2008年03月30日

aftertalk #35

clasics #35でした。
武蔵丸とか貴乃花とかえらい懐かしいなこれまた。

相撲は今もほとんど見ない(何も見るものがないときに適当に流す程度)んだけど、このときは何か思うところがあったのか、それともなにもきっかけとなるネタがなかったからなのか、相撲から話が始まった。「心技体」という言葉はどのスポーツでもあてはまるし、それを高いレベルで実現できている選手というのはどの世界でもトップレベルのアスリートになるのは事実だ。例外的に才能だけが突出している人も中にはいるけど、それはとんでもないレベルで突出しているごく少数のことだと思うので。もしかすると自分がいわゆる「人格者」っていうタイプを好んでいるだけかもしれないけど。いろいろなスポーツの中で見ることのできる「心技体」はそんな風に面白い。

この文章を読み返していて、やっぱり堅い感じがするけれども、その反面落ち着いて冷静にかけているなとも思う。年末年始で落ち着いた気持ちになっていた時間に書いたからだろうか。他人を鼓舞するようでいてその実自分を鼓舞しているような、いつもの余計な熱を持つこともなく淡々と書き進めている。スポーツ選手のことから自分たちの生活のところへ話を引っ張っていく無理矢理さ加減は相変わらずなんだけどね。自分の周りにある「日常」の「生活」というものをどうにかして少しでも楽しいものにしたいと考えていたけれど、これを書いた時期はそういうものがおおよそ不可能なものであると諦めの境地に至っているようなところもあった。仕事というのは楽しくないものだと結論を出してしまって、それ以外に逃げ道を求めるようになっていった。会社からの帰りはとにかく音楽を集中して聞いていたり、本の世界にわざと耽溺していくようにしていたところがある。下手をすると一日一冊読んで、帰り道で三冊買うみたいな感じだったから(そして家には未読の山が積み重なっていく)、ある意味わざと依存させるような方向に自分を持っていっていた。本とか音楽とかだけじゃなく、あの頃はとにかく自分の手の届く範囲で溺れられるものなら何でも良かったんじゃないだろうか。ひたすら歩くこと、ひたすら考えること、何かを書き付けること、聞くこと、読むこと、そしてサッカーを見ることもそこに含まれていた。贔屓目に言っても、よくこの時期に死ななかったと思う。それが良かったのか悪かったのかはもうちょっと時間が経ってみないとわからないけど、それほどにひどい状態だった。とりあえず、あれからの6年間は自分の心は喪われていたも当然の状況だった。それをぎりぎりのところで支えてくれたものが、サッカーだった。サッカーを見て、応援できていたからこそ生きていけた。だから、サッカーは今のところ自分にとっては「命の恩人」のんだと思っている。人じゃないけど。

posted by retreat |23:32 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)

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