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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

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CONSAISM clasics #36

2008年03月31日

clasics #36をお届けします。どんどんと観念的、抽象的、人生論に傾いていくこの連載。コンサドーレのネットマガジンにのせていたのにねえ……。


もうかれこれ一年と三ヶ月くらいになるだろうか。ここに自分の文章を掲載させてもらってからそのくらいの年月が経とうとしている。「自分の思ったことを、そのときの生活に根ざした文章」という主題のもとで、いささかも脱線しながら書かせていただいている。そうして今まで自分がずっと書いていきたかったのは「フットボールには人生におけるあらゆる感情のすべてが入っている」ということだったりする。自分の年齢にしては老成した(つまりジジ臭い)文章のなかでどれだけそのことを伝えられてきただろうか、またこれから伝えられるだろうかという不安もあるが、まずは読者の方々毎回読んでくださってありがとうございます。そんなわけで今回もそういうジジ臭い話。
「フットボールには人生におけるあらゆる感情が入っている」という考え方は先にも書いたけど、考えてみればそれは当然のことだという気がしてくる。人間が生きている以上、そこに表現されるあらゆる行動や思想には人間の感情が介在されて当たり前のものだろう。そうして一人一人がそれぞれ他人とは異なった感情や行動をもって表現し、そういう大量の表現によって社会という存在がつくられている。それはモザイク模様のタペストリーにも似て、一つとして同じ色はない。それゆえに人間の中で生活するということはその折り重なりがあるからこそ面白いのだし、複雑すぎるからこそ時には厄介になる。そうして構成されている社会という奴をどうとらえるのかという感情もまた人それぞれ。じゃあ自分はどう考えているのかと言われれば、ちょっと嫌な事は(ちょっとどころでもなく)あるけれども、それはそれと割り切って咀嚼して自分の生活の中に取り入れています。以上。
そんなわけでフットボールは怒りも歓喜も悲哀も楽しさも、強さも弱さも辛さも嬉しさも、それぞれの判断する善悪良否の価値観も、すべてが入っているものであって、その感情が伝わりやすいものの一つではないかと思っている。それはルールやジャッジメントの明快さ(他のスポーツと比較して)から来るものであり、ボールという「道具」を媒体とするものだからであり(道具が存在することで「偶然」の確率が増えることになる)、または観客とプレイヤーという構図(社会的構造の縮図ともとれる)からくるものでもある。そしてそこにはさっき書いたようないわゆる西洋的な二元論的思想だけではなく、東洋的な死生観や倫理観も含まれているのではないか、というのが最近考えていること。一言で言うと、「フットボールとは、はかないものである」。
「はかない」という言葉を辞書で探していくと、「まよう」「たよりにならない」「無常」という意味ということになる。一言で言ってしまうとこうだろうか。「世の中の常に移り変わる様子をみて感じるかなしさ」。確かにフットボールにはまさにただ一つとして同じものはない。場所は巨大なスタジアムでも、寂れた路地裏でもできる。プレイヤーが違えばプレーも違う。それが22人集まればその違いは数学的な確率を超えた無限がある。それを見る人の動きや感情表現もそれに加わる。けれどもその中にもう一歩深く考えてみると「はかなさ」を感じることはできないだろうか。二度と同じプレーはないこと。同じ時間はないこと。同じ瞬間、同じ感情を分かち合う人がまた違うこと。その感覚をどこか深いところでおぼえているからこそ、同じ場所で同じ瞬間、同じ感情を共有できるのではないだろうか。フットボールという舞台の上で抽出された感情を共有できる。けれども逆に人間それぞれの感情が異なっていることを理解し許容できる。だからこそ感情の共有が成り立つ。そこには入れ子構造的な(もしくはスパイラル的な)連鎖が成り立っている。
たとえば試合の帰り道、夕暮れ色に染まる空の向こうにスタジアムが影になって、それを振り返り仰ぎながらそれぞれの場所へと戻っていく、そのときの何とも言えないかなしさ、さみしさ、静けさ、そんなとき「はかないものだ」と自分は感じる。そしてそれを一番自分に知らしめてくれるのがフットボールなのではないかと思う。自分にとってのフットボールの存在理由は、その一瞬にあるかもしれない。 


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23:46

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aftertalk #35

2008年03月30日

clasics #35でした。
武蔵丸とか貴乃花とかえらい懐かしいなこれまた。

相撲は今もほとんど見ない(何も見るものがないときに適当に流す程度)んだけど、このときは何か思うところがあったのか、それともなにもきっかけとなるネタがなかったからなのか、相撲から話が始まった。「心技体」という言葉はどのスポーツでもあてはまるし、それを高いレベルで実現できている選手というのはどの世界でもトップレベルのアスリートになるのは事実だ。例外的に才能だけが突出している人も中にはいるけど、それはとんでもないレベルで突出しているごく少数のことだと思うので。もしかすると自分がいわゆる「人格者」っていうタイプを好んでいるだけかもしれないけど。いろいろなスポーツの中で見ることのできる「心技体」はそんな風に面白い。

この文章を読み返していて、やっぱり堅い感じがするけれども、その反面落ち着いて冷静にかけているなとも思う。年末年始で落ち着いた気持ちになっていた時間に書いたからだろうか。他人を鼓舞するようでいてその実自分を鼓舞しているような、いつもの余計な熱を持つこともなく淡々と書き進めている。スポーツ選手のことから自分たちの生活のところへ話を引っ張っていく無理矢理さ加減は相変わらずなんだけどね。自分の周りにある「日常」の「生活」というものをどうにかして少しでも楽しいものにしたいと考えていたけれど、これを書いた時期はそういうものがおおよそ不可能なものであると諦めの境地に至っているようなところもあった。仕事というのは楽しくないものだと結論を出してしまって、それ以外に逃げ道を求めるようになっていった。会社からの帰りはとにかく音楽を集中して聞いていたり、本の世界にわざと耽溺していくようにしていたところがある。下手をすると一日一冊読んで、帰り道で三冊買うみたいな感じだったから(そして家には未読の山が積み重なっていく)、ある意味わざと依存させるような方向に自分を持っていっていた。本とか音楽とかだけじゃなく、あの頃はとにかく自分の手の届く範囲で溺れられるものなら何でも良かったんじゃないだろうか。ひたすら歩くこと、ひたすら考えること、何かを書き付けること、聞くこと、読むこと、そしてサッカーを見ることもそこに含まれていた。贔屓目に言っても、よくこの時期に死ななかったと思う。それが良かったのか悪かったのかはもうちょっと時間が経ってみないとわからないけど、それほどにひどい状態だった。とりあえず、あれからの6年間は自分の心は喪われていたも当然の状況だった。それをぎりぎりのところで支えてくれたものが、サッカーだった。サッカーを見て、応援できていたからこそ生きていけた。だから、サッカーは今のところ自分にとっては「命の恩人」のんだと思っている。人じゃないけど。


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23:32

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CONSAISM clasics #35

2008年03月29日

clasics #35です。この回はちょっと話が堅いかなあ。


新年早々フットボールとは一気に違う話だけれど、この間貴乃花引退のニュースをテレビで目にした。相撲は普段は積極的に見ないのだけれども、記者会見のニュースやこれまでの足跡をまとめたVTRを見ていて、その中で武蔵丸との優勝決定戦の映像が流れていた。鬼気迫る集中力、技のせめぎ合い、勝った後の咆哮。そんな貴乃花を見ていて、ふと「心技体」という言葉が浮かんできた。心・技・体、それぞれが高いレベルに凝縮された一番に思えたからだ。
相撲や武道といった、日本古来のスポーツには必ずと言っていいほどこの「心技体」の三文字が登場する。たとえば学校の横断幕や、選手のインタビューの言葉、そしてちなみに自分は剣道をやっていたので、頭に巻く手ぬぐいにもこの字が染め抜かれていた。スポーツを語るときに、この心・技・体という言葉ほど似合った言葉はないように思う。動じぬ心、鍛えた体、磨かれた技術。この三つが高いレベルでかみ合ってこそ、その醍醐味を見る人もする人も味わえるのではないだろうか。
「心技体」という言葉は日本古来のスポーツだけでなく、あらゆるスポーツ全般にも言える言葉だ。体力が無ければ動けないし、心無くして集中力や向上心は生まれない。技術は必死になって練習すれば身に付くが、それを生かす体や心がなくては何もならない。もちろんそれぞれのスポーツではそのうち何を大事にするかが大きく違う。マラソンは何がなくてもまず42.195キロを走り抜く体力が必要だし、比較的身体を動かさない部類に入るであろうカーリングは「氷上のチェス」と呼ばれるように、緻密な戦略や1センチのストーンのズレも許さない技術が大きく勝敗を分ける。様々なスポーツを見て、それぞれの「心技体」の違いを見つけるのもまた、スポーツを見る楽しみだと思う。
それではフットボールはどうだろうか。90分(プラスアルファ)を走る体力。ボールを正確に操る技術。勝ちたい、うまくなりたいと思う心。どれもが必要に思えてくるが、その実どれもが第一ではないとも思えてくる。なぜなら体力が持たなくても技術と経験でカバーする選手もいるし、技術がなくても走りまくって泥臭くプレーする選手もいる。ビジネスだと割り切って高いレベルの技術と体力を見せる選手もいることはいる。どこかそれぞれがそれほど高いレベルになくとも、ほかの二つの能力を生かすことでそれを補って余りあることができると考えるからだ。そしてスポーツという枠の中でそれぞれの競技における「心技体」を楽しむことができるように、フットボールの中でもそれぞれの「心技体」を楽しめるし、そのレベルの高低にかかわらず様々な形で楽しめるスポーツの一つであると思う。
新旧問わずに在籍していた札幌の選手をこの「心技体」に当てはめるなら、村主博正はとてつもない運動量の持ち主だったし、山瀬功治の技術には何度も目を見張った。関浩二の見せたゴールへの意欲は、誰彼問わずに気持ちの伝わるプレーだった。今年の札幌の選手達が見せる「心技体」の形はどんなものだろうかとあれこれ想像して楽しむのも、また一興という思いがある。それぞれの選手がそれぞれの「心技体」をピッチの上で存分に見せつけてくれることが楽しみでならない。
そして、何もこれはスポーツ選手達だけに当てはまった話ではなく、自分たちにも同じことが言えると思う。労働のための体力は必要だし、生活のためだとか夢のためだとか、貫き通せる心も大事なことだ。そして仕事や勉強を通じて学んだ技術はそれぞれの場所で生かすことができる。さらに人それぞれの生活の中での「心技体」の比率はまた異なり、それぞれがそれぞれの生活の形を作っている。そう考えると、自分や周りの生活もそれぞれ少しは楽しめるものになるのではないだろうか、とも思う。
年が明けても相変わらずそんなことを考えながらいつの間にか冬は過ぎ、そしてピッチに転がるボールの行方に目を凝らす季節がまたすぐにやってくるのだろう。


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22:45

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aftertalk #34

2008年03月28日

ということで、clasics #34でした。もうこのDVD持ってないや。どうしたんだっけ。
サッカーをメインテーマにした映画は考えてみるとあまりなくて、この回で触れた『リトル・ストライカー』以外だと、ブータン代表とモントセラト代表の「もうひとつのワールドカップ」のドキュメント映画である『アザー・ファイナル』や、インドの少女が戒律や親の反対に遭いながらも女子サッカーを続ける『ベッカムに恋して』あたりがこの頃公開されていたものだろうか。その後の映画になると『レアル・ザ・ムービー』や『GOAL!』もあるんだけど、そのあたりは個人的にサッカー映画として認めたくないというか……。最近ではグァテマラの娼婦達の結成したサッカーチームを追う『線路と娼婦とサッカーボール』という映画もあって、見てみたいんだけど札幌では上映される予定がないらしい。あと、純粋にサッカーを題材にしたアクション映画として『少林サッカー』もあるか。サッカーの映画がそれなりに公開されだしたのって、やっぱり日韓ワールドカップ後だよなあ。確か『リトル・ストライカー』も、日本での劇場公開はされずにDVDになってやっと日本に来たんだったかなあと思う。

もうひとつ思うことは、自分自身を奮い立たせるような言葉ばっかり書いているなあ、ということだ。こういうことばかり書いているということは、裏返せば自分自身がいろいろなものに怖がっているということに過ぎない。この文章を書いているとき、僕は確かにしんどい時期だった。体調は一向に回復しないままで、むしろ悪化しつつもあった。現実の中を生きていかなければ、なんて決意じみたものを書いているけど裏を返せばそれだけ現実が厳しかったということで、背けそうになる顔を必死になって前を向かせようとしていた。今でもしている。目を背けても背けなくても怖いものは怖いんだけど。
怖いものなんてない人間だと昔は思われていたフシがあるけど、実際は怖いものだらけで応援していた。それをずっと隠し続けていただけのことだ。降格が怖い、負けるのが怖い、認められなくなるのが怖い、仕事ができないのが怖い、何もかも怖い。そして今でも怖がりながら生きている。サッカーはそれを和らげてくれた(こともあった)けど、勝ったのは自分の臆病な心だ。だからこそ、怖がらずに戦う選手達には敬意を払いたいと思っている。


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22:12

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CONSAISM clasics #34

2008年03月27日

clasics #34です。オフシーズンのヒマネタ込み。
なんだかどんどんと内容が抽象的というか、観念的にというか……。


DVDを買ってきた。タイトルは「リトル・ストライカー(原題:there's only one jimmy grimble)という、その名の通りフットボールものの映画。
主人公のジミー・グリンブルはマンチェスター・シティのファンで、ユナイテッドファンばかりの学校でいじめられている毎日。当然フットボールも巧くない(ただし人前では)。そんなある日、彼は謎のお婆さんから「魔法のスパイク」をもらう。そのスパイクを履いて試合に出るとあら不思議、次々とゴールを決めて大活躍。しかし、決勝戦を目前にしてそのスパイクが消えてしまい・・・。というストーリーの映画。
天皇杯で札幌は大分に何とも言えないしょっぱい負けを食らって、「駄目な年は最後の最後まで駄目」というがっくりした感じをたっぷりと味あわされた。その後でこの映画を見て、主人公のフットボールへのまっすぐな憧れやひたむきな気持ちを余計にたっぷり伝えさせられて、ちょっと沈み込んだ気分になってしまった。そして最初にスタジアムに行ったときの、あのどうしようもない高揚感とか、空の高さとか、芝の匂いとかを一気に思い出して、いつの間にかそういうものを忘れていた自分にも気がついた。まあ一言で言ってしまえば安直なセンチメンタリズムに浸っていたということなんだけど、天皇杯のあるこの時期はそういう気持ちになる事が多いということで、とか思って青臭さを隠してみたりする。
 
自分にも主人公のような時期が確かに存在した。おどおどして自信が無くて、あらゆる事が不安で仕方なくて石のように固まっていて、悩んでいた。でも誰しもそういう時を過ごして来たのだろうし、今まさにその時期だという人もいるだろう。かくいう自分もそういう時期から脱しているかといういうと、どこかでしがみついて離していない部分があるし、ひょっとしたらすべてにおいてそうなのかもしれない。それでも否応無しの現実は自分を学生服から背広へと着替えさせて、中身が伴わないまま社会へと放り出す。必要なことは自分で手に入れなければならない。自分で行動しなければ、主張しなければ生活することもままならない。みんなそうしてこの社会の中で生きてきたんだろうと思う。いうなれば自分以外すべてアウェイの世界。勇気を持って、自分を信じて行くしかない。そして映画の中で、主人公はこう告げられる。ピッチで頼れるのは、自分一人だ、と。

応援する時には威勢のいいことを言ったり叫んだり騒いだりしているけれど、日常生活でも自分がそうであるとは限らない。むしろその逆だ。自分はフットボールから何らかの糧をもらって、生きている人種だ。それは言い換えれば勇気と呼んでも良いかもしれないもの。自分を信じる勇気。自分を動かす勇気。勇気も弱気も希望も絶望もすべて詰め込んだピッチからあらゆる事を教えられ、気づかされる。だから自分はフットボールが好きなのだろうし、時に現実をまざまざと見せつけられるフットボールが嫌いになることがあるのだろう。
それでも感じるのは、自分自身を信じなければ何も始まらないのだ、ということ。自分を自分の味方にして、現実の中を生きていくということ。映画の中でも、現実の世界でも、フットボールでも、それ以外でも、要は同じ事なのだ。


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22:22

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aftertalk #33

2008年03月25日

clasics #33でした。
なんかいろいろ感情が噴出した後なので、もう文章自体も無表情というかなんというか。降格した直後はもう何もする気力がなくなってしまって、暇な休日だったらどこかにサッカーでも見に行こうか、となるのだけどそれもなく。
この試合のあともなにも言うこともなく、ただ立ちつくしていた。正直何も言うことはない、というか言うべきことは鹿島までの間に全部出尽くしてしまったというところはあって、正直なところ惰性と言ってしまうとアレなんだけど、「思い出づくり」みたいなところがあったと思う。まあ、思い出づくりで行ったのが何回も通っている仙台じゃあ思い出もなにもあったもんじゃないけど。
そういう気持ちをドームでの最終戦、広島戦でのダンマクがたたき起こしてくれた。「2003 J2 第0節」とゴール裏に掲げられたダンマクは、来期へ繋がるための今、という意識を植え付けてくれた。それが翌シーズンへのモチベーションのひとつにもなった。いったい何ができて何ができなかったのかを冷静に考えることに努めようとした。サポーターとしても、サッカーの戦術や補強といったところからも。

でもそれを考えられるようになったのは最終戦の終わった後からで、それまでは絶望と脱力に溢れていた。体調面もおもわしくなく、イライラを表に出してしまうようになったりして、そんなことをしてしまう自分が嫌になってたまらなかった。個人的には最悪のタイミングで自身の病気と降格というのが重なってしまったわけだけど、それを今更どこにもっていって責めるわけでも無念を晴らすこともできるわけじゃない。今の自分にできるのはあの頃の自分の歴史を「運命だった」と諦めること、割り切っていくこと、なんともできない思いを文章にしていくことくらいだ。それがいいことなのか悪いことなのかもわからないし、良いのか悪いのか白黒つけることでもないんだろうけど、まあとにかく何らかの形で区切りをつけたくてこうして書いてる。


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21:57

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CONSAISM clasics #33

2008年03月22日

clasics #33ということでした。
がっかりとか脱力とかそんな感じの回です。


仙台でのアウェー戦で、とりあえず個人的には今年のリーグ戦は終了した。
最後は結局3月の広島や高知で見たあの札幌に戻ってしまっていて、良いところはまったくもって見られないまま試合終了になった。ただ、試合が終わったときに感じる気持ちが「失望」や「悔しさ」から「いつものことだ」「またかよ」になっただけで、それはそれで悲しいものがあるけれども。
今年を見直して、これほどもどかしいシーズンは無かったのではないかと思っている。それはチームのことであり、自分たちの応援のことであり、またその二つの相互作用的なものであったりする。チームは悪いながらも何とかしたいと思っているところは見受けられたし、自分自身もそれに応えるべく応援をしてきたつもりだけれども、そういう気持ちは負けがこむたびにどんどん薄れていってしまうのが傍目にもわかってきて、そうなるともう目先の一つ一つのプレイを追いかけて、それを原動力として応援していくことしか出来なくなる。そして仙台では、その最後の原動力であった個人の頑張りさえもどこかに忘れてしまっていたかのようなプレイを見て、試合終了後も何と言っていいかわからずに途方に暮れてしまった。今までは途方に暮れたら暮れたでそれなりに何か選手に叫んだりコールをしたりしたのだけれど、今回ばかりはなにも言うことが見つからなかった。
 
こうして途方に暮れたり徒労感に支配されるのには、応援しているのに選手がそれに応えてくれない、もしくはその逆だったりという理由があると思う。でもそれはどっちが悪いという問題ではなくて言ってしまえばどっちもどっち、目くそ鼻くそを笑うような問題だろう。自分たちの伝えたいことを応援という形で具体化できなかったこっちもこっちであり、気持ちを伝えるプレイを見せてくれなかった、勝ちたいという気持ちが見えなかった選手も選手であるとは思う。ただ一つだけ共通して見えていたのは、どちらも悩んでいて、それぞれの悩みはどちら側が手を差し伸べても解決できないということだった。例えるならば数学の近似曲線のように、ちょっと近づいたりちょっと離れたりしながらも同調することなど一度もなく、互いに似たような下降線を描いていたようなものだと思う。互いが互いの気持ちを理解しようとする時間も意識も降格という眼前の危機に逸らされて、全てを曖昧にうやむやにしてしまったままここまで来てしまった、そんな感じがする。
 
だから今やらなければならないことは、それぞれがそれぞれに何をしなければいけなかったのか、何が出来て何が出来なかったのかを改めてきちんと再確認する事だと思う。それは個人としての再確認でもあり、チーム、サポーター、経営陣全てとしての再確認でもある。そうして出来ることからまた始めればいい。性急に何かを求めようとしてそれが現実のものとなることはまず無いと今年学んだのだから。
 
サッカーは人生のようでもあり、人生がサッカーのようであるとも言えるのは昔から誰もが言ってきたことだが、まさに今はそれを体現してしまっている(ただし悪い形で)。良いときもあれば悪いときもあるというのはどの世界でも誰の人生でもあることで、大事なのはそれをどう受け止め、どうすればいいのかを考えることだと思う。何もサッカーに限ったことではない。
だから来年のために、未来のために、自分のために、チームのために、これからのことを考え、それをしかるべき行動に移すこと。自戒を含めて、まずそれが大事だと自覚することから、全てはリスタートするのだろう。


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21:16

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aftertalk #32

2008年03月20日

clasics #32でした。
あの時のことは、悲しかったんだが悲しくなかったんだかもわからない思い出だった。泣いてるから悲しかったんだろうけど。なんだかあの日は悲壮な人もいたし開き直っている人もいたし、なんだかわけわかんない雰囲気だった。でもやっぱり負けたときは悔しくて、悲壮な決意も開き直ることもなく中立の気持ちでいた自分も泣けてきた。降格の瞬間に立ち会ったことに動揺したのか鹿島のサポーターがエールを出してきて、思わず「必ず戻る!」とコールをしたことは忘れられない。そして「戻ってきた!」と今年の開幕戦で叫ぶこともできなかったことは残念だった。あのコールを先導した人間として、開幕戦の鹿島には行っていなければならなかったと思う。

試合後のゴール裏で思いと涙を吐き出したせいなのか、帰りの車中ではわりとさばさばした気持ちになっていた。このとき聴いた音楽は、今でも忘れられない一曲として僕の心の中に刻まれている。「歌謡スカ」と呼ばれる独自の作風で知られるWhat's Love?というバンドがカバーした和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」は、原曲とは180度違っているのに曲自体の持つ明るさや希望といった面をい全く損なっていない名カバーだと思っている。ゲストボーカルに小島麻由美を迎えているバージョンもあるのだけど、そちらも絶品というほかはない。最近ではサンボマスターもカバーした。
このとき僕らが散々リピートしていたのはたしか小島麻由美のほうだったか、もうひとつの横山剣が参加している方だったかは忘れてしまったけど、家に帰るまでずっとこれを聴き続けていたのは忘れていない。車の中でずっと歌い続けて、応援しにいった帰りで声もろくに出ないのに歌って、そうしてちょっとだけ救われた。
今、その曲を聴きながらこの文章を書いているのだけど、聴くたびにあの鹿島からの帰りの光景を思い出す。「あなたに逢えてよかった」と口ずさみながら、本当に札幌に出会って良かったと思っている。今度三角山のラジオに出ることがあったとしたら、この曲をかけよう、あの日の話をしようと思っている。


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22:26

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CONSAISM clasics #32

2008年03月19日

clasics #32です。
ついに訪れてしまった、あの日のこと。


ボールが僕の視界を斜めに横切って、低く動いていく。
札幌の選手は誰もが動けない。
ネットを力無く揺らしたボールと、反対側のゴール裏の歓声が聞こえたところで、僕は柵に座り込んでしまった。
ああ、二部に落ちたんだなぁ、と、それだけを思っていた。
 
いつもと変わらないアウェイ遠征だった。なじみの友人の車に同乗させてもらい、サッカーの話やらあれやこれやと馬鹿な話を続けながら、いつもと変わらない気持ちでスタジアムに入っていって、やるべきことはすべてやろう、出来る限りの応援をしよう、と変わらない気持ちで試合開始を迎えた。
あの日の試合に限って言えば、札幌らしい試合だったと思う。泥臭く、粘ってこらえる我慢するサッカーでいつの間にか先制し(あの時ゴールが決まったのかよくわからなかった)、追いつかれてもPKで引き離した。そして何より「気持ち」の伝わる試合だった。けれども、その「気持ち」の源泉は「勝ちたいと思う願い」ではなくて「二部に落ちたくないという危機感」が大勢を占めていることも伝わってきた。でも今更そう言うことを言える状況なんかじゃ無いから、僕はただ勝ちたくて、目の前で終戦のホイッスルなど聴きたくはなくて、絶対に悔しさで泣いたりしたくなんかはなくて、そう言う気持ちだったのだけれども、結局それら全てを僕は経験してしまった。悄然として、座り込んでしまった。
 
うなだれたまま、顔を覆ったままゴール裏に挨拶に来る選手達に向かって「落ちたらまた上がればいいんだ!けれどもこの悔しさだけは絶対に忘れるな!」と叫んだ。「We Are SAPPORO!」と、背中に向けて叫んだ。そうして誰もいなくなったピッチに向かって「コンサドーレ!」と叫んだとき、泣きたくなかったのに涙が出た。開き直っていた自分ではなく、絶対に諦めたくなかった、最後まで残留を信じていた自分が涙を流していた。落ちたものはしょうがないよとなだめる自分に、悔しい諦められないなんで鹿島なんかにコールなんか返すんだよだから俺らは甘いんだよと吠える自分が同時に存在していて、僕はどちら側に立っていて良いのかわからずにただ悄然としていた。
 
とりあえず片づけて、スタンドを出て、ゴール裏の人たちと少し話をした。そのときに自分が感じたことは
・札幌は落ちるべくして落ちた。総合的に実力で劣るチームに混乱を加えたら降格はやはり当然の帰結だった。
・ゴール裏で応援する人は増えたが、質は変わっていない。つまり、ただそこにいるだけのカッコつけたがりが増えただけの話で、応援の質や意識を見直して行かなければならない。
・結局はサポーターが行動しないと、チームは変わらない。
 
こんな事を話していくうちに感情は落ち着いて(思いを言葉にしたからだろう)、それじゃまたと手を振って、帰り道を急いだ。車中では行きよりもちょっとトーンが落ちながらもやっぱりいつものような馬鹿な話をしていた。ナイター中継を聴きながら、そう言えばMDもってきたんだけどと言って、僕は鞄からMDを一枚取り出して再生した。スカのリズムで今風にアレンジされた「あの鐘を鳴らすのはあなた」。いいねぇ、と言って、僕はなぜか歌い出した。なぜか三回も四回もリピートして、そのたび歌う声は大きくなって、歌いながら横を見るとディズニーランドの照明がきらきらと光っていた。悔しい、悲しい、やりきれない、そんな思いがヤケ気味に歌う声にのって、ほんの少し、夜風に紛れて行った気がした。
「あの鐘を鳴らすのはあなた」と歌ってみてもその鐘自体どこにあるのかわからないまま、鳴らせないまま札幌はここまで来てしまったと思う。けれどもどこかで見失ったその鐘を鳴らさなければいけない。歓喜の鐘を打ち鳴らすのはいつになるのかはわからないけれども、必ず見つけて、鐘の音を響かせたい。そして翌日には普通通りの生活や仕事が待っていて、そこには札幌の降格のことなんてまったく別世界の話なのだけれども、明日はやっぱり気持ちが沈んだまま仕事するんだろうなと考えたらなんだか可笑しくなって、そんな自分のことを鼻で笑った。お前人生が終わった訳じゃないのに何沈んでんだ。そんな声が聞こえたような気がした。お前自身の鐘を鳴らせ、ともう一人の僕が言って、僕らを乗せた車は夜の東京を走っていった。 


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23:02

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aftertalk #31

2008年03月18日

clasics #31でした。
この万博でのガンバ戦のことになると、多摩川の夜の河原を思い出す。

どうしようもなく負けが込んできてどうしようもなく降格の危機どまんなかにいたチームを見ていて、応援していて、それでも伝わらないことが多すぎて、伝えたいことが多すぎた。だからダンマクに書こう、せめて文字で伝えよう、そう思って白い布と黒のスプレー缶を買い込んできてメッセージを書くことにした。思いついたのは万博に行く直前のことだったろうと思う。時間はすっかり遅くなっていて、だからといって明るい室内で作業などできないし、何より六畳の部屋じゃ狭すぎる。だから近くの多摩川沿いの河原まで歩いてどこか街灯の下か、せめて月明かりの明るいところで作業しようと家を出た。
10月にもなるとすっかり秋の空気が伝わってきて、夜にもなると少し肌寒いくらい。その下を僕は歩いて、適当な広さと明るさの場所を見つけて布を広げた。メッセージの中身を決めて書いている途中で携帯が鳴った。近くに住んでいた、他サポの友人からだった。「どうしてる?」という問いかけの声に迷わず「ダンマク作ってる。河原で」と自分の行動に苦笑いしつつ答えると、彼も「今すぐ行く」と笑いながら言ってきた。
でも彼が来たときにはだいたいメッセージは書き終わっていて、あとは文字を太くしたり乾かしたりする時間になっていた。タバコを吸いながら彼といろいろ話をした。話の内容はもう忘れてしまったけど、降格という恐怖を直前に突きつけられていた自分にとってはだいぶ救われた時間だった。思い詰めていた気持ちがいくぶんゆるんで、ほっとした。サッカーを語れる、好きなチームを応援するということの幸せさを改めて静かに味わえたような時間だった。

ただ、そのダンマクを持っていった万博で現実を見せつけられてまた悲しくなったんだけど。雨の降る万博でまたも何もできずに何事もなく敗戦し、僕は怒りとか恐怖を通り越して淡々とした心持ちになってしまっていた。この文章でも書いていた、ひとりのサポーターの女の子が「応援します!」という力強い言葉を伝えてくれたこと、それだけが救いだった。試合前のゴール裏でのミーティング、負ければ翌日の他チームの結果次第で降格も決まってしまうという状況、みんな言葉が重かった。けれどもここでゴール裏の気持ちを固めないと、ある意味で「覚悟」とも呼べるものを決めておかないと、これからみんなバラバラになってしまうんじゃないかと思ったから。やせ我慢でも強がりでも、僕たちは「勝つ」という気持ちと言葉とをはっきりと出して再確認することが必要だった。でもそれは現実とはならず、僕は頭を抱えてどうすればいいのかもわからなくなって、パニックになりそうだった。仲間と酒を飲み、バカ話をすることで何とか紛らわせ、翌日はどうしようもなく海が見たくなって大阪港へひとりで行った。なんで海だったのだろうか。潮風に当たって頭を冷やしたかったのか、一人で考えたかったのか。

今にして思えば、昔から何かに行き詰まったときは水辺に行くことが多かった。横浜に住んでいたときはみなとみらい、川崎に住んでいたときは多摩川、札幌からは車で朝里の近くにある砂浜まで。ずっと水の動きを見つめてタバコを吸いながら考え事をしていて、それで考えがまとまったり悩みが解決する事なんてなかったけれど、一人で思う存分考えたり悩んだりすることができた。この万博の試合で翌日に唐突に海へ行ったのは、そんな僕のひとつの性格というか、癖が出たのかもしれない。当然のように、大阪港に行っても何も片付くものはなかった。できたのは少し冷静になることだけ。こんなふうに自分で悩みを抱え込み、誰にも渡そうとも告げようともしないのが僕の悪いところだ。今でもそれはあんまり変わらない。歓びも喜びも分かち合うけれど、憎しみや苦しみ、悲しみといったネガティブな情報は誰かに伝える事がないし、伝えることが上手くできないし、伝える気持ちもあんまりない。それは伝えてしまうことによってネガティブの伝染を恐れる気持ちと、それ以上に「自分の気持ちはすべて自分のもの」という自己愛と独占欲が強すぎたせいだ。
歳を取ればこういうところ、変わるんだろうかね。半分諦めてるけど。


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22:36

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CONSAISM clasics #31

2008年03月17日

clasics #31、ついに「降格」の二文字が見たくなくても見えてきたころ。
覚悟を決めよう、でも諦めないでいようと思って書いたのだろう文章。


雨に濡れた万博競技場で試合後の撤収作業をしながら、本当に明日このまま2部に落ちてしまうのだろうか、とふと思った。目の前の試合に敗れて決まるのならともかく、何もせずに他のチームの試合結果次第という、なんだかすっきりしない、不思議な終わり方だけはしたくないなと考えながら、雨に濡れたTシャツを着替えもしないで駅へ向かった。雨が身体に染み込み、寒さが増すたびそう思った。実際その夜神戸は負けて、日曜日に何もせずに降格するという事態は避けられたわけだけれども。
アウェイのゴール裏はいつもと変わりなく、チームも良くも悪くも普通で(負け続けているチームに「良く」などという表現はしたくないのだけれど)、それなりの試合をして、それなりに負けた。そういう感覚のゲームだった。けれども、ただやっぱり負けるのだけは嫌で、どうこうしても攻められない、点の取れないチームを見るのはちょっとキツいものがあった。けれども、あの日万博に来た人たちはやはり心底馬鹿なくらいに札幌が好きで、札幌のサッカーが好きで、札幌の選手が好きで、だから2部には落ちたくなくて、だから来たのだと思う。応援したのだと思う。そう思いたい。
万博で、試合前にゴール裏でちょっとした話し合いをした。参加者はそこにいる人みんな。自分の気持ちを言って、みんなも意見を言ってくれて(本音を言うと、もっといろんな人に話して欲しかった)、ゴール裏のみんなの気持ちを確かめあった。
その中でひとり、神戸から来たという女の子はこう言った。

「札幌は今とても厳しい状況だけれども、それでも一生懸命応援したいと思います・・・じゃなくて、応援します!」

ひとつ、大事なことをこの人は言葉にしてくれた、そう思った。
応援したい、と思うだけでは何も起こらないのだ。応援したい、と思うのならば、応援してくれて構わないのだ。立ち上がり、声を枯らして良いのだ。時には強く思うことも大事だけれど、思っているだけじゃ何も伝わらないのだ。残念ながら僕らは、思念をそのまま相手に伝えられるような超能力者集団ではない。だから行動して、言葉で、動きで伝えることが思うことと同じくらいに大事なことなのだ。
 
僕らが生活している社会というやつは、そういう風に出来ていると最近よく感じることがある。どうにもならないことを「どうしよう」とあれこれ方策を練って頭をひねるよりも、「えいっ」と動いてしまった方が案外簡単に終わってすっきりしてしまうことがある。もちろんその逆もある。入念に下準備をして、作戦を考えて行動しないと結果として果たせないこともある。思うことも動くことも、どちらも大事なことで、どちらかだけではうまくいかない。
ただ、一つだけ決定的に違うことがある。社会というやつは、可能性を予想して行動する。可能性があまりにも低ければ、それは諦めや妥協という形を伴って別のモノへと変化する。けれどもゴール裏の僕らは(少なくとも僕は)可能性というものが存在するのならば、それに賭ける。弱い自分も強気な自分も全て認めて、その中にわずかにでも残った可能性を手にするために、あがいている。それは端から見ればどうしようもなく愚かで馬鹿な行為ではあるだろうけれども、今の僕にはそれしか出来ないし、それを信じる以外に方法はない。

しょうがないじゃん、僕は札幌馬鹿なんだから。
試合の翌日、がらんとした大阪港を歩きながら、そんな事を考えた。
 
「われわれの持っている力は意志よりも大きい。だから事を不可能だときめこむのは、往々にして自分自身に対する言い逃れなのだ。」(ラ・ロシュフコー)
 
僕はこの言葉を信じる。信じて、可能性を信じて、自分を信じて、日々を過ごす。
 

※ラ・ロシュフコーの言葉は『ラ・ロシュフコー箴言集』(二宮フサ訳・岩波文庫)による。


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23:38

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aftertalk #30

2008年03月13日

clasics #30でした。
末期感がありありの文章だなあ。今とシンクロしてるのかも、と思ったけどそれは言い過ぎか。かたや崖っぷちからずり落ちそうな状況、今は開幕戦が終わっただけ。ともに初戦で大敗したという事実だけは変わらないけど、こんなところでフラグ立てたってしょうがない。
まあ、負けが込んでいて気持ち的にも荒れていたんだろう。こういう暴力的な文章を書くことはまずない人間だ(と思っている)し、こういう荒れているときに書く文章というのはたいてい内面を鬱々と垂れ流すか自己批判を繰り返すような内容になってしまう。って書いてて最低だな自分とか思ってしまった。このままいくとお家芸の自己批判無限ループ地獄にいってしまいそうなのでむりやりでも話題を変えてしまうことにしよう。

この時に僕が思っていた「泥臭い姿」の札幌を見たい、という夢は、昨年まででだいたい果たされたんじゃないかと思う。J2最下位をはじめ、たいていのアクシデントは経験してきたし、運命に流されそうになったこともあったけどそのたびにチームは乗り越えてJ1に戻ってくることができた。そのことは素直に嬉しい。見ていて気持ちの伝わるサッカーほど魅入られるものはない。海外のサッカーやテレビで見るJリーグでは、そのところがどうも伝わってこなかった。映像回線を経由すると、気持ちも減って伝わるらしい。でも、スペインリーグはちょっとのめり込んだ、特にベティス。ホアキンやアスンソンがばりばり言わせてたころのああいう戦術が好きなのかも。でもレアルとかバルサとかああいう華麗なサッカーはなんだか好きになれなくて、アトレチコとかベティスとかビルバオとか、そういう地味っぽいところのサッカーをよく見ていた。ちなみにスペインばっかり見ていたのは、当時BSアナログがリーガの中継をやっていたから。そのあとブンデスリーガばっかりとかアルゼンチンリーグばっかりとか見ている時期もあったし、どうやら海外リーグの好みというのはあまりないらしい。でもセリエAはあんまり積極的に見なかったかなあ。
結局僕が好きなのは「泥臭くて地味」というサッカーらしい。やれやれ。


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21:14

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CONSAISM clasics #30

2008年03月12日

clasics #30、いよいよせっぱ詰まってまいりましたという02年シーズン終盤の話。
文章にもかなり危機感が増してきております。


思い出したくもない。
打ちのめされた。
末期症状。
涙も枯れ果てた。
 
そんな言葉が埋める札幌関係のネット。電話越しの友人の声。メールで近況を伝えてくれた古いゴール裏仲間の言葉。もう既にみんな「諦めモード」にはいりつつある。否、どっぷりとはまりこんでいる。
いつからか一戦ごとに、選手から集中力が抜けていくのが見えて来るようになった。ゴールが決まらないことを当たり前のこととして受け入れるようになった。勝てないことを芝のせいにした、言い訳めいた戯言しか聞こえてこなくなった。
どんどん選手と僕らとの壁が高くなり、溝が深くなっているような感覚が毎日訪れ、そしてその深さと高さは毎日大きくなっている。
 
会社の中でもそういう話になることが、たまにある。「札幌はもうダメだな」「いつ2部に落ちるの?」と言われる。ただ自分は黙ってその言葉を受け入れるだけだけど、裏側には煮えたぎるのを感情がある。
そういうことを言う奴は誰だ。
俺の札幌を糞味噌に言う奴は誰だ。
正直怒鳴り散らして、殴り飛ばしてやりたい気持ちがあるのだけれど、その原因はやはり札幌自身に帰結する。だから気持ちの持って行き所がない。自分自身に溜め込むしか出来ない。そうして再びはまりこむ泥沼。サッカーを発明したやつを一瞬憎む。
 
そして今、現在の自分自身の心の中は、諦めと反抗が拮抗してせめぎ合っている状態。片方の僕は「もうどーでもいいよ」と足を投げ出し、もう片方は「最後の最後まで勝負を捨てない」と固く決意している。たぶん、どちらも正しい感情だと思う。そしてたぶん、僕のとる行動は後者なのだとも頭のどこかでわかっている。どうせやるなら最後まで応援していたい。文句や涙はそのあとに付随して来ればいい。願わくば涙なんて流さなくて良いようにしたい。僕は札幌に関しては、そういうタイプの人間だ。
 
札幌がたとえ2部に落ちたとしても観客は厚別に1万人程度はコンスタントに入るだろうし、僕は僕でいろんなアウェイの試合に行くだろう。でも、それは「サッカーがある」から行くのではない。「札幌のサッカーがある」からそこに行くのだ。面白いサッカーなんて世界中のどこにでも転がっている。テレビでヨーロッパのどこかのリーグ戦でも見ていればいい。そしてワールドクラスの美技に歓声を上げていればいい。けれども僕が望むのは、どんなに泥臭くても走り続ける札幌の姿なのだ。あるいは、そのプレーの一瞬なのだ。それをただこの目に焼き付けたいから、語りたいから行くのだ。それを望んでいるから、声を張り上げて歌うのだ。
 
もしも僕がずっとずっと歳を取ってこの年の札幌のことを「何もない、ただ負けていった年だった」などとは言いたくない。「それでも立ち向かおうとしていた、少なくともその姿は僕には見えた」と、未来の僕に言わせて欲しい。
 
だから。
 
せめて、運命に諾々と流される姿だけは見せないで欲しい。それでももがいてあがいて苦しんで、どうしようもなくなったときにしか現実を受け入れないで欲しい。身勝手で我が儘な感情論だと思うけれども、僕はそう思っているし、そのために僕自身に出来ることを厭わない。
 
自らを信じて、運命に抗うその姿が、僕の今一番見たい札幌の姿なのだ。


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21:44

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aftertalk #29

2008年03月10日

clasics #29でした。
この回でいちばん悩んだのは最後の引用部分で、自分で散々悩んだ末に「これいいですかね」とメールを送ったら「載せちゃいますか」とあっさり返信がきてちょっと膝の力が抜けた。個人的にはそれほど載せたかった名曲ということ。前に何度か三角山放送局のラジオ「コンサドーレ GO WEST!」に出させていただいたことがあったけど、そのときもこの曲を持っていって「かけてください」とお願いした。そういうこともあって出るときはなにがしかの曲を持っていくのが通例というかお約束みたいな感じになっている。と書いたところで曲を聞き返そうとCDを探したんだけど、見つからないので諦めて戻ってきました。まあそのうち見つかるでしょう。

ラジオは一度紹介で出させてもらって、その後は予定していた方が出られないときに行くという代打的な感じだった。当然ながら持っていくのは全部違う曲で話すことも全部違う。坂本真綾はまあよしとして(するのかよ)、RAGE AGAINST THE MACHINEとかよくかけてくれたなーと思う。しかも「Gerrilla Radio」だもんなあ。次に出るときがあったらまた一日持っていく曲で悩むんじゃないだろうか。今度はもうちょっとサッカーに近いものにしよう。
話すネタも一日頭の片隅で考え続けて、順次メモに取っていくという方法だった。出なかったときは琴似駅前のミスドに入ってうんうんと唸ってた。でもそうやってまとめたネタで話すときはなんとなく堅い感じになっちゃって、話のノリも悪かった。やっぱり自然にでてくるのがいちばん良い。
あの頃はふらふらしてたから自由にラジオに出られたりしていたけど、毎週月曜日が必ずしも休みではない仕事についた(当然、土日も必ずしも休みではない)のでもういつでもどうぞというわけにもいかなくなってしまった。喋りたいこともかけたい曲もいっぱいあるし、また出たいなあ。


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21:11

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CONSAISM clasics #29

2008年03月09日

clasics #29、また今回も内容が現在と微妙にシンクロしております。
狙ってるわけじゃないんだけどなあ。


この原稿を書いている段階(清水戦後)では札幌は潔く最下位。スポーツ新聞に「降格マジック」なんて書かれている現状だ。
自分もその清水戦のため、日本平へ行って来た。歴代の清水FCの選手名碑(1986年のメンバーの中には「赤池保幸」の名前!)を見ながら昔のサッカー(主にJリーグ創設時代)についてあれこれと昔話をしたり、静岡の暑さに半ば呆れたりしながら競技場へ行った。それでもって日本平のガサガサに荒れたピッチと、先週の磐田戦とはまるで違う、凧の糸が切れたような選手たちの集中力に負けてきた。
試合が終わったあと自分には怒る気力などもうとっくのとうに失せてしまっていて、ここまできたらやれるところまでやってやろうじゃないか、と逆に思っている位だ。実際試合前にはそういうことを話し合ったりもした。それでも点を取られるとゴール裏の声は萎え、薄れ、聞こえなくなる。思っていることとやっていることが逆を向いている、どうすりゃいいんだと思いながら友人の車に乗せてもらって帰った。
 
目の前に見えないけれども、そんなに大きく見えないけれども越えられない壁。乗り越えられそうで阻まれる壁。その向こうは大きく開けているのに、それがわかっているのに、あと少しなのに、あと一歩なのに、それが届かない、踏み出せない。「壁を乗り越える」という現実がこんなに歯がゆいもので、越えられないことが悔しいことは初めてだったかもしれない。
でもこういう経験を味わったわけがないというわけではないし、誰もがどこかで経験することなのだと思う。自分もそうだし、社会人になってからその経験は増える一方だ。自分では解決できなかったことを何事もないように解決する先輩。その一声で全てをOKにしてしまう上司。道を切り開いて行くいろんな人々の姿。そういう姿を見るたびに「自分にはなぜできないのか」と自分に問いかけて、考えてきた。決定的に自分と異なる何かを持って生まれてきたという訳でもないのに、自分よりハイレベルのハードルを越えていく人々に歯がみして、劣等感を味わって、そのたびそれでも上へ上へ行きたいと思い、そのたび壁から落ち続けている。
 
自分の札幌に対する気持ちも同じ。もう少しなのに。もっともっと上へ行きたいのに。行けるのに。そう思う気持ちばかりが募っていって、現実とと遊離しかけている感覚。そんなことを言ってもいきなり見知らぬ力が備わる訳じゃない。一歩一歩、ピッチを踏みしめて、パスを出して、声を枯らして、旗を振って、拳を突き上げて、そのひとつひとつの動作と思いの積み重ねでしかこの壁を突き破ることはできないのだ。さっきの会社の先輩や上司も、自分にできることを自分にできるだけやってきて、今があるのだ。
そう思うと、なぜか気持ちがふっと軽くなった。背伸びやジャンプを繰り返していっても、たぶんこの壁は破れない。一つ一つ築き上げて、そうして乗り越えるしか方法がないのだ。そしてそうするためには今できることをできるだけやるしかないのだ。
この、今の自分の感覚を他の言葉で言い換えれば「開き直る」「腹をくくる」という言葉になるのかもしれない。でもそれと「諦め」とは異なる座標にあるものだ。諦めは開き直りも腹をくくりもしない、傍観するだけだ。自分は諦めないで、今やれることを、今打ち破れる壁を抜けてゆき、そしてそれを延々と続け、より高いハードルを越えて行くのだと思う。それが否が応でも直面する現実で、この世にある限り人それぞれに突きつけられた枷でもあるのだと思う。それならば答えはもう、出ている。それを認識するだけだ。
 
自分は応援しかできない立場なのだから、やることはただひとつ、今この現実でできることを、精一杯に世界に放つ、それだけ。

声を挙げないで終わりたくはない。
だから今この瞬間を、瞬間を越えた刹那を、現実を見据えて見える未来を自分のものとするために、応援したい。
諦めないことを決めたら、それだけで自然と顔を上げて、前へ進めるはずだ。
 
 ひとつだけ決めよう
 あとは自由
 約束しよう
 あきらめない
 それだけがルール
              (坂本龍一・甲本ヒロト『桜のころ』)


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23:06

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aftertalk #28

2008年03月07日

clasics #28でした。
もう明日は開幕か。早いなあ。
なかなかいいタイミングでこの文章が出てきてよかった。あんまり読んでる人いないけど。

この頃、よくサッカーの夢を見ていた。本当にこの文章で書いていたような夢を何度も。浅い眠りでこんな夢を見て、がばっと夜明け前に起き上がると寝汗でシャツがびっしょりと濡れていて、着替えてもう一度寝ようとしても再び眠気が訪れることはなく、はっきりしない意識のまま夜明けを迎えた。ラジオからは今日の天気と朝いちばんのニュース、憎たらしいほどの青空、きょうも暑くなりそうな日射し。身体を壊してからそんな日が多くなった。
とにかく治そう、病気に打ち勝ってやろう、ばりばり仕事ができるようになってあの連中を見返してやろう、と思いすぎていたのだろうか。肩の力が入りすぎていて、それがまた病気の進行を早めてしまっていたのだろうか。薬を飲んで一ヶ月、まだこのころ大きな変化は見あたらなかった。とりあえず普通に応援ができるようになったのはよかったけど、それ以外のところでは苦しい毎日が続いていた。

最近、あんな夢を見なくなってきた。もう自分に勝とうとか病気に勝とうとか、あんまり思わなくなったのだろうか。とにかく身体を休めること以外に病気を治す近道はない、ということに気づいたのは数年前になってやっとのことだった。それとも、人生全般において戦う気持ちが萎えてしまったのか、老成したのか、衰えたのか。自分の気持ちとうまくつきあう術を覚えたのだろうなあ、やっと。6年も経ってから、やっと。
でもあの夢を見て、少しだけがんばれたのも事実なんだ。サッカーで必死に戦うあの夢だけで、一日がんばれたことがあるのも本当のことなんだ。コンサドーレが、僕の人生を救ってくれた瞬間があるのも、本当なんだ。だから僕はコンサドーレに恩返しがしたい。今すぐじゃなくていい、遠い未来のことでもいい。どれほど感謝しても足りないくらいのこの気持ちを、応援というのもそうだけど、もっと他の方法でも。
でもその前に、僕は僕の身体を治さなくてはならない。普通に働ける身体を、あの日の恐怖を忘れるくらいの充実を、僕は取り戻さなくてはならない。それが僕にとっての、最初の恩返し。サッカーへの、支えてくれた人への、甘えさせてくれた人への、いろいろな人たちへの恩返し。


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19:30

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CONSAISM clasics #28

2008年03月06日

clasics #28、このあたりから人生とか哲学とかに例えてサッカーを語り出してきます。文章もなんだか堅い。


サッカー好きでサッポロ好き、という以外は、僕も多分に漏れずごく普通のサラリーマンの一人だ。
朝起きて、シャワーを浴びて、ネクタイを締め、ラッシュにもまれて東京へ、会社へと早足で歩く。
そんなわけでごく普通にいろいろと仕事上での失敗も成功もある。電話をかけたり、会議したり、資料作ったり、ごまかしたり、謝ったり。上司とのコミュニケーションがうまくいかなくていらいらしたり。プレゼンで何を話そうか考えて耳から煙が出そうになったり。でも割合に日々のサイクルは単調で、普通の人とおそらく変わらない平日の一日。でも、すべてがうまくいく日があれば、トラブルが起こって不安と焦燥と憤りのうちに一日が終わることもある。
そういうときに、僕がしおれた菜っぱみたいに疲れてぼーっと帰りの電車に乗っているときに、ふと浮かんでくる情景がある。

場所はどこかの競技場。厚別にも似ているし国立競技場のようでもあるけれど、はっきりとはわからない。僕はそこを俯瞰的に眺めている。ちょうどテレビが反対側のゴール裏を映すみたいな感じ。
やがて選手入場の音楽が鳴り、同時にゴール裏ではそれをかき消すほどの声が響き渡る。めいめいが手にマフラーを、旗を広げ、赤と黒の荘厳な光景が僕の視界を覆う。
フェアプレーフラッグに先導されて、札幌の、そして対戦相手の選手が入場してくる。スタンドに向かって整列し手を挙げる選手達。それと同時に縦に揺れるスタンド、振り回されるマフラーや旗、爆発する声、声、声。この試合を見るために集った人々が想いのたけをありったけに、これでもかと言うほどに詰め込んでみんなが歌っている。叫んでいる。
試合が始まる。応援の響きは一層その激しさを増し、それに押されるかのように札幌の選手達は前線から果敢にプレスをかけていく。ディフェンスラインも高く、全体がコンパクトになっているのがよくわかる。そして何より選手達から伝わる気持ちがある。戦う気持ち。勝ちたい気持ち。
札幌ペースのまま試合は進んでいく。ボランチの選手が見事な読みでインターセプトを見せ、サイドアタッカーが鋭いドリブルで切れ込んでいく。早くて低い理想的なクロスがゴール前に上がる。けれどもフォワードが合わせられなくてボールがこぼれ、そこに猛然と走り込んできた二列目がミドルを放つが相手キーパーに止められる。あっと言う間にカウンターで攻め込まれ、ディフェンスのスライディングもわずかに届かず、絶好の位置からシュートを打たれる。けれどもキーパーが美しい弧を描いて跳びクリアする。ラインを上げろ、と味方を鼓舞するキーパーの姿と重なり合うように歌い出すスタンド。僕らのチームを鼓舞し、僕らも選手も共に戦うための歌。声とボールの動きが止むこともなく、そこに一つの大きな響きが体中を埋め尽くしていく感覚。
 
だけどそうして浮かべている情景には、不思議なことに選手の顔がはっきりと出てこない。背番号もあやふやだし、そもそもここがどこなのかもわからない。相手のチームがどこなのかもわからない。そんな奇妙なビジョンの中で、僕の頭の中の札幌は攻め込んでいく。ピンチを招く。先制する。失点を食らう。さらに逆転ゴールを奪われる。
一瞬の静寂、そして悲鳴とため息が漏れる。けれども、選手の誰かがすぐさまボールを脇に抱えて走り出す。取られたら取り返すばかりだ、と言わんばかりの勢いでボールをセンターサークルに置き、そして札幌は再び攻撃を掛ける。同点ゴールが決まる。耳を貫く狂喜の声。赤と黒の交錯する、猛り狂うスタンド。みんなが立ち上がり、拳を突き上げて喜んでいる姿。けれども、それすらもどこか朧気な世界。顔の見えない情景。
 
けれどもその断片だけは何故か見えるのだ。体を張り歯を食いしばって競り合うディフェンダーの顔が。相手を振りきってサイドラインを疾走するアタッカーの形相が。隙をついてゴールを奪わんとするフォワードの野生に満ちた目が。ゴールキーパーの絶対的な自信に溢れた表情が。
そして僕は理解してしまう。すべての表情が僕のものであることを。ピッチの上で戦う自分、それをゴール裏で後押しする自分、冷静にメインスタンドから見つめている自分。僕は僕自身と戦っている。自身の内面からの恐怖や不安と。日常の些末で不快な出来事と。思うようにいかない意志の疎通と。それらすべてが、この競技場の中で展開されている。
その感覚を覚えて、僕はそれらに打ち勝ちたいと強く想う。自分の人生の中で、一度で良いからとてつもなく美しいゴールを決めたいと想う。僕が守るべきモノを守りたいと想う。信じるべき人を信じていたいと想う。胸を張って歩きたいと願う。

夜の漆黒に染まった電車の中で窓に映った自分の目を見つめながら、僕はそんな想いが心の奥から湧き出る音を聞く。そして同時に、現実の世界では目の前のドアが開き、僕は電車を降りる。そして生きる力を(というのは大げさで照れるけれども)、完全にではないけれど、いくらか取り戻している自分に気づいて家へと歩き出す。そして眠り、目覚めれば新しい朝が始まる。僕はユニフォームを着て社会のピッチへ駆け出していく。
  
このゲームがまだまだ続くことを、僕は本能でわかっている。
だから、がむしゃらに走って、走って、走ってやる。
ゴールを決めてやる。
この試合に勝ってやる。


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23:01

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aftertalk #27

2008年03月05日

aftertalk #27でした。
世界は変わらないな、とつくづく思う。大きな意味でね。

飲み会から帰る途中の電車の中で、滅多にこない緊急配信のスカイメール(そのころはJ-PHONEを使っていた)が来ていることに気づいて見てみたら「航空機が衝突」みたいな簡単な中身だったので、せいぜい突っ込んだのはセスナとか小さいのなんだろう、大げさだなあ、つか緊急配信って初めてだなあ、と思いながら家に帰った。電車の中でも大して騒いでなかったし。で、帰っていつも通りにラジオをつけたまま寝ようとしたら、なんだか雰囲気が違う。いつもの番組じゃないし、緊迫してる。よく聴くと、どうもさっきメールで来てた事件のことらしい。これはちょっとおおごとなのかも、と思ってテレビをつけた。
画面の向こうには黒煙を上げる超高層ビル、そして突っ込んでゆく航空機、崩れてゆくビル、悲鳴、土煙、轟音、悲鳴、悲鳴、悲鳴。不思議と恐怖への実感はなかった。テレビの向こうの出来事、としか思えなかった。現実に感じたのは、翌日会社に行ってからだった。シンガポールの支社とアメリカの現地法人は大騒ぎ、社内メールが飛び交い、どこからか衝突の瞬間の動画ファイルが流れてきた。そこまできてはじめて、これは恐ろしいことが起きたんじゃないのかと思い始めた。そうして何よりもそれを感じたのが、やはりスタジアムで見た光景だった。半旗の掲げられたポール、戸惑いながらも黙祷を捧げる観客、そのなかの一人として僕もいた。正直、何に対して祈ればいいのかわからなかった。ただわかるのは数千人の犠牲と、世界に与えた衝撃の大きさ。

そうして酷薄かも知れないが、僕は海の向こうで起きたテロリズムよりも、サッカーの方が大事だった。サッカーを通してしか世界のことを考えられなかった。今でもそういう部分はある。そうして、事実を受け止める以上の勇気を持つことは、今でもできていない。自分が残酷だとか冷徹だとか、そういう事も書いているけど、本当のところはただひとつ、臆病者だった、ただそれだけ。
あれからテロと戦う世界が日常になって、その中でもサッカーは続いていて、僕らは違和感を持ちつつも従っていって(というか、そのまま押し流されていって)それに慣れていった。
あの時感じた無力感だけは、せめて忘れたくない。


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23:42

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CONSAISM clasics #27

2008年03月04日

clasics #27、今回は忘れられない「あの日」の記憶。


僕は帰りの電車に乗り込んだところだった。
酔いの回った頭で携帯電話を取り出してメールを打とうとしたら、ニュースメールが来ていたらしい。どこかのビルに飛行機が突っ込んだ、というニュースだった。
ふーん、と僕は思って、携帯をしまい込んでウォークマンを耳に押し込んだ。
 
家に帰って、着替えて、シャワーを浴びて、酔い醒ましにオレンジジュースを飲みながらいつものようにラジオを聴いていた。けれども、いつもとは様子がおかしい。
緊迫した声でしかし冷静に、国営放送のアナウンサーがニュースを伝えている。ずっと、繰り返し伝えている。どこかの国の様子が中継されている。どうやらさっきメールで見たニュースのことらしい。
今度はテレビをつけてみた。やっぱりニュースしかやってない。テレビの向こう。ニューヨーク。エンパイアステートビルの片方から上がる黒煙。聞こえてくる誰かの叫び声とざわめき。程なくして、僕は二機目の航空機が、もう片方のビルに突っ込んでいくのをブラウン管の向こうに見た。怪獣映画の撮影みたいに、まるで何かの冗談みたいにあっけなく、ニューヨークの象徴が崩れ落ちていく。テレビの向こうのニューヨークは、悲劇と混乱にに支配された別世界だった。
あの日から一年が過ぎた。あの事件に関してあまりにも多くの物事が行われ、語られ、憎しみと悲しみが世界を覆った。必死の救助活動、テロリズムへの怒り、そしてテロリストへの報復。そして、すべてはまだ終わってはいない。
 
Jリーグでも(そしてもちろんそれ以外のスポーツも)テロリズムの落とした影を僕は目にした。J2を見に行った大宮サッカー場では半旗が掲げられ、黙祷が捧げられた。湘南のゴール裏には「NO TERROLISM」の横断幕があった。FC東京のサポーターは、「Imagine」の歌詞を横断幕にして、ゴール裏に掲げた。星条旗も見かけられた。けれどもそれらはもうここにはない、一年たった今では。それは全く関心がなくなったということではなくて、心の中に占める「9.11」の記憶がだんだんと小さくなっているのか、あるいはこの日常に麻痺してしまったのかもしれない。繰り返される空爆。異常なまでの警戒態勢。熱心にイスラム主義を語り、アメリカを語る人たちの姿。日常の中に霞んでゆくそれらのすべて。けれどそれでもサッカーは続いていく。笛が鳴り、プレーが始まる。そういう世界に僕たちは生きている。
そして僕は目の前の試合に没頭する。ゴールの瞬間を待ちわびる。2時間後の勝利の雄叫びを心待ちにしている。打ちひしがれるなんてまっぴらだ。そのときの僕の頭の中には、サッカーボールが駆けめぐっている。今この瞬間に空爆が始まり、何千人死んだとしても、いくつビルが倒れたとしても、僕はおそらく気にしない。たとえそれを事実として知っていても。そうして家に帰ったらテレビなりラジオなりをつけてニュースを見たり聴いたりするだろう。そしてそのとき初めて恐怖に打ち震える人々のことを思うのだろう。
テロの犯人探しの向こう側、遙か離れた極東の島国で、今日もホイッスルが吹かれる。そして僕らの生活は変わらないし、この国のサッカーは変わらない。残酷であっても、冷徹であっても、それがこの世界の事実。そしてサッカーから僕が得るのは、その事実を受け止める勇気。

それでも僕はあの日の大宮サッカー場の雰囲気を忘れたくないと思う。選手も、審判も、観客もみんな立ち上がり、未だ見知らぬテロの犠牲者に黙祷を捧げた一分間を。その中で僕が感じた、この世界で生きているという事実を。アフガニスタンでワールドカップを見ていた人々の目を。たった一つのボールを追いかけ、スタジアムに駆けてゆくカブールの子供達の姿を。それがいま、僕が思うこと。絶対に忘れたくないこと。


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23:47

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aftertalk #26

2008年03月02日

clasics #26でした。

からっとした文章を、と言っていた割にはですます口調をやめたのと、過剰な表現を抑えたくらいで中身の湿っぽさは余り変わっていないと言うことに今更気づいた。どこかで達観しているように見えて、その実は中身が叙情に寄りかかりすぎているのがあからさまでなんだかなあ、というのがこの文章を読み返していて思う最初の感想。でもこれを書いたときの充実感というのは、コラムを書いていた中でいちばんだろう。やっと書きたいものに近づけたという気持ちと、ですます口調でおとなしくのっそりしていた文章の殻を一枚破ってやったぜというちょっとだけ凶暴な感情と、日常のショックを少しは振り払うことができたかなという爽快感があった。

これを書いたテキストファイルの日付を見ると、だいたい前回から一ヶ月。「aftertalk #25」で書いたように本当にぶっ倒れてしまってから2週間会社を休み、さらにサッカーを見に行くのも自重し、やっと見られたのがこの国立アウェイ2連戦だった。正直に言うと2週間会社を休むだけではなんの解決にもなってなくて、経過を観察した医者の人は「もう少し休んだ方がいいんじゃないか」というアプローチをしてくれたんだけど、自分から断ってしまった。なぜって、会社で「干される」ことが怖かったから。病気になってしまったことをカミングアウトした、その時点で干されることが確定だということにこのとき何で気づけなかったんだろうなあ。それも考えられないほどの状況だったのか。復帰してもまあ、仕事に関しては相変わらずだった。むしろ理解もされず、疎まれる視線を感じてしまうこともあるくらいだった。体育会系の人たちばかりが揃っている部署でわかってくれなんて、言う方が間違っているのかもしれないけれど。だから、誰にも理解してもらおうなんて積極的に言わないようにしたし、そういう人たちとは距離を置くようにした。ゴール裏の人たちの方が、よっぽど理解をしてくれた。なんで相談してくれなかった、って怒ってくれたのは同じくゴール裏で応援していた友人だったし、とにかく休めって言ってくれたのもその人だった。

ひょっとしたら自分は、この文章で浮世を離れたかったのかもしれない。地に足の着いたおとなしい文章をやめてきっぱりさっぱりと綴ることで、痛ましく疎ましくどうしようもなくふてくされてばかりいた、背広を着て淡々と仕事をする日々のことを。あんな毎日を送っているのは自分じゃないとでも言いたげな気持ちを、今読み返しているあの日の文章から感じている。まあその気持ちも間違っていたんだけど。それをどんどんと推し進めていった結果、僕の日常と休日との乖離はますます酷くなっていって、もはや自分が何者でなんのために生きているのか、どうしてサッカーを見てどうして仕事をしているのかもわからなくなっていった。そんな真夏の国立で、東京に3点取られて完敗したあの夜に、僕はまたぶっ倒れた。こんどは熱射病で。
どうしようもない試合内容(これ以上どこに手を施していいのかわからない、と言う意味で)でまたも完敗したあの夜、僕はゴール裏で選手が挨拶に来るか来ないかのところでくったりと手すりにもたれかかり、意識が混濁していた。そのまま立っているのも面倒くさくなってもういいや、とコンクリートにそのまま倒れ込んだら起き上がれなくなってしまった。身体がほてってだるく、なにもできない。明らかに脱水症状か熱射病かのどちらかだった。僕が倒れているのに気づいた誰かが警備員経由で担架を呼んでくれたらしく、抱えられて乗せられて運ばれていくのをかすかに記憶に残している。ちゃんと意識が戻ったとき、そこは国立競技場の医務室だった。付き添ってくれた川崎サポの友人に「コンタクト外して」って言ったのよなあ、確か。そのあとどこからかスポーツドリンクが差し入れられてきて、よくよく見たらサッポロビールのサプライしているやつだった。どうやら、どこかで僕が倒れた事を聞きつけたスタッフの人が持ってきてくれたらしい。7年も8年も経ってなんだが、あのスタッフのひとにはまだお礼を言っていない。その節はありがとうございました。

とりあえず一心地ついたあと、他の友人が車で送ってくれることになり僕はふらふらと乗り込んだ。首都高を抜けて走る車の中、シートを倒してずっと夜空を見上げながら過ごしていたけど、頭の中では「どうしてこんなことになっちゃったんだろう、どうしよう」という、明日の自分の姿さえも想像できないことへの恐れと不安にずっと追いかけられていた。
いくら考えても、どうしようもなかった。


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22:53

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CONSAISM clasics #26

2008年03月01日

今回はclasics #26、奔流怒濤の大事件(私事)を経て文体もからっとさせてリニューアル。
これ書いたとき、読んだ人たちから「一気に文体変えてどうしたの?」と良く言われたことは内緒。


僕はもともと日焼けしやすい肌をしている。
一度日に焼けると腕やら顔やらが赤くなるより早く黒くなり、あっという間に夏男完成しかも長持ち、という訳だ。ただし外見だけだけれども。
今年の夏もずいぶんと日に焼けた。会社の人から「そんなに焼けて、どこ行ったんだ?」なんて聞かれるくらい日に焼けていた。そのたびに僕は答える。
「あ、これですか?サッカー焼けですよ~。」
 
今年の僕の肌が(特に腕周りが)どうして一気に焼けてしまったかはだいたい見当がつく。国立2連戦のせいだ。まず最初の浦和戦。僕は10時半という、普通の「サッカーファン」なら決して来ないであろう時間に国立競技場に来た。しかも僕より早く並んでいる人がいた。つくづくサポーターというのはナンギな性分やなぁ、なんて関西人でもないのにつぶやいて列に並ぶ。
アウェイサポーターの入場列は代々木門というところに設定されていて、この場所が晴れた空の下で並ぶには少々、いやかなりきつい場所である。だだっ広い入場ゲートの前にロープが縦に幾列も張られていてそこに並ぶわけなのだけど、何しろ燦々と降り注ぐお天道様の紫外線を遮る場所がどこにもない。気温30度をとっくにオーバーした東京のど真ん中で、そこに並んでいるだけでたらたらと汗がつたい、じりじりと僕のカラダの露出した部分を容赦なく焼いていく。これはもう我慢大会の領域である。このままいたらぶっ倒れるなおい、なんて話しながら日陰を求めてその場を離れた。
隣にある明治公園の木陰でわずかな涼をとりながらいろんな人たちと話す。顔なじみの人、久しぶりの人。初めて顔を合わせる人。いろんな話。バカ話。昔の話。そして応援の話。そうして時間は過ぎていって、入場しても太陽はまだ高い位置から僕たちを照らしていた。けれどもその長い長い、僕たちを照らしていた太陽はどうやら僕たちの味方ではなかったらしい。時間は流れ、夜になり、ボールが動き、ゴールが決まり、ゴールを決められ、そして最後は僕たちの目の前でVゴールを押し込まれ負けた。
次の日にベッドからのそっと起きあがり洗面所の鏡を見ると、腕と、サングラスをかけていたところ以外の顔の部分が信じられないほど黒くなっていた自分がいた。
びっくりした。
 
それでも僕は(というかアウェイサポーターの大多数も、だけど)翌週の日曜日に同じ顔で同じ場所に並んでいた。しかし今回は余裕を持って開門1時間前の4時前に代々木門に同じように並んでいた(そもそも浦和戦が異常だったのだが)。そしてきっちり僕よりも前に来て並んでいる人がいた。ここまで来るとサポーターというのはナンギな性分、とか言うよりも何か別の苦行を課せられる坊主のような感じだ。
しかしそんな夕方になろうとする時間でも、東京の夏の太陽は容赦なく照りつけてくる。何しろ浦和戦の時に並んでいる最中梅雨明けをしやがった太陽だ。夏本番の太陽だ。僕の皮膚が焼ける感触が伝わってくる。
そうして僕らは同じように入場して、キックオフを待ち、そしてボールが動き、立て続けに3点取られて「がんばれ札幌!」なんて東京サポーターからコールされて、素直に頑張って見たけれど1点取るのが精一杯で、負けた。
そうしてやはり次の日に鏡を見ると、いっそう黒さを増した肌がそこにあった。
肌に当たるシャワーが痛かった。
 
2,3日経つと焼けた部分が痛み出した。じんじんと火傷をしたような痛みではなく、日に焼けた部分をひりついた痛みが静かにまとわりついてくる感覚。
痛いなぁ、と呟きながらそれでも僕は何でもない風をして会社に行き、仕事を淡々とこなした。ミスもあったし成功もあった。普通の生活の日々。
そうしてその間、札幌は未だ勝ち星をあげられずにいた。
ただ、もう日に焼けるのは嫌だった。真っ昼間に外に出てどこまで焼けてしまうのか、、たまったもんじゃない。
 
8月10日も普通の休日だった。キックオフの頃に買い物にでて、冷房の効いた百貨店のお中元コーナーで祖母の喜寿祝いを探していた。気に入ったものを見つけて、支払いを済ませて、携帯で試合結果を確認する。1対0。勝った。やっと勝った。
嬉しかったと言うよりもほっとしたという感情の方が強くて、僕は人知れずため息をついた。深く、大きい安堵のため息をついた。そしてそろそろ帰ろうかと腕時計を見る。
腕時計の巻かれた僕の左腕。真っ黒だった腕は少しいい具合に色が落ちてきて、あのひりついた痛みもいつの間にか消えていた。

僕たちの夏はこれから始まる、と思った。ここからが札幌の夏だ。そしてそれがずっとずっと続くことを、熱く僕らを焦がすことを、勝利が続くことを心の中で願いながら、僕はいつもよりも軽いフットワークで人々をかわし、電車に乗った。
 


post by retreat

23:29

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