カレンダー

プロフィール

1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。

最新のエントリー

月別アーカイブ

リンク集

カテゴリー

コメント

検索

aftertalk #26

2008年03月02日

clasics #26でした。

からっとした文章を、と言っていた割にはですます口調をやめたのと、過剰な表現を抑えたくらいで中身の湿っぽさは余り変わっていないと言うことに今更気づいた。どこかで達観しているように見えて、その実は中身が叙情に寄りかかりすぎているのがあからさまでなんだかなあ、というのがこの文章を読み返していて思う最初の感想。でもこれを書いたときの充実感というのは、コラムを書いていた中でいちばんだろう。やっと書きたいものに近づけたという気持ちと、ですます口調でおとなしくのっそりしていた文章の殻を一枚破ってやったぜというちょっとだけ凶暴な感情と、日常のショックを少しは振り払うことができたかなという爽快感があった。

これを書いたテキストファイルの日付を見ると、だいたい前回から一ヶ月。「aftertalk #25」で書いたように本当にぶっ倒れてしまってから2週間会社を休み、さらにサッカーを見に行くのも自重し、やっと見られたのがこの国立アウェイ2連戦だった。正直に言うと2週間会社を休むだけではなんの解決にもなってなくて、経過を観察した医者の人は「もう少し休んだ方がいいんじゃないか」というアプローチをしてくれたんだけど、自分から断ってしまった。なぜって、会社で「干される」ことが怖かったから。病気になってしまったことをカミングアウトした、その時点で干されることが確定だということにこのとき何で気づけなかったんだろうなあ。それも考えられないほどの状況だったのか。復帰してもまあ、仕事に関しては相変わらずだった。むしろ理解もされず、疎まれる視線を感じてしまうこともあるくらいだった。体育会系の人たちばかりが揃っている部署でわかってくれなんて、言う方が間違っているのかもしれないけれど。だから、誰にも理解してもらおうなんて積極的に言わないようにしたし、そういう人たちとは距離を置くようにした。ゴール裏の人たちの方が、よっぽど理解をしてくれた。なんで相談してくれなかった、って怒ってくれたのは同じくゴール裏で応援していた友人だったし、とにかく休めって言ってくれたのもその人だった。

ひょっとしたら自分は、この文章で浮世を離れたかったのかもしれない。地に足の着いたおとなしい文章をやめてきっぱりさっぱりと綴ることで、痛ましく疎ましくどうしようもなくふてくされてばかりいた、背広を着て淡々と仕事をする日々のことを。あんな毎日を送っているのは自分じゃないとでも言いたげな気持ちを、今読み返しているあの日の文章から感じている。まあその気持ちも間違っていたんだけど。それをどんどんと推し進めていった結果、僕の日常と休日との乖離はますます酷くなっていって、もはや自分が何者でなんのために生きているのか、どうしてサッカーを見てどうして仕事をしているのかもわからなくなっていった。そんな真夏の国立で、東京に3点取られて完敗したあの夜に、僕はまたぶっ倒れた。こんどは熱射病で。
どうしようもない試合内容(これ以上どこに手を施していいのかわからない、と言う意味で)でまたも完敗したあの夜、僕はゴール裏で選手が挨拶に来るか来ないかのところでくったりと手すりにもたれかかり、意識が混濁していた。そのまま立っているのも面倒くさくなってもういいや、とコンクリートにそのまま倒れ込んだら起き上がれなくなってしまった。身体がほてってだるく、なにもできない。明らかに脱水症状か熱射病かのどちらかだった。僕が倒れているのに気づいた誰かが警備員経由で担架を呼んでくれたらしく、抱えられて乗せられて運ばれていくのをかすかに記憶に残している。ちゃんと意識が戻ったとき、そこは国立競技場の医務室だった。付き添ってくれた川崎サポの友人に「コンタクト外して」って言ったのよなあ、確か。そのあとどこからかスポーツドリンクが差し入れられてきて、よくよく見たらサッポロビールのサプライしているやつだった。どうやら、どこかで僕が倒れた事を聞きつけたスタッフの人が持ってきてくれたらしい。7年も8年も経ってなんだが、あのスタッフのひとにはまだお礼を言っていない。その節はありがとうございました。

とりあえず一心地ついたあと、他の友人が車で送ってくれることになり僕はふらふらと乗り込んだ。首都高を抜けて走る車の中、シートを倒してずっと夜空を見上げながら過ごしていたけど、頭の中では「どうしてこんなことになっちゃったんだろう、どうしよう」という、明日の自分の姿さえも想像できないことへの恐れと不安にずっと追いかけられていた。
いくら考えても、どうしようもなかった。


post by retreat

22:53

コメント(0)

この記事に対するコメント一覧

コメントする