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2008年05月27日

aftertalk #50

clasics #50でした。きっちり100エントリ目でこのネタも終わるというのはちょっと気持ちいい。そういう性格なんです。減資増資が完了したのとまたタイミングを同じくするかのように債務の話になってるけど、当然のように意図してたわけじゃない。何を書けばいいのかわからないのでちょっと放置してただけ。

道営競馬の話題から入っているけど、そういえばここ数年は道営競馬には行ってない。競馬自体も年に一度札幌開催に合わせて行くくらいになってしまった。コスモバルクが道営から中央へと活躍していったときには応援してたけども、今ではそんなんでもないし。
競馬と言えば忘れられない馬がいる。競馬を好きになるきっかけとなった、ツインターボという馬。小柄な馬体ながらその凶暴な逃げはいろんな意味で観客を唖然とさせ、逃げては潰れ、たまに勝ち、最後は(今は廃止となってしまった)上山競馬に移籍した。オールドファンなら知っていることだろうと思う。あの馬を見たときから逃げ馬ばかり買うようになってしまったし、逃げ馬を軸に展開を予想するようになってしまった。イングランディーレとかサイレンススズカとか見ててもなんとなく「こうじゃない」と思ってしまうくらい狂気の逃げ馬が好き。もしくはちょっとどこか足りない感じの馬が好き。というわけでマイナー好みな自分の性格に沿って、好きな馬までマイナーになってしまったわけでした。

「コンサイズム」の連載はこれで終わったわけだけど、特に最終回とかそういうことは考えてなくて、普通に書いていて原稿を出した。ただ、書き方とかネタの持ってき方にマンネリを感じてはいたので、そういう意味ではここら辺が潮時かな、という感じはしていた。人生のタイミング、という意味においてもやっと動き出したところだしそれもちょうどいいのかな、と。昔のように深く考えることも、情熱を持って書き続けることもできなくなったからそういう意味で転換点だったのかもしれない。そしてどんどん僕の書く文章は減り続け、クオリティは落ち、情熱は薄れ、歳ばかり取る。このブログを更新し続けているのはそういう昔の自分への嫉妬と今の自分への慰めの部分が確かに存在している。そして自分はそれを肯定している。なんとか昔と今とを繋げようと、これからへ繋げようとして書いている。人を感動させるような文章も、真摯に綴ることも少なくなったけどそれでも書いていたい。書き続けたい。例え僕が歳を取り、冷淡で皮肉な人間になってしまったとしても、自分を守るために生きることが最大の目的となったとしても。最低の人間になってしまったとしても。それでも何かを書き続けていたい。だから、このブログは続けていこうと思う。自分の醜さを自覚するために、生きていることを実感できるよすがとするために。

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2008年05月18日

aftertalk #49

clasics #49という話でした。未だに父親の話をされると、すこし構えてしまう。コンプレックスっていうのはなかなか脱出できないシロモノで、ここから逃れられるには自分自身がとんでもない方向に成長してしまうのか、自分が結婚して子どもが生まれるか、親が亡くなってしまうのか、どれか時を迎えたらなんだろうな。不謹慎ではあるけれど、親子の関係性(父と息子、あるいは母と娘)っていうのはそういう人生の中でも大きなイベントがないと、回避したり乗り越えたりできるものではないと思う。反抗期を迎えたあたりからかれこれ15年以上回避し続けているけど、どうしても逃れることができてない自分はそう考えている。

負い目というのか、劣等感というのは常に持っている。小さいときから苦労して会社でたたき上げの営業マンになり今や悠々自適で自己実現をしている父親に比べて、自分のなんと矮小なことか。日々の仕事に怯え、小さな事を面倒くさがり、そのくせ恨み憎しみばかりを生み出してそれを燃料として日々働いている自分との差、まるで自分のやりたいことを先回りしてあらかた果たされてしまったような錯覚。実際はそうではないとわかっていても、そう思ってしまうのはなぜだろう。運に恵まれなかっただけで、学はあったし、才もあった。良く本を読んでいたから、自分も影響されて本を読むようになったし、自分が大学へ行きたくても金銭的な事情で行けなかったということから学ぶ事への投資は惜しまなかったし、それだけいい高校、いい大学へ行くようにハッパをかけてきた。僕はそれが自分でも望む道だと思っていたから進学して、父を超える人間になってやると思っていた。それが今ではどうだ、ちっとも頭が上がりやしない。まともに目を見ることができない。義務的に帰る盆と正月。たまに実家へかける電話も、罪滅ぼしとアリバイづくりのためだ。話すのも母親だけだし。生まれてすいません、どころではなくなってしまってきている。

このように自分自身が不肖の息子であるからなのか、自分が結婚して子どもができて、なんていうのを考えることなどできない。幸せな家庭なんて縁がないと思っている。結婚するのはタイミングがあれば可能性はあるけど、自分のこのどうしようもない遺伝子を受け継いだ人間がこの世に生まれてしまう、そのことが怖い。自分自身をコントロールすることで精一杯の状況で、結婚を考えることはおろか恋愛などを考える段階にも立っていない。あと2年もすれば僕が生まれたときの父の年齢になってしまうというわけで、そういった「幸せ」を求める気持ちはすっかり臆病になっている。とりあえず自分が生きていくことが親にとっての幸せだと、そう思っていただくしかない。誠に申し訳ない。

誇りと自信を持って生きていくことのできる未来だなんて、本当に来るのだろうか。

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2008年05月13日

aftertalk #48

clasics #48でした。この回で取り上げた「東京大学応援部物語」という本は文庫化されて出てます。お求めやすい値段なのでぜひどうぞ……、って、どっかの回し者のようですが単にこの著者の作品とこの本が好きなだけです。

「応援」という行動にのめり込んだきっかけとして運動会の応援団を挙げているけど、このときに経験した「応援」と、その後関わるようになった札幌の「応援」とはまったく毛色の異なるものだったのかなあ、と思う。だいたいにおいて、運動会ぐらいしか組織されることのなかった応援団という存在は、自分の通っていた高校においては、短期的に見れば「みんなの注目を集める手段」であり、長期的に見れば「風物詩」というくらいの存在だった。2年生になってから応援団に新規入団することは認められておらず、経験のある年長者が1年生を教えていくというけっこう古風なスタイル。なぜか運動会当日の弁当は自分の親などではなく、誰か女子に作ってもらわねばならないという謎の掟。自分は1年の時に経験したきり辞めてしまったわけなんだけど、まあお祭り気分がだいたいのところを占めていた活動だった。ただ、閉塞した人間関係を打開するためとか、クラスでの地位を確立させるために応援団に入る、というのは決してやるべきではないという事実は痛感した。事実自分はそういう目的のために応援団に入って、その後卒業するまでクラスでは浮いたまま過ごすことになる。部活と厚別がなかったら、あの3年間は危うく真っ黒に塗りつぶされるところだった。

で、(自分で引き起こした)閉塞感の漂う北海道を抜け出して内地へ進学したわけなんだけど、そこでアウェイの応援と出会って、「応援」というのは高校時代の応援団とかそういう生半可なものではないということをつくづくと思い知った。もっとごりごりしていて、痛みを恐れないような感じ。時々、応援をしていると自分がどんなに無力なのかというのを思い知ることがある。逆のことは無いわけではないけれど、ほとんど無いといっていい。それほど応援というのは労が報われることのない、自己犠牲と苦痛の共有で成り立っているものなんだろう。しかし、共有できるからこそ深く愛することもできる。それを乗り越えようと知恵を絞り、声を出し、少しでも選手に熱を送ろうと跳ぶこともできる。自分が何者で、自分の弱さを知っていて、自分のいる世界に何らかの回答を出せている人間であれば、なおのこと応援は深みを増す。少なくとも、僕はそういう深いものを愛する。
もちろん、応援という行動に伴う快感を否定するわけではない。「応援したい」という気持ちは、というか人間の行動原理なんていうのは、快感をどこかで味わっていないと続かないものなんだろうし。

ちなみに高校時代の応援団をなぜ1年で辞めたのかというと、齢16にして椎間板ヘルニアを患ってしまったからというのもあったりする。だから腰を痛めたままプレーを続けている選手や、腰のケガに悩まされている選手にはやっぱり少しばかりの思い入れを持ってしまう。腰は一度ケガしてしまうと一生治らないし、ヘルニアは再発する事が多い(実際自分も26歳で再発した)。移転する前の市立病院のベッドの上で、本ばかり読まずもうちょっと勉強していたらなあ……。

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2008年05月09日

aftertalk #47

clasics #47でした。戦っていないチームの試合を見ることほど、切ないものはない。まさにこないだのヴェルディ戦、前半についてはずっと切なかった。何もできず、だからといって何もしようとせずにただただ攻められ続けている姿はとてもとても悲しいものだ。後半になってようやく光が差したけど、もう遅かった。
03年後半以降も試合を見ていても切なかった。夢を見ていた自分が悪いのかもしれない。1年でJ1復帰、という囁きに染まりすぎていたのかもしれない。98年と同じ道のりになるのかも、という危惧も持ってはいたんだろうけど「ここで復帰しないと、98年どころじゃなくなるのかも」という思いのほうが強かったんだろう。ここで失敗してしまえば小さなクラブに転換して再出発を計らざるを無くなるというのもわかっていたけど、現実はそんなに甘くはなかった。

現実と理想という意味では、この時期の自分とシンクロしていて、言い聞かせるようにしてこの文章を書いたというところもある。延々と先の見えない体調不良が続いていて、試合を見に行くのがやっと、みたいな状況だった。いちばん怖かったというか、ショックだったのは、夜寝るたびに悪夢ばかり見ていたこと。何をやっても熟睡できなくて悪夢ばかり見るものだから寝る事が怖くなってしまって以下無限ループ、朝起きると拳に血がついていた(夢の中で暴れて、実際に寝ながら壁を殴ったらしい)なんてことが何回もあった。あの一時期だけは眠るのも怖く、かといって昼間は十分な睡眠が取れなかったせいで朦朧としていて、何もできなかった。早く元気になりたい、元に戻りたいという思いとは裏腹に眠れない日々が続き、やりたいことがあるのにできないという日々は苦しかった。その後数年をかけて波はありながらも徐々に良くなっていって、今になってはよくここまで回復してくれたもんだと思う。。引き替えにいろいろと失ったものは多いけど。

そんな自分の歴史を思い返してみると、5段階計画と一緒に自分は自分を取り戻していくような歴史だったんだなあと思う。「夢と現実の境界線からはっきりとと現実の側に立ち」とも書いているけど、このときはとにかくも悪夢から現実の世界で生きていくことを必死で望んでいて、勝手にチームの再建と自分の人生をシンクロさせて応援していた。だからチームが最下位になっても見捨てることはできなかったし、一緒に上がってやる、という気持ちだけは切らせてなかった。僕が乖離することなく、現実の世界にとどまって、ここまで回復できたのは、僕自身でもなく、親でもなく、コンサドーレがあったからだ。
しかし回復したとはいえ、それはどうにか働いて日常生活が送れる程度のことであって、まだまだ気をつけていかなければいけないことはいっぱいある。あの時の苦しさを乗り越えたクラブを見ていたから、応援し続けていたから、僕自身も乗り越えられた。もっともっとやりたいことがある。もっともっと応援したいクラブがある。僕が生きている理由は、つまりはそういうこと。

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2008年05月05日

aftertalk #46

clasics #46でした。今でもがんばれって言われるのは嫌いだ。口だけなら何でも言える。がんばれとか、評価してるとかね。精神論的な考え方も多分に持ち合わせている人間だけど、それはそれなりに対価があってのこと。ってなんで俺はこんな卑屈な話から入ってるんだろう。とりあえず「がんばれ」と言うことも言われることも大嫌いだ。

サッカーを見ているときは「行け!」とか「中だ中!」とか「開け!」とかそういう感じの言葉、もしくは応援してるみたいな感じでやっている。そうでもなかったら悲鳴か歓喜か怒りを持った沈黙かだ。頑張ることが前提の選手に「がんばれ」と声をかけることは、例えその声が届かないとしても言うことはできない。言ったとしてもそれは効果がないと考えるから、応援する。シンプルな歌やコールの方が気持ちを伝えることができたりする。もっと突っ込んで言ってしまえば、そう信じないとゴール裏で跳ぶ事なんてできやしない。

そういえばこのときは栗山にユースの試合に行ったのか。どうやって行ったんだっけ。自分の車(当時はまだあった)で行ったんだろうか。今、車があればいろいろと行動範囲が広がるんだろうなと思ってはいるものの、当時の愛車であったところのRAV4 Lは、おふくろが電柱に激突させてオシャカにしちゃった。札幌の練習や試合に行きやすくなるというのもあるし、ふらりと車で知らない街をドライブして、仕事で疲れた頭の中をリフレッシュさせることもできるからだ。そんなのができるようになるには結構な準備と駐車場と購入資金が必要になるけど。あ、バイクでもいいなあ。冬は乗れないけど。

アウェイ時代、遠征に行くときは手段は3つにほぼ限られていた。車、鉄道、バス。どれかに乗って目的地を目指し、スタジアムで再び集まる。車で東京から仙台山形方面とか、下道を通っていったことで夜通しかかるし。でもそういうときのなんともいえない夜の幹線道路の情景とか、夜が白み、オレンジ色の薄い層が青空の下に混じりはじめるあのときの高揚感は何ものにも代え難い。のんびり行きたいとき、金がないときは鈍行乗り継ぎであちこち行ったし、車を持つ近くに住んでいた友人と知り合ってからは、彼の車に同乗させてもらうことが多かった。話題は共通の趣味であるサッカーとモータースポーツ。もしくは、後援会のツアーバスでわいわいと過ごしながらアウェイのスタジアムへと向かうあの雰囲気。
でもいちばん好きだったのは、ひとりで新幹線や在来線の人気のないホームに立ち。早朝の列車を待っている瞬間だ。これから僕を乗せていってくれるもの。知らない土地へ連れて行ってくれるもの。そう思うことが多かったって言うことは、やはり僕自身は一人旅が好きなのだろう。何ものにも縛られない、一人の旅が。誰かがどこかの番組で「一人旅が好きでよく行ってた。でもある日突然、一人旅がつまらなく、味気なく思ってしまった。一人じゃつまらなくなってしまった」っていう話を聞いていたのを覚えてる。幸いにと言うべきか不幸にもと言うべきか、僕はまだ一人旅が楽しい。一人でその街の写真を撮り、名物をもとめて一人居酒屋でちびりちびりやるのも良い。世間一般の楽しみとか幸せとかどうでもいい。僕が僕なりに幸せでいられれば良いし、残念ながら他人に気を使って生きていくほどの力を得ていない。普通にサッカーを見て、喜んで、落ち込んで、酒を飲んで、寝て、仕事とともに次の試合を不安と期待をこめて待つ。これが僕の、今のところの「幸せ」だ。そしていちばん難しいと感じていることも「単なる普通の幸せ」なのだ。

進むべき道も、できることも、できないことも、この夢が破れるであろうことも、歳を取るにつれてだんだんとわかってきた。でも、もうちょっと悪あがきもしたい。そうして「単なる普通の幸せ」にたどり着きたい。何とかして。
もしたどり着くことが無かったのなら、どこかで野垂れ死ぬことは覚悟しているのだから。

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2008年05月03日

aftertalk #45

clasics #45でした。後にも先にも10分間のロスタイムなんてのを味わったのはこの試合の時だけ。厚別で行われたこの試合、フットボール的ではないところですごかった。まずU-16という年代の試合を見たのもほとんど初めてだったし、そのプレーの質の高さに驚かされた。これだけ若くてこんなに上手いのか、と。ちょうどU-16代表には藤田征也が右サイド、現G大阪の安田理大が左サイド、FWにマイク・ハーフナーという布陣で、グアラニU-16と試合を行ったときには左サイドから安田が大きく飛ばしたクロスを右から藤田がダイレクトボレーで合わせてごーる、というよだれもののゴールも見ることができた。あのころから安田と藤谷は注目してました、とかいうとアレなんでいわないけれどもそんな可能性を秘めた選手だなあとは思っていた。3バックの真ん中で出ていた伊藤博幹(当時G大阪ユース、現愛媛)も統率力があって良かったなあ。

このときに驚かされたのは技術の高さだけではなくて、むしろメンタルなところでの強さだった。15歳前後のエスパニョールの選手達がみんなで怒りを顕わにしているのを見て、国の違いとかサッカーの違いとか、そういうところもちょっとだけ伝わったと思っている。逆に言えば、あそこまで怒れるからこそスペインはサッカーが強いんだろうなあ、ということでもある。あとは、アタックし続けることの大事さ。ボールを取られても奪い返してアタックし続ける、クロスを上げる、プレスを怠らない、そういうところ。戦略を練って守るのは大学やトップチームでもできる。若い内にしか伸ばせない「センス」を磨くこと、それがこの年代では最重要じゃないのかなあ。あとは精神的な強さを鍛えるということも。本文でも書いているけど、心理学やメンタルタフネスといった言葉よりも、「負けたくない」「勝ちたい」という言葉の方がしっくり来るような気持ちをどれだけ持っているか、どれだけ持続させることができるか。

リアクションによってもたらされる「熱さ」ではなく、アクションを起こすことによってもたらす「熱さ」を。柳下監督時代のサッカーというのはそんな感じだったけど、今の三浦サッカーはその真逆で理性的、戦略的というか。自分の中にある言葉が足りないのでなんというか上手く書くことができなくてもどかしいんだけど、別に僕自身は三浦サッカーが好きだとか嫌いだとかということではない。どっちも好きだ。そこで展開されているのが「札幌のサッカー」である限り、基本的には僕は諸手を挙げる。まあ、攻めるとか守るとかいう偏り方よりも、僕は「スタイルが確立している」監督のサッカーが好きだ。そういう意味ではレオンとか、石崎とか、オシムとか、そういう強烈なまでの偏向性を持った、個性あるスタイルがいい。だから三浦がいいとか柳下が絶対だとかそういう議論は、僕にとっては味噌ラーメンか醤油ラーメンかどっちか選んで、選ばなかったやつは一生食うなって言っているようなもので意味がない。まあ味噌ラーメン苦手なんでほとんど食べないんですけどね。旭川醤油最高。話がそれました。むしろそらせました。

でも、どのサッカーのスタイルにも不可欠なのは、それこそ「勝ちたい」「負けたくない」という気持ちであって、そこがなければスポーツじゃないし、そんなサッカーはロボットにやらせておけばいい。僕が見ているのは「人間」の「スポーツ」なんだから。不思議なことに、自分が「気持ち」というものをここまで重要視しているのはサッカーだけなんだよなあ。そのほかのことは「論理」を何事にも優先させている。「気持ち」を前に押し出した時期もあるにはあったんだろうけど、覚えていない。本当に忘れてしまったか、都合が悪くなったので自分の記憶から抹消してしまったのか、どっちかだろう。そして無理矢理にでも忘れてしまったとしたのなら、多分そこで僕は何か大切な事に出会ったり、とんでもなく嫌なことに出会ったりして、心を開いたり閉じたりさせたのだろう。自分のことをこういう風にしか思い返すことができないというのは、なんとも歯がゆい。

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2008年04月28日

aftertalk #44

clasics #44でした。文脈のそこかしこに、当時影響を受けまくりだった村上春樹と西尾維新っぽい表現がある。そういやこないだ西尾維新のデビュー作「クビキリサイクル」が文庫化されてたので、ついつい買ってしまったんですけどね。この作品読んだときは、けっこう衝撃的だった。こういうこと考えて書いてもいいんだ、と。村上春樹をはじめて読んだときのことを思い出してもそうだけど、自分が本を読んで衝撃を受けるときって「こういうこと考えててもいいんだ!書いてもいいんだ!」っていうことで衝撃を受けることがほとんどだ。それはつまり自分の頭の中が良からぬ妄想満載だけども言葉にできるほどのスキルがない、ということとと、「俺はヘンじゃなかった」とどこかを許されたような気持ちになるということ。つまり自分は本を一冊読むたびに「これでいいんだ!」と心のリミッターをひとつひとつ外していることになる(外れないときもあるけど)。でも20年以上本を読み続けてきて、いまだに外れないリミッターがあるっていうのも自分の心のひねくれて頑ななところを感じさせてがっかりする。自分で自分に。

そしてJリーグ開幕に遭遇し、コンサドーレを知った自分は、どれだけ読んでも読み終わらないサッカーの奥の深さを思い知ることになる。リプレイをどれだけ見ても、生で試合をいくつ見ても、実際に自分でボールを転がしてみてもわからないことが多すぎる。多すぎるからこそ面白い。文章を読むだけでは体験することのできない論理と、システムと、神様のいたずらとしかいいようのないちょっとの運がそこにある。サッカーだけではない。バスケットでも、スキージャンプでも、野球でも、カーリングでも、そこにはスポーツを通してしか味わうことのできないロジックとドラマが隠れている。すべてが掌の上では転がしきれないシーンが溢れている。本ばかり読んでいて他のことには余り興味がなかった自分がスポーツを見るようになったのは、そういうところに惹かれたからかもしれない。自分でも剣道と弓道をやっていたけど、どっちかというとそれらからはプレーよりメンタル的なところで多くを教わった。剣道に関していえば才能は弟のほうが格段に上だったし、部活や道場でも下から数えたほうが早いような実力だった。試合に出ても3回戦まで勝ち進めればOK、みたいな。だから剣道の「精神」とか「心」とか、そういうほうに興味が傾いた。上には上がいるという絶望感と、自分に無い才能を持っていることへの嫉妬、はがゆさ、そういうのはスポーツから学んだけど、チームプレーのロジックを最初に学んだのはサッカーからだった。チームで戦うということ、勝つということの楽しさを学んだのも。そんなことを思いながら、今でも月に10冊は本を読んでいる。

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2008年04月26日

aftertalk #43

CONSAISM clasics #43でした。この話をしても、いまだに誰も信じてくれないのがちょっと寂しい。ホントだったんだってば!

札幌に帰ってからも歩くのは好きだった。大学時代に川沿いを歩いてよく帰っていたときから、東京の街と海辺を歩き、遠征で歩き、そして札幌に帰ってきたときは必ず札幌駅から大通駅まで歩いて(もしくはその逆)町並みというかテナントの入れ替わりを見ながら歩くのが恒例だった。今では仕事の帰りに地下鉄一駅ぶん歩いたり、休みのときはぶらっと散歩したりしている。散歩ってのは頭が空っぽになるので良い。仕事でオーバーヒートした頭も、少し歩くことで冷却されて寝付きが良くなったりするので。そうやってぶらっと歩いていた時に遭遇したのをこの回では書いている。

イバンチェビッチは札幌をサルベージできないまま、わずかな期間で去ってしまったということもあって余り評価のされていない監督なんだけど、個人的には好きな監督だったし、それなりの評価をしたいと思う。あれだけボロボロにされたチームを戦術的に整備して、ある程度の目処をつけて戦えるところまで戻したというのは「できるだけのことはやった」という個人的な意見を出したい。あれ以上のことをやるにはクラブ自体の体力も足りなかったところがある。もちろん、それで「降格して当然」みたいな考え方なんてのはなかった。与えられた条件と、選手と、ファンが一体になって乗り越えるべき、地方の小さなクラブの壁なんだと思ってわくわくしていたくらいだ。夏のアウェー神戸で「イバンチェ!イバンチェ!」とコールをしたら、ベンチに座っていたイバンチェビッチが飛び出してきて、僕らの陣取るゴール裏に向けてぶんぶんと手を振ってくれた。それだけでものすごく親近感がわいてきて、この監督と一緒に戦うんだ!という意識がものすごく強くなった。ベストメンバーを組んで、そこからいけるところまで行く、という戦術も納得できたし、それによって控えに能力のある選手がいなくなるというのもわかってはいた。それでもイバンチェビッチのやり方について行こうと腹をくくっていたんだけど、それ以上に強化しなければいけない部分(主に戦力の獲得的な部分で)の壁があまりにも高くて成し遂げることはできなかった、そのうえでの「No idea.」という発言だったのだろうと思っている。

でもあのときの光景ははっきりと今でも覚えている。外に面したカウンター席で、コーチのボージョビッチとともになにごとか熱く語っていたのを。それを歩道から、僕は見ていた。思わず駈け寄り、こう伝えたかった。「あなたを信じている」と。「大丈夫だ、僕はあなたを応援している」と。
イバンチェビッチは今、セルビアリーグ1部の「FK Smederevo」の監督を務めている。彼が日本のことを思い出すとき、どんな感情を持って思い出すのだろうか。

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2008年04月22日

aftertalk #42

clasics #42というわけでした。

ここでは割愛してるけど、毎回このコラムにはタイトルをつけていて書き上がってもどんなタイトルにすればいいのか、と結構悩んだこともあった。その逆に、タイトルだけがぱっと浮かんできてそのまま書いていくということもあった。どっちかというと、タイトルが先に浮かんだほうが書きやすかった。ちなみにこの回のタイトルは「変わり続けるシーン」で、小沢健二の楽曲からもってきた。タイトルがどうしても思いつかないときはこうやって音楽とか他の小説などからもってくることが大半で、それでもなければシンプルに一言の言葉で。そうやって何かから持ってきたタイトルのほうが文章にしっくりきたりすることが多かったのは地味にがっかりしている。キャッチコピー的なものを想像する自分の能力のなさに。その際たるものが次回分のタイトルで、「夏と私とイバンチェビッチ」という。こっちは乙一の小説「夏と花火と私の死体」からそのまんま持ってきたら、意外と内容とぴったりきてしまった。人を引きつけるようなキャッチコピーとかタイトルというのは難しいものだ。

これを書いていたときはちょうど実家に戻ってふらふらしていたころで、宮の沢にもよく通っていた。天気の良い、からりと晴れた日にのんびりと練習を見るのはとてものんびりできて、サテライトリーグの試合でものんびりじっくりとサッカーを見ることができた。肩肘を張らずに過ごせる貴重な時間は、大学を出てからの2年間でいいかげん疲れ果ててしまった自分にとっては何ものにも代え難いものだった。そしてこのころにはサテライトだけじゃなくてプリンスリーグも始まり、北海道でもサッカーを見る機会が増えたのも嬉しかった。昔はサッカーを見ると言うとコンサドーレ以外だったら道リーグか天皇杯予選、ちょっと新しめのところだと夏の国際ユースサッカーくらいしかなかったので、まるまる一ヶ月生のサッカーを見ることはなく過ごすというのはなくなった。そういうところで、北海道のサッカー事情というか、スポーツ全般において北海道は「後進国」ではなくなっているのかなあとも思う。天気の良い日に外で見るサッカーというのは、本当に気持ちいい。

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2008年04月20日

aftertalk #41

clasics #41でした。日韓ワールドカップのときに感じた違和感というのは、ちょうどここから一年前のclasics #24でも目の当たりにして書いているんだけど、また一年経って思い出していろいろと。ワールドカップ真っ最中の時より感情がこなれて落ち着いてきているなあ。
あれからサッカーのすそ野は広がり、Jを目指すチームも、プロにこだわらず地域に根ざしていくチームも増えた。「ゆるやかに」なんてもんじゃなかった。あれから6年でJとJを目指すチームが何十も存在するなんてことはとてもじゃないけど思っていなかったし、もっとゆるやかに増えるものだと思っていた。おそらくJを目指すチームが飽和に近づいた今、これからは淘汰と選択(経営的なリスクを冒してもプロを目指すのか、アマチュアのままでチームを続けるのか、ということ)の時代が来るだろうと勝手に思っている。ちゃんとした根拠はないけど。

もうひとつ決定的に今と昔とで異なることというのがあって、それは「夢を見なくなった」ということ。この当時、もっとサッカーを見る人も語る人も増えていけばきっといいことあるはず、みたいなことを書いていたけど、今の自分は「こうなったらなんて素晴らしい世界になるんだろう」と思うことがほとんどなくなった。全くなくなったわけじゃない。近い未来についての夢というのは持っていて、けれどもそれは大きなことではなく、自分とその周りの世界に対するささやかな希望、のようなものだったりする。生活についてとか、仕事についてとか。見切りをつけたわけではないんだけど、なんというか、夢を見るのにも疲れてきたというか、自分の度量とかこの能力でできることがだんだんとわかってきて、それ以上のことを背伸びして求めようとしなくなったというか。成長したくないなんて思っているわけではないし、伸ばしたいところ、直したいところというのはそれこそ齢を重ねるごとに増えていく。とりあえず目の前に立ち並んでいるそれらをひとつずつ解決していくだけで精一杯で、そこから先のことなんて見る余裕はないし、見えるわけでもない。歳を取るってこういうことなのか、と改めて思う。自分は小さいときから「大人びている」とか「子どもらしくない落ち着き方」だとか言われていたけれど、そういうのはすべて表面上のことで、内面は他の同年代の子ども以上に子どもっぽかったんじゃないだろうか。そう考えると、自分は今まで大人に対して取り繕うことだけで生きていたんだろうなと考えてしまって、俺の人生何なんだと少し落ち込んでしまう。

あきらめるということはないけれど、自分の持つことのできる「希望」というものの大きさと量は確実に小さく少なくなっていっている。いつかすべてを無くしてしまうんじゃないかって、少し怖い。何もない人間になるということが怖い。いつか来るであろう「幼年期の終わり」っていうやつに、怯えるこの頃の自分だ。いつか自分にも、何かできるのだろうか。

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