2008年07月01日

七月病

五月の新緑ももう遠い昔のように通り過ぎ、六月の声ももはや過去のこととして忘れ去られようとしている。そして僕にとってはやっかいな七月。

僕は毎年、七月になる前後あたりから体調を崩すようになった。なんだか風邪っぽいなあ、と感じたらそれが始まりの合図。本当に風邪を引き、扁桃腺は腫れたまま一ヶ月にわたり喉の痛みを訴え、身体は重く、腰は痛くなる。おまけに季節変わりで金属アレルギーが酷くなり、上半身には発疹ができてかゆいことこの上ない。そんなこんなでネガティブなスパイラルはどんどんと下降して仕事が嫌になり、自分が嫌になり、世の中が嫌になり、ドームにも厚別にも行く気力まで萎えそうになる。休みの日は無気力なままだらりとベッドの上で過ごし、自分の社会での立ち位置にふと不安を覚えて社会科学や思想の本を読み漁り、かえってどうにもならないまま漠然とした悩みだけが増えていく。一日中眠いくせに夜は眠れず、つけっぱなしの深夜ラジオが毎時に告げる同じニュースを何回も聞いてしまう。僕はこんな一連の症状を「七月病」と呼んでいる。

「五月病」なら聞いたことがあるかもしれない。でも僕のそれは「七月」に訪れるのだ。仕事のストレス、変わる環境、勝てないチーム、ひょっとしたら僕は予想以上に我慢強いのかもしれないだなんてうそぶいてみる。そういった状況が二ヶ月遅れでやってくるのは、もうひとつ理由がある。
誕生日が七月にあるのだけど、その前後になるとどうしようもなくバイオリズムが下がるのだ。ネットや機械で診断などしなくてもはっきりとわかるくらいに。
誕生日と言えば喜ぶものだと世間の相場は決まっているようだけど、どうやらそうではないという人たちも一定数いるようで、そういう意味では僕自身が取り立てて異常ではないと言えることにほっとする。誕生日は一人で祝うものと僕自身で決めていて、まるで親戚の法事を終えて帰ってきたかのような辛気くさい顔をして一人で酒を飲み、酔いつぶれるのがここ何年かの恒例になっている。特に祝って欲しいとも思わない。「祝ってもらえないこと」への裏返しの気持ちが強烈にねじれてしまった帰結ではないのかとも当然のように思うのだが、もはや僕の中ではその感情の出所などどうでも良くなっている。そのあたりの気持ちと六月まで持ち越した疲れやなんやかやが合併して身体に出たのが「七月病」なんじゃないかと思う。酷いときは六月になると同時に出てきたのだが、今年はまだマシな方だ。三十歳という区切りの年齢になるからして、よっぽど酷いことになるんだろうと思っていたら肩すかしを食らうほどにそうでもない。二十五、六あたりの方がよっぽどきつかった。

この「七月病」は、誕生日を迎えたあと急速に終息し、その後はなんでもなかったかのように普通になる。厚別にもドームにもきちんと足を運ぶ。ヒマがあればサテライトも、できればユースも、ということになる。そうして「あの二ヶ月はなんだったのだろうか」と首をかしげるのが毎年の恒例になっている。どうやら僕に学習能力はないらしい。もしくはわかっていても対処できない、というべきか。今の札幌のDF陣みたいだと言ったら怒られるだろうな。
ちなみに今年もご多分に漏れず「七月病」にばっちりと罹患している。扁桃線が腫れっぱなしなのに酒とタバコを止めていないから余計に治りが悪く、そろそろ耳鼻科に行って抗生物質をもらってこようかと思っている。いつぞやのように一ヶ月もこの痛みを引きずるのはさすがに勘弁していただきたい。その前に酒とタバコを止めろと仰る御仁がいたら、まったくもってそのとおりでございますと平身低頭する以外にない。

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九月病 上 (ジェッツコミックス) 


posted by retreat |00:05 | life | コメント(0) | トラックバック(0)

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