2008年05月09日

aftertalk #47

clasics #47でした。戦っていないチームの試合を見ることほど、切ないものはない。まさにこないだのヴェルディ戦、前半についてはずっと切なかった。何もできず、だからといって何もしようとせずにただただ攻められ続けている姿はとてもとても悲しいものだ。後半になってようやく光が差したけど、もう遅かった。
03年後半以降も試合を見ていても切なかった。夢を見ていた自分が悪いのかもしれない。1年でJ1復帰、という囁きに染まりすぎていたのかもしれない。98年と同じ道のりになるのかも、という危惧も持ってはいたんだろうけど「ここで復帰しないと、98年どころじゃなくなるのかも」という思いのほうが強かったんだろう。ここで失敗してしまえば小さなクラブに転換して再出発を計らざるを無くなるというのもわかっていたけど、現実はそんなに甘くはなかった。

現実と理想という意味では、この時期の自分とシンクロしていて、言い聞かせるようにしてこの文章を書いたというところもある。延々と先の見えない体調不良が続いていて、試合を見に行くのがやっと、みたいな状況だった。いちばん怖かったというか、ショックだったのは、夜寝るたびに悪夢ばかり見ていたこと。何をやっても熟睡できなくて悪夢ばかり見るものだから寝る事が怖くなってしまって以下無限ループ、朝起きると拳に血がついていた(夢の中で暴れて、実際に寝ながら壁を殴ったらしい)なんてことが何回もあった。あの一時期だけは眠るのも怖く、かといって昼間は十分な睡眠が取れなかったせいで朦朧としていて、何もできなかった。早く元気になりたい、元に戻りたいという思いとは裏腹に眠れない日々が続き、やりたいことがあるのにできないという日々は苦しかった。その後数年をかけて波はありながらも徐々に良くなっていって、今になってはよくここまで回復してくれたもんだと思う。。引き替えにいろいろと失ったものは多いけど。

そんな自分の歴史を思い返してみると、5段階計画と一緒に自分は自分を取り戻していくような歴史だったんだなあと思う。「夢と現実の境界線からはっきりとと現実の側に立ち」とも書いているけど、このときはとにかくも悪夢から現実の世界で生きていくことを必死で望んでいて、勝手にチームの再建と自分の人生をシンクロさせて応援していた。だからチームが最下位になっても見捨てることはできなかったし、一緒に上がってやる、という気持ちだけは切らせてなかった。僕が乖離することなく、現実の世界にとどまって、ここまで回復できたのは、僕自身でもなく、親でもなく、コンサドーレがあったからだ。
しかし回復したとはいえ、それはどうにか働いて日常生活が送れる程度のことであって、まだまだ気をつけていかなければいけないことはいっぱいある。あの時の苦しさを乗り越えたクラブを見ていたから、応援し続けていたから、僕自身も乗り越えられた。もっともっとやりたいことがある。もっともっと応援したいクラブがある。僕が生きている理由は、つまりはそういうこと。

posted by retreat |21:44 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(1)

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