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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

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函館を歩く

2008年05月28日

函館でのナビスコ杯に行ってきた。
試合中を含めずっと肌寒く、町中を写真を撮りつつ歩きながら、太陽が出ないものかとずっと思っていたら帰る直前に一瞬だけ出た。そうじゃない。

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試合当日の北斗で函館へ。
前日の睡眠時間2時間半というのが祟り、列車に乗ってすぐに寝て起きたらもう森町を通過してた。
函館駅からは市電の一日乗車券を買って移動。

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試合はあえて割愛することにする。
ホテルにチェックインして、まずは谷地頭温泉で身体を温める。
温めると言うより、茹でるという表現の方が近いのかもしれない。それほどまでに「高温」の浴槽は、熱い。
数年ぶりに訪れたんだけど、施設も新しくなり露天風呂までできていたのに驚く。

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飯を食い、酔いつぶれ、眠り、翌日再び市電に乗って今度はまず立待岬へ。
寒い。

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函館十字街で乗り換えて、函館どつくへ向かう。
どことなく寂しげな漁港や工場の景色を撮ると言うのが、もうひとつの目的。

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函館どつく周辺の漁港。
曇天だったので、どうせこの天気なら重苦しい写真を、と撮影してみた。

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雨も再び降ってきたし、時間も余ってるし、と摩周丸へ。
じっくりと青函連絡船の歴史を眺めることにする。

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自分はモールス信号になぜこんなに惹かれるのかわからない。

勝ち点3以外の目的はほぼ達成できた1泊2日。
大沼ビールを飲みながらスーパー北斗で3時間、あっというまに日常の世界へ帰宅した。

20080528-08.jpg
今回は朝市や元町教会群といった観光スポットをあえて外して歩き回った。
観光観光している場所より、その土地の生活が感じられるところの方が好きなのだ。
でもラッキーピエロとハセガワストアは万難排して抑えたけど。

そんなわけで、帰宅するなり函館の雨をたっぷり吸った衣類をまず洗濯。
トラピストクッキーをしっかりと抱えて、翌日出社しましたとさ。



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22:14

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aftertalk #50

2008年05月27日

clasics #50でした。きっちり100エントリ目でこのネタも終わるというのはちょっと気持ちいい。そういう性格なんです。減資増資が完了したのとまたタイミングを同じくするかのように債務の話になってるけど、当然のように意図してたわけじゃない。何を書けばいいのかわからないのでちょっと放置してただけ。

道営競馬の話題から入っているけど、そういえばここ数年は道営競馬には行ってない。競馬自体も年に一度札幌開催に合わせて行くくらいになってしまった。コスモバルクが道営から中央へと活躍していったときには応援してたけども、今ではそんなんでもないし。
競馬と言えば忘れられない馬がいる。競馬を好きになるきっかけとなった、ツインターボという馬。小柄な馬体ながらその凶暴な逃げはいろんな意味で観客を唖然とさせ、逃げては潰れ、たまに勝ち、最後は(今は廃止となってしまった)上山競馬に移籍した。オールドファンなら知っていることだろうと思う。あの馬を見たときから逃げ馬ばかり買うようになってしまったし、逃げ馬を軸に展開を予想するようになってしまった。イングランディーレとかサイレンススズカとか見ててもなんとなく「こうじゃない」と思ってしまうくらい狂気の逃げ馬が好き。もしくはちょっとどこか足りない感じの馬が好き。というわけでマイナー好みな自分の性格に沿って、好きな馬までマイナーになってしまったわけでした。

「コンサイズム」の連載はこれで終わったわけだけど、特に最終回とかそういうことは考えてなくて、普通に書いていて原稿を出した。ただ、書き方とかネタの持ってき方にマンネリを感じてはいたので、そういう意味ではここら辺が潮時かな、という感じはしていた。人生のタイミング、という意味においてもやっと動き出したところだしそれもちょうどいいのかな、と。昔のように深く考えることも、情熱を持って書き続けることもできなくなったからそういう意味で転換点だったのかもしれない。そしてどんどん僕の書く文章は減り続け、クオリティは落ち、情熱は薄れ、歳ばかり取る。このブログを更新し続けているのはそういう昔の自分への嫉妬と今の自分への慰めの部分が確かに存在している。そして自分はそれを肯定している。なんとか昔と今とを繋げようと、これからへ繋げようとして書いている。人を感動させるような文章も、真摯に綴ることも少なくなったけどそれでも書いていたい。書き続けたい。例え僕が歳を取り、冷淡で皮肉な人間になってしまったとしても、自分を守るために生きることが最大の目的となったとしても。最低の人間になってしまったとしても。それでも何かを書き続けていたい。だから、このブログは続けていこうと思う。自分の醜さを自覚するために、生きていることを実感できるよすがとするために。


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23:50

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CONSAISM clasics #50

2008年05月19日

clasics #50です。これにて一応連載は最終回。


「ハルウララ」という名前の競走馬をご存じだろうか。最近ニュースに取り上げられている「100連敗の競争馬」のことだ。
高知競馬に所属する7歳牝馬の彼女は95戦を過ぎた辺りからマスコミに取り上げられるようになって知名度が一気に高まり、彼女とそれを取り巻く人々のドキュメンタリーが放送され、100戦目には東京からの観戦ツアーも出た。競馬場ではTシャツや尻尾の毛を入れた交通安全のお守り(買っても馬券が「当たらない」から、車にも「当たらない」という意味で)といったグッズまで販売されている。
けれどもハルウララの人気は連敗続きであるということだけではなく、体も小柄で気が弱い、そんな馬でも競走馬として一戦一戦一生懸命に走っている、その姿に心を打たれるファンが多いからだという。リストラに遭った人や単身赴任の人、病気と闘う人……そんな人たちが彼女の走る姿に励まされている、ということを知った。
ひたむきであるということは、ただそれだけで人の心を打つことがある。
 
僕は一時期競馬にすっかりはまっていた時期があった。今では年に数回馬券を買いに行くだけになってしまったが、最盛期は毎週のように競馬場や場外馬券場に通いつめ、中央競馬だけでなく高知競馬のような公営の、俗に言う「地方競馬」に属する道営競馬に顔を出した。贔屓にしていた競走馬なんかもいて、その馬の馬券をずっと買い続けたりもしていた。運が悪いのか自分の推理が足りないのか、馬券が当たることは少なかったがそれでもどの馬が強いのかを新聞片手に検討し、決めた予算の中でやりくりして馬券を買い、そうして臨んだレースごとに一喜一憂できればまだ良い方でだいたい一喜十憂くらい。
けれどもフットボールの魅力に取り憑かれたのち、僕は次第に競馬場からスタジアムへと足を向けるようになり、フットボールと札幌の応援に深くのめり込むのと反比例するように競馬への興味は薄れていった。そんな中、ハルウララのニュースは昔熱中した競馬のことを少し思い出させてくれるとともに、厳しい公営競馬の現状をも僕に知らしめることとなった。
 
JRA(日本中央競馬会)が運営する中央競馬においても馬券売り上げの減少に苦慮している現状ではあるが、それに比べても各自治体が運営する地方競馬はどこも苦しい経営を余儀なくされている。ここ数年でやむなく廃止となった地方競馬もいくつかあり、またそれはハルウララの所属する高知競馬においても例外ではない。約88億円にのぼる累積赤字を県の負担にして一旦帳消しにしたが、今後四半期ごとに経営状況を公表して、赤字経営になると即廃止になるという。
競走馬の一大産地である地元・道営競馬でも開催競馬場の縮小やコスト削減に努めているが、188億円(※)という膨大な負債を抱えている。また生産者側においても能力を秘めながらも血統や馬体が目立たないがために高値で馬主に売れなかったり、生産規模を縮小するなど対策をとってはいるが、近年の不況による売り上げの低下も加わって地方競馬をめぐる状況は一層厳しくなっているのが現状だ。勝てなくても走り続けるハルウララはむしろとても幸せな方で、ピークを越えた馬たちは次々に競馬場を後にして「処分」される。走る馬たちも、それを育て鍛える調教師たちも騎手たちも、経営する自治体にとっても厳しい日々が続いているのだ。

ここまで考えてみると、この状況は今の札幌によく似ているのだ。中央(J1)と地方(J2)の格差、多額の負債、「見て見ぬふり」をしてきた経営状況……。
けれどもただひとつ高知競馬と異なっているのは、ハルウララのように誰からも愛され、応援する気にさせてしまうようなひたむきな存在をどうしても見いだせなかったことだ。今年の僕は最初から最後までどこか猜疑的な視線で札幌を応援していたと思う。どこからかもやもやとした疑問が首をもたげてきてチームを信じられなかったのだ。いや、どこも信じられなかった、と言った方が正しかったのかもしれない。そのぶん自分を信じることで、それを声援として伝えることで乗り越えることができたらよかったのだけれど、胸に手を当てて考えてみるとそれすらもできていなかったのでないかという念に駆られる。先日発表された再生計画や補強の動きも、それを打ち消してくれるには現在では不十分なままだ。おそらくこの不安な気持ちは年を越してしまうことになるだろう。
道営競馬も札幌も今までのツケがもたらした「負のスパイラル」を断ち切るべく行動しているし、それはこれからの未来のために必ず断ち切らねばならないものだ。しかし結果と利益が求められるフットボールビジネスの世界とは言え、良い意味でハルウララのような、ひたむきに走るその姿だけで応援したくなるような、そんな存在が札幌に現れて欲しいと思っているし、そんな光景にこそ僕らがチームを応援したくなる原風景としてのフットボールが、すべての原点が眠っているのではないだろうかと思っている。まずはその「原点」をもう一度見つめることから2004年のシーズンは始まるのだろうと思う。もう一度やり直す、そして失敗の許されないただ一度きりのチャンスが始まるのだ。
来年はいろいろな場面で大きな転換が訪れるだろうということはうっすらと見えてきている。「来年からは」と心機一転を求める気持ち、「来年こそは」と雪辱を求める気持ち、このふたつの気持ちを持ち続けていかなければならない。そのための「原点を見つめ直す」時間は幸いにも与えられたのだから、肩肘張るのではなくむしろそんなことを楽しさに換えていければいい、と思いつつ僕の2003年は暮れようとしている。

来年は良い年になりますように。

(※金額は2002年末時点、うち北海道171億円・北海道市営競馬組合17億円)


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23:11

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aftertalk #49

2008年05月18日

clasics #49という話でした。未だに父親の話をされると、すこし構えてしまう。コンプレックスっていうのはなかなか脱出できないシロモノで、ここから逃れられるには自分自身がとんでもない方向に成長してしまうのか、自分が結婚して子どもが生まれるか、親が亡くなってしまうのか、どれか時を迎えたらなんだろうな。不謹慎ではあるけれど、親子の関係性(父と息子、あるいは母と娘)っていうのはそういう人生の中でも大きなイベントがないと、回避したり乗り越えたりできるものではないと思う。反抗期を迎えたあたりからかれこれ15年以上回避し続けているけど、どうしても逃れることができてない自分はそう考えている。

負い目というのか、劣等感というのは常に持っている。小さいときから苦労して会社でたたき上げの営業マンになり今や悠々自適で自己実現をしている父親に比べて、自分のなんと矮小なことか。日々の仕事に怯え、小さな事を面倒くさがり、そのくせ恨み憎しみばかりを生み出してそれを燃料として日々働いている自分との差、まるで自分のやりたいことを先回りしてあらかた果たされてしまったような錯覚。実際はそうではないとわかっていても、そう思ってしまうのはなぜだろう。運に恵まれなかっただけで、学はあったし、才もあった。良く本を読んでいたから、自分も影響されて本を読むようになったし、自分が大学へ行きたくても金銭的な事情で行けなかったということから学ぶ事への投資は惜しまなかったし、それだけいい高校、いい大学へ行くようにハッパをかけてきた。僕はそれが自分でも望む道だと思っていたから進学して、父を超える人間になってやると思っていた。それが今ではどうだ、ちっとも頭が上がりやしない。まともに目を見ることができない。義務的に帰る盆と正月。たまに実家へかける電話も、罪滅ぼしとアリバイづくりのためだ。話すのも母親だけだし。生まれてすいません、どころではなくなってしまってきている。

このように自分自身が不肖の息子であるからなのか、自分が結婚して子どもができて、なんていうのを考えることなどできない。幸せな家庭なんて縁がないと思っている。結婚するのはタイミングがあれば可能性はあるけど、自分のこのどうしようもない遺伝子を受け継いだ人間がこの世に生まれてしまう、そのことが怖い。自分自身をコントロールすることで精一杯の状況で、結婚を考えることはおろか恋愛などを考える段階にも立っていない。あと2年もすれば僕が生まれたときの父の年齢になってしまうというわけで、そういった「幸せ」を求める気持ちはすっかり臆病になっている。とりあえず自分が生きていくことが親にとっての幸せだと、そう思っていただくしかない。誠に申し訳ない。

誇りと自信を持って生きていくことのできる未来だなんて、本当に来るのだろうか。


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21:18

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CONSAISM clasics #49

2008年05月15日

clasics #49です。終わりが近づいている頃の思い出話。


夏の終わり頃に、話はさかのぼる。
週末に旭川に行っていた父が一枚のユニフォームを手に家へ帰ってきた。黄色と青を基調としたスウェーデンカラーのユニフォームだ。
胸には父の出身校、そして袖には「創部50周年を祝して」の文字が入っていた。背番号は11番。父は旭川へ、高校生当時に所属していたサッカー部の50周年記念の祝賀会に行ってきたのだった。背番号11は、父が当時つけていた番号である。
昔から父がサッカーをやっていたということは折々に聞いていたが、こうしてユニフォームと50周年の記念誌にある父の写真をみると、ああ本当にサッカーやっていたんだなあと改めて思わされた。その夜は父と僕とで、少しばかり昔のサッカーの話で盛り上がった。

父がサッカーをやっていた当時はいわゆる「WMシステム」の走りの頃で、左利きで運動量のあった父は主に左サイドハーフと左ウイングでプレーしていた。現代のシステムで言うとダイヤモンド型の中盤の左サイドと3トップの左、と言えるだろうか。昔は芝のグラウンドなんて北海道になかっただろうから当然土のグラウンド、スパイクを買うお金にも苦労していたその頃は一足のスパイクを大事にはき続けていた。雨が降ればグラウンドはドロドロになり、そんな中で泥にまみれながらもボールを追いかけていた。ちなみに当時のユニフォームはオレンジを基調としたデザインで、今回創部50周年記念のユニフォームがスウェーデンカラーのユニフォームとなったのは、単純に「安かったから」という理由らしいけど。
50周年記念誌を紐解くと、父がいた当時のサッカー部はなかなか強かったらしく、地区代表として高体連や国体の北海道大会に何回か進出している。残念ながら近年はなかなか勝ちあがれないようだ。
その高体連や国体の道大会に出場していたことを示す年表を見ていると、一つだけ「出場辞退」と書かれていた年があった。ちょうど父がサッカー部にいた頃だ。なぜ出場辞退になったのか、ということを父に聞くと、
「出席日数が足りなくて、道大会に行くことができなかったから辞退した」
と話した。さらに続けて、
「確かそのころはなあ、俺は働きに行ってたんだよ」と言った。

父の実家は兄弟が多く生計を立てるのが苦しかった、だから小学生の高学年の頃にはもうアルバイトをしていたんだ、という話はよく僕も聞かされた。でも学校をこんなに長期間休んでまで働いていた、というのは初めて聞いた話だった。そこまで生活が苦しかったとは、正直僕は今まで思っていなかった。それと同時に、そこまでしてサッカーを辞めなかった父は本当にサッカーが好きだったんだなあ、としみじみ思った。サッカー部の頃の話になると、普段の父の表情とはまた異なって、楽しそうに、懐かしそうに相好を崩すのだった。
父の知らない一面が見えたなあ、と僕は思った。父は僕の想像もつかないくらいにとても苦労して、でも父なりに楽しい高校生活を送っていたのだ。そういう苦労した姿を見せない父の背中の強さを改めて思い知らされた僕は、自らの鬱屈した高校生活を顧みて自己嫌悪に陥ってしまった。僕にとっての父は、ある意味で未だに超えられない存在なのだということを改めて思い知らされた気がした。

僕と父がひとしきりサッカーの話をした後、僕がしきりにいいなあそれ、といっていたスウェーデンカラーのユニフォームを手にとって「お前にやるか?」と尋ねた。僕が好きでいろいろなユニフォームを集めているからだろう。でも僕は最終的には「いや、いいよ」と答えた。
たとえ昔と色が違えども、父が持って帰ってきたそのユニフォームは確かに父が泥まみれになってグラウンドでプレーした、一つの時代の証なのだ。それを簡単にもらってしまうのは、父の過ごした時代の一部分をを勝手にむしり取ってしまうような気がして、それを考えるとやはり父が持っておくべきなのだ、と思ったからだった。

今でも父は体を動かすことが好きで、ランニングもするし、冬になるとよくスキー場に通うし、本人はあまり好きではないようだけどゴルフも上手い。そんな父からスキーや水泳の手ほどきを受けたこともあった。けれど思い返してみれば、サッカーボールを蹴って遊んだ記憶はなぜだか薄い。そのことはまだ、本人に確かめられないでいる。
そうしてスポーツだけでなく、人生そのものにおいても父という存在は僕にとって一つの目標であり、羨望であり、時には憎しみであったりする。たぶんこの気持ちは一生消えることはないだろう。だからこそ僕は僕で僕なりに人生を築きあげなければいけないのだろう。それが肉親のものであれ、いつまでも誰かの影を追いかけて生きていくことなどできないのだから。
 
そんな話をひとしきり聞いた日の夜、僕も父のように昔のことを語る日が来るのだろうかと考えた。いつかのある日曜日の夜に、赤と黒のユニフォームを見せながら「昔はなあ、鳥居塚っていうすごい選手がいてなあ」なんて子供や孫に語る日が来るのだろうか。そんな僕の姿を想像して思わず失笑してしまった。そんな時代は僕にとって遙か未来の話に思えて、あまりにも現実味がなさすぎて、それでもそんなことを考えている僕が滑稽で。
しかし、ものすごく長い目と想像力をもって考えてみると、僕が札幌を応援しているのはいつかそういう日が来ることを信じているからじゃないだろうか。誇りと愛を持って語ることのできる未来を願っているからじゃないのだろうか。

僕らがこれから向かう札幌の未来は決して簡単なものじゃなくて、むしろ苦労の多い時代になるかもしれない。でも、それもすべては輝かしい未来のためだと信じていたいし、それを現実としていきたいのだ。


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23:15

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aftertalk #48

2008年05月13日

clasics #48でした。この回で取り上げた「東京大学応援部物語」という本は文庫化されて出てます。お求めやすい値段なのでぜひどうぞ……、って、どっかの回し者のようですが単にこの著者の作品とこの本が好きなだけです。

「応援」という行動にのめり込んだきっかけとして運動会の応援団を挙げているけど、このときに経験した「応援」と、その後関わるようになった札幌の「応援」とはまったく毛色の異なるものだったのかなあ、と思う。だいたいにおいて、運動会ぐらいしか組織されることのなかった応援団という存在は、自分の通っていた高校においては、短期的に見れば「みんなの注目を集める手段」であり、長期的に見れば「風物詩」というくらいの存在だった。2年生になってから応援団に新規入団することは認められておらず、経験のある年長者が1年生を教えていくというけっこう古風なスタイル。なぜか運動会当日の弁当は自分の親などではなく、誰か女子に作ってもらわねばならないという謎の掟。自分は1年の時に経験したきり辞めてしまったわけなんだけど、まあお祭り気分がだいたいのところを占めていた活動だった。ただ、閉塞した人間関係を打開するためとか、クラスでの地位を確立させるために応援団に入る、というのは決してやるべきではないという事実は痛感した。事実自分はそういう目的のために応援団に入って、その後卒業するまでクラスでは浮いたまま過ごすことになる。部活と厚別がなかったら、あの3年間は危うく真っ黒に塗りつぶされるところだった。

で、(自分で引き起こした)閉塞感の漂う北海道を抜け出して内地へ進学したわけなんだけど、そこでアウェイの応援と出会って、「応援」というのは高校時代の応援団とかそういう生半可なものではないということをつくづくと思い知った。もっとごりごりしていて、痛みを恐れないような感じ。時々、応援をしていると自分がどんなに無力なのかというのを思い知ることがある。逆のことは無いわけではないけれど、ほとんど無いといっていい。それほど応援というのは労が報われることのない、自己犠牲と苦痛の共有で成り立っているものなんだろう。しかし、共有できるからこそ深く愛することもできる。それを乗り越えようと知恵を絞り、声を出し、少しでも選手に熱を送ろうと跳ぶこともできる。自分が何者で、自分の弱さを知っていて、自分のいる世界に何らかの回答を出せている人間であれば、なおのこと応援は深みを増す。少なくとも、僕はそういう深いものを愛する。
もちろん、応援という行動に伴う快感を否定するわけではない。「応援したい」という気持ちは、というか人間の行動原理なんていうのは、快感をどこかで味わっていないと続かないものなんだろうし。

ちなみに高校時代の応援団をなぜ1年で辞めたのかというと、齢16にして椎間板ヘルニアを患ってしまったからというのもあったりする。だから腰を痛めたままプレーを続けている選手や、腰のケガに悩まされている選手にはやっぱり少しばかりの思い入れを持ってしまう。腰は一度ケガしてしまうと一生治らないし、ヘルニアは再発する事が多い(実際自分も26歳で再発した)。移転する前の市立病院のベッドの上で、本ばかり読まずもうちょっと勉強していたらなあ……。


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21:36

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CONSAISM clasics #48

2008年05月11日

clasics #48です。自分の応援の原点と、一冊の本の話。


以前にも書いたことがあるが、自分がこうして応援に関わっていくことの「原点」ともいえる体験は、中学3年の時の中体連にさかのぼる。
校則を無視して改造した学ランを堂々と来て体育館のど真ん中にどかどかと走り込み、あらん限りの声と覇気で部員にエールを送る。そのわずかなひとときだけ、好奇と失笑を含んだ全校生徒の目が自分を含めた応援部に注がれる。
その「見られる快感」が忘れられなくて、高校1年の時、今度は運動会のために選ばれる組別の応援部に参加の手を挙げた。
しかし高校の応援部は、いわば半分お遊びの中学とは段違いだった。毎日裸足でくたくたになるまで、日が暮れて闇に包まれるまで練習を繰り返し繰り返してやっと「戦力」となることができた。それだけ濃く過ごした日々があった分だけ、応援をする時の快感と、全てをやり終えた時の充足感や達成感は泣けるほどに込み上げてきた。
やっぱり応援ってのはいいもんだ、と思ってしまった僕は、それから2年後に厚別のゴール裏へ足を運ぶようになってしまった。とにかく応援したかった。
 
何で今さらこういう思い出話をしているかというと、最近読んだ本が僕の記憶を呼び起こしてしまったからだ。
「東京大学応援部物語」というのが、その本の題名だ。最高学府の東京大学にあって、「応援」に学生生活のほぼ全てを捧げ、厳しい規律のもとに最後の最後まで必死に応援を繰り出す。東京六大学野球の最終回、たとえ19対0で負けていても逆転を信じて疑わない彼らや彼女らたちの姿が描き出されたノンフィクションである。
応援部の舞台は東京6大学野球、神宮球場を中心に描かれる。弱いことで有名な東大野球部にあって、1勝のため、1アウトのため、1ストライクのために拳を突き出し、声を枯らし、日々の練習はともかく合宿まで行なう。
年功序列の理不尽に悩み、応援することの意義に悩み、理想と現実の矛盾に悩む。それでも彼らや彼女らは応援することを止めない。
それはどうしてなのか。自己満足か、自己犠牲か、純粋な憧れがあるからか。それぞれの応援部員の姿が浮かび上がってくる。

そしてこの本を読んで一人でなんだか高揚してしまった僕はそのまま室蘭(10月25日・大宮戦)まで行ってきて、いつもより余計に意気消沈して帰ってきた。もはや内容云々をいえるレベルではないところまで札幌は頽廃していた。勝ちたいという意識がピッチから微塵も伝わってこずに、どうしたものかとため息ばかりを雨の降る室蘭の空にいくつも吐いた。
確かに学生野球とプロスポーツのそれとでは異なるところがいくつもある。プロとしての「興行」である以上、選手はプレーを通じて観客に見せるものがなければならないし、学生野球は学校や選手それぞれに目指すものが違う。応援だってゴール裏で応援することは完全に自由意志だけど、応援部で応援することは時に強制という名をとりつつ行われる義務になる。けれどもそんな理屈はもう今の札幌には通用しないのかもしれない。改めて「何でこんなチーム応援してるんだろう」と自問自答しながら家路についた。
ただどちらにも通じるのは、日常では味わうことのできない喜怒哀楽がそこに詰まっていることではないだろうか。
一つのプレーの行方にあれほどまでに熱中して、我を忘れるほどに驚喜できることがあるだろうか。あれほどまでに仲間や友人を得ることができただろうか。あれほどまでにまっすぐに馬鹿みたいに、ただ一つの勝利だけに叫び、悩み、信じることができただろうか。交通費とチケット代を借金してまで用意して得られたものは、その金額だけでは計ることなどできないものだった。
だからこそ今の札幌の負け続け、自分を見失い、戦意のない姿がどうしても許せなかった。

この本の中で、著者がある応援部員に、
「応援で得たものはなんですか」
と問いかけるシーンがある。それに対して彼は、
「得たものは、自分の未熟さを知り、自分の弱さや卑怯さを自覚することができたこと」
と答える。
これはプレーする側にも言えるのかもしれないと思う。一つ一つの試合と練習を重ねる毎に自分の未熟さを知り、それを克服しようとする。その姿が見られるからこそ僕はしつこくしつこく競技場へ足を運ぶのかもしれない。
でもそんな姿を見ることができない最近のチームをどのような思いで見ればいいのか、と思いながら僕は今季最後の厚別(11月1日・新潟戦)へと足を運んだ。

ところがそんな僕の予想に反してチームは戦った。数的不利も審判の曖昧なジャッジにも耐えて、首位の新潟を相手に勝利に限りなく近いドローに持ち込んだ。厚別のピッチの上で選手たちが意識を高め、水際で新潟の攻撃を防ぎ、果敢にドリブルで持ち上がり、ライン際のボールを我がものとするために体を張っていた。
こういう姿が観たかったんだ、と僕は拳を握った。その気持ちと同じだけ、心の裏では、「やれるんなら最初からやっとけよ」とも思ったけど。

プレイヤーとして必要とされる技術や運動量はトレーニングでその人の限界まで高めることができても、その人の意識は自分が自分の内にある弱さやずるさや甘えに本当に気付いて、それに対峙しない限り高めることはできない。けれども、誰もが抱えているその葛藤をじっと見つめ、それに立ち向かう姿があるからこそ、僕らはスタジアムへ通い続けるのではないだろうか。そして、その姿を見せてくれるのがプロと呼ばれる人たちであってほしいと、勝手ではあるが思っている。残り3試合、そんな姿を少しでも多く見せてほしい。それが未来へ続くのだと僕は信じて疑わないし、僕にとっての応援したくなる原動力なのだから。

*参考文献
最相葉月著「東京大学応援部物語」(集英社)


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23:00

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aftertalk #47

2008年05月09日

clasics #47でした。戦っていないチームの試合を見ることほど、切ないものはない。まさにこないだのヴェルディ戦、前半についてはずっと切なかった。何もできず、だからといって何もしようとせずにただただ攻められ続けている姿はとてもとても悲しいものだ。後半になってようやく光が差したけど、もう遅かった。
03年後半以降も試合を見ていても切なかった。夢を見ていた自分が悪いのかもしれない。1年でJ1復帰、という囁きに染まりすぎていたのかもしれない。98年と同じ道のりになるのかも、という危惧も持ってはいたんだろうけど「ここで復帰しないと、98年どころじゃなくなるのかも」という思いのほうが強かったんだろう。ここで失敗してしまえば小さなクラブに転換して再出発を計らざるを無くなるというのもわかっていたけど、現実はそんなに甘くはなかった。

現実と理想という意味では、この時期の自分とシンクロしていて、言い聞かせるようにしてこの文章を書いたというところもある。延々と先の見えない体調不良が続いていて、試合を見に行くのがやっと、みたいな状況だった。いちばん怖かったというか、ショックだったのは、夜寝るたびに悪夢ばかり見ていたこと。何をやっても熟睡できなくて悪夢ばかり見るものだから寝る事が怖くなってしまって以下無限ループ、朝起きると拳に血がついていた(夢の中で暴れて、実際に寝ながら壁を殴ったらしい)なんてことが何回もあった。あの一時期だけは眠るのも怖く、かといって昼間は十分な睡眠が取れなかったせいで朦朧としていて、何もできなかった。早く元気になりたい、元に戻りたいという思いとは裏腹に眠れない日々が続き、やりたいことがあるのにできないという日々は苦しかった。その後数年をかけて波はありながらも徐々に良くなっていって、今になってはよくここまで回復してくれたもんだと思う。。引き替えにいろいろと失ったものは多いけど。

そんな自分の歴史を思い返してみると、5段階計画と一緒に自分は自分を取り戻していくような歴史だったんだなあと思う。「夢と現実の境界線からはっきりとと現実の側に立ち」とも書いているけど、このときはとにかくも悪夢から現実の世界で生きていくことを必死で望んでいて、勝手にチームの再建と自分の人生をシンクロさせて応援していた。だからチームが最下位になっても見捨てることはできなかったし、一緒に上がってやる、という気持ちだけは切らせてなかった。僕が乖離することなく、現実の世界にとどまって、ここまで回復できたのは、僕自身でもなく、親でもなく、コンサドーレがあったからだ。
しかし回復したとはいえ、それはどうにか働いて日常生活が送れる程度のことであって、まだまだ気をつけていかなければいけないことはいっぱいある。あの時の苦しさを乗り越えたクラブを見ていたから、応援し続けていたから、僕自身も乗り越えられた。もっともっとやりたいことがある。もっともっと応援したいクラブがある。僕が生きている理由は、つまりはそういうこと。


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21:44

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CONSAISM clasics #47

2008年05月08日

clasics #47です。積もり積もった怒りがここに来て爆発したのか、なかなかエキセントリックな文章になっています。


J1昇格への路もあっという間に消し飛んで、来期がどうこうといった話が厚別へ向かう僕の耳を通り過ぎていく。予算は10億で人件費3億、若手中心の編成で、外国人はゼロになるかもしれなくて、有望な若手は他クラブへ移籍……。秋晴れの土曜日であっても現実は容赦なく冷たい風を吹かせてくる。
4得点を挙げての鳥栖戦の快勝も、そんなこれからの話を考えるとつかの間の歓喜でしかなかった。この先には冷たい現実がじっとこのチームを待ち構えているのだと思うと、こういう試合ができるならさっさとやってくれれば良かったのに、なんてネガティブな感情だって自然と出てきてしまう。

鳥栖戦は有り体に言えば勝利以外に見受けられるものはなかった。来期は若手中心と言いながらその顔ぶれには若手は少ない。監督が代わって10試合以上経つのに、はっきり見えてこない戦術。退場者を出して劣勢の中での勝利だったとはいえ、そこに僕が今一番見たい「これからの札幌」は見えてこなかった。

そんな試合の中でも僕の心臓がどくんと波打つ瞬間はあった。
ボランチの森下が、アンドラジーニャの退場で一人少ない分を埋めようと、とにかく前へ出てプレッシングをかける。中盤深くからどんどんとボールを追いかけて相手GKへのバックパスまで追いかける。その姿にスタンドからは自然に拍手が湧いてきた。そう、そういう姿が見たいんだ、とでも観客が主張するように。
あの状況で森下が激しく動いてくれなかったら、おそらく札幌の守備ラインはずるずると下がり間違いなく鳥栖にゴールを許し、連敗していたこの前までのようにネガティブな悪循環に陥ってしまっていただろう。そういう意味で他の選手達にも、前から守るという意識をしっかり見せたと言う意味では職人肌でプレーで伝えるタイプの森下らしいやりかただな、と思った。どこまでも迷走し続ける札幌にあって、そのシーンだけはちょっとだけ未来が見えたような気がした。
それでも試合終了の笛が鳴ったとき、僕は二、三回ほどの拍手をすることしかしなかった。やれやれ終わったなご苦労さん、という感じで。そんな醒めた感情しか湧いてこないのが今の僕の真実だ。

96年の高揚、97年の充実、98年の悔悟、99年の挫折、00年の歓喜、01年の満喫、02年の混乱、そして03年は「失望」という言葉がぴったりくるような感じがする。この間、僕はずっとゴール裏で応援してきて、今年はいろいろとあってゴール裏に行ったのは一度きりで、そうして僕がチームを見る方向もちょっと変わってきている。

僕はサッカーを見るにつれて一つの思考を固めてきた。それは、「サッカーは人生の縮図であり、現実の投影だ」という考え。現実に一つ一つ目標を明確に定め、クリアし、再び次の目標に向かってしっかりと階段を登るのにも似たトレーニング、それをクリアするため、より強くなるための試合というハードル。リアリスティックに過ぎるかもしれないけれど、そんな一つ一つがチームを強くするのであって、現実をすっ飛ばした夢や希望だけでは飯は食えない。
しかし今年の札幌はまさに「現実をすっ飛ばした」チームだった。ビッグネームの監督や選手に夢を見て、綺麗にあっさりさっぱり打ち砕かれた。
その後で今度は僕らに「5ヶ年計画」という名のもっと長い夢を見せてこの場を凌ごうとしている。明確なビジョンも見えないのに、より長い夢を無理に見させて僕らを忍従させようとしている。
僕らはもういい加減に夢と現実の境界線からはっきりと現実の側に立ち、冷静に判断しなければならないと思う。何が必要で何が必要でないのかをはっきりチームと認識し、共有し、育むこと。それこそが今いちばん大事なことだと思う。このままではチームの思うがままに思考停止のまま5年を過ごすことになると危惧している。現実になる可能性のとんでもなく低い、都合のいい恋愛ゲームみたいな夢を見ているまま僕らは冷凍保存させられて、吸い取るだけ吸い取ったら捨てられるただの一栄養体として、「マトリックス」みたいな世界でサポーター的一生を終えることになる。日本ハムの移転で札幌が確実に得られるファン層も少なくなる。そうしてこのまま僕らは乖離した夢と現実の狭間を漂いながら、ただただ虚ろな目でピッチを見つめるだけの人間機械と化してしまうのだ。

そんなチームに、誰が愛情を注げようか! サポーターとチームは一身同体だなんて冗談もいいところだ。都合のいいことばかり並べ立てて現実を乗り越えようとする姿を見せない怠惰で緩慢なチームなど、誰が応援できようか!

今、札幌は史上最大の危機を迎えていると言っても過言ではない。それは今まで甘い甘い夢を見続けてきたツケが雪崩を起こすように襲いかかってくる危機だ。札幌のサッカーだけでなく、北海道におけるプロスポーツの世界の危機だ。
僕らはその「現実」を乗り越えていかなければならない。現実を乗り越えなければその先の未来なんてないのだ。もしこのチームを少なくとも普通にフットボールの楽しめるチームにしたいのなら、今こそはっきりと現状に「NO」をあらゆる形で突きつけて、今乗り越えるべき問題を現実として共に認識しなければならない。
ジュニアからトップまで、ホームゲームの運営費から宮の沢の芝一本まで。そこまで考え、その上で目標を明確にするのなら、10年でも20年でも僕はこのチームについていこう。しかしそうでないのなら、チームに関わる全ての人々はスポーツというものに対して、そしてそれをとりまく社会に対して重大な背信行為を負うことになるだろうと思う。
だからこそ、今、声を挙げなければ、もしくは挙げ続けていたのならば無言の抗議をしなければならないと思うのだ。
だからこうして僕はこの文章を書いている。これが今僕の成しうる最大の声であり、武器だからだ。

僕はこのチームが真の意味で戦う姿を見たい。激しくボールを追い、ゴールを求める姿が見たい。サッカーで楽しみたい。スポーツで少しでも多くの幸せを得たい。
このチームにこんな思いを抱くことも、許されないのだろうか?


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01:21

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aftertalk #46

2008年05月05日

clasics #46でした。今でもがんばれって言われるのは嫌いだ。口だけなら何でも言える。がんばれとか、評価してるとかね。精神論的な考え方も多分に持ち合わせている人間だけど、それはそれなりに対価があってのこと。ってなんで俺はこんな卑屈な話から入ってるんだろう。とりあえず「がんばれ」と言うことも言われることも大嫌いだ。

サッカーを見ているときは「行け!」とか「中だ中!」とか「開け!」とかそういう感じの言葉、もしくは応援してるみたいな感じでやっている。そうでもなかったら悲鳴か歓喜か怒りを持った沈黙かだ。頑張ることが前提の選手に「がんばれ」と声をかけることは、例えその声が届かないとしても言うことはできない。言ったとしてもそれは効果がないと考えるから、応援する。シンプルな歌やコールの方が気持ちを伝えることができたりする。もっと突っ込んで言ってしまえば、そう信じないとゴール裏で跳ぶ事なんてできやしない。

そういえばこのときは栗山にユースの試合に行ったのか。どうやって行ったんだっけ。自分の車(当時はまだあった)で行ったんだろうか。今、車があればいろいろと行動範囲が広がるんだろうなと思ってはいるものの、当時の愛車であったところのRAV4 Lは、おふくろが電柱に激突させてオシャカにしちゃった。札幌の練習や試合に行きやすくなるというのもあるし、ふらりと車で知らない街をドライブして、仕事で疲れた頭の中をリフレッシュさせることもできるからだ。そんなのができるようになるには結構な準備と駐車場と購入資金が必要になるけど。あ、バイクでもいいなあ。冬は乗れないけど。

アウェイ時代、遠征に行くときは手段は3つにほぼ限られていた。車、鉄道、バス。どれかに乗って目的地を目指し、スタジアムで再び集まる。車で東京から仙台山形方面とか、下道を通っていったことで夜通しかかるし。でもそういうときのなんともいえない夜の幹線道路の情景とか、夜が白み、オレンジ色の薄い層が青空の下に混じりはじめるあのときの高揚感は何ものにも代え難い。のんびり行きたいとき、金がないときは鈍行乗り継ぎであちこち行ったし、車を持つ近くに住んでいた友人と知り合ってからは、彼の車に同乗させてもらうことが多かった。話題は共通の趣味であるサッカーとモータースポーツ。もしくは、後援会のツアーバスでわいわいと過ごしながらアウェイのスタジアムへと向かうあの雰囲気。
でもいちばん好きだったのは、ひとりで新幹線や在来線の人気のないホームに立ち。早朝の列車を待っている瞬間だ。これから僕を乗せていってくれるもの。知らない土地へ連れて行ってくれるもの。そう思うことが多かったって言うことは、やはり僕自身は一人旅が好きなのだろう。何ものにも縛られない、一人の旅が。誰かがどこかの番組で「一人旅が好きでよく行ってた。でもある日突然、一人旅がつまらなく、味気なく思ってしまった。一人じゃつまらなくなってしまった」っていう話を聞いていたのを覚えてる。幸いにと言うべきか不幸にもと言うべきか、僕はまだ一人旅が楽しい。一人でその街の写真を撮り、名物をもとめて一人居酒屋でちびりちびりやるのも良い。世間一般の楽しみとか幸せとかどうでもいい。僕が僕なりに幸せでいられれば良いし、残念ながら他人に気を使って生きていくほどの力を得ていない。普通にサッカーを見て、喜んで、落ち込んで、酒を飲んで、寝て、仕事とともに次の試合を不安と期待をこめて待つ。これが僕の、今のところの「幸せ」だ。そしていちばん難しいと感じていることも「単なる普通の幸せ」なのだ。

進むべき道も、できることも、できないことも、この夢が破れるであろうことも、歳を取るにつれてだんだんとわかってきた。でも、もうちょっと悪あがきもしたい。そうして「単なる普通の幸せ」にたどり着きたい。何とかして。
もしたどり着くことが無かったのなら、どこかで野垂れ死ぬことは覚悟しているのだから。


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23:22

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CONSAISM clasics #46

2008年05月04日

clasics #46です。そろそろこのコラムも終盤にさしかかっています。


いつからか、「がんばれ」と声をかけること、声をかけられることをなんとなく嫌うようになった。正確にいつからということは言えないけれど、たぶん中学校の時からこのような感情はあったと思う。
例えば毎年恒例のマラソン大会。僕は足が遅いながらもとりあえずよたよたと走っているときに、沿道からかけられる「がんばれー」という声。抑揚のないべったりとした声。
そんな声をかけられると、僕はたまらなく嫌な気持ちになる。何が「がんばれー」だ。こちとら窒息寸前でようやく走ってるというのに、そっちはのうのうと座ってるくせして。
とりあえず声かけとけみたいなおざなりな声援、いや声援とも呼びたくない。ただの記号、ただの音。そんな声を聞いたってこっちのやる気が削がれるだけだ。もうシオシオだ。頭に来る。だからその声を聞きたくなくて、そこから逃げたくて、僕は走るピッチを上げていた。この声を発した主がたとえ学校一のアイドルであろうと、一番の友達であろうと、「がんばれ」なんて言われたくなかった。「がんばれ」と言う側と言われる側の立場のギャップがあまりに耐えられなかったからだ。「がんばれ」という言葉が、言われる側に余計にプレッシャーを与えてしまうだけだと思っていたからだ。
そりゃあ確かに足は遅い。持久力だってない。そもそも運動神経が劣っている。それでもそれなりに走っているのに、言うに加えて「がんばれ」かよ。これ以上心臓に負担をかけろというのか。もっと言うなら殺す気か。そんな気持ちが僕のどこかに巣食っていて、以来「がんばれ」と意識的に声を出したことはほとんどない。
そんなのただのひねくれだ、ひがみ根性だ、偏屈だと言う人もいるだろう。素直に言葉を受け止めろ、と言う人もいるだろう。実際僕自身もそう思う。でもそれがまたどうしようもなく嫌なのだ。せめてもっと具体的に「足を上げて!」とか「もっと脇を締めて腕をふって!」とか具体的に言われた方がタイムも縮んでいいんじゃないのか?

そんなわけで、札幌の応援をしている時や、他のスポーツを見ている時にも、「がんばれ」とはほとんど言っていない。そんな言葉でプレイヤーへの余計なプレッシャーを増やしたくないから。とりわけ「がんばる」ことが大前提のプロスポーツでは言いたくない。
それを観ている側として「がんばれ」としか言えないのは、あまりにもスポーツを知らなさ過ぎるからなんじゃないだろうかと思う。より良い結果を出すために、自分の能力を最大限に生かすために応援の言葉はかけるべきであって、それを言葉にできない時があるからこそ歌が生まれ、リズムが響くのだと思う。そんなことを、栗山でユースの試合を見ながら考えていた。
いいプレーをした時には「○○、ナイスプレー!」と叫んだし、一対一の勝負をためらう選手には「○○、タテに行け! 勝負!」と叫んだ。そういうふうに声を出していくことによって、初めてゲームに参加するということができるんじゃないだろうかと思った。そしてそういうことがプロスポーツを観る側においての敬意であり、また流儀ではないだろうか。「私たちはあなたたちのプレーを真剣に観ている」という意思表示においての声援。それはプレイヤーと観客との間に「見る」「見られる」といういい意味での緊張状態を作り出し、それがまたプレーを向上させる効果をもたらすのだと信じている。それがあって初めてスタジアム独特のあの雰囲気や、そのスポーツにしか感じられない醍醐味を共有することができるのだと思う。

けれども、「がんばれ」という言葉を全否定することはどうしてもできなくて、どうしても「がんばれ」としか言えない瞬間があるのもまた事実。
それは、スポーツが、身体の躍動が、言葉を超えてしまう瞬間。それをとりまく雰囲気や状況が「がんばれ」以外の声を本能的に否定してしまう瞬間。そんな時には「がんばれ」と思い切り言っていいんじゃないかと思う。ありったけの声で、ありったけの力で。そうとしか言えないことを自覚して、言葉を放つ責任を持って。
そう、全ての放たれた言葉には声を出したその人間の責任を内包している。それはすなわちスポーツの世界においては「真剣に試合を観ること」や「観客としてスポーツに参加すること」への責任、ということになると思う。果たしてそれが自分はできているだろうかと思っては、まだまだだなと痛感することしきりのこの頃。

今の札幌にかける言葉は何が一番いいだろう、と考えた時、「がんばれ」とはまだ言いたくないし、言えない気持ちがある。このチームにはまだまだやれることがあるし、まだまだ言える言葉が残っている。それは裏を返せば「可能性があるチームだ」ということでもある。J1昇格という言葉も他愛無い戯言になっているこの時だから、僕はこう言いたい。
「自分の持てるすべての力を発揮して、勝ってくれ」と。


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22:09

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aftertalk #45

2008年05月03日

clasics #45でした。後にも先にも10分間のロスタイムなんてのを味わったのはこの試合の時だけ。厚別で行われたこの試合、フットボール的ではないところですごかった。まずU-16という年代の試合を見たのもほとんど初めてだったし、そのプレーの質の高さに驚かされた。これだけ若くてこんなに上手いのか、と。ちょうどU-16代表には藤田征也が右サイド、現G大阪の安田理大が左サイド、FWにマイク・ハーフナーという布陣で、グアラニU-16と試合を行ったときには左サイドから安田が大きく飛ばしたクロスを右から藤田がダイレクトボレーで合わせてごーる、というよだれもののゴールも見ることができた。あのころから安田と藤谷は注目してました、とかいうとアレなんでいわないけれどもそんな可能性を秘めた選手だなあとは思っていた。3バックの真ん中で出ていた伊藤博幹(当時G大阪ユース、現愛媛)も統率力があって良かったなあ。

このときに驚かされたのは技術の高さだけではなくて、むしろメンタルなところでの強さだった。15歳前後のエスパニョールの選手達がみんなで怒りを顕わにしているのを見て、国の違いとかサッカーの違いとか、そういうところもちょっとだけ伝わったと思っている。逆に言えば、あそこまで怒れるからこそスペインはサッカーが強いんだろうなあ、ということでもある。あとは、アタックし続けることの大事さ。ボールを取られても奪い返してアタックし続ける、クロスを上げる、プレスを怠らない、そういうところ。戦略を練って守るのは大学やトップチームでもできる。若い内にしか伸ばせない「センス」を磨くこと、それがこの年代では最重要じゃないのかなあ。あとは精神的な強さを鍛えるということも。本文でも書いているけど、心理学やメンタルタフネスといった言葉よりも、「負けたくない」「勝ちたい」という言葉の方がしっくり来るような気持ちをどれだけ持っているか、どれだけ持続させることができるか。

リアクションによってもたらされる「熱さ」ではなく、アクションを起こすことによってもたらす「熱さ」を。柳下監督時代のサッカーというのはそんな感じだったけど、今の三浦サッカーはその真逆で理性的、戦略的というか。自分の中にある言葉が足りないのでなんというか上手く書くことができなくてもどかしいんだけど、別に僕自身は三浦サッカーが好きだとか嫌いだとかということではない。どっちも好きだ。そこで展開されているのが「札幌のサッカー」である限り、基本的には僕は諸手を挙げる。まあ、攻めるとか守るとかいう偏り方よりも、僕は「スタイルが確立している」監督のサッカーが好きだ。そういう意味ではレオンとか、石崎とか、オシムとか、そういう強烈なまでの偏向性を持った、個性あるスタイルがいい。だから三浦がいいとか柳下が絶対だとかそういう議論は、僕にとっては味噌ラーメンか醤油ラーメンかどっちか選んで、選ばなかったやつは一生食うなって言っているようなもので意味がない。まあ味噌ラーメン苦手なんでほとんど食べないんですけどね。旭川醤油最高。話がそれました。むしろそらせました。

でも、どのサッカーのスタイルにも不可欠なのは、それこそ「勝ちたい」「負けたくない」という気持ちであって、そこがなければスポーツじゃないし、そんなサッカーはロボットにやらせておけばいい。僕が見ているのは「人間」の「スポーツ」なんだから。不思議なことに、自分が「気持ち」というものをここまで重要視しているのはサッカーだけなんだよなあ。そのほかのことは「論理」を何事にも優先させている。「気持ち」を前に押し出した時期もあるにはあったんだろうけど、覚えていない。本当に忘れてしまったか、都合が悪くなったので自分の記憶から抹消してしまったのか、どっちかだろう。そして無理矢理にでも忘れてしまったとしたのなら、多分そこで僕は何か大切な事に出会ったり、とんでもなく嫌なことに出会ったりして、心を開いたり閉じたりさせたのだろう。自分のことをこういう風にしか思い返すことができないというのは、なんとも歯がゆい。


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23:41

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CONSAISM clasics #45

2008年05月01日

clasics #45です。思い出深い国際ユースサッカー、忘れられない10分間のロスタイム。


先日行われた「2003北海道国際ユースサッカー大会U-16」を観戦してきた。
ユース年代の選手たちが国際経験を積む舞台として2001年から国内外の4チームで行われていたが、今年は「2002FIFAワールドカップ開催1周年記念事業」ということで、参加チーム数も6チームでの開催となった。
参加チームは地元・北海道選抜と日本代表U-16、ワールドカップ共同開催国の韓国からソウル特別市U-16、ドイツ・ミュンヘン1860U-16に加え、ブラジル・グアラニU-16、そしてスペイン・エスパニョールU-16。コンサドーレ札幌ユースからも北海道選抜にU-18の選手7名が、日本代表にも1名が選ばれた。
最終結果はグアラニU-16が日本代表U-16とPK戦にまでもつれ込む接戦の末に優勝したのだが、8月14~17日の4日間、計8試合(1試合は寝坊して観られなかった)の中でどうしても忘れられない試合があった。それがエスパニョールU-16対日本代表U-16の一戦。その試合のことからまず書き始めたい。

前日、ソウル特別市選抜に引き分けたエスパニョールは、この試合に勝たなければ決勝進出の可能性がなくなる大事な試合だったが、前半6分に日本代表DFのクリアミスをついて先制する。しかしソウル選抜戦よりも遥かにプレーが荒く、ファウルを取られるシーンが数え切れないくらいになっていく。とにかく強く当たり、後ろからでも平気で削り、ボールをとにかく奪うことを目的としたプレー。これが本当に16歳のする試合なのか、と思ってしまったくらいの荒さ。
その結果、前半33分にはイエローカード2枚で早々とエスパニョールの選手が退場となってしまう。数的優位に立った日本代表は押し込むが、守りを固めたエスパニョールDFを崩せず、さらにラフになっていくプレーにお互いの苛立ちが隠し切れなくなっていく。
判定への不満をアピールすることが多かったエスパニョールはその怒りがプレーにもますます顕著になり、後半16分、さらにもう一人の選手がレッドカードで退場処分となる。
そうしているうち、エスパニョールベンチの方から何か物が鈍くぶつかるような音がやまないと思って見ると、ベンチに下がった選手やコーチがそのやるかたない怒りを椅子や壁を蹴ったり殴ったりしてぶつけている。それほどまでにエスパニョールは感情のコントロールができなくなっていて、つまり怒りのあまりに「切れて」しまっているように見えた。
しかしこの退場劇で日本代表は気が緩んでしまったのか、後半27分にエスパニョールが再度相手のミスをつき追加点を挙げる。狂喜するエスパニョール。呆然とする日本代表。
だが、ここから日本代表の大逆転が始まる。途中出場のマイク・ハーフナー(前札幌U-15、ディド・ハーフナー元札幌GKコーチの長男)が左からのクロスに合わせてヘッドを決めると、後半44分にはFKを再びヘッドで叩き込み同点に。
このまま引き分けになるのかと思われた瞬間、第4審判の掲げたロスタイムの表示は「10」。
10分間のロスタイム! 確かに度重なるラフプレーがあったとはいえ、10分は長すぎだろうとも思ったが、ピッチ上の選手たちよりも荒れに荒れて収拾のつかないベンチへのペナルティも含んだとすれば妥当とも思われた。それほどまでにエスパニョールは「切れて」いたのだ。
しかし、9人となり、同点とされてもなおエスパニョールは攻め続ける。シュートが外れ、パスを止められるたびにどん、どん、とベンチを蹴る音が響き、途中交代した選手が今にも審判に殴りかからんばかりの形相になってコーチに止められている。もうこの試合がどうなってしまうのか予想もつかなかった後半49分、エスパニョールDFの頭上を抜けるクロスがゴール前に上がる。そこにいたのはまたしてもマイク・ハーフナー。ヘディングでのハットトリックを決めるゴールが突き刺さり、そのままこの試合をものにしたのだった。

試合後もベンチを殴り、ボトルを蹴り、審判を罵り、怒りの収まらないエスパニョールのあまりにも生々しい、激高した感情の光景に、しばらく言葉も思いも出なかった。彼らは糸が切れた凧のようにふらふらと無軌道なのではなく、暴走する原子炉のように手がつけられない様子だった。どちらにしても「気持ちが切れた」ということには変わりはないのだけど、今まで見てきた「気持ちの切れ方」とは全く違うものだった。
僕が今までよく見てきたのは、試合のどこかで「もういいや」と消極的になってどんどん局面で負けていく選手たちであり、退場処分になったとしても諾々と引き上げる後ろ姿だった。けれどもエスパニョールの彼らはそれとは全く正反対で、何度ファウルをとられてもすぐに納得することはなく、審判に抗議し、それでも収まりのつかない棘だらけの気持ちが余計プレーに現れてしまう姿。
それを「気持ちが先立ってしまう若さ」と言ってしまえばそれまでだし、この試合で見せた彼らのプレーは間違いなく非難されるべきものだけれども、その奥では16歳そこそこにして「気持ちの強さ」を誰よりも強く持つということを知っていて、なおかつそれをきちんとプレーで表している姿が僕には驚きだった。
おそらくスペインだけでなく、フットボール的なヒエラルキーが高い国々においてはそんな「気持ちの強さ」というのはすでに教えるまでもない不文律というか国民性のようなものになっていて、その気持ちが刷り込まれているからこそあんなに強いのかもしれないな、と思ったりもした。そしてこれほどまでに(いい意味での)強い気持ちを持ち続けること、それを絶対に切らさないことというのは、勝った日本代表にも言えることであり、何度でも何度でもあきらめずにアタックを繰り返したからこその勝利でもあったわけで、この大会に参加した全てのチームが僕にそういう「気持ち」がどんどん伝わって溢れてくるような試合を見せてくれた。「メンタル」「タフネス」なんて格好つけた言葉じゃなくて、「勝ちたい」「負けたくない」というただひたすらにまっすぐな気持ち。その「気持ち」を再確認することができた4日間だった。

札幌はジョアン・カルロスが去り、張外龍新監督のもとで立て直しを余儀なくされた。しかも(そして「またも」でもある)崖っぷちでの立て直し。
けれど今チームが崖っぷちにいるとかそういうことはもう抜きにして、純粋に「勝ちたい」という気持ちを見せて欲しいというのが僕の希望であり、そんな勝ちたい気持ちがあるのなら結果にして見せてくれるのがプロであるとも思う。それはスコアだけでなく、試合の中身においても、プレーの一つ一つにおいても。
張監督は「気持ち」を何より重視する。勝ちたい気持ちを誰よりも強く持つこと、それを誰よりも強く見せること、そこからまず始めることが大事だと思う。そんな札幌だからこそ、僕は札幌が好きなのだ。

 気持ち、見せてください。


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23:36

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