつか目にしてきました。そういうことがあって、「得点したらゴール裏最前列に一斉に押し寄せて喜ぶ」という行為を、「パラグアイ」と仲間内で称するようになったのです。
 
そして先日の名古屋戦。久々にその「パラグアイ」をやりました。それも「仕込み」で、そして4回も。
前半をどうにかしのいだ札幌が速攻から和波の低いクロス、小島の飛び込みがオウンゴールでの先制点を呼び込みます。その瞬間自分は全速力でスタンドを駆け下り、ゴール裏の柵に上って思いっきりガッツポーズ。でもこのときはまだその場で喜ぶの人の数の方が多くて、駆け下りたのは十数人くらいでしょうか。
そして小倉のポストから山瀬の強烈なシュート、2点目。さらに勢いを増して駆け下りる自分。自分たちが「パラグアイ」をしていたのがわかった人たちがそれに続いて、先制の時よりもさらに多くの人が雪崩れ込み、拳を突き上げるその向こうにあまり感情を露わにしない山瀬が思いっきり吠えています。
さらに同じく小倉と山瀬のコンビネーションからキャプテン森下が抜け出して3点目。さっきよりもまたさらに人数も速度も増して雪崩を打って駆け下りるゴール裏サポーター。それに呼応するように警告が出るとわかっていながらもゴール裏に駆けてくる森下。こうなるともう止まりません。続々と最前列に駆け下りて森下と喜びを分かち合います。そしてぞろぞろと元の場所に戻りながら歌い出す「Yellow Submarine」。気分は最高。
完璧に「勝ちモード」に入って、最後は余裕も少し入った、マフラーを掲げながらの「GO WEST」。その間にもじりじりと最前列へと下がり出すゴール裏。審判の笛が3度響いて、マフラーを回すなんてもどかしいと言わんばかりにみんな最前列へと駆け出して、選手を迎え、一緒に喜ぶ。今期初勝利という事もあって訳の分からないうれしさがこみ上げます。そんな瑞穂のアウェイゴール裏でした。
 
さて、今年は何度「パラグアイ」ができるのか・・・。
その前に、何度もできるように、チームが勝つために応援しないと行けませんが、もしも気持ちのわき上がるようなゴールを決めてくれたら、自分はもうたまらなくなって駆けて行くんでしょう。
 
あ、くれぐれも怪我しないでくださいね。


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21:44

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aftertalk #14

2008年01月25日

clasics #14でした。

日立台で味わった絶望というのはそれはけっこう凹まされたものだった。つい先日に気楽な立場でちばぎんカップを見に行ったのと同じ場所で、山瀬以外はなすすべもなく敗れてしまった。前の週に気持ちよく名古屋に勝ったのは神様が魔法をかけ間違えただけだったのか。左サイドラインでロブソンがキープして突破、と思ったら簡単に柏の選手に吹っ飛ばされたときに、「ああ、このガイジンはハズレなんだな」としみじみ思ったものです。ちっとも動けやしない。どうにかなるんだろうかこのチーム、と思いながらどうにかしようとしていたんだけどどうにもなることもなくそのまま試合終了。

このときの自分の周りの出来事についてはよく憶えていないけど、相当にキツい時期だったことだけは確かだ。体調は悪いし(前回書いた蓄膿症が完治していない)眠れないし仕事はうまくいかないというか失敗だらけだったし、という悪循環のループから自分を振り払えないままどんよりしていた。「ムネオハウス」とか「雪印」とか柏サポに言われてもなにも感じない程度には。「移転反対」だけはしっかりやったけど。個人的にあのスタジアムの臨場感は国内屈指だと思っているし。
そういうどよどよした気持ちをどうにかフットボールで吹き飛ばしてしまいたいとも思っていたんだけど試合は寒いし天候も寒いまんまで、人生ってこういう悪い循環が続くものなのかもなー、とか思って柏で飲んで電車がなくなって帰れなくなったりした。なんだろうな、飲んでないとやってられない、そんな感じ。ワールドカップがこの年の6月に日韓で共催されるということに対しても、なにそれ?おいしいの?っていう感じで、特にチケットをなんとしてでも手に入れるとかそういうことは全く思ってなかった。マイナーな試合のチケットが誰かから流れてきたら見に行こうかと思っていた程度。それよりも現状の札幌をどうにかしなければ。降格を阻止しなければ。そんな考えばかりが頭の中を駆けめぐっていた。そのためには、とにかく、声を上げることしかできない。できるだけ大きな声で応援することしかできない。小さかったら周りを鼓舞し、大きかったらもっと盛り上げ、チームのために、勝利のために、泥臭くてかまわないからゴールを決めること、どんなかっこ悪くても勝利を掴むこと、それが今の札幌に一番必要なことであり、そして現状、勝利からは一番遠い場所にいることを知っていた。
声を上げなければ、と思っていても、この頃の自分は社会の中では声を上げることもできなかった。ほんとうは声を上げて、行動を起こして、変えていくのだろうけど、何をどう変えて、なんのために動いていいのかわからない。上司は相談を取り合ってくれない。どうしたいのか、どうすればいいのか、まったくわからないまま毎日が過ぎた。会社はコアタイムつきのフレックスなんだけど、ぎりぎりに出勤することが多くなった。会社に行きたくない気持ちがどんどんピークに達しつつあって、どうしようもなくなってこっそりさぼったりもした。
あと、外に一人で営業周りに行ったときや出張に行ったときは会社に帰りたくなくて、適当な理由をでっち上げては本ばかり読んでいたり、ふらっと公園でぼんやりしていたりした。本当に何をどうしていいのかわからず、歩きまくって忘れようとしたり、酒で忘れようとしたり、自分の後ろにいる「何か」を振り払おうと必死に追い出そうとしていた。自分のことは自分の問題。他人に相談するなんておこがましいし、どうせろくな返事なんて帰ってくるわけがない。そう思ってひたすら現実逃避のように本を読み、音楽を聴き、フットボールに意識的に溺れていった。それ以外の生活なんて、どうでも良いや、という考えさえ起きてきていた。でもひとつだけ、たったひとつだけ、欲しいものがあった。それは現実を受け止めて、それに耐えきれる勇気。あるいは、それをよしとせずに動くための勇気。その勇気をフットボールに助けて欲しかった、助けられたかった。
けれど、あの時の札幌のフットボールは、僕に何も与えてはくれなかった。美しいシュートでなくてもいい、泥臭くボールを追う姿だけでいい、それだけで十分だったのに、それすらも見ることができなかった。「それでも人生は続く」なんてかっこいいことを書いてはいるけれど、僕はどんどん精神的に崖っぷちに追い詰められていって、そしてついにある日、いつもの通勤で乗り換えを待つホームに並びながら、意識が遠くなって汗が体中から噴き出た。たまらずふらふらとベンチに座り、呼吸が落ち着くのを待っ。30分ほどしてようやく治まってきたので会社に行き、70%程度の力で働いて、早々に切り上げて帰宅した。何故こんな風になってしまったのかは、まだわからなかった。そんな状況でコールリーダーが務まっていたのは奇跡と言う他になかった。

CONSISM本編では強がって書いていたけど、あの文章のほとんどは自分に向けて書いたものだといっても差し支えない。勇気が欲しい、手に入れたい、と心の底から思っていながらもこの頃の僕は、一方的に悪くなるばかりの環境から必死に立ち直る術をなんとか掴もうとしたり、必死に忘れようとしたり、自暴自棄になったり、していた。誰も助けを呼ばなかった。すべて自分自身の問題だと信じ込んでいたからだ。今にして思えば、誰かに相談した方がよかったのかもしれない。でもそれは自分の中で巣くっている矮小なプライドが邪魔をして、できなかった。そしてまた自分自身の矮小なプライドに怒り、悲しみ、蔑んだ。仕事をどうこうするというよりも、誰か助けて欲しかった。
こうして僕自身の混乱は度を深め、7月にはぶっ倒れてしまうことになる。


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23:42

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CONSAISM clasics #14

2008年01月23日

clasics #14です。
このあたりから自分の人生がいろいろとせっぱ詰まってきたような気がする。


ちょっと仕事でトラブルを起こしてしまって、自分に腹が立ったり頭を下げるのが悔しかったり、まぁ原因の一端は自分にあるのだけど、そんな気分を抱えたまま柏へ向かった土曜日。
先週の勢いもあって、勝てると思って応援していたものの柏の強さ、というか札幌の弱さにつけ込まれてセットプレーから失点を繰り返し結局また負けてしまった。試合後のゴール裏の様子はそれぞれで、紙コップが投げ込まれたり、次の室蘭での巻き返しを期待して懸命に拍手していたり、ちょっとだけブーイングが聞こえたり。僕はといえばなにも言えずに、かといって怒りに身を震わす程の気持ちはなくてそれよりも虚脱感の方が強い感じで、じっと力無く手を挙げて降ろす選手を見ていた。
個人的な話をすると、柏に行く前はいろいろな出来事があってうれしくなったりとまどったりして僕の気持ちが左右に大きく振れてしまっているような感じでちょっと不安定で、そのままそんな気持ちが応援に出てしまったようなそんな気もした。
でもそれらの出来事はおそらくは人生を変えるほどの大きな出来事ではなくて、いずれは受け入れられて忘れてしまう運命にあって、それが仕事だったり応援だったりそういったものを根本から覆してしまうような影響力はないんだと思う。そういった小さな出来事がたくさん蓄積されているからこそ、今の自分があるわけで。
サッカーについてもそんな事が言えるんじゃないんだろうか。一本のパス、一つのトラップ、それが90分蓄積されて結果となるのが一試合、それが30試合続いて一つの年のリーグ戦。現状がどうであれ、今ここにあるサッカーは「今をどうにかしよう」「もっと向上しよう」という気持ちを持つ様々な人たちの思いや行動が渦巻く中で、全体の流れの中で最良の方向として築いたのが今の札幌。だから現状を憂えるのならば声を挙げ、手を挙げていくのが最良にして唯一の選択肢なのだと思う。小さな声でも挙げなければ届かない。けれどもそれが届いているのかいないのか、変わっているのかいないのかをはっきりと確かめる事は大きな出来事でない限りわからなくて、それにとまどってしまうのも事実。
それでも僕らはサッカーを見に行く。時には楽しく、時には必死で手をたたき、歌い、叫び、チームの勝利を願う。そして2時間後には歓喜のまっただ中にいるか敗北に打ちひしがれるかのどちらにいる(かなりおおざっぱな分け方だけど)。それは圧倒的な事実としてそこにある。サッカーがあるという事実。勝ちと負けと少しの引き分けの事実。
その中から僕らは勇気をもらう。現実を受け止めて、そこから声を挙げる勇気。一本のパスも出さずに試合には勝てない。一つ一つ、小さなプレーを重ねて行かなければ勝利も敗北もないし、試合という勝敗の決まる現実からは逃れられない。そうした積み重ねがあるから今がある。現実を認識しなければ過去も未来もない。それはどこでも同じだろう。サッカーでも、人生でも。だからこそサッカーは人生に例えられ、人生はサッカーに例えられる。
身の舞い上がるような大きな歓喜に包まれても、すべてが嫌になってしまうほどの絶望に覆われても、人生は続く。だからこそ僕はサッカーを見る。人生の凝縮されたピッチの上に目を凝らす。そこから僕は現実を見る勇気と、現実を変えようとする勇気をもらう。そうして現実に押しつぶされずに、小さな意志を積み重ねるということが僕にとっての人生なのだろう、と考えてみる。だから僕はサッカーが好きで、札幌が好きなのだろう。あの泥臭いディフェンス、労を惜しまないチェイシングが僕に少しばかりの勇気をくれる。自分の人生を生きる勇気を。
 


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23:55

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aftertalk #13

2008年01月20日

clasics #13でした。
高知で観光という名の現実逃避にはっちゃけたせいか、直前に引いた風邪が悪化してしまってしばらく寝込んでいた時期のお話。
普通に風邪なんだろうなー、だけどなんかめまいが止まらないわ吐き気がするわ偏頭痛が治まらないわ、となんとか会社に出ていたんだけどとうとうダウンして「これは風邪じゃない!」と思って調べたら、この症状にぴたり合致するのはメニエール病。さすがに難治性の病気に当てはまってるとわかったときは青くなった。慌てて耳鼻科に駆け込んだら「あー、蓄膿症」と言われほっとするやら落ち込むやら。レントゲンを撮ってみたら鼻梁の片方の影がもやもやしていて、ここに膿がたまっているのかーとはっきりしない頭で思っていた。ちなみに本編で「鼻の病気」と濁したのは、蓄膿症というのがかっこ悪かったから……。
子どもの頃から耳鼻科にはお世話になっていて中耳炎とアレルギー性鼻炎で何年も通院していたけど、まさか蓄膿になるなんて思わなかった。たっぷりと抗生物質をもらって、有給もちょっともらって2,3日家でずっと寝ていた(というかそれしかできなかった)。ちょうどそれが磐田戦に重なっていた時期で、近辺の人に「すいません休みますごめんなさい」と電話をして、携帯電話から送られてくる速報メールを頼りにぼんやりしてた。晴れた日に外にも出られず、ただ寝ながら試合結果を待つというのはなんとも心細いものだ。いまでも風邪を引くと、こめかみから鼻筋のあたりがぞわぞわして気持ち悪かったりする。

その症状が何とか治まって行けたのが瑞穂での名古屋戦。これは思い出深い。
内容の全くない3連敗をストップさせたというのと、俗に言う「パラグアイ」発祥の地ということで。
「パラグアイ」って何?というと、一言で言うとゴール裏最前列へのなだれ込みのことです(当然ピッチには入らない)。国際試合の映像(ワールドカップ予選だったかコパアメリカだったか)で、ゴールが決まったときにパラグアイのファンが一斉にゴール裏最前列へなだれ込んで大騒ぎしていたのを見ていた自分を含む数名が「ああいうのやりたいよねえ」と言い合っていたのでいつのまにかそういう俗称になった。そんなふうに構想はあれどもタイミング的にできなかったのを実現できた、という意味で思い出深い。
瑞穂はピッチレベルが比較的低い競技場でゴール裏の前のほうまで行くと見にくいので、上段部分に集まって応援するように呼びかけて「あわよくば」と考えていたけれどあんなにうまくいくとは思わなかった。3-5-2にシステムを戻してもパッとしなかった前半はさすがに絶望しかけたけど。ところが後半は見違えるように動きが変わり、まずはグラウンダーのクロスからオウンゴールを誘う。うそー、っていう感じで最前列になだれ込む数名。で、また戻って応援しているとすぐに山瀬のゴール。今度は1点目の数倍の人間がなだれ込む。きょうは何とかなるんじゃないか、と思っているととどめの3点目、こんどは大部分のサポが最前列へどわーっと。あの様子を横から見ていたら楽しいシーンだっただろうなあ。みんなものすごい速さで駆け下りて、ゴールを決めた森下も思わず看板を超えてゴール裏まで来てしまってイエローカードにみんなで苦笑いしながらイエローサブマリンを歌い、非常に気持ちよくマフラーを掲げてGO WEST。ちなみに試合終了後、森下はもう一度ゴール裏まできてくれました。日曜夕方の名古屋ということであんまりゴール裏の人数はいなかったけど、一体感はものすごく感じたゲーム。
まあ、03年前半戦の思い出でいい思い出というのはこれくらいしかないんだけどね……。


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21:09

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CONSAISM clasics #13

2008年01月19日

clasics #13、今回は健康に気をつけましょうねというお話でした。


しばらくこちらへの寄稿ををお休みさせていただいていましたが、今日はその話から始めていきたいと思います。
事のきっかけは高知遠征。元々風邪気味であったところに、金曜日休みを取るために少し無理をしたのがたたったのか本格的に風邪を引いてしまいました。まあ、次の日にはとりあえず体調が回復して無事に応援できたのでよかったのですが。そうして東京に帰ってきて仕事をしていると、今度は仕事中に時々めまいが起こってモニターがぐるぐると回転し、まるで超高速のメリーゴーランドに乗っているかのような気分になり、耐えられずに会社を早退させてもらって病院へ行って来ました。診察の結果は「過労によるめまい」。いろいろと重圧や忙しさもあってたまっていたのであろうストレスが、めまいという形で出てしまったのでしょう、という事になりました。
そうして薬をもらってめまいは治まった、というか抑える事ができたのですが、その後原因不明の頭痛が襲ってきました。こめかみから頬骨、頭の後ろまでずんと響くような重さがあって、今度はこっちの症状がひどくなったのでもう一度病気に行くと、鼻の病気だと言われてしまいました。
どうやら、高知でひいた風邪が響いていたようです。まあそれも薬で治るということなので、さらに薬をもらって治していく事になりました。だから一気に二つの病気を抱えてしまって、少しこちらの原稿をお休みさせていただいた、という事なのです。ちなみに現在は投薬の効果もあるので症状はそれなりに治まっていますが。
そうした出来事があったのが、ちょうど磐田戦の2日前。すぐに一緒に応援している人に連絡をとり、拡声器をとりにきてもらって今回は家で寝て静養することになりました。
そうして一日、試合を気にしながらおとなしく横になっていると、今この場にいるという事が悔しいことのように思えてきました。声の届かない悔しさやもどかしさや、応援している人たちに迷惑をかけて済まないと思う気持ち。そんな気持ちで携帯の画面の「0-4」というスコアを眺めていました。
そんな気持ちを抱えながら日曜日、名古屋へ向かいました。体調は万全とは言えないけれども、行ける試合なのに応援できず歯がゆい想いをするのは嫌だったのもあるし、チームが勝つところを見て自分も元気になりたい、とも思ったのです。
果たして試合は前半こそ試合を支配され、危ない場面が多くあったものの後半は見違えるように3点を連取して、札幌らしい札幌の試合が久々に見られました。そうしてゴールが決まるたびにゴール裏の最前列まで駆け下りて拳を突き上げたり、3点目を決めて看板を飛び越えてまでゴール裏に駆け寄り手を伸ばす森下と一緒に吠えていたり、「好きです札幌」をみんなで歌ったりしている時だけは、病気の自分はどこかに影を潜めていました。負け続けていると「勝つことが最良の薬」だというような言い方をすることがありますが、それがまさに自分に当てはまっているような感じでした。ただ、こうならないように体調管理をしっかりとすることも社会人として大事だし、そうしないとまた試合を見に行けなくなるからきっちり治さないと、とは思いましたが。
僕が社会人として働き始めてからちょうど一年。仕事だけでなく、いろんなところでいろんな事を学んできましたが、今回は体が健康であることがいかに大事か、ストレスをうまく逃がしていくことがいかに大事かということを身をもって思い知らされました。なんたって、体調がよくないとゴール裏ではじけられませんから・・・。


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23:54

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aftertalk #12

2008年01月18日

classics #12でした。

開幕戦は広島空港からビッグアーチへの足を全く考えないまま行ったなあ。他のサポーターの方が借りたレンタカーに折良く乗せていただいたけど。一泊したんだったかなあ。それとも日帰りにしたんだったかなあ。観光もしないで帰った記憶があるから、日帰りだったのかもしれない。なんにせよ試合のインパクトが後ろ向き満載で強烈だったのでお好み焼き食べた以外はほとんど覚えていない。3失点目あたりから一緒に応援してた人がトラメガ下ろして呆然としてたなあ。気持ちはわからないでもなかったけど、開幕してしまった以上諦めるわけにもいかなかった。訳のわからないまま失点を重ねるチームを見ながら「なんで?なんで?」ってずっと思ってた。ピッチ練習開始のときに柱谷のチャントを歌っちゃったから?外人がハズレだから?4バックだから?って。真相がどうあれ、歯車が全くかみあっていない感はずしずしとのしかかってきていて試合が終わった後には怒りも何も残らなかった。あそこで何も言えなかったことが自分の甘さなんだろうと今でも思う。

そんな気持ちを引きずりながら翌週は高知で仙台戦。こっちは逆に試合のことをさっぱり忘れてしまっている。というのも、ずっと前から有休を使って2泊3日でいろいろ回るぜ!と考えてもろもろ予約していたので、これまたタイミングの悪いことこの上ない。でもせっかくなので前泊して高知市電をほぼ前線乗りつぶし(そして高知港で黄昏れる)高知城とかレンタカーで坂本龍馬記念館とか行ったなあ。宿泊先のホテルに仙台の選手が泊まっていたり。こういうことばかり憶えているのは、試合内容がスッカスカだったんだろう。もしくは開幕戦でやられすぎて脳内が逃避行動起こしてたか。試合後最短のタイミングで思い出せるのは仙台サポの友人がバス(仙台から高知までバス!)から手を振ったことくらい。正直すごく萎えた2週間の出来事だった。前泊だったから観光できたようなもんでもあるし。

で、おみやげ(義理は通す)抱えて会社に行ったら「弱いねえ」のオンパレード。それでもっと萎えちゃったし、こんなに萎えてていいのか俺、とか、なんで応援で流れを変えられなかったのか、とか思うところはいっぱいあった。開幕にしてもう変えられないくらい強烈な負の流れだったといえばそれまでなんだけど、それをどうにかしてプラスにまで持っていくのが応援の力だと思っているから、そうできないのが辛かった。「しっかり向き合うことが大切」と書きながらも、あのとききちんと向き合うことができたかというと、まったくゼロだ。そして終わってからようやく怒り出すんだからなあ。沸点が低いのかどんだけ抑えてたんだかと。

「最悪からのスタートなんだから、何も怖くない」だなんて、そんなはずはなかった。J2に落ちることを何度も何度も考えてしまって、どうしようもなく怖かったはずだ。ただそれを他人に見せるのが怖くて虚勢を張り続けていたし、張り続けていなければならない理由も立場もあった。それとは別に弱音を吐き続ける自分とのバランスが取れなくなっていくっていうのはわかってはいたけれど、それでもあんなに続けていたのは、なぜだったんだろう。


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21:43

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CONSAISM clasics #12

2008年01月17日

classics #12です。
史上最悪の開幕(個人的に)を迎えた後、すごく怒りながら書いた記憶があります。


一週お休みをいただいて「次回も気持ちのいい文章が書けるな」と思っていたら、とんでもないことになってしまっていました。
とりあえず札幌は広島、仙台と連敗し、自分の心の中では最悪のスタートを切ってしまいました。もっともここで選手や戦術をどうこう言うつもりはないですし、それにはもっとふさわしい執筆陣の方々がいらっしゃるのですが。

そうこうして今週も月曜日になり、おみやげを抱えかすれ声で出勤すると「なんだよ、また負けたのか」と上司や先輩から容赦なく突っ込まれ、僕はそれに対して「いやあ負けちゃいましたよ」なんて自虐的な笑いを浮かべて答えたりしています。そんな自分を客観的に見た瞬間、自分で自分のことを思いっきり憎みました。本当は悔しくて情けなくてどうしようもないはずの自分がいるのに、それを平気な顔で押さえ込む自分に。世の中で感情を表に出し続けて行くことなどできないとわかってはいるのですが、それをひたすらに堪えるのがとても苦しくなる時があります。感情を表に出すと言うことは、時と場所によっては悪になるということはわかっているのですがそれでも顔に出てしまうあたり、まだまだ子供だなと思う所があります。

しかし、ゴール裏での自分は感情を露わにすることが多いです。それは自分も感情を出して応援していかないと、選手に何かを伝えることなどできないと思っているからなのですが、それでこの二試合、何かを伝えることができたろうかと思っています。少なくとも結果を見る限りできていない、と思っています。怖がるラインに勇気を与えられなかった広島戦。リズムに乗せて攻撃を作れなかった仙台戦。ともに課題というには大きすぎるものだと思っています。そうして一つ気付いたのは一つの慢心とも言うべき感情、去年の札幌に逃避していた気持ちでした。去年とは監督も選手も替わり、相当に厳しいシーズンになる事を自分でしっかり自覚できていなくて、それができていなかったからこそ現実を目の当たりにさせられたのでしょう。
だからこそこれからは今の現実から目をそらさないで、しっかり向き合って行くことが大切なのではないでしょうか。チームが勝てる為に、自分たちでできること、とれる行動をとるということをもう一度基本に立ち返って考えていくことが大切なのかもしれない、と自戒も込めて考えています。

どうしてもこの2試合を考えると、初めてトップリーグに上がったあの年のことを思い出してしまいます。あのときのような経験を二度と繰り返さないためにも、僕は何ができるかを冷静に考えて、現実を見据えて行くことが大切だし、それは単純に応援という一つのことだけにとどまらずいろいろな方法で示していくことが必要なんじゃないかと思います。どうせ最悪からのスタートなのですから、怖がることもないのですから。
 
そうして最後には「札幌強くなったな、また勝ったな」なんて
上司に言われて、誇らしげに答えたいです。
「当たり前じゃないですか、そのために応援に行ったんですから!」


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23:58

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aftertalk #11

2008年01月16日

clasics #11でした。

コールリーダー時代の印象を一言で言うなら、勉強させてもらった、ということに尽きる。アウェイのサポーターになった頃はサポーターの中でも最年少の部類で、年齢を言うだけで珍しがられたりした(年寄り臭い性格だったというのもあるかも知れないけど)。周囲はみんな大人というか社会人で、年上の人たちと交流していく中で学んだものはいっぱいある。振る舞い方や話し方、目上の人に対する礼儀、立場をわきまえるということ。いろんな人がいっぱいいて、社会は自分のような人間ばかりじゃないんだ、と実感したりした。ゴール裏はゴール裏の論理と行動があって、それは会社社会ではまったく異なるということも。物事を解決するのは最終的に現場での話し合いだと思っていたんだけれどそれはゴール裏での方法でしかなくて、仕事においてはその論理が通用することはまずなかった。そういう「割り切れなさ」をうまく咀嚼したりやりすごしたりできなくて、ものすごくジレンマだった。

もうひとつ学んだのは「自分は小さい」ということ。自分一人で世の中を回しているかのような考え方をしていたけど、それはなんと言おうか、ガキの戯言みたいなものだった。コールリーダーという立場に甘えていたんだろうな。「自分は偉いんだ」って錯覚しちゃってた。本当は何も偉くなくて、それぞれの役割をそれぞれが果たしていたという、ただそれだけのことだったんだとわかったのは皮肉にも札幌に戻った後のことだった。リーダーだったときはそういうことがわからなくていろいろとやらかした挙句にゴール裏で年上の人たちに諭されたり、叱られたり、それ以外でも就職活動で「なんで俺を雇わないんだ」って泣きそうになりながら電車に乗ったり(えんえんとシアターブルックを聞きながら耐えた)、そういうことの積み重ねが今の自分につながっているんだよなあと思う。積み重なった結果としてこれかよ、っていうのは申し訳ないことなんだけど。

あとはこの時期、もうどうしようもなく会社で働くことが嫌で、眠れない時があることもピークになりつつあって、早くフットボールに触れること、応援することでモヤモヤを吹き飛ばしてしまいたいとも思っていた。その一方で「ストレス解消に応援を使うなんて」とも思っていて、それが開幕戦の大敗でドツボ方面に入っていく直前のことでした。これを書いた翌週はいよいよ、ビッグアーチで鬼の5失点を目の当たりにすることになります……。


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22:07

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CONSAISM clasics #11

2008年01月14日

classics #11をお送りします。
02年開幕直前の心境というか意気込み、のような回。


札幌のアウェーでリードをとる、という大役を仰せつかって早4年。来週からは5年目になります。
こういう役目になった時は、1,2年位で自分のような役目というのはどんどん変わっていくものなのかな、と思っていましたが(実際そういう他チームサポーターの話を聞いたことがあります)、気がついてみれば自分でも驚くくらい続けています。
でもこういう役目になってからいろいろと勉強させてもらったのも事実です。たとえば人ののせ方、周囲の熱を高める話し方、応援のリードの取り方、動き方。そのために人の気持ちを考えること、プレーや応援の状況を素早く判断して応援を切り替えたり盛り上げたりしていくこと。そういったことは学生時代、学校では決して学ぶことのできないことで、今の自分にサッカーや応援が与えた影響というのは本当に計り知れないものです。
そんな学生時代から社会人になって、こういう経験が生かされているか、というと今のところ「そうではない」としか答えられません。本格的に社会や仕事というものに真正面から取り組んできて、人をまとめて、考えを整理して引っ張っていくと言うことは並大抵の努力ではないと言うことを実感しました。よくよく考えてみれば自分がそう思うのも当然のことで、サポーターの世界というのはみんなが一つの目的のために自然に一致団結している中で行動していたわけで、社会の中ではいろんな考え方、いろんな動き方の人がそれぞれにいるのだから、自分の動き方も細かくなければいけないし、それをまとめる力も大きなものでなければうまく全体が目的の為に動かないわけです。そういった意味で、最初の頃(今もですが)はそんなゴール裏と実際の仕事の世界とのギャップというか、一方的な自分の認識の甘さに衝撃を受けていました。そういう意味で、学生時代の経験というのをうまく仕事にフィードバックさせていないし、仕事の中で得たものを生かせていないのかな、と思っています。
 
そういうことを考えて、少し悩んだりしている内に開幕まであと1週間を切っていました。
どんな日常を送っていても、嬉しい気持ちの時でも沈んだ気持ちの時でも、開幕のことを考えると、これから多くの歓喜とわずかな絶望に心を狂わされるであろう1年が楽しみで、広島の地で「サッポロ!」と力に限りに叫ぶ日を思って少しばかり緊張してみたりします。そして自分がこの一年、このオフシーズンで得たものをありったけつぎ込んで応援していきたい、そして勝っていきたいと強く思います。90分のボールの動きに惑わされ、喜び、悲しみ、時には怒りを露わにする週末の日々をこの上なく渇望しています。サッカーに人生を見いだし、人生をサッカーになぞらえるような毎日を。
 
早く選手の姿が見たい。去年からの選手、新しく赤黒のユニフォームに袖を通した選手、彼らが監督やコーチや、そしてサポーターと一体となってひたすらに一つのゴール、一つの勝利のために進む姿を見たい、そして自分もその中にいたい。そんなことを考えながらしばらくの間、過ごしていきます。
 
広島でお会いしましょう。
ともに勝利を、ともに歓喜を。


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23:15

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aftertalk #10

2008年01月13日

clasics #10でした。

このときのちばぎんカップって確かPSMにもかかわらず荒れ気味だった覚えがある、と思って調べてみたら黄善洪が退場になったものの柳想鐵の得点で逃げ切ったという試合だった。個人的にも気分はPSMで、ここでどうコールするとか、このチャント歌うとか、そういうことを考えながら見ていたので正直試合内容は覚えていない。コールリーダーになりたてのころも、コンサドーレ以外の試合はそういうことを考えながらだったり、誰かと話し合いながら試合を見ていた。練習というか、タイミングと流れを読まないといい応援はできないなと思って。シーズンが開ける頃はやはりそういう感覚的なものは鈍ってきているので、そのあたりを取り戻すのに毎年開幕の何試合かは苦労したし、声の出しどころを掴むのに時間がかかったので自分自身にやきもきしていた記憶がある。

それよりもはっきり記憶しているのは安堵の気持ちだ。自発的にとはいえ「観戦断ち」をしていた自分にとってその年初めての生観戦。今となっては南武線から行ったのか新宿経由で行ったのかも覚えてないけど、一時間半の道のりをとてもわくわくしながら日立台へ向かったことだけは覚えている。スタジアムへ近づくにつれて訪れる高揚感は冬の寒さなんて感じさせなかった。キックオフの笛が鳴って、途端に僕は慣れ親しんだフットボールの世界に帰ってきたことにこころからほっとした。見ているチームは応援しているところとは別のところ同士とはいえ、ボールを蹴る音、コーチングの声、スタンドから飛ぶ声援と野次、両方のゴール裏から繰り出される絶え間ないチャント。いくら街を歩いても、いくら海を眺めても、いくら本を読んでも決して味わうことのできない幸せな感覚。毛穴が一瞬総毛立って、でもすぐにべた凪のような安心感が訪れる。ああ「帰って」きたな、と思う。やっぱり自分の居場所っていうのを感覚的に理解していたのかもしれない。


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23:54

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CONSAISM clasics #10

2008年01月12日

本日も更新、clasics #10です。
そろそろシーズンに入るという時に見に行ったちばぎんカップの話。


天皇杯から生でサッカーを見るということを特にせず、他のいろいろなことで週末を過ごしてきた僕ですが、日曜日に今年初めてのサッカーを見に行きました。見に行ったのは柏サッカー場での「第8回ちばぎんカップ 柏対市原」。
サッカーを見に行くのは今年初めてで、プレシーズンマッチということなので、試合の結果よりも「お互いのチームが意図するサッカーがどこまで見えるか」ということを中心に見てきました。この時期に結果がどうこうという事にはあまり意味がないし、それよりも選手個人の動き、移籍選手のチームへのなじみ具合、戦術の浸透の度合いを見ることが大事なんじゃないかと思っています。そしてこの日はもう一つのテーマがあり、それは「サッカーに慣れる」ということであり、それも意識しながら試合を見ていました。

毎週どこかへサッカーを見に出かけていたオンシーズンから一転して、3ヶ月サッカーを見ていないと自分の目がサッカーの動きについていけなかったりします(札幌在住の皆さんはうらやましい、と思うかもしれませんが)。動きについていけないと、いざシーズンが始まって札幌の応援をしているときに応援のタイミングを失ったり、雰囲気を作っていくことができなくなるので、そういうことがなるべくないようにサッカーを見て、自分の中のスイッチを入れて、感覚を徐々に暖めていく、というのを続けています。
そのなかで自分がオフシーズンの中に経験したものとを照らし合わせながら、自分のサッカーを見る目がどのように変わったのか、ということを客観的にみて「自分はこんな風にサッカーを見るようになったのか」と、新しい発見をする事もあったりします。
そうして試合を見てきて去年の今頃の自分を思い出すときに、社会人になってから明らかにサッカーを見る目が変わってきたな、と思うことがあります。華麗なプレーの連続よりも泥臭くボールを追う姿を、個人技よりもチーム全体で機能するプレッシングの美しさを、サイドをえぐるようなドリブルよりも正確なセンタリングを、いつの間にか好むようになっていました。それはおそらく、本格的に社会の中に入って働いていることと少しは関係があるんじゃないか、と思います。自分があって、関わる社会があって、好きなサッカーがあって、それらは互いに結びつきながらも少しずつ姿を変えて存在し続けるような感覚があります。
 
そんなことを考えながら日曜は試合を見ていたのですが、内容が荒れたものになったのを除けばおおむね面白い試合でしたし(柏の大野の存在感、市原の明確な戦術とウイングバック坂本の突破力が印象的でした)、それに久しぶりに直に触れるサッカーは新鮮な感じがしました。
 
そして何よりも自分の中の気持ちを突き動かしたのが、ゴール裏の声でした。
この日は市原寄りのメインスタンドで見ていたのですが、試合前に互いのゴール裏から聞こえてくる応援の声、歌、一つ一つが競技場の雰囲気となって、サッカーを見ている、という実感をわかせると同時に「札幌の試合が見たい、応援がしたい」という気持が自分の中で一気に盛り上がっていくのを強く感じました。自分の好きなチームのために声を上げ、歌い、跳び、ともに戦うことの幸せ、一体感、そういった高揚感にも似た気持ちがどっと自分の中に押し寄せて、まさにその瞬間に自分の「サッカーのスイッチ」が入った、90分に心を躍らせ、喜び、怒り、時には悲しみ、ボールの動きに興奮し心を躍らせる、あの期待と歓喜に満ちた一年がこれから始まるのだという気持ちが自分の中に満たされていくのを感じたのです。 今年も札幌に心を狂わされる、そう思うと2週間後の開幕が楽しみで仕方なくなってくる、そんなこの頃です。


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23:01

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aftertalk #9

2008年01月11日

classics #9をお届けしました。完璧にヒマネタですねこれ。
たぶんネットをうろついて探してきたんだろうけど、この当時マリノスの社長だった左伴さんっていう人はけっこう熱い文章を書く人で刺激を受けた。その文章がネットに残っていないとので引用できないのが寂しいけど。

この時のネットはたいてい会社で、メール等は自宅からダイヤルアップ。カシオのA5サイズのノートPCを持っていたのでそこから電話線を繋いでぴーごろぴーごろ言わせてた。ブロードバンドというのを体感したのは、札幌に帰ってから。ADSLがそろそろ普及し出してきたけど料金はまだ高かったので、テレホーダイで寝る前にちょこっとだけ使ってた。次第に携帯メールで用が足せるようになって、自宅から遅い速度でネットに繋ぐこともあまりなくなってしまった。

これを書いたときから数年が経ったけど、札幌のDNAというのは醸成されてきたな、と思う。良いところも悪いところもあるけれど。でも精神的なタフさっていうのは(略)。
「受け入れる暖かさ」っていうのは、やっぱり開拓地だった北海道の気質なんだろうか。移籍してくる選手はみんな歓迎するし(まあ、歓迎されない移籍なんてないはず……なんだけど)、もてなす心はあると思う。でも「諦めない強さ」ってのはまだまだなんだろう。03年以降のJ2暮らしをくぐり抜けてきた人たちの強さはすごいと思うことがあるけれどすべての人がそうであったというわけでもないし、自分のことを考えてみてもメンタル強くなったとは言えない。むしろ弱くなったんじゃないか、以前ほど力を注げなくなってきて居るんじゃないのかという思いと場面はたびたびある。歳なのか、人間性の変化なのか。

まあこの回はヒマネタらしくあんまり具体的な話を書いてませんでしたね。
そんなわけで今思い返してもそんなに書くことがありません。


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23:05

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CONSAISM clasics #9

2008年01月10日

眠くなっても更新。classics #9です。
はじめてだろう、他チームの話。


とある日ネットでいろいろとサッカー関係のサイトを見ていたときに、横浜Fマリノスのオフィシャルサイトにたどり着きました。
そこには「サッカーDNA」という欄があって、言うならば今までの横浜のサッカーと、これからすサッカーへの姿勢を示すような、そんなひとつの決意ととれるものでした。
それを見ながら、「じゃあ札幌のDNAって、何なんだろう」と僕は考えていました。
Jリーグ創設からのチームに比べれば歴史は浅いものの、今年7年目を迎えようとする札幌というチームがどんな遺伝子を持っているのか。僕が思ったのは「暖かさ」と「諦めない強さ」でした。
 
暖かさというのはこれまでいろんな人を受け入れて、サッカーの楽しさやともに応援するチームがある事の喜びを共有してきて、サポーターの数もそれにつれて年を追うごとに増えてきたという一つの事実から考えたものです。そしてそこには、札幌というサポーターの一つの良さである「人の暖かさ」というのがあるのではないでしょうか。多くの人を受け入れて、異論をむやみに排除せず議論して解決していく、そういう暖かさや、応援でも「甘い」のではなく、選手にとってホームでもアウェイでも選手を後押しできるような「暖かさ」を持った応援ができてきているのではないか思います。それはおそらく札幌の、北海道の人間性というものとは無関係ではないと思うので、これはこれで良いんじゃないかと思います。
ただ、「甘さ」と「暖かさ」とはイコールではないのです。僕らはやはり勝つところを見に競技場まで来ているわけですし、選手達も勝ちたいと思っているでしょう。その気持ちを応援だったり、時には叱咤だったりというやり方で後押ししていきたいと思います。 
もう一つ、「諦めない強さ」ですが、これは先ほどの「暖かさ」が住民性を考えたときに札幌の歴史の中である程度早くからあったのに比べて、チームとして、サポーターとして経験を積んでいく中で生まれたものだと思います。それは優勝、降格、解任といった一言では言い表せないくらいの様々な経験、その中で苦しい状況を乗り越えようとする動きが今につながっていると思います。
チーム創設の96年、昇格と存続危機の97年、苦しい戦いの末の2部降格の98年、理想と現実の歯車がかみ合わなかった99年、再浮上の2000年、残留という第一目標を果たした2001年。このすべての戦いにおいて、苦しんだあのシーンで、自分の力で何とかしようと一人一人が声をあげた、その一つ一つが今につながっているのだと思います。いくら劣勢であっても、何点離されても試合終了のホイッスルまで決して勝利を諦めない、そういうサポートをしてきたつもりだし、これからもより追求していくつもりです。

そして僕自身、こうして自分の中に築き上げられた「DNA」は、応援している時だけではなく、それ以外の、たとえば仕事がうまくいかないとき、人間関係に悩んでいるとき、そんなときにゴール裏で必死になって叫んでいた、あのときの苦しさや経験を思い出すことで、目の前の現実を乗り越えるきっかけになったことがありました。

これを読んでくださっている皆さんは、そういうことがありませんでしたか?
  
こうして醸成され、一人一人に備わったDNAはこれから良くも悪くもなる可能性を秘めています。それはこれからの行動の結果であり、良いところをこれから来るであろう新しいサポーターに託し、悪い部分はつくりかえてゆく、生き物が種の保存の本能に従って子孫を増やすように、自分のなかのDNAを変化させ、これから伝えていかなければならないのだと思います。
 


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23:01

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aftertalk #8

2008年01月09日

clasics #8をお届けしました。

ほんとうに良く言われた。「いつ田舎に帰るの?」と。
そのたびにはぐらかしたり困ったりして、なぜか田舎に帰らないということが悪いことのように思えてしまったこともあるけど、この言葉を自分に言ってきた人たちはそういえばだほとんど首都圏出身の人たちだった。

そもそも道外の大学に行く、という考えは子どもの頃から薄かった。大学付属の中学校から地区一番の進学校に行き、北大を受けるものだとばかり思っていた(そして、そう親にも言ってた)。その考えが揺らぎ始めたのはまず転勤によっていろいろと学校を変わり、考えていた附属中学校には行けなかったこと。ふつうの中学校で勉強していたときに、数学の出来があまりにも悪すぎて受験で数学を必要とする北大には行けそうもないんじゃないだろうか、ひょっとしたら私立文系まっしぐらの人生なんじゃないだろうかと思ったこと。高校でそれが現実になったのと同時に、このまま道内でずっと生きていくのはもったいないと思うようになって、道外の国公立大学で文系で試験科目に数学がないか、もしくは劇的に少ないところを選んだ。親元から離れて一人暮らしをしたいというのもあった。で、そこにコンサドーレの介在する余地は存在しなかった。応援ならアウェイでもできる。今必要なのは、これからの人生のための経験だ、と思って。

本音を言うと、死ぬまであっちで働いて暮らして死ぬつもりだった。いくら自分が北海道の人間だからといって、北海道が暮らすのにベストな土地だと思えなかった人間だっている。それが自分だっただけだ。「ふるさとは遠くにありて思うもの」であれば、それで良かった。だから仕事を辞めて札幌に帰って来たとき思ったのは「帰ってきたなあ」ではなくて「帰ってきてしまった」という悲しさのほうが強かった。そして今でも首都圏のほうが暮らしやすかったと思っているし、いつか戻りたいと思っている。だからといって、地元に帰って仕事をしたいと思ってる人や、コンサドーレのために札幌に移住した人のことを責めるだとかそういう気持ちは全くない。逆に、そういう人たちに自分が抱くのは敬意だ。

なぜこんなに首都圏にこだわるのかというのも、「東京」に住んだことがないまま札幌に戻ってしまったからかもしれない。最初は横須賀に限りなく近い横浜で、その次は近くの多摩川を渡ればすぐ東京に行けるほどの川崎だったので、「東京に近づいている!」というワクワク感もあったのかもしれない。は高校時代に芽生えた「東京」という場所への憧れは大学時代を経てより強くなり、東京に住み働くということにこだわっていた。でも応援するのは札幌以外にないと思っていて、それがなぜなのかはわからなかった。東京への憧れが地元への郷愁の裏返しだったのだろうか。だとすれば、自分というのは酷く不器用な人間だなあ。

まあ、札幌が好きだからとはいっても、必ずしもみんな札幌の土地にすべてを捧げるというわけではない、ということだ。これって自分のエゴが強すぎるだけなのかなあ。


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23:38

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CONSAISM clasics #8

2008年01月08日

年が明けても淡々と粛々と。おみくじにもそう書いてあったので。
そんなわけでclasics #8です。
今回のテーマは地方出身首都圏在住なら必ず言われる
「いつ田舎に帰るの?」
という質問から始まる話。
地元が必ずその人にとって住みやすい、というわけではないのにねえ。


大学入学と同時に一人暮らしをはじめてから、早いものでもう6年目を迎えようとしています。
最初の頃は地元を離れて、しかも一人で生活するということが嬉しくてたまらなかった反面、不安の方が大きかったと思います。それも今では過去のこと、自由に行動できる一人暮らしの楽しさやおもしろさをしっかりと身につけてしまって暮らしています。
その中で僕は本格的にサッカーにのめり込んでいったのですが、それも一人暮らしだったという要因が大きかったのだろうと思います。おそらく誰かと一緒の部屋だったなら、その人に気兼ねをしてしまって近郊の試合に行くだけになったかもしれません。なので、今こうしてアウェイ中心に応援しているということと今の生活とは大きな関わりがあると思っています。

ですが、特に最近会社の中や学校の同期との会話の中で「いつか地元に帰るの?」という言葉を良く聴くようになってきました。それに影響されてか、最近自分がこれからどこでどう過ごしていくのか、なんて事を思うときがあります。
昔は死ぬまで地元には帰らない、ふるさとは遠きにありて思うものだなんて考えていましたが、最近はあと何年かしてきっかけがあれば札幌に戻っても良いかな、なんて思うときがあります。そうして考えている中でやはりサッカーの事が引っかかることがあります。
首都圏と地方都市ではサッカーを直に見るという機会が格段に違い、こっちにいるとシーズン中には毎週どこかでサッカーの試合があり、そこで様々なボールの動きを追うことができます。いくらテレビがあると入っても、やはり現場でサッカーを見るというあの雰囲気には独特なものがあり、引きつけられてしまうのです。
もうひとつ、今のアウェイの応援の雰囲気が自分にとってはとても大切なものになっているということがあります。初めて行った97年開幕の水戸から、わずかな力ではあるけれども応援する仲間を増やし、どこにも負けないサポーターであるために頭と身体を振り絞ってここまで築きあげ、時にはホームチームのゴール裏を凌駕するほどの人数と応援をできるまでにしてきた仲間や応援は何者にも代え難いものなのです。まだまだ良い応援ができる、まだ変えなければならないものがたくさんあり、それにチームが応えてくれることが今まで僕がアウェイの応援を続けてきた理由です。
しかし、社会人として働いていく上では今までのような応援ができなくなる可能性だってあります。たとえば海外に行ってしまったり、試合の日に休むことのできないような仕事に就くこともあるかもしれないし、現にそういう方がおられるかと思います。そしてう中でも札幌を何らかの形で応援されている方々を素直に尊敬しています。逆に、札幌を応援するために仕事の方を変えられたりされた方もいらっしゃることでしょう。そういう方々もすごい行動力だな、と思っています。
僕自身もそういう可能性がないわけではないのですが、今は後悔しないように自分にできることを、より強い、負けない応援を作り上げて行こうと思っています。そして、このアウェイの雰囲気をより良いものに、サポーターそれぞれが個性を持ちながらも気持ちを一つにできるものを作っていきたいと思っています。今できることはそれだと思っていますし、もし自分がゴール裏に関わることができなくなったとしても何らかの形で札幌を応援していきたいと思っています。どこでも札幌の応援はできるのです。現場でも、TVでも、ネットでも、それは方法が異なりこそすれ応援であることには間違いないのです。
 
そして、今週の土曜日にそんなアウェイのつながりを感じることのできる、一つのイベントがあります。毎年アウェイのサポーターが集まって新年会(というか決起集会)を、土曜日担当の渡辺さんが中心となって行われます。スタジアムで良く会う人にも、あまり話すことのできなかった人とも会える大切な集まりだと思っているので楽しみにしています。
ついでに楽しみをもう一つ。会の締めに、みんなでコンサドーレコールをするのですが、このとき参加する人みんなが心から楽しそうに、嬉しそうに大きな声で叫ぶのがすごく気持ちいいのです。ひょっとしたら、自分が毎年シーズンの始まりを感じるのはこのときかもしれません。


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23:10

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aftertalk #7

2008年01月07日

clasics #7をお届けしました。

前回まで自分の過去を告白するような話だったせいか、この回は比較的のんびりまったりな書き方。フットボールを離れたときの過ごし方について書いているけど、このころは本当にシーズンが終わったらすっぱり見なくなってた。今ではCATVやスカパー!で録画放送見たり海外リーグを見たりしているけど、この頃は地上波とBSアナログくらいしか見られなかったので当然のように週末はヒマになった。見るといったら天皇杯と高校サッカーの決勝くらい。あとは積極的に忘れようとしていた。なんというか、フットボールだけでは人間が狭くなってしまうというような恐怖感もあったし、とにかく会社で働くことにほとほと嫌気がさしていて休みの時ぐらいは仕事を忘れたいと思っていた。はじめてデジカメを買った頃で写真を撮るのが楽しくて、どこに行くにも持ち歩いてとにかく撮りまくっていた。もう当時のデータは残ってないけど。そのうちに「町歩き」というのがすごく好きになって(毎月「散歩の達人」とか買っちゃう感じ)、ひとりでMDウォークマン片手にどこかに行っては歩いて、移動中は本を読んで、みたいな週末が開幕まで続いた。まあ、そんな幸せな週末は03年開幕での大虐殺ですっかり崩れ落ちてしまったわけですが。

切り替え方はちょっと極端だったとは思っているけど、フットボール以外のものに触れることで自分を高めるというか人間的に深くさせるみたいな考えっていうのは間違ってはいないと思う。応援だけでなく、応援文化みたいなことに興味を持っていたし、それを深めるにはフットボール以外のこともいろいろと見たり読んだり聞いたりすることになるのは必然のことで、早晩フットボール以外のサブカルな方向に自分が転ぶような気もしてたし、現実になっちゃったので始末に負えない。そのくせ「酒井と平間をどのように使うのか」とか書いてるあたりに時代を感じさせるというか斜め上しか見ていない自分にがっくし来たりしますが気にしない方向で。

確かこの文章を書いた少し前に初詣も兼ねて鎌倉に行ったんだった。川崎から横須賀線に乗って本を読みながら向かって、富岡八幡宮にお参りした後江ノ電に乗って海岸まで。ひとりで砂浜を歩いているのは犬を散歩させてる地元の人とかを除けば自分だけで、あとはカップル、家族連れ、友人同士。着いたときには陽も傾きかけてきていて、静かに寄せてくる波を足下にしながら、あるいは堤防に座って砂浜を俯瞰しながら、砂の上に座りながらして長い時間を過ごした。少し先の突端をかすめて落ちていく夕陽が見たかったので、ひとりで待つことは寂しくはなかった。そのうちに子どもが無邪気に散らかしたような輝きが波間に満ちてきて、次第にそれは金色から赤みがかったオレンジ色に変わり、夕陽が4分の3ほど落ちた頃には空にブルーグレーの闇がカーテンを掛けようとしていた。それまで、ずっとなにも考えることなどできずに海と夕陽と人の群れを眺めていた。

ゆっくりと暮れていく景色の中に、あんなに長い間砂浜に佇んでいたのは、後にも先にもあの日だけだ。


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23:26

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CONSAISM clasics #7

2008年01月06日

年が明けても通常営業。clasics #7です。
タイミング良く、今回はオフシーズンの話。


社会人になって初めてのオフシーズン、僕は何をしているかというと特に何かにこだわることなく過ごしています。
サッカーだけにこだわらず過ごせるこの時期というのはとても大切なものだと思っていて、あえてサッカーから離れるというのが以前からの過ごし方になっています。
たとえばシーズン中にはお金を回せなかったものにお金を使う(CDとか本とか、その他いろいろなモノ)のも一つですし、サッカーの絡まない旅行なんかをするのも楽しみの一つです。おかげであまり遠征費をためて、というわけにはいきませんが。
そうして昨シーズンが終わってから一月以上が経ちますが、今年はいつもよりも外に出ているなぁ、という感じがします。学生時代は音楽を聴く(というか、金がないので借りるのですが)か本を読むかといったあまり金のかからない、インドア的なことが主流でしたが、今年は休みのたびに外出しては東京やその近辺を歩いて見ています。この前は築地から銀座、有楽町と歩いてみましたし、その前は鎌倉の寺を歩いて見て回ってきました。スタジアムだけではない、いろいろな街を見て歩くことで、シーズン中では目を向けることの出来なかった、というかサッカーでいっぱいだった頭では見ることのできなかったいろいろな風景を見るのが今の楽しみになっています。ちなみに今年は最近デジカメを購入したので(これもサッカーに金を使う時にはできなかったことです)、さらに「デジカメで気に入った風景を撮ってみる」というのが加わりました。

こうして今年僕がよく出歩くようになったのは、社会人になったのと無関係ではないような気がします。「毎日が日曜日」状態の学生から社会人になって基本的に休みが土日になり、「休みにいろいろ動かなければ、せっかくの休みだから損だ」と考えている所もあります。もう一つは、こうやってサッカーや日々の仕事から自分を大きく切り離してみることで、自分を再確認するというか、客観視するような意識を持っているところがあります。特にサッカーとの関わりで言うなら、野球選手がオフの時には一切ボールにさわらない、という話がありますがそんな感じでしょうか。例えすぎかもしれませんが。
 
こんな風にサッカーに出来るだけ触れない日々を過ごしていざシーズンになると、新鮮にサッカーに接することができます。サッカー以外ではないものによって刺激を受けた脳が、サッカーを見ることでさらにまた別の所を活性化させるような、そんなところがあります。そうしてまた新たに「ああ、やっぱりサッカーが好きなんだ」ということを再確認するための時間が現在の日々でもあります。そしてサッカー以外のモノに触れたことでいろいろと充実した状態でサッカーを見ることができると思っています。サッカーが自分にとってとても大切であるからこそ、できるだけ楽しんでいけるように充電する時間が今なのかもしれません。
 
でも、時たまサッカーや札幌のことを考えるときはあります。たとえば今年のスタメンを勝手に予想してみたり(酒井と平間をどのように使うのか、というのが今の自分の最大の関心事です)、札幌だけにとどまらず移籍選手の動向に一喜一憂してみたり、音楽を聴いていて「これ来シーズンの応援に使えないかな」などと思ったりします。そういうことを知らず知らずのうちに考えている自分に気がついて、思わず苦笑してしまうのですが。
 
自分が生活していく上でも、サッカーファンとしてあるためにも
大事なこの数ヶ月、もう少し楽しんでみるつもりです。
 


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20:34

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