2008年03月31日
CONSAISM clasics #36
clasics #36をお届けします。どんどんと観念的、抽象的、人生論に傾いていくこの連載。コンサドーレのネットマガジンにのせていたのにねえ……。
もうかれこれ一年と三ヶ月くらいになるだろうか。ここに自分の文章を掲載させてもらってからそのくらいの年月が経とうとしている。「自分の思ったことを、そのときの生活に根ざした文章」という主題のもとで、いささかも脱線しながら書かせていただいている。そうして今まで自分がずっと書いていきたかったのは「フットボールには人生におけるあらゆる感情のすべてが入っている」ということだったりする。自分の年齢にしては老成した(つまりジジ臭い)文章のなかでどれだけそのことを伝えられてきただろうか、またこれから伝えられるだろうかという不安もあるが、まずは読者の方々毎回読んでくださってありがとうございます。そんなわけで今回もそういうジジ臭い話。 「フットボールには人生におけるあらゆる感情が入っている」という考え方は先にも書いたけど、考えてみればそれは当然のことだという気がしてくる。人間が生きている以上、そこに表現されるあらゆる行動や思想には人間の感情が介在されて当たり前のものだろう。そうして一人一人がそれぞれ他人とは異なった感情や行動をもって表現し、そういう大量の表現によって社会という存在がつくられている。それはモザイク模様のタペストリーにも似て、一つとして同じ色はない。それゆえに人間の中で生活するということはその折り重なりがあるからこそ面白いのだし、複雑すぎるからこそ時には厄介になる。そうして構成されている社会という奴をどうとらえるのかという感情もまた人それぞれ。じゃあ自分はどう考えているのかと言われれば、ちょっと嫌な事は(ちょっとどころでもなく)あるけれども、それはそれと割り切って咀嚼して自分の生活の中に取り入れています。以上。 そんなわけでフットボールは怒りも歓喜も悲哀も楽しさも、強さも弱さも辛さも嬉しさも、それぞれの判断する善悪良否の価値観も、すべてが入っているものであって、その感情が伝わりやすいものの一つではないかと思っている。それはルールやジャッジメントの明快さ(他のスポーツと比較して)から来るものであり、ボールという「道具」を媒体とするものだからであり(道具が存在することで「偶然」の確率が増えることになる)、または観客とプレイヤーという構図(社会的構造の縮図ともとれる)からくるものでもある。そしてそこにはさっき書いたようないわゆる西洋的な二元論的思想だけではなく、東洋的な死生観や倫理観も含まれているのではないか、というのが最近考えていること。一言で言うと、「フットボールとは、はかないものである」。 「はかない」という言葉を辞書で探していくと、「まよう」「たよりにならない」「無常」という意味ということになる。一言で言ってしまうとこうだろうか。「世の中の常に移り変わる様子をみて感じるかなしさ」。確かにフットボールにはまさにただ一つとして同じものはない。場所は巨大なスタジアムでも、寂れた路地裏でもできる。プレイヤーが違えばプレーも違う。それが22人集まればその違いは数学的な確率を超えた無限がある。それを見る人の動きや感情表現もそれに加わる。けれどもその中にもう一歩深く考えてみると「はかなさ」を感じることはできないだろうか。二度と同じプレーはないこと。同じ時間はないこと。同じ瞬間、同じ感情を分かち合う人がまた違うこと。その感覚をどこか深いところでおぼえているからこそ、同じ場所で同じ瞬間、同じ感情を共有できるのではないだろうか。フットボールという舞台の上で抽出された感情を共有できる。けれども逆に人間それぞれの感情が異なっていることを理解し許容できる。だからこそ感情の共有が成り立つ。そこには入れ子構造的な(もしくはスパイラル的な)連鎖が成り立っている。 たとえば試合の帰り道、夕暮れ色に染まる空の向こうにスタジアムが影になって、それを振り返り仰ぎながらそれぞれの場所へと戻っていく、そのときの何とも言えないかなしさ、さみしさ、静けさ、そんなとき「はかないものだ」と自分は感じる。そしてそれを一番自分に知らしめてくれるのがフットボールなのではないかと思う。自分にとってのフットボールの存在理由は、その一瞬にあるかもしれない。
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2008年03月30日
aftertalk #35
clasics #35でした。 武蔵丸とか貴乃花とかえらい懐かしいなこれまた。 相撲は今もほとんど見ない(何も見るものがないときに適当に流す程度)んだけど、このときは何か思うところがあったのか、それともなにもきっかけとなるネタがなかったからなのか、相撲から話が始まった。「心技体」という言葉はどのスポーツでもあてはまるし、それを高いレベルで実現できている選手というのはどの世界でもトップレベルのアスリートになるのは事実だ。例外的に才能だけが突出している人も中にはいるけど、それはとんでもないレベルで突出しているごく少数のことだと思うので。もしかすると自分がいわゆる「人格者」っていうタイプを好んでいるだけかもしれないけど。いろいろなスポーツの中で見ることのできる「心技体」はそんな風に面白い。 この文章を読み返していて、やっぱり堅い感じがするけれども、その反面落ち着いて冷静にかけているなとも思う。年末年始で落ち着いた気持ちになっていた時間に書いたからだろうか。他人を鼓舞するようでいてその実自分を鼓舞しているような、いつもの余計な熱を持つこともなく淡々と書き進めている。スポーツ選手のことから自分たちの生活のところへ話を引っ張っていく無理矢理さ加減は相変わらずなんだけどね。自分の周りにある「日常」の「生活」というものをどうにかして少しでも楽しいものにしたいと考えていたけれど、これを書いた時期はそういうものがおおよそ不可能なものであると諦めの境地に至っているようなところもあった。仕事というのは楽しくないものだと結論を出してしまって、それ以外に逃げ道を求めるようになっていった。会社からの帰りはとにかく音楽を集中して聞いていたり、本の世界にわざと耽溺していくようにしていたところがある。下手をすると一日一冊読んで、帰り道で三冊買うみたいな感じだったから(そして家には未読の山が積み重なっていく)、ある意味わざと依存させるような方向に自分を持っていっていた。本とか音楽とかだけじゃなく、あの頃はとにかく自分の手の届く範囲で溺れられるものなら何でも良かったんじゃないだろうか。ひたすら歩くこと、ひたすら考えること、何かを書き付けること、聞くこと、読むこと、そしてサッカーを見ることもそこに含まれていた。贔屓目に言っても、よくこの時期に死ななかったと思う。それが良かったのか悪かったのかはもうちょっと時間が経ってみないとわからないけど、それほどにひどい状態だった。とりあえず、あれからの6年間は自分の心は喪われていたも当然の状況だった。それをぎりぎりのところで支えてくれたものが、サッカーだった。サッカーを見て、応援できていたからこそ生きていけた。だから、サッカーは今のところ自分にとっては「命の恩人」のんだと思っている。人じゃないけど。
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2008年03月29日
CONSAISM clasics #35
clasics #35です。この回はちょっと話が堅いかなあ。
新年早々フットボールとは一気に違う話だけれど、この間貴乃花引退のニュースをテレビで目にした。相撲は普段は積極的に見ないのだけれども、記者会見のニュースやこれまでの足跡をまとめたVTRを見ていて、その中で武蔵丸との優勝決定戦の映像が流れていた。鬼気迫る集中力、技のせめぎ合い、勝った後の咆哮。そんな貴乃花を見ていて、ふと「心技体」という言葉が浮かんできた。心・技・体、それぞれが高いレベルに凝縮された一番に思えたからだ。 相撲や武道といった、日本古来のスポーツには必ずと言っていいほどこの「心技体」の三文字が登場する。たとえば学校の横断幕や、選手のインタビューの言葉、そしてちなみに自分は剣道をやっていたので、頭に巻く手ぬぐいにもこの字が染め抜かれていた。スポーツを語るときに、この心・技・体という言葉ほど似合った言葉はないように思う。動じぬ心、鍛えた体、磨かれた技術。この三つが高いレベルでかみ合ってこそ、その醍醐味を見る人もする人も味わえるのではないだろうか。 「心技体」という言葉は日本古来のスポーツだけでなく、あらゆるスポーツ全般にも言える言葉だ。体力が無ければ動けないし、心無くして集中力や向上心は生まれない。技術は必死になって練習すれば身に付くが、それを生かす体や心がなくては何もならない。もちろんそれぞれのスポーツではそのうち何を大事にするかが大きく違う。マラソンは何がなくてもまず42.195キロを走り抜く体力が必要だし、比較的身体を動かさない部類に入るであろうカーリングは「氷上のチェス」と呼ばれるように、緻密な戦略や1センチのストーンのズレも許さない技術が大きく勝敗を分ける。様々なスポーツを見て、それぞれの「心技体」の違いを見つけるのもまた、スポーツを見る楽しみだと思う。 それではフットボールはどうだろうか。90分(プラスアルファ)を走る体力。ボールを正確に操る技術。勝ちたい、うまくなりたいと思う心。どれもが必要に思えてくるが、その実どれもが第一ではないとも思えてくる。なぜなら体力が持たなくても技術と経験でカバーする選手もいるし、技術がなくても走りまくって泥臭くプレーする選手もいる。ビジネスだと割り切って高いレベルの技術と体力を見せる選手もいることはいる。どこかそれぞれがそれほど高いレベルになくとも、ほかの二つの能力を生かすことでそれを補って余りあることができると考えるからだ。そしてスポーツという枠の中でそれぞれの競技における「心技体」を楽しむことができるように、フットボールの中でもそれぞれの「心技体」を楽しめるし、そのレベルの高低にかかわらず様々な形で楽しめるスポーツの一つであると思う。 新旧問わずに在籍していた札幌の選手をこの「心技体」に当てはめるなら、村主博正はとてつもない運動量の持ち主だったし、山瀬功治の技術には何度も目を見張った。関浩二の見せたゴールへの意欲は、誰彼問わずに気持ちの伝わるプレーだった。今年の札幌の選手達が見せる「心技体」の形はどんなものだろうかとあれこれ想像して楽しむのも、また一興という思いがある。それぞれの選手がそれぞれの「心技体」をピッチの上で存分に見せつけてくれることが楽しみでならない。 そして、何もこれはスポーツ選手達だけに当てはまった話ではなく、自分たちにも同じことが言えると思う。労働のための体力は必要だし、生活のためだとか夢のためだとか、貫き通せる心も大事なことだ。そして仕事や勉強を通じて学んだ技術はそれぞれの場所で生かすことができる。さらに人それぞれの生活の中での「心技体」の比率はまた異なり、それぞれがそれぞれの生活の形を作っている。そう考えると、自分や周りの生活もそれぞれ少しは楽しめるものになるのではないだろうか、とも思う。 年が明けても相変わらずそんなことを考えながらいつの間にか冬は過ぎ、そしてピッチに転がるボールの行方に目を凝らす季節がまたすぐにやってくるのだろう。
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2008年03月28日
aftertalk #34
ということで、clasics #34でした。もうこのDVD持ってないや。どうしたんだっけ。 サッカーをメインテーマにした映画は考えてみるとあまりなくて、この回で触れた『リトル・ストライカー』以外だと、ブータン代表とモントセラト代表の「もうひとつのワールドカップ」のドキュメント映画である『アザー・ファイナル』や、インドの少女が戒律や親の反対に遭いながらも女子サッカーを続ける『ベッカムに恋して』あたりがこの頃公開されていたものだろうか。その後の映画になると『レアル・ザ・ムービー』や『GOAL!』もあるんだけど、そのあたりは個人的にサッカー映画として認めたくないというか……。最近ではグァテマラの娼婦達の結成したサッカーチームを追う『線路と娼婦とサッカーボール』という映画もあって、見てみたいんだけど札幌では上映される予定がないらしい。あと、純粋にサッカーを題材にしたアクション映画として『少林サッカー』もあるか。サッカーの映画がそれなりに公開されだしたのって、やっぱり日韓ワールドカップ後だよなあ。確か『リトル・ストライカー』も、日本での劇場公開はされずにDVDになってやっと日本に来たんだったかなあと思う。 もうひとつ思うことは、自分自身を奮い立たせるような言葉ばっかり書いているなあ、ということだ。こういうことばかり書いているということは、裏返せば自分自身がいろいろなものに怖がっているということに過ぎない。この文章を書いているとき、僕は確かにしんどい時期だった。体調は一向に回復しないままで、むしろ悪化しつつもあった。現実の中を生きていかなければ、なんて決意じみたものを書いているけど裏を返せばそれだけ現実が厳しかったということで、背けそうになる顔を必死になって前を向かせようとしていた。今でもしている。目を背けても背けなくても怖いものは怖いんだけど。 怖いものなんてない人間だと昔は思われていたフシがあるけど、実際は怖いものだらけで応援していた。それをずっと隠し続けていただけのことだ。降格が怖い、負けるのが怖い、認められなくなるのが怖い、仕事ができないのが怖い、何もかも怖い。そして今でも怖がりながら生きている。サッカーはそれを和らげてくれた(こともあった)けど、勝ったのは自分の臆病な心だ。だからこそ、怖がらずに戦う選手達には敬意を払いたいと思っている。
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2008年03月27日
CONSAISM clasics #34
clasics #34です。オフシーズンのヒマネタ込み。 なんだかどんどんと内容が抽象的というか、観念的にというか……。
DVDを買ってきた。タイトルは「リトル・ストライカー(原題:there's only one jimmy grimble)という、その名の通りフットボールものの映画。 主人公のジミー・グリンブルはマンチェスター・シティのファンで、ユナイテッドファンばかりの学校でいじめられている毎日。当然フットボールも巧くない(ただし人前では)。そんなある日、彼は謎のお婆さんから「魔法のスパイク」をもらう。そのスパイクを履いて試合に出るとあら不思議、次々とゴールを決めて大活躍。しかし、決勝戦を目前にしてそのスパイクが消えてしまい・・・。というストーリーの映画。 天皇杯で札幌は大分に何とも言えないしょっぱい負けを食らって、「駄目な年は最後の最後まで駄目」というがっくりした感じをたっぷりと味あわされた。その後でこの映画を見て、主人公のフットボールへのまっすぐな憧れやひたむきな気持ちを余計にたっぷり伝えさせられて、ちょっと沈み込んだ気分になってしまった。そして最初にスタジアムに行ったときの、あのどうしようもない高揚感とか、空の高さとか、芝の匂いとかを一気に思い出して、いつの間にかそういうものを忘れていた自分にも気がついた。まあ一言で言ってしまえば安直なセンチメンタリズムに浸っていたということなんだけど、天皇杯のあるこの時期はそういう気持ちになる事が多いということで、とか思って青臭さを隠してみたりする。 自分にも主人公のような時期が確かに存在した。おどおどして自信が無くて、あらゆる事が不安で仕方なくて石のように固まっていて、悩んでいた。でも誰しもそういう時を過ごして来たのだろうし、今まさにその時期だという人もいるだろう。かくいう自分もそういう時期から脱しているかといういうと、どこかでしがみついて離していない部分があるし、ひょっとしたらすべてにおいてそうなのかもしれない。それでも否応無しの現実は自分を学生服から背広へと着替えさせて、中身が伴わないまま社会へと放り出す。必要なことは自分で手に入れなければならない。自分で行動しなければ、主張しなければ生活することもままならない。みんなそうしてこの社会の中で生きてきたんだろうと思う。いうなれば自分以外すべてアウェイの世界。勇気を持って、自分を信じて行くしかない。そして映画の中で、主人公はこう告げられる。ピッチで頼れるのは、自分一人だ、と。 応援する時には威勢のいいことを言ったり叫んだり騒いだりしているけれど、日常生活でも自分がそうであるとは限らない。むしろその逆だ。自分はフットボールから何らかの糧をもらって、生きている人種だ。それは言い換えれば勇気と呼んでも良いかもしれないもの。自分を信じる勇気。自分を動かす勇気。勇気も弱気も希望も絶望もすべて詰め込んだピッチからあらゆる事を教えられ、気づかされる。だから自分はフットボールが好きなのだろうし、時に現実をまざまざと見せつけられるフットボールが嫌いになることがあるのだろう。 それでも感じるのは、自分自身を信じなければ何も始まらないのだ、ということ。自分を自分の味方にして、現実の中を生きていくということ。映画の中でも、現実の世界でも、フットボールでも、それ以外でも、要は同じ事なのだ。
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2008年03月25日
aftertalk #33
clasics #33でした。 なんかいろいろ感情が噴出した後なので、もう文章自体も無表情というかなんというか。降格した直後はもう何もする気力がなくなってしまって、暇な休日だったらどこかにサッカーでも見に行こうか、となるのだけどそれもなく。 この試合のあともなにも言うこともなく、ただ立ちつくしていた。正直何も言うことはない、というか言うべきことは鹿島までの間に全部出尽くしてしまったというところはあって、正直なところ惰性と言ってしまうとアレなんだけど、「思い出づくり」みたいなところがあったと思う。まあ、思い出づくりで行ったのが何回も通っている仙台じゃあ思い出もなにもあったもんじゃないけど。 そういう気持ちをドームでの最終戦、広島戦でのダンマクがたたき起こしてくれた。「2003 J2 第0節」とゴール裏に掲げられたダンマクは、来期へ繋がるための今、という意識を植え付けてくれた。それが翌シーズンへのモチベーションのひとつにもなった。いったい何ができて何ができなかったのかを冷静に考えることに努めようとした。サポーターとしても、サッカーの戦術や補強といったところからも。 でもそれを考えられるようになったのは最終戦の終わった後からで、それまでは絶望と脱力に溢れていた。体調面もおもわしくなく、イライラを表に出してしまうようになったりして、そんなことをしてしまう自分が嫌になってたまらなかった。個人的には最悪のタイミングで自身の病気と降格というのが重なってしまったわけだけど、それを今更どこにもっていって責めるわけでも無念を晴らすこともできるわけじゃない。今の自分にできるのはあの頃の自分の歴史を「運命だった」と諦めること、割り切っていくこと、なんともできない思いを文章にしていくことくらいだ。それがいいことなのか悪いことなのかもわからないし、良いのか悪いのか白黒つけることでもないんだろうけど、まあとにかく何らかの形で区切りをつけたくてこうして書いてる。
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2008年03月22日
CONSAISM clasics #33
clasics #33ということでした。 がっかりとか脱力とかそんな感じの回です。
仙台でのアウェー戦で、とりあえず個人的には今年のリーグ戦は終了した。 最後は結局3月の広島や高知で見たあの札幌に戻ってしまっていて、良いところはまったくもって見られないまま試合終了になった。ただ、試合が終わったときに感じる気持ちが「失望」や「悔しさ」から「いつものことだ」「またかよ」になっただけで、それはそれで悲しいものがあるけれども。 今年を見直して、これほどもどかしいシーズンは無かったのではないかと思っている。それはチームのことであり、自分たちの応援のことであり、またその二つの相互作用的なものであったりする。チームは悪いながらも何とかしたいと思っているところは見受けられたし、自分自身もそれに応えるべく応援をしてきたつもりだけれども、そういう気持ちは負けがこむたびにどんどん薄れていってしまうのが傍目にもわかってきて、そうなるともう目先の一つ一つのプレイを追いかけて、それを原動力として応援していくことしか出来なくなる。そして仙台では、その最後の原動力であった個人の頑張りさえもどこかに忘れてしまっていたかのようなプレイを見て、試合終了後も何と言っていいかわからずに途方に暮れてしまった。今までは途方に暮れたら暮れたでそれなりに何か選手に叫んだりコールをしたりしたのだけれど、今回ばかりはなにも言うことが見つからなかった。 こうして途方に暮れたり徒労感に支配されるのには、応援しているのに選手がそれに応えてくれない、もしくはその逆だったりという理由があると思う。でもそれはどっちが悪いという問題ではなくて言ってしまえばどっちもどっち、目くそ鼻くそを笑うような問題だろう。自分たちの伝えたいことを応援という形で具体化できなかったこっちもこっちであり、気持ちを伝えるプレイを見せてくれなかった、勝ちたいという気持ちが見えなかった選手も選手であるとは思う。ただ一つだけ共通して見えていたのは、どちらも悩んでいて、それぞれの悩みはどちら側が手を差し伸べても解決できないということだった。例えるならば数学の近似曲線のように、ちょっと近づいたりちょっと離れたりしながらも同調することなど一度もなく、互いに似たような下降線を描いていたようなものだと思う。互いが互いの気持ちを理解しようとする時間も意識も降格という眼前の危機に逸らされて、全てを曖昧にうやむやにしてしまったままここまで来てしまった、そんな感じがする。 だから今やらなければならないことは、それぞれがそれぞれに何をしなければいけなかったのか、何が出来て何が出来なかったのかを改めてきちんと再確認する事だと思う。それは個人としての再確認でもあり、チーム、サポーター、経営陣全てとしての再確認でもある。そうして出来ることからまた始めればいい。性急に何かを求めようとしてそれが現実のものとなることはまず無いと今年学んだのだから。 サッカーは人生のようでもあり、人生がサッカーのようであるとも言えるのは昔から誰もが言ってきたことだが、まさに今はそれを体現してしまっている(ただし悪い形で)。良いときもあれば悪いときもあるというのはどの世界でも誰の人生でもあることで、大事なのはそれをどう受け止め、どうすればいいのかを考えることだと思う。何もサッカーに限ったことではない。 だから来年のために、未来のために、自分のために、チームのために、これからのことを考え、それをしかるべき行動に移すこと。自戒を含めて、まずそれが大事だと自覚することから、全てはリスタートするのだろう。
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2008年03月20日
aftertalk #32
clasics #32でした。 あの時のことは、悲しかったんだが悲しくなかったんだかもわからない思い出だった。泣いてるから悲しかったんだろうけど。なんだかあの日は悲壮な人もいたし開き直っている人もいたし、なんだかわけわかんない雰囲気だった。でもやっぱり負けたときは悔しくて、悲壮な決意も開き直ることもなく中立の気持ちでいた自分も泣けてきた。降格の瞬間に立ち会ったことに動揺したのか鹿島のサポーターがエールを出してきて、思わず「必ず戻る!」とコールをしたことは忘れられない。そして「戻ってきた!」と今年の開幕戦で叫ぶこともできなかったことは残念だった。あのコールを先導した人間として、開幕戦の鹿島には行っていなければならなかったと思う。 試合後のゴール裏で思いと涙を吐き出したせいなのか、帰りの車中ではわりとさばさばした気持ちになっていた。このとき聴いた音楽は、今でも忘れられない一曲として僕の心の中に刻まれている。「歌謡スカ」と呼ばれる独自の作風で知られるWhat's Love?というバンドがカバーした和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」は、原曲とは180度違っているのに曲自体の持つ明るさや希望といった面をい全く損なっていない名カバーだと思っている。ゲストボーカルに小島麻由美を迎えているバージョンもあるのだけど、そちらも絶品というほかはない。最近ではサンボマスターもカバーした。 このとき僕らが散々リピートしていたのはたしか小島麻由美のほうだったか、もうひとつの横山剣が参加している方だったかは忘れてしまったけど、家に帰るまでずっとこれを聴き続けていたのは忘れていない。車の中でずっと歌い続けて、応援しにいった帰りで声もろくに出ないのに歌って、そうしてちょっとだけ救われた。 今、その曲を聴きながらこの文章を書いているのだけど、聴くたびにあの鹿島からの帰りの光景を思い出す。「あなたに逢えてよかった」と口ずさみながら、本当に札幌に出会って良かったと思っている。今度三角山のラジオに出ることがあったとしたら、この曲をかけよう、あの日の話をしようと思っている。
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2008年03月19日
CONSAISM clasics #32
clasics #32です。 ついに訪れてしまった、あの日のこと。
ボールが僕の視界を斜めに横切って、低く動いていく。 札幌の選手は誰もが動けない。 ネットを力無く揺らしたボールと、反対側のゴール裏の歓声が聞こえたところで、僕は柵に座り込んでしまった。 ああ、二部に落ちたんだなぁ、と、それだけを思っていた。 いつもと変わらないアウェイ遠征だった。なじみの友人の車に同乗させてもらい、サッカーの話やらあれやこれやと馬鹿な話を続けながら、いつもと変わらない気持ちでスタジアムに入っていって、やるべきことはすべてやろう、出来る限りの応援をしよう、と変わらない気持ちで試合開始を迎えた。 あの日の試合に限って言えば、札幌らしい試合だったと思う。泥臭く、粘ってこらえる我慢するサッカーでいつの間にか先制し(あの時ゴールが決まったのかよくわからなかった)、追いつかれてもPKで引き離した。そして何より「気持ち」の伝わる試合だった。けれども、その「気持ち」の源泉は「勝ちたいと思う願い」ではなくて「二部に落ちたくないという危機感」が大勢を占めていることも伝わってきた。でも今更そう言うことを言える状況なんかじゃ無いから、僕はただ勝ちたくて、目の前で終戦のホイッスルなど聴きたくはなくて、絶対に悔しさで泣いたりしたくなんかはなくて、そう言う気持ちだったのだけれども、結局それら全てを僕は経験してしまった。悄然として、座り込んでしまった。 うなだれたまま、顔を覆ったままゴール裏に挨拶に来る選手達に向かって「落ちたらまた上がればいいんだ!けれどもこの悔しさだけは絶対に忘れるな!」と叫んだ。「We Are SAPPORO!」と、背中に向けて叫んだ。そうして誰もいなくなったピッチに向かって「コンサドーレ!」と叫んだとき、泣きたくなかったのに涙が出た。開き直っていた自分ではなく、絶対に諦めたくなかった、最後まで残留を信じていた自分が涙を流していた。落ちたものはしょうがないよとなだめる自分に、悔しい諦められないなんで鹿島なんかにコールなんか返すんだよだから俺らは甘いんだよと吠える自分が同時に存在していて、僕はどちら側に立っていて良いのかわからずにただ悄然としていた。 とりあえず片づけて、スタンドを出て、ゴール裏の人たちと少し話をした。そのときに自分が感じたことは ・札幌は落ちるべくして落ちた。総合的に実力で劣るチームに混乱を加えたら降格はやはり当然の帰結だった。 ・ゴール裏で応援する人は増えたが、質は変わっていない。つまり、ただそこにいるだけのカッコつけたがりが増えただけの話で、応援の質や意識を見直して行かなければならない。 ・結局はサポーターが行動しないと、チームは変わらない。 こんな事を話していくうちに感情は落ち着いて(思いを言葉にしたからだろう)、それじゃまたと手を振って、帰り道を急いだ。車中では行きよりもちょっとトーンが落ちながらもやっぱりいつものような馬鹿な話をしていた。ナイター中継を聴きながら、そう言えばMDもってきたんだけどと言って、僕は鞄からMDを一枚取り出して再生した。スカのリズムで今風にアレンジされた「あの鐘を鳴らすのはあなた」。いいねぇ、と言って、僕はなぜか歌い出した。なぜか三回も四回もリピートして、そのたび歌う声は大きくなって、歌いながら横を見るとディズニーランドの照明がきらきらと光っていた。悔しい、悲しい、やりきれない、そんな思いがヤケ気味に歌う声にのって、ほんの少し、夜風に紛れて行った気がした。 「あの鐘を鳴らすのはあなた」と歌ってみてもその鐘自体どこにあるのかわからないまま、鳴らせないまま札幌はここまで来てしまったと思う。けれどもどこかで見失ったその鐘を鳴らさなければいけない。歓喜の鐘を打ち鳴らすのはいつになるのかはわからないけれども、必ず見つけて、鐘の音を響かせたい。そして翌日には普通通りの生活や仕事が待っていて、そこには札幌の降格のことなんてまったく別世界の話なのだけれども、明日はやっぱり気持ちが沈んだまま仕事するんだろうなと考えたらなんだか可笑しくなって、そんな自分のことを鼻で笑った。お前人生が終わった訳じゃないのに何沈んでんだ。そんな声が聞こえたような気がした。お前自身の鐘を鳴らせ、ともう一人の僕が言って、僕らを乗せた車は夜の東京を走っていった。
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2008年03月18日
aftertalk #31
clasics #31でした。 この万博でのガンバ戦のことになると、多摩川の夜の河原を思い出す。 どうしようもなく負けが込んできてどうしようもなく降格の危機どまんなかにいたチームを見ていて、応援していて、それでも伝わらないことが多すぎて、伝えたいことが多すぎた。だからダンマクに書こう、せめて文字で伝えよう、そう思って白い布と黒のスプレー缶を買い込んできてメッセージを書くことにした。思いついたのは万博に行く直前のことだったろうと思う。時間はすっかり遅くなっていて、だからといって明るい室内で作業などできないし、何より六畳の部屋じゃ狭すぎる。だから近くの多摩川沿いの河原まで歩いてどこか街灯の下か、せめて月明かりの明るいところで作業しようと家を出た。 10月にもなるとすっかり秋の空気が伝わってきて、夜にもなると少し肌寒いくらい。その下を僕は歩いて、適当な広さと明るさの場所を見つけて布を広げた。メッセージの中身を決めて書いている途中で携帯が鳴った。近くに住んでいた、他サポの友人からだった。「どうしてる?」という問いかけの声に迷わず「ダンマク作ってる。河原で」と自分の行動に苦笑いしつつ答えると、彼も「今すぐ行く」と笑いながら言ってきた。 でも彼が来たときにはだいたいメッセージは書き終わっていて、あとは文字を太くしたり乾かしたりする時間になっていた。タバコを吸いながら彼といろいろ話をした。話の内容はもう忘れてしまったけど、降格という恐怖を直前に突きつけられていた自分にとってはだいぶ救われた時間だった。思い詰めていた気持ちがいくぶんゆるんで、ほっとした。サッカーを語れる、好きなチームを応援するということの幸せさを改めて静かに味わえたような時間だった。 ただ、そのダンマクを持っていった万博で現実を見せつけられてまた悲しくなったんだけど。雨の降る万博でまたも何もできずに何事もなく敗戦し、僕は怒りとか恐怖を通り越して淡々とした心持ちになってしまっていた。この文章でも書いていた、ひとりのサポーターの女の子が「応援します!」という力強い言葉を伝えてくれたこと、それだけが救いだった。試合前のゴール裏でのミーティング、負ければ翌日の他チームの結果次第で降格も決まってしまうという状況、みんな言葉が重かった。けれどもここでゴール裏の気持ちを固めないと、ある意味で「覚悟」とも呼べるものを決めておかないと、これからみんなバラバラになってしまうんじゃないかと思ったから。やせ我慢でも強がりでも、僕たちは「勝つ」という気持ちと言葉とをはっきりと出して再確認することが必要だった。でもそれは現実とはならず、僕は頭を抱えてどうすればいいのかもわからなくなって、パニックになりそうだった。仲間と酒を飲み、バカ話をすることで何とか紛らわせ、翌日はどうしようもなく海が見たくなって大阪港へひとりで行った。なんで海だったのだろうか。潮風に当たって頭を冷やしたかったのか、一人で考えたかったのか。 今にして思えば、昔から何かに行き詰まったときは水辺に行くことが多かった。横浜に住んでいたときはみなとみらい、川崎に住んでいたときは多摩川、札幌からは車で朝里の近くにある砂浜まで。ずっと水の動きを見つめてタバコを吸いながら考え事をしていて、それで考えがまとまったり悩みが解決する事なんてなかったけれど、一人で思う存分考えたり悩んだりすることができた。この万博の試合で翌日に唐突に海へ行ったのは、そんな僕のひとつの性格というか、癖が出たのかもしれない。当然のように、大阪港に行っても何も片付くものはなかった。できたのは少し冷静になることだけ。こんなふうに自分で悩みを抱え込み、誰にも渡そうとも告げようともしないのが僕の悪いところだ。今でもそれはあんまり変わらない。歓びも喜びも分かち合うけれど、憎しみや苦しみ、悲しみといったネガティブな情報は誰かに伝える事がないし、伝えることが上手くできないし、伝える気持ちもあんまりない。それは伝えてしまうことによってネガティブの伝染を恐れる気持ちと、それ以上に「自分の気持ちはすべて自分のもの」という自己愛と独占欲が強すぎたせいだ。 歳を取ればこういうところ、変わるんだろうかね。半分諦めてるけど。
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