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2008年06月29日

ふらりと旅に出る

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金曜日の夜、明日朝5時に起きられたら旅に出ようと思って寝てみたら起きられたので旅に出た。一日だけの小さな旅。
きっかけは「海が見たい」と思ったことだった。海だけだったら小樽なり石狩なり行けば良いのだけど、よりにもよって思ったのは「長万部の海が見たい」ということだった。札幌からなるべく離れた海辺で、かにめしでも食べながらぼんやりしたい。そう思って、翌朝6時には自宅近くの駅で列車を待っていた。札幌から東室蘭へ南下して長万部へ、そして倶知安経由でぐるっと回って戻ってくる一日の旅。旅費は「一日散歩きっぷ」2040円也。安い。

睡眠時間がそんなに長くなかったこともあり、東室蘭まで向かう一本目の電車の中ではずっと寝ていた。廃止が近い形式の電車ではあったけど、熟睡してしまうほど乗り心地は良かった。東室蘭で乗り換えて長万部へ向かう。土日だということもあるのか、一両だけの汽車はほどよく埋まっていた。東室蘭を出て程なくすると、車窓左手に内浦湾の海が見えてくる。中学生の当時、塾の帰りにこの路線を使っていた記憶がよみがえる。真っ暗な夜を淡々と走る汽車は、自分にとって絶好の勉強時間であり、時にはへこんだ気持ちを切り替える時間でもあった。それも思えば15年近くも昔の話であり、今更思い返すことでもないとは考えてしまうんだけどもどうしてか思い出すことと書きつづることは止められない。過剰な「自分語り」ってことですか。

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そんなことを考えつつ、海とトンネルを交互に眺めつつ、長万部に着いたのは正午近く。普通なら20分ほど待てば山線経由(=倶知安経由)の普通列車に接続できるのだけど、ここはあえて一本とばして次の列車に乗ることにする。2時間半の待ち時間を最大の目的である「海を見る」ことに費やす、ということ。

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時間もちょうど昼時だし、ただ海を見るというのも、というわけで駅前の弁当屋「かなや」でお決まりの「かにめし」を購入。1050円。高くなったなあ。確か初めて食べたときは600円かそこらで、出張帰りの父が買ってきてくれたのを頬張ったはずだ。弁当の袋をぶら下げて国道5号線を渡り、あちこちでスナップを撮影しながら海へ出る。

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防波堤の向こう側から漂う潮の香り。心なしか日本海よりも穏やかな気がする。海に正対して座り、おもむろにかにめしの包みを開いて変わらない味を楽しむことしばし。食べ終わった後はぼうっと海を見ていたり、ぼうっと波の音を聞いていたり、本を読んでみたり、歩いてみたり、そうしているうちに時間は過ぎた。軽く日焼けした。過去ログでちょっと書いたかもしれないけど、何年かに一度「長万部の浜辺に行って考え事をしたい」と思う時期が突然やってきて行くことがある。こないだがちょうどそれだったというわけだ。

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時間になったので駅に戻り、小樽行きに乗る。この列車も結構な乗車率。
気温が高いせいか窓は少し開けられていて、「JNR」のロゴが入ったままの扇風機が回るほどの暑さの中を列車は進む。駅に止まり、発車するごとに息継ぎをしてあえぐエンジン音。緑また緑、目が痛くなりそうなほどの風景の中、ゆっくりと峠を登る列車。開いた窓から吹き込む風。人々の会話。ヘッドホンをして車窓を見つめたままの一人旅らしき人。
小樽に近づくにつれて日も落ちかけてきて、西日がまぶしくなる。小樽から乗り換えて、今度は日本海を見ながら車窓を眺めていたときは島影に落ちる夕日がはっきりと見えた。最寄り駅に再び戻ってきて、ささやかな旅を終えたときにはもうすっかりと夜だった。
唐突に思いついてふらりと旅に出る。それがどこであっても、どのくらいの旅でも、俗世間と離れた自分がいるという意識だけでずいぶんと楽になれる。だから旅は好きだ。

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posted by retreat |23:04 | life | コメント(0) | トラックバック(1)

2008年06月23日

夏至の日

EUROを見るために早起きすると、もう外は明るかった。
日頃こんな時間に起きることはない。夜更かししていることはあるけど、最近は仕事の疲れでさっさと寝てしまうようになっていた。ああそうか、もう夏至だったのかと寝起きのはっきりしない頭で考えて、テレビのスイッチをつけた。ロシアの選手がすばらしい動きをしているのに比べて、オランダの選手たちは寝起きでテレビを見ている自分のように動きがもっさりとしていたのは気のせいだろうか。うつらうつらしながら見て、はっきりと体が目覚めたのはロシアの3点目が決まったあたりだったろうか。オランダが敗れることに、少し衝撃を受けた。華麗なサッカーよりも泥臭いサッカー。テクニックよりも、走るサッカー。一瞬の切れ味よりも、継続性のあるサッカー。ヒディンクはマジックを使ったのではなく、ごくシンプルなことを誰よりも長い時間行わせることを重要視させ、実行した。そういうことだったんだろうと思う。そう考えながらも体は徐々に睡眠へと向かってしまうのを感じて、慌ててベッドを起き上がり、熱いシャワーを浴びて目を覚まそうと浴室に向かった。

明るくなれば目覚めて、暗くなれば眠るのが人間として健康的ではあるのだろうけどそうもいかないのが文明社会(大げさ)。EUROを見るために超早寝早起きの日があったりなかったりして、最近の生活リズムは乱れ気味。それでも起きられるのはサッカーを見られるからなのだろうか。当然のごとく、休憩時間に昼寝するけど。最近の休日はEUROを見て、寝て、起きて、予定がなければ宮の沢で練習を見る。幸せだ。とりあえず昨日よりは。そう、とりあえずはそれでいい。

遅まきながら「昨日よりは」という考え方で生きていくということを、この歳になって覚えた。昨日よりは今日。それだけを思って生きる。明後日から先はとりあえず頭の片隅に置いといて、一日一日を積み重ねる。明後日以降のことを考えることがたまさかにあっても、それは夢想ではなく計算で考える。すべて忘れてしまえばどんなにか楽だろう、どんなにかこの苦しみが消えるだろうと願うことはいつもだが、それでも日々を生きている以上それはできない。
宮の沢でトレーニングを続ける選手たちも「昨日より今日」を重ねてきたからこそ、プロとしてピッチに立っているはずだ。

ちなみに、今日が昨日を下回ってしまったときは、さっさと酒を飲み、寝て、「今日」を「昨日」にしてしまうのが一番よい。30年にも満たない人生でわずかに身につけたことのうち、これだけはと言えることのひとつである。

posted by retreat |22:29 | life | コメント(1) | トラックバック(0)

2008年06月17日

雨、ジャスコ、月曜日、ひとりきり

エジソンが2万円でスーツ一式そろえたというので、そんなに安いならとジャスコに行ってみた。ちょうどもう一着スーツがほしかったところだし。

バスに揺られて行った月曜日のジャスコはその巨大さに比べて閑散としていて、スーツ売り場で商品を選んでいたのは自分一人。値札を見る。確かにスーツ一着1万円は安い。ただし、品質もそれなりだ。消耗品と割り切って買う分には十分だろうなと思ってサイズを選び、試着して、裾上げを頼んで購入。引き取れるのは来週末のことになる。

なぜだかスーツを選んだら疲れてしまって、アイスコーヒーでも飲みながら本を読んで休もうか、と思った矢先にアイスコーヒーをこぼす。その瞬間にどうしようもないほどの疲労が体の上にのしかかってきて、どうにも身動きがとれないくらいになってしまった。なんでこんなに疲れているんだろう、と本を開く気力もないままぼんやりしていた。せっかくの休みだからと動きすぎたのだろうか。そんなわけはない。あるとすれば二日酔いくらいだ。
雨交じりの曇天模様な月曜日、巨大なショッピングモールの閑散としたコーヒーショップで、タバコをくわえて何もせずにぐったりしている男が一人。いつものこととはいえ、どうもしまりのない休日だ。

こんなに疲れてしまったのは、たぶん仕事が忙しいからだけじゃない。ニュース番組で報道されている事件の数々にやられてしまっているからなのだろう。人ごととは思えない殺傷事件や、いつ起きるかわからない自然災害に、自分は怯えている。いつ自分が当事者となり、被害者となるのかわからない世界に怯えている。こうやって気を紛らわせている。本当はもうちょっと勉強して、内容のあること書きたいんだけどね。体がついて行かない。たとえば現代社会で進行するグローバリゼーションとローカリゼーション、それとコンサドーレをはじめとするローカルクラブ、もしくはビッグクラブとを繋げる言説というものがどこかにあるんじゃないだろうか、実際にどこかで繋がっているんじゃないだろうか、なんていうこととか。そういうことを考えたり、調べたりするのは結構好きなんだけどなあ。

後は自分の気力と体力次第なのか。
うーん、どうにかならんかなあ。このままじゃ言い訳ばかりだ。

posted by retreat |00:59 | life | コメント(0) | トラックバック(0)

2008年06月04日

Don't Trust Over 30,Don't Trust Myself.

ほのかに暗いホテルの宴会場で資格試験を受けながら、自分は15年前の自分になったような気がしていた。15年前にもこのホテルで、この会場で、同じように試験を受けていたはずだった。私立高校の受験で室蘭から札幌までわざわざやってきて受けた試験は、ただの記念受験となることがわかってはいたけれどそれでも受けたんだった。合格したとしても行かないであろう高校の試験を。

生涯2度目の札幌の事は余り覚えていない。受験のことで頭がいっぱいだったからだろう。最初に札幌に来たのは小学校の修学旅行の時で、北大前の湿っぽい旅館で給食以下の夕食を残し、改装前のテレビ塔でどうしようもなく粉っぽくて不味いカレーを残し、バスでひたすら眠りこけた一泊二日だった。15年前の時も一泊で、たしか単身赴任をしていた親のアパートに泊まっていったはずだ。そんなことを試験の最後10分間で思い出していた。周囲は様々な年代と性別の人がスーツだったり私服だったりで一心に解答用紙に向かっている。その中でこんな昔のことを思い出している自分はなんなんだろう。そして、15年前の自分が今の自分を見ていたらおそらく絶望するだろうな、と考えて、そのまま10分間絶望していた。15年前の自分よ、すまん。30近くなってもこんなもんだ。

あと2ヶ月ちょっとで誕生日を迎えてついに三十路を迎えるにあたり、最近の自分はちょっと憂鬱だ。何もできないまま二十代を過ごしてしまった、と思う。身体を壊した24歳以降のことは特にその思いが強い。自分はこれまでに何を残してこられただろうか、これから何を残せるのだろうか、四十代になったときに同じかこれ以上の思いをするのだろうか、と考えたときにはもう自分の思考回路は暗黒ループに沈み込んでいた。その後会社に帰って仕事をするのがしんどかったことは言うまでもない。これからできることと、できそうなことと、どうあがいてもできそうにないことがだんだんわかってきて、でもどこかではあきらめたくないという気持ちもあって、とにかく混濁していた。それでも、とりあえずの職場、自分が労働にしがみついていられる場所は今のところここしかない。例え管理者が何人過労で倒れようとも、次々と退職しようとも。なんだか出世をかけたチキンレースみたいだ。いや、そもそも人生そのものがチキンレースなのか。

札幌の選手達も、こんなことを考えてたりもするのだろうか。
曽田や西澤がどんな三十路を迎え、また迎えようとしているのか、ちょっと聞いてみたい気もする。それと、三十路を迎えるに当たっての心構えなど。自分の夢も希望も現実の前にかすんで何をどうすればいいのかわからないし、なんとかここであがくしかないし、この気持ちをどうやって文章にまとめたものかと悩んでいる。昔話しか書けない自分もふがいない。昔話ができる過去を持っているだけいいことだ、と誰かが言っていたけれど、そろそろ未来と現在の話もしたい。けれど、それには時間が足りない、それが恨めしい。

だから限りある時間で、限りある知識と記憶で、とにもかくにも、書き続けていくしかないのだ。たとえなんにもならない駄文であろうとも。

posted by retreat |21:29 | life | コメント(0) | トラックバック(0)