2008年03月18日

aftertalk #31

clasics #31でした。
この万博でのガンバ戦のことになると、多摩川の夜の河原を思い出す。

どうしようもなく負けが込んできてどうしようもなく降格の危機どまんなかにいたチームを見ていて、応援していて、それでも伝わらないことが多すぎて、伝えたいことが多すぎた。だからダンマクに書こう、せめて文字で伝えよう、そう思って白い布と黒のスプレー缶を買い込んできてメッセージを書くことにした。思いついたのは万博に行く直前のことだったろうと思う。時間はすっかり遅くなっていて、だからといって明るい室内で作業などできないし、何より六畳の部屋じゃ狭すぎる。だから近くの多摩川沿いの河原まで歩いてどこか街灯の下か、せめて月明かりの明るいところで作業しようと家を出た。
10月にもなるとすっかり秋の空気が伝わってきて、夜にもなると少し肌寒いくらい。その下を僕は歩いて、適当な広さと明るさの場所を見つけて布を広げた。メッセージの中身を決めて書いている途中で携帯が鳴った。近くに住んでいた、他サポの友人からだった。「どうしてる?」という問いかけの声に迷わず「ダンマク作ってる。河原で」と自分の行動に苦笑いしつつ答えると、彼も「今すぐ行く」と笑いながら言ってきた。
でも彼が来たときにはだいたいメッセージは書き終わっていて、あとは文字を太くしたり乾かしたりする時間になっていた。タバコを吸いながら彼といろいろ話をした。話の内容はもう忘れてしまったけど、降格という恐怖を直前に突きつけられていた自分にとってはだいぶ救われた時間だった。思い詰めていた気持ちがいくぶんゆるんで、ほっとした。サッカーを語れる、好きなチームを応援するということの幸せさを改めて静かに味わえたような時間だった。

ただ、そのダンマクを持っていった万博で現実を見せつけられてまた悲しくなったんだけど。雨の降る万博でまたも何もできずに何事もなく敗戦し、僕は怒りとか恐怖を通り越して淡々とした心持ちになってしまっていた。この文章でも書いていた、ひとりのサポーターの女の子が「応援します!」という力強い言葉を伝えてくれたこと、それだけが救いだった。試合前のゴール裏でのミーティング、負ければ翌日の他チームの結果次第で降格も決まってしまうという状況、みんな言葉が重かった。けれどもここでゴール裏の気持ちを固めないと、ある意味で「覚悟」とも呼べるものを決めておかないと、これからみんなバラバラになってしまうんじゃないかと思ったから。やせ我慢でも強がりでも、僕たちは「勝つ」という気持ちと言葉とをはっきりと出して再確認することが必要だった。でもそれは現実とはならず、僕は頭を抱えてどうすればいいのかもわからなくなって、パニックになりそうだった。仲間と酒を飲み、バカ話をすることで何とか紛らわせ、翌日はどうしようもなく海が見たくなって大阪港へひとりで行った。なんで海だったのだろうか。潮風に当たって頭を冷やしたかったのか、一人で考えたかったのか。

今にして思えば、昔から何かに行き詰まったときは水辺に行くことが多かった。横浜に住んでいたときはみなとみらい、川崎に住んでいたときは多摩川、札幌からは車で朝里の近くにある砂浜まで。ずっと水の動きを見つめてタバコを吸いながら考え事をしていて、それで考えがまとまったり悩みが解決する事なんてなかったけれど、一人で思う存分考えたり悩んだりすることができた。この万博の試合で翌日に唐突に海へ行ったのは、そんな僕のひとつの性格というか、癖が出たのかもしれない。当然のように、大阪港に行っても何も片付くものはなかった。できたのは少し冷静になることだけ。こんなふうに自分で悩みを抱え込み、誰にも渡そうとも告げようともしないのが僕の悪いところだ。今でもそれはあんまり変わらない。歓びも喜びも分かち合うけれど、憎しみや苦しみ、悲しみといったネガティブな情報は誰かに伝える事がないし、伝えることが上手くできないし、伝える気持ちもあんまりない。それは伝えてしまうことによってネガティブの伝染を恐れる気持ちと、それ以上に「自分の気持ちはすべて自分のもの」という自己愛と独占欲が強すぎたせいだ。
歳を取ればこういうところ、変わるんだろうかね。半分諦めてるけど。

posted by retreat |22:36 | aftertalk | コメント(0) | トラックバック(0)

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