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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

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CONSAISM clasics #46

2008年05月04日

clasics #46です。そろそろこのコラムも終盤にさしかかっています。


いつからか、「がんばれ」と声をかけること、声をかけられることをなんとなく嫌うようになった。正確にいつからということは言えないけれど、たぶん中学校の時からこのような感情はあったと思う。
例えば毎年恒例のマラソン大会。僕は足が遅いながらもとりあえずよたよたと走っているときに、沿道からかけられる「がんばれー」という声。抑揚のないべったりとした声。
そんな声をかけられると、僕はたまらなく嫌な気持ちになる。何が「がんばれー」だ。こちとら窒息寸前でようやく走ってるというのに、そっちはのうのうと座ってるくせして。
とりあえず声かけとけみたいなおざなりな声援、いや声援とも呼びたくない。ただの記号、ただの音。そんな声を聞いたってこっちのやる気が削がれるだけだ。もうシオシオだ。頭に来る。だからその声を聞きたくなくて、そこから逃げたくて、僕は走るピッチを上げていた。この声を発した主がたとえ学校一のアイドルであろうと、一番の友達であろうと、「がんばれ」なんて言われたくなかった。「がんばれ」と言う側と言われる側の立場のギャップがあまりに耐えられなかったからだ。「がんばれ」という言葉が、言われる側に余計にプレッシャーを与えてしまうだけだと思っていたからだ。
そりゃあ確かに足は遅い。持久力だってない。そもそも運動神経が劣っている。それでもそれなりに走っているのに、言うに加えて「がんばれ」かよ。これ以上心臓に負担をかけろというのか。もっと言うなら殺す気か。そんな気持ちが僕のどこかに巣食っていて、以来「がんばれ」と意識的に声を出したことはほとんどない。
そんなのただのひねくれだ、ひがみ根性だ、偏屈だと言う人もいるだろう。素直に言葉を受け止めろ、と言う人もいるだろう。実際僕自身もそう思う。でもそれがまたどうしようもなく嫌なのだ。せめてもっと具体的に「足を上げて!」とか「もっと脇を締めて腕をふって!」とか具体的に言われた方がタイムも縮んでいいんじゃないのか?

そんなわけで、札幌の応援をしている時や、他のスポーツを見ている時にも、「がんばれ」とはほとんど言っていない。そんな言葉でプレイヤーへの余計なプレッシャーを増やしたくないから。とりわけ「がんばる」ことが大前提のプロスポーツでは言いたくない。
それを観ている側として「がんばれ」としか言えないのは、あまりにもスポーツを知らなさ過ぎるからなんじゃないだろうかと思う。より良い結果を出すために、自分の能力を最大限に生かすために応援の言葉はかけるべきであって、それを言葉にできない時があるからこそ歌が生まれ、リズムが響くのだと思う。そんなことを、栗山でユースの試合を見ながら考えていた。
いいプレーをした時には「○○、ナイスプレー!」と叫んだし、一対一の勝負をためらう選手には「○○、タテに行け! 勝負!」と叫んだ。そういうふうに声を出していくことによって、初めてゲームに参加するということができるんじゃないだろうかと思った。そしてそういうことがプロスポーツを観る側においての敬意であり、また流儀ではないだろうか。「私たちはあなたたちのプレーを真剣に観ている」という意思表示においての声援。それはプレイヤーと観客との間に「見る」「見られる」といういい意味での緊張状態を作り出し、それがまたプレーを向上させる効果をもたらすのだと信じている。それがあって初めてスタジアム独特のあの雰囲気や、そのスポーツにしか感じられない醍醐味を共有することができるのだと思う。

けれども、「がんばれ」という言葉を全否定することはどうしてもできなくて、どうしても「がんばれ」としか言えない瞬間があるのもまた事実。
それは、スポーツが、身体の躍動が、言葉を超えてしまう瞬間。それをとりまく雰囲気や状況が「がんばれ」以外の声を本能的に否定してしまう瞬間。そんな時には「がんばれ」と思い切り言っていいんじゃないかと思う。ありったけの声で、ありったけの力で。そうとしか言えないことを自覚して、言葉を放つ責任を持って。
そう、全ての放たれた言葉には声を出したその人間の責任を内包している。それはすなわちスポーツの世界においては「真剣に試合を観ること」や「観客としてスポーツに参加すること」への責任、ということになると思う。果たしてそれが自分はできているだろうかと思っては、まだまだだなと痛感することしきりのこの頃。

今の札幌にかける言葉は何が一番いいだろう、と考えた時、「がんばれ」とはまだ言いたくないし、言えない気持ちがある。このチームにはまだまだやれることがあるし、まだまだ言える言葉が残っている。それは裏を返せば「可能性があるチームだ」ということでもある。J1昇格という言葉も他愛無い戯言になっているこの時だから、僕はこう言いたい。
「自分の持てるすべての力を発揮して、勝ってくれ」と。


post by retreat

22:09

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