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2007年12月28日

aftertalk #6

clasics #6をお届けしました。

これ書いてた時は社会人1年目だったのかと今更ながらにびっくりして、そして文章の青さにまた今更ながらにびっくりした。青臭いのは変わってないのかもしれないけど。そしてここで書いた内容については、自分の考えは今でも変わっていない。

結果と過程どっちが大事かっていうのをテーマにして書いているけど、どちらが重要かなんてのはその都度変わるものだよなあと思う。企業活動の中でも、新規に何かを立ち上げるときは過程を経験として蓄積することが大事だろうし、そのあとに結果を求める時がくる、ということもある。もちろんその逆もある。自分と自分の周囲が置かれている立場によってころころ変わる、その中でバランスをとっていくのが大事だし、結果ばかりを求められて生きていくのはしんどい。かといって過程だけを評価されるのも寂しい。大きく言ってしまえば人間のサガみたいなものなんだろうか。

論理と非論理の話だって、岡田さんも三浦さんもリアリズム重視の戦術ではあったけれど、その人間像からかいま見える中身を覗いてみればそれ以上に夢追い人というか理想像があって、そういうものを追い続けていられるからこそフットボールは面白いんだと思う。プレーの中でも論理的なものがあるし、センスという呼び方でしか言い表すことのできないプレーもある。それが良い。仕事で巻き込まれる非論理はごめんだけど。

こういうことを考えいる自分は良く言えば論理的で、悪く言えば理屈っぽいなあと思う。昔からそうだったし、今も未来においても変わることはないんだろうとも思う。だいたいのことが論理で片がつくと思っていたし、片をつけてきた。論理がなければ意味はないと思ってずっとやってきた。でもそれは言語的な「論理」の話で、肉体的行動や、瞬間的なものにも「論理」があると気づかされたのはフットボールを生で見始めてからのことだ。感情を表すという「論理」も、自分には長いことピンと来なかった。人間はシナプスから流れる微少なプラスとマイナスの電流で生きるデジタルな生き物だと知ったときに、ある程度そういうのは理解できるようになったと同時に、感情を表に出すのはそういう論理的でデジタルな思考回路を表現しているひとつの方法なんだと思うようになった。どうしてそういう表現になるのか、と戸惑ったこともあったけど。

なんて考える自分は、相当に理屈っぽい人間なんだなあ。

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2007年12月27日

CONSAISM clasics #6

年の瀬ですが第6回。今回は当時の仕事から「結果と過程」の話。


今ではどこの会社でも珍しくないと思いますが、僕の勤める会社にも能力評価制度があります。一定の期間ごとに個人の目標と部署の目標を定め、達成したかしていないかという判断を元に給与が決まる、というやつです。
僕自身も新入社員ではありますが一応この制度の対象ではあるわけで、個人の目標や売上目標をシートに記入し、評価を行いました。

その評価の席でのこと。
僕と上司の二人で評価を見ているときには、上司は
「おまえの立てた目標は〇〇で、これは達成していないな?」
「はい」
「それじゃ、未達成だな」
でも、と言いかけた僕を制して上司は一言。
「過程がどうあろうと、出来ていないものは出来ていない。おまえがいくら頑張ったとしても、未達成は未達成だ」
企業は利潤を追求する以上、結果をまず第一に求めるのは当たり前の事ですが、この事実を改めて実感した出来事でした。
 
会社から帰ってきて、それではサッカーはどうだろうか、とふと思いました。
結果か過程か、どちらかを重視するのは人それぞれの観戦姿勢によりますが、僕は負けたからと言ってそれだけを理由に怒る事はないし、勝ったからといって内容がひどい場合はすっきりした気持ちで帰れない事もあります。それでもどちらかを選ぶならば、やや「結果」に傾くかもしれません。今年の札幌はまず勝ち点をとって残留する、という至上命題があったということもあるのですが。
それでもサッカーというものは、ゼロか1かというデジタルな割り切り方では決して語ることの出来ないものだと思います。そこにはデジタルでは決して表現できないアナログ的な過程や要素が必ず関わっているし、そもそもサッカーがそういった論理で割り切れるのであればサポートの意味なんて全くの無用なのですから。
 
たとえば選手がパスを出すとします。右に出すか左に蹴るか後ろに戻すかそれとも思い切って前線に放り込むか、といった選択は、ボールを出す方向という意味においてはデジタルで論理的な選択の結果ですし、そのボールの動きは論理の重なりであるからつまりはその最終目的地、すなわちゴールは結果であると言うことも出来ます。しかし、そこに至るまでにはボールの動きという本質の他に芝の長さや風向きや観客の歓声、その時にゴール裏で歌われている歌の種類や諸々のものが入り交じった「雰囲気」によって動くものであると思います。さらに言うならば、先ほど述べた「ボールの動き」だって、トラップの場所と角度やボールを蹴る足の位置、他の選手の動き、パススピードに判断力、すべてが一人の選手の足下から分岐するのであって、非論理である要素も十分併せ持っていると思います。
つまりサッカーは論理と非論理のごちゃ混ぜの世界であり、そこには無限の過程と結果があるということです。そして、その過程と結果のバランスの判断は個人の裁量にまかされていて、それこそがサッカーの魅力なのだと思っています。
 
そして、僕が今結果を求める企業社会の一員として曲がりなりにもいる以上、僕は結果や論理と同じくらい、過程や非論理にもこだわっていたいのです。結果と論理だけの社会の中で生活するのはとても息苦しいでしょうし、つまらないでしょう。けれども、サッカーにはそれをうち破るほどの過程と非論理が存在し、それは再び結果という事実になって自分に帰ってくる。そんな堂々巡りに惑わされることがどうしようもなく楽しくて、僕はこれからもサッカーを見て、札幌を応援して、ほんのわずかでもスタジアムでの一存在としてありたいと、そう思うのです。
 
 

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2007年12月26日

aftertalk #5

clasics #5をお届けしました。

「残留できるなら死んでもいい」って言葉は今思い返すとすごいよなあ。
結局降格したから生きてて良かったね、と友人にからかわれたのも今となっては思い出。生きてて良かったかどうかはまだわからないけど。
この回で書いたことはいちばんの若気の至り、かつ自分の情けなさをいちばん表しているエピソードだと思う。このダンマクを書いた時点で、自分は恐怖から逃げ出したのだろうし、弱さを露呈してしまっている。狂気に100%染まってしまうことはなにも良い結果を生み出さない。そして無用な諍いをして、降格した。
当時のアウェイサポーターとホームのサポーターはぎくしゃくした関係で、それは東芝移転というのもいくらか関係していたし、互いの住む土地との距離感にもとまどっていた。その小さな歯車の狂いが降格が近づくにつれてどんどん大きくなり、試合開始前に話し合いというか、アウェイ側から「もうお前達とはやっていけない」みたいなことを言い出してしまった。何もせっぱ詰まった博多の森でやることではなかったのに。結局その場は解決策もないまま(いきなり怒ったり怒られたりしてるんだから解決策なんてとりようがなかったろうし)試合に臨んでしまって、みんな声だけは出しているけど気持ちはバラバラ、みたいなことになってしまった。そんな状況じゃ、「残留できるなら死んでもいい」なんて言葉はなんの意味も持たない、過剰な自己満足でしかなかったと思っている。そしてその「ホーム-アウェイ問題」が解決を見るのは2000年頃になってから。勝つことが最大の薬だった、ということだ。

結局このダンマクは処分に迷って、結局正月に神社のどんど焼きに出して燃やした。こういうふうに処分していいのかどうかわからなかったけど、土の中に埋めるのも保管するのもどうかと思ったし、処分するにしてもゴミに出してしまうのはどうだろうとも思った。燃えるダンマクを見ながらずっと手を合わせていたけど、あの時の自分は何に対して祈っていたんだろう。悲しみや絶望も一緒に燃やしてしまいたいと思ったのだろうか、あるいはそういうものから逃げたかっただけなのだろうか。どちらにせよ、今でもこのチームを応援しているのはあのときの贖罪の気持ちが(年々薄れていくにせよ)少しでも含まれているからだろう。このチームに幾度も心を救われたという感謝と、あの時支えることのできなかった自分の無力に対する贖罪。自分の応援する気持ちというのは、そういったもので構成されているのかもしれない。

あれ以来、ダンマクを手書きしたのは一枚だけだ。

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2007年12月25日

CONSAISM clasics #5

クリスマスも気にしない(ように必死で目をそらせつつ)、「classics」第5回です。


室蘭で神戸に破れ、いよいよ降格の危機が目の前に立ちはだかってきました。それから博多の森へ行くまでの僕は今まで経験したことのない緊張と不安にとりつかれていました。
たかがサッカーじゃないか。おまえはついこの間、室蘭に行かないでひたすら図書館にこもっていたじゃないか。今まで通りに生活しろよ、「割り切って」。
そういう考え方で今までやってきたんだろう?
そう自分をいさめようとしましたが、感情の流れはとどまるところを知らず、何か自分に大きな重圧がかかっているようなそんな気持ちでした。「降格は悪」「降格は屈辱」「負けることが怖い」と、初めて強く思いました。
そして僕は横断幕を作るための一枚の長い布とスプレー缶を買い、博多へ向かいました。
 
あの日の自分は狂気がとりついていた、と思うことがあります。
福岡サポーターを片っ端から睨み、必要もなく仲間と応援で口論し、試合が始まったらただひたすらに歌い、跳び、叫び、吠え、どんなことが起こったのかも具体的に覚えていないくらい。
そしてあの日生まれて初めて作った横断幕の言葉は
 
「残留できるなら死んでもいい」。
 
あの日の自分の気持ちを思い起こしてみて、本当に自分はあの恐怖や屈辱と真っ正面から戦っていたのだろうかと思うことがあります。あんな感情になったのは、そんな恐怖の気持ちを無理にでも薄め、狂気に身を投じた自分に酔い、目の前の現実から必死で目を逸らすために、ただ自分が不安や恐怖を味わわずにとった行為ではないだろうかと。
そしてそれは正しいのだと思うのです。
なぜなら、僕は「12.8」に、室蘭にいなかった。
 
何をしていたかというと、神戸戦の時と同じように大学にいて、同じように図書館にこもっていました。そして携帯電話で結果を知り、結果を知ったあとすぐに勉強に戻っていました。これもまた一つの「逃げ」の行為であったと思うのです。
行ける範囲で試合は応援に行った。残留を信じて声を上げた。神戸にも、博多にも行った。横断幕も作った。しかしそれは室蘭に行かなかったという事実の前には何も意味を持たないものになりました。一つの「終わり」を、その義務がありながら最後まで見届けなかった、見届けることに耐えられず最後に逃げ出したのですから。 あとになってこの日々を思い返したとき、あのときの自分の気持ちに初めて気がついたときに僕は激しく後悔しました。最後の最後まで見届けなかった自分を嫌いました。いっそのことサポーターなんてやめてしまおうかとも思いました。
それでも僕がこうしてゴール裏に立っているのは、それでもこのチームが好きで、札幌が好きで、もう二度と裏切るようなことをしたくないという思いと、サポーターであることをやめることで自分自身にも負けてしまうような気持ちがしているからです。
あのときのような危機が訪れたときには、今度こそは何があっても最後まで見届けたい。そして自分の声で少しでも危機を乗り越える助けになりたい。そうすることが、今まで自分を支えてきた札幌というチームに自分が出来ることだと思うのです。
だからといって自分のスタンスの根底である「生活とサッカーの割り切り」というものを変えることはないと思っています。学生から社会人になった今、このスタンスはより重要になったと思っていますし、もしあのときのような危機が訪れても、両立させることが出来ると思っています。
そしてあのときのような悲しみや絶望が訪れないように、ゴール裏に行ったときには出来る限りのサポートをするのです。自分の内にある弱さや怯えの心に勝つように、そして札幌が勝つように。

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2007年12月21日

aftertalk#4

classics#4をお届けしました。

割り切ろう割り切ろうと考えてきたこの頃になっても、割り切ることのできなかったとある話。そしてそれは今でも割り切ることができていない。割り切らなくていいのかもしれない。フットボールのいくぶんかはそういった忘れられないことでできている、とも思っているから。

98年開幕から入れ替え戦までの話の流れを書いているんだけど、いま思い出してみると浮かれていたなあ、というのが最初に感想として出てくる。それでも開幕戦、日本平での興奮は覚えている。具体的に言うと、できあがったばかりのビッグフラッグ(の真ん中部分だけ)を運び込んで、ゴール裏で広げたときの「おおっ」というどよめき、普通にエスパルスのレプリカを来て座っていた人が「こうやって端っこをピンと張らないと見栄えが悪いから」と言って手伝ってくれたこと、はちきれそうなくらいの誇らしい気持ち。そしてそれが砕かれそうになった気持ち。
やっぱり勝てなかったからか、悔しいことばっかりだったなあ。
京都に負けてトラメガ地面に叩きつけて壊したりとかあったけど、そういうのは若かったからなのかなあ。あのあと秋葉原に買い直しに行って損したのは自分自身だったって思い知ったし(特に金銭面で)。
入れ替え戦に向かうときにまだ「安心感」があった、というのも読み返してみるとなに楽観視してやがるんだって過去の自分に怒りたくもなるし、人数の割に声が出ていないなんて書いているところに自分のことを差し置いて他人に責任をなすりつけているような嫌な気持ちもするけど、たぶんあの時は「恐怖感」を「安心感」に無理矢理上書きして(もしくはごまかして)試合に向かっていたんだろう。恐怖心と正面から向き合うような気持ちはまだ持ち合わせていなかった。今の自分にもそういうところがあるし、解決しなければならない大きな人生の問題なんだろうけど、まだ2002年の時のほうがそういう恐怖と向き合う気持ちを持っていたような気がする。
どこかで「なんとかなるだろう」という正体不明の安心感を引きずり出してきてそれにすがってしまったり、他人に自分の安心感を求めてしまったりするということが自分の人生の中において絶えずどこかにあって、そしてそれは今でも自分のどこかに巣を張っている。実際に「なんとかなってしまった」という経験がなまじあるがゆえに、そこから抜け出すことができない自分というのも感じている。やりきったからこその気持ちではない、やりきれなかったからこその依存心。自分の心の醜さをどこかで感じるのはいつも今でも同じことだ。きょうのテレビで見た三浦監督の潔さ、なにかを成し遂げた表情の素晴らしさといったら!

「過去に生きてはいけない、今何ができるのかというのが大事」と三浦監督が語る姿を今日のテレビで見ていると、今自分自身が書いているこの文章も、ものすごく後ろ向きで情けないことに思えてきた。ひょっとしたら今の自分は「アーカイブする」という「安心感」に、またもやすがっているのかもしれない。

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2007年12月20日

CONSAISM clasics #4

続いて第4回。
今でも悔やんでいる、とあるお話の始まりです。


ここまで3回、僕は「サッカーと生活の割り切り」について書いてきました。それはつまり、勉強や仕事といった日常生活に出来るだけ負担をかけず、どんなふうに札幌を応援してきたのか、そして試合の時にはひたすらに応援をしていく、そういうことを書いてきたつもりです。
しかし、今回書く話はそういったテーマではなく、むしろ相反する話です。
多くの人が記憶に残しているであろう「1998・12・5」にまつわる僕自身の心の動きと、そこで得たものを書いていきたいと思います。
 
前年、圧倒的な力でJFLに優勝し、僕自身は「残留できるだろう」という漠然とした安心感を持っていました。ウーゴ・マラドーナとバルデス、吉原を軸とした攻撃陣は抜群の破壊力を誇り、片やペレイラ・ディドの守備も安定していた前年を見る限り大崩れをすることは、普通に試合をすればまずないだろうと思っていました。しかし、その甘い考えは開幕戦の日本平で簡単に砕かれました。バルデスの先制点に驚喜した以降、札幌が得点することはなく逆に失点を繰り返し、1対4の敗退。トップリーグのチームの力という物を目の当たりにさせられました。
ただ、それでも「残留ぐらい大丈夫だ」という考えは捨てませんでした。横浜マリノス、磐田といった上位チームに大敗はしましたが、中位、下位チームとはしぶとい勝負が出来ていると思っていたからです。それでも試合では勝利する事が出来ず、歯がゆい思いをしました。Vゴール取り消しの柏戦、延長負けの名古屋戦、前半2点リードながら後半4失点の京都戦・・・。「何で勝てないんだ!」と憤りながらも自分の気持ちというか、前述の「漠然とした安心感」は変わりませんでした。
「まだ大丈夫、これだけの内容なら残留は出来る」と。

そうして迎えたセカンドステージ、札幌はカウンター戦術がはまり勝ち星を挙げるようになっていきました。いくら攻められても守り抜いて決定力のあるカウンター一発。この戦術で勝ってゆくにつれ、「安心感」は増していきました。特に後半の対ヴェルディ、対市原戦での勝利はアウェイを中心として応援してきた僕にはたまらない勝利でした。そのころには参入決定戦に回ることが確定的になっていたにもかかわらず。
いま考えると、気持ちの中では目先の勝利ばかりを求めることに夢中で、そうやって参入決定戦のことを考える冷静さや、不安感からあえて目をそらす「逃げ」の気持ちがあったんじゃないかと思います。2部に落ちるという恐怖感を克服することよりも、目先の勝利を求めることで漠然とした安心感を手に入れる気持ちが勝っていた、そんな気がします。
 
そんな気持ちの中迎えた神戸との参入決定戦。僕の中ではまだ「安心感」が支配していました。相手は神戸で、2戦2勝で、終盤には調子が上がってきている。だから大丈夫だろう、と。
けれども、試合が始まるとその気持ちにいつもと違う雰囲気が混ざっていることに気がつきました。いくら応援していても何か届かないような、声が萎縮してしまうようなそんな気持ち。実際、あれだけのサポーターがきていたはずなのに、人数ほどには声が出ていない気がしました。結局神戸での試合は敗れ、室蘭での試合に逆転を託すこととなった訳ですが、僕自身は室蘭には行きませんでした。まだどこかに「何とかなるだろう」という安心感にすがって、現実を見切れていなかったのです。
そうして室蘭には行かない事を決め、僕は大学での勉強に戻る事にしました。つまり今までと同じように「割り切った」わけです。 しかし、そうして生活していくうちに何かがいつもと違う感じを覚えました。割り切ることだけではない何か。衝動のような不安のような混乱した感情が僕の中にわき出しました。そうした気持ちを抱えながら僕は学生生活を送りました。
 
そして、ようやくその感情に気がついて、恐怖し、後悔し、僕が今こうして応援していることの礎となる気持ちを経験するのは、室蘭で神戸に破れ、博多での福岡戦を迎える時になります。

posted by retreat |23:43 | classics | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年12月19日

aftertalk#3

はい、「classics」第3回でした。

昔も今もあまりカネのない生活をしてるんだけど、学生時代っていうのはいちばん「カネがなくても幸せ」な時期なんだろうなと思う。一度就職してそこそこの給料をもらうと、いざそこからドロップアウトしたときにカネのなさを身に染みてわかってしまうわけで。
「サッカーファン版エンゲル係数」の話は、その後小田嶋隆さんが「ギド係数」という言葉で書いていた。うちならばさしずめ「コンサ指数」とでも言うところだろうか。総収入におけるフットボール関係の支出が占める割合。月の総収入の半分くらいがフットボール関係(遠征費やらチケット代やら)で占められていたこともあったっけ。それでも必然的に遠征手段はできるだけ安い方法になってしまうわけで、とにかく学割や18きっぷは必須。というか当たり前だった。「ムーンライトながら」は何回乗ったかわからない。もう乗りたくないと思うくらい。

遠征でいちばんきつかったは97年のアウェー山形。1-4でさんざんに負けて怒って、そのあと天童のバスターミナルまで移動して(たぶん歩いたんじゃなかったか)やっと乗り込んだ夜行バスは普通の観光バス4列シートで、新宿に着くまでろくに眠れなかった。00年真夏の新潟(最高37℃という狂った気温)も、乗り込んだ「ムーンライトえちご」の空調が壊れてぽたぽた落ちる水を見ながら帰った。そんな金のかからない遠征ばっかりしていたこともあって、社会人になってから乗った新幹線には感動した。あれだけ時間をかけて移動してたところまで、3時間とかそこらで移動できるなんて!って。自由にできるお金が増えたぶん、衝動的に見に行ったりして。
たとえば「『日曜日だけど、近場で試合がなくて暇だから』という理由で新幹線に乗ってJ2を見に行く」っていう文があるけど、これは川崎サポーターの知人と飲んでいるときに「明日仙台行かない?」と誘われ、「応援研修」と称して新幹線に乗って仙台に行ったときのエピソード。睡眠時間3時間かそこらで始発の東北新幹線に乗り、仙台の知人にチケットまで用意してもらいコアゾーンで応援、帰りの新幹線は東京までデッキ座りっぱなし、みたいな強行軍。札幌の試合がない日に他チームの応援を勉強することは何度かあった。ナビスコで清水サポの端っこに混じったり、川崎のGゾーン行ったり、もっと昔なら平塚で神戸の応援(矢野マイケルとかいたころ)行ったりして応援のテンポやバランス、タイミングを勉強させてもらってたり。「他チームの応援するなんて何事だ!札幌サポの風上にも置けない!」と怒る人もいそうだけどまあ時効ということで。

もうひとつ、「余裕の持てる移動が出来るのだからその分もっと応援そのものに力をそそぎ込めるはずだ」なんて書いているけど、いちばん充実していたのはいちばん金のなかった学生時代なのかもなあ、と思う。移動していた時間すら楽しかったし、社会人以降は行きも帰りも疲れていた記憶のほうが多い。それでも苦にならなかったのは、旅をするということが昔から好きだったり(中標津に住んでいた小学生の頃、釧路まで通院するのに標津線を使っていたときから「鉄」な人間だ)、小説をみっちり読み込めることができたり(本格的に小説にのめり込んだのは大学生になってからだ)、ときには旅の時間を共にしてくれる友人がいたりしたからだ。今になっても、そういう人たちに恩を返せるような人間になれてないなあ。

あと前回からの流れでもあるんだけど、本当にこのときは応援と実生活を割り切ろう割り切ろうと必死に考えていたんだなあとつくづく思う。それだけ会社が嫌だったということなんだろう。正直、このころから夜眠れなくなったりしたし。そんなわけで私生活では泥沼の気配になりつつあったのでした。

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2007年12月18日

CONSAISM classics #3

日付変わっちゃった。
第3回目の「classics」、今回は金銭感覚の話です。
すでにこのあたりからフットボールとかけ離れた話をし出してる気が……。


学生さんは金がない、というのはコンサのスポンサーのライバル会社のキャッチコピーですが、ご多分に漏れず僕自身もそれなりな貧乏学生生活を送っていました。ただ原因のほとんどはおそらく「遠征貧乏」だったのですが。

学生時代の毎月の生活といえば、奨学金と仕送りとバイト代で入るお金は公共料金やら専門書代やらを払ってしまえば結構吹き飛んでしまうので、それから残った金を二つに割って片方は生活費、もう片方はサッカーを見るための交通費やチケット代というふうにに充てていました。もし「サッカーファン版エンゲル係数」があれば、4年間毎月半分以上はサッカーの為につぎ込んでいたわけで、学生としては結構いいセンいっていたんじゃないかと思う事もあります。
そうして毎月暮らしていく中では、かなり遠くのアウェーを見に行くこともあり、そんな月はもっとエンゲル係数が上昇してしまい生活費にサッカー関連費が大きく食い込んでしまう事がかなりありました。あまりにお金がかかって「今回見に行くと、あと一週間は一日一食の生活」なんていう状況が見えるときはさすがに行きませんでしたが。
でも、それでもなんとかやりくりすれば行けるかな、という感じの時は迷わず節約モードに移行し、一日500円とか300円とか予算を決めてやりくりをしていました。もちろんこの予算は「一日で使うすべての金額」で、一日の食費、煙草や酒の嗜好品、図書館で使うコピー代まで含まれています。ゼミの発表とこの緊縮財政が重なると、このコピー代だけで一日の予算を食いつぶしてしまうこともあったりして結構きつかったのを思い出します。

そんな生活を4年間ほぼずっと続けてきて、いざ自分の頭と身体で生活すべての金を稼ぐ社会人生活に入り初めてもらった給料というのは僕にとってはかなり大きい額で、正直使い道に戸惑ったりしました。さらにそのお金で遠征に行くと、学生時代全く乗らなかった新幹線のチケットを買う事もあって、ああ自分も新幹線に乗るくらいの給料をもらっているんだと大げさに思ったりしました。
実際社会に出るようになって自分の自由になる金額というのはかなり広がりました。遠くの試合も行けるようになったし、見に行くサッカーの試合も増えました。時には「日曜日だけど、近場で試合がなくて暇だから」という理由で新幹線に乗ってJ2を見に行くなんて言う突飛な行動もしたりしました。

ただ、それで札幌につぎ込む金額は増えたかというと実はそれほど増えていません。交通費などの間接的な費用は確かに増えましたが、直接的に何かグッズを買ったり、というような事はあまりないような気がします。僕自身が昔からグッズをあまり買わない性分だった、というのもありますが、根底には「金を出すより声を出す方がずっと大事」という思いがあります。お金がなかった学生時代、とにかく行ける限り試合に行って声を出して応援するという気持ちがそのまま今でも自分の応援につながっているのかもしれません。また、普通列車や夜行バスといったかなり体力を使う移動手段で遠征するのに比べて、今はそれなりに余裕の持てる移動が出来るのだからその分もっと応援そのものに力をそそぎ込めるはずだ、という思いもあります。ただ、他の人のようにお金も声も出す人をみるとその気持ちがぐらつくこともあるのですが。
 
たしかに社会人になってお金が増えて、サッカーも見る機会が増えたのは事実ですが、変わったのはそういうお金の使い方だけなんじゃないかと思います。根底に流れているのはやはり「現場第一」の気持ちですし、それはこれからも変わらないんじゃないかと思います。さらに、社会人になってより「(サッカー以外の)日常生活」に置く比重というのは増えているわけで、そういう社会の複雑さというか猥雑さのようなものが大きくなったからこそ、割り切るときは割り切って、試合の時はシンプルに自らの声だけで勝負すると言うことはすごく大事なことなんじゃないのか、と考えています。
 
さて、ここまでは僕が「どのように生活とサッカーを考えているか」という事について話を進めさせていただきましたが、次回はそういう「割り切り」では自分の中で語ることの出来ない、ある一つの過去の話をしていきたいと思います。

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2007年12月14日

aftertalk#2

そんなわけで、aftertalk第2回でした。

このころは社会人1年目の年も暮れようとしていた時期で、自分が思い描いていた社会人像と実際の自分の姿がかけ離れていることに悩んで近づこうとしたり、自分自身のスタイルはどこにあるのかと考えたりもして難しい一年だったなあという記憶がある。チームも残留を果たしたけれど岡田監督退任というショックがあり、来シーズンに関しては必ずしも100%ハッピーな想像ができていなかったころ。

で、この回では前回に引き続いて「自分とフットボールの関わり方」ということで話を続けている。学生から社会人になって生活と生きるスピード(大げさだけど)が変わり、そこらへんの線引きや割り切り方に苦労していた頃。そういうふうにフットボールと生活をわざと乖離させて考えようとしていたことが間違っていたのかもしれない。「平日=仕事の日、だから応援には行かない」なんて書いているあたり、ガチガチに堅い頭の人間だなあ。平日じゃないところでも働いている人たちがいるからこそ社会は回っている、ということを思いっきり無視しているというか、明らかに見下しているよなあ。と、自分の青さを恥じてしまう。そういう上から目線を持っていたにもかかわらず会社で働くということを猛烈につまらなく感じていて、このつまらない会社社会と楽しいゴール裏の世界がどこかで繋がっていて、フットボールも生活もすべて地続きだということを信じたくなかった。それでもミスで落ち込んだ気持ちなんかはゴール裏に持ち込まないようにしたし、コールリーダーをやっていたから余計にそういう所は見せないようにしようと強がっていた(と思いこんで、「コールリーダーとしての自分の姿」にすがりついて生きていた)。そんな矛盾がいずれ自己の破綻を生む原因になったのだけど、それは後の話。

もうひとつ、この頃に考えていたのは「ストレス解消の応援はしない」ということ。いち観客として試合を見に行く(他のチームとかリーグとか)のは趣味というかストレス解消になることはあるけど、札幌の応援をするときだけはそんなことを思っちゃいけないというスタンスだった。声を出すのも跳ぶのもチームのため、応援のすべてにおいて自分にも他人にも甘えは許さないというある意味思想的に極端で強制的でヤバい(苦笑)考え方をしていたんだなあと思う。この頃ってそういう自意識の水槽の中に自分で自分を縛ったまま勝手に落ちて溺れていたようなもので、ふとしたことで思い出して「あのときは人間としてマズかった」と落ち込んだりすることもあるけど、わたしは元気です。何この自己批判。

まあ、今はもうちょっとそのあたりをゆるく考えられるようになったというか、「『興行』としてのフットボールを楽しむという人を否定しない」という気持ちにはなっている。「楽しむ気持ち」をそれなりに持っていないと応援は続けられないし、続いたとしても唐突に冷めたり壊れたりしてしまうのだろうと思う。「ゆるい部分を持ちながら続ける」というのが今の自分のスタンスだ。それは意識の変化なのか、大人になったとういうことなのか、老成ということなのかはまだわからないけど。

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2007年12月13日

CONSAISM classics #2

引き続いて第2回目の「classics」。
自己紹介というか「学生と社会人の違い」な話が続きます。


さて、この春に大学を卒業し、晴れて社会人となった僕がぶつかったのはその流れの激しさでした。
いままではたまに授業に出て、ゆっくりレポートを書いて、卒論を書いて、サッカーについて考える時間なんて本当に余るほどあったのですがそんな時間はどこかへ吹き飛んでしまったような生活の激変を感じました。
一つの仕事を成し遂げるためには何より早く正確に物事を決断し、処理を行うことが肝要なのですが、最初の頃はそれについていく事が出来ずにひどく苦労しましたし、うまく覚えて仕事を自分の物とする事の出来ない自分に腹が立ってしょうがないこともありました。そしてそれはおそらく応援することにも影響を及ぼしていました。先制されたり、不利になったりすると気が焦ってしまってその結果応援は激しくはなるものの空回りという事態に陥り、それでも流れを変えたりすることは出来なくて空回りしていることを自覚できずに悪循環にはまりこむということが何回がありました。一言で言うと「いっぱいいっぱい」というやつです。仕事においても応援においても、自分自身に余裕のない状態がしばらくの間続いていました。
そんな状況が続いていると、さすがに自分のリズム、というか生活の所々でリラックスするすべを感じ取ることが出来るようになってきました。というか、生活のリズムを自分の状況に応じて変えることが出来るようになった、という方が正しいのかもしれませんが。
その方法の一つとして、今まで線を引いてきた仕事(勉強)とサッカーの割り切りをもっと強くする、ということがあります。つまり、札幌の試合を見に行けない時は割り切って自分の身体を休め、リフレッシュする事に専念するということです。
たとえば厚別でのホームゲームが行われて、自分が行けない時なんかは普通に買い物に行ったりしています。もともとじっとしていて「念」を送ったりということは出来ない性分なので、それくらいならきちんと休んで来るべき仕事に備えよう、と思うわけです。そして時折携帯で途中経過を見ておお勝ってる、とかああ負けてるよ、とか思うくらいです。そうした気持ちがあるから、試合を見に行くときには誰よりも声を出して勝ちにいく激しさを持っていたいと思っています。
ここまでは休日の話をしてきましたが、では平日に試合があるときはどうするかというと今はどこで試合が行われていようとも行かないことにしています。「平日=仕事をする日」という観念をもっているというのと、新入社員とはいえ自分がいないとうまく進まないものもあります。そうしたときに、自分がサッカーに気を取られていたりするとおそらく仕事の上で周囲に迷惑をかける、と思っているからです。だから、仕事中には仕事のことしか考えないようにしていますし、そうしていないと気を取られてしまう自分の弱さに対する戒めも兼ねているのです。ですから仕事に集中していて試合があることなど忘れてしまって、気付いたのは帰りの電車の中だったりする事もあります。
まあ、ここまで書いてきたことを一言で言ってしまうと「仕事の速さに苦労した」という事になるのですが、その中で自分がどんなことを考えていたのか、という事をすこしでもわかっていただければ幸いですし、そんな風に生活が変わってもやはりサッカーと札幌に対する気持ちだけは変わっていないというか、むしろ濃縮されているような気さえしているこの頃です。
 さて、今回の「時間」の話につづいて、次回はもう一つ学生と社会人とで決定的に異なっている点、「お金」について書いてみたいと思います。
 

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