カレンダー
プロフィール
1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。
最新のエントリー
リンク集
検索
2008年01月09日
clasics #8をお届けしました。 ほんとうに良く言われた。「いつ田舎に帰るの?」と。 そのたびにはぐらかしたり困ったりして、なぜか田舎に帰らないということが悪いことのように思えてしまったこともあるけど、この言葉を自分に言ってきた人たちはそういえばだほとんど首都圏出身の人たちだった。 そもそも道外の大学に行く、という考えは子どもの頃から薄かった。大学付属の中学校から地区一番の進学校に行き、北大を受けるものだとばかり思っていた(そして、そう親にも言ってた)。その考えが揺らぎ始めたのはまず転勤によっていろいろと学校を変わり、考えていた附属中学校には行けなかったこと。ふつうの中学校で勉強していたときに、数学の出来があまりにも悪すぎて受験で数学を必要とする北大には行けそうもないんじゃないだろうか、ひょっとしたら私立文系まっしぐらの人生なんじゃないだろうかと思ったこと。高校でそれが現実になったのと同時に、このまま道内でずっと生きていくのはもったいないと思うようになって、道外の国公立大学で文系で試験科目に数学がないか、もしくは劇的に少ないところを選んだ。親元から離れて一人暮らしをしたいというのもあった。で、そこにコンサドーレの介在する余地は存在しなかった。応援ならアウェイでもできる。今必要なのは、これからの人生のための経験だ、と思って。 本音を言うと、死ぬまであっちで働いて暮らして死ぬつもりだった。いくら自分が北海道の人間だからといって、北海道が暮らすのにベストな土地だと思えなかった人間だっている。それが自分だっただけだ。「ふるさとは遠くにありて思うもの」であれば、それで良かった。だから仕事を辞めて札幌に帰って来たとき思ったのは「帰ってきたなあ」ではなくて「帰ってきてしまった」という悲しさのほうが強かった。そして今でも首都圏のほうが暮らしやすかったと思っているし、いつか戻りたいと思っている。だからといって、地元に帰って仕事をしたいと思ってる人や、コンサドーレのために札幌に移住した人のことを責めるだとかそういう気持ちは全くない。逆に、そういう人たちに自分が抱くのは敬意だ。 なぜこんなに首都圏にこだわるのかというのも、「東京」に住んだことがないまま札幌に戻ってしまったからかもしれない。最初は横須賀に限りなく近い横浜で、その次は近くの多摩川を渡ればすぐ東京に行けるほどの川崎だったので、「東京に近づいている!」というワクワク感もあったのかもしれない。は高校時代に芽生えた「東京」という場所への憧れは大学時代を経てより強くなり、東京に住み働くということにこだわっていた。でも応援するのは札幌以外にないと思っていて、それがなぜなのかはわからなかった。東京への憧れが地元への郷愁の裏返しだったのだろうか。だとすれば、自分というのは酷く不器用な人間だなあ。 まあ、札幌が好きだからとはいっても、必ずしもみんな札幌の土地にすべてを捧げるというわけではない、ということだ。これって自分のエゴが強すぎるだけなのかなあ。
カレンダー
プロフィール
1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。
最新のエントリー
リンク集
検索