2008年03月27日

CONSAISM clasics #34

clasics #34です。オフシーズンのヒマネタ込み。
なんだかどんどんと内容が抽象的というか、観念的にというか……。


DVDを買ってきた。タイトルは「リトル・ストライカー(原題:there's only one jimmy grimble)という、その名の通りフットボールものの映画。
主人公のジミー・グリンブルはマンチェスター・シティのファンで、ユナイテッドファンばかりの学校でいじめられている毎日。当然フットボールも巧くない(ただし人前では)。そんなある日、彼は謎のお婆さんから「魔法のスパイク」をもらう。そのスパイクを履いて試合に出るとあら不思議、次々とゴールを決めて大活躍。しかし、決勝戦を目前にしてそのスパイクが消えてしまい・・・。というストーリーの映画。
天皇杯で札幌は大分に何とも言えないしょっぱい負けを食らって、「駄目な年は最後の最後まで駄目」というがっくりした感じをたっぷりと味あわされた。その後でこの映画を見て、主人公のフットボールへのまっすぐな憧れやひたむきな気持ちを余計にたっぷり伝えさせられて、ちょっと沈み込んだ気分になってしまった。そして最初にスタジアムに行ったときの、あのどうしようもない高揚感とか、空の高さとか、芝の匂いとかを一気に思い出して、いつの間にかそういうものを忘れていた自分にも気がついた。まあ一言で言ってしまえば安直なセンチメンタリズムに浸っていたということなんだけど、天皇杯のあるこの時期はそういう気持ちになる事が多いということで、とか思って青臭さを隠してみたりする。
 
自分にも主人公のような時期が確かに存在した。おどおどして自信が無くて、あらゆる事が不安で仕方なくて石のように固まっていて、悩んでいた。でも誰しもそういう時を過ごして来たのだろうし、今まさにその時期だという人もいるだろう。かくいう自分もそういう時期から脱しているかといういうと、どこかでしがみついて離していない部分があるし、ひょっとしたらすべてにおいてそうなのかもしれない。それでも否応無しの現実は自分を学生服から背広へと着替えさせて、中身が伴わないまま社会へと放り出す。必要なことは自分で手に入れなければならない。自分で行動しなければ、主張しなければ生活することもままならない。みんなそうしてこの社会の中で生きてきたんだろうと思う。いうなれば自分以外すべてアウェイの世界。勇気を持って、自分を信じて行くしかない。そして映画の中で、主人公はこう告げられる。ピッチで頼れるのは、自分一人だ、と。

応援する時には威勢のいいことを言ったり叫んだり騒いだりしているけれど、日常生活でも自分がそうであるとは限らない。むしろその逆だ。自分はフットボールから何らかの糧をもらって、生きている人種だ。それは言い換えれば勇気と呼んでも良いかもしれないもの。自分を信じる勇気。自分を動かす勇気。勇気も弱気も希望も絶望もすべて詰め込んだピッチからあらゆる事を教えられ、気づかされる。だから自分はフットボールが好きなのだろうし、時に現実をまざまざと見せつけられるフットボールが嫌いになることがあるのだろう。
それでも感じるのは、自分自身を信じなければ何も始まらないのだ、ということ。自分を自分の味方にして、現実の中を生きていくということ。映画の中でも、現実の世界でも、フットボールでも、それ以外でも、要は同じ事なのだ。

posted by retreat |22:22 | classics | コメント(0) | トラックバック(0)

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