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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。
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2008年05月11日
clasics #48です。自分の応援の原点と、一冊の本の話。
以前にも書いたことがあるが、自分がこうして応援に関わっていくことの「原点」ともいえる体験は、中学3年の時の中体連にさかのぼる。 校則を無視して改造した学ランを堂々と来て体育館のど真ん中にどかどかと走り込み、あらん限りの声と覇気で部員にエールを送る。そのわずかなひとときだけ、好奇と失笑を含んだ全校生徒の目が自分を含めた応援部に注がれる。 その「見られる快感」が忘れられなくて、高校1年の時、今度は運動会のために選ばれる組別の応援部に参加の手を挙げた。 しかし高校の応援部は、いわば半分お遊びの中学とは段違いだった。毎日裸足でくたくたになるまで、日が暮れて闇に包まれるまで練習を繰り返し繰り返してやっと「戦力」となることができた。それだけ濃く過ごした日々があった分だけ、応援をする時の快感と、全てをやり終えた時の充足感や達成感は泣けるほどに込み上げてきた。 やっぱり応援ってのはいいもんだ、と思ってしまった僕は、それから2年後に厚別のゴール裏へ足を運ぶようになってしまった。とにかく応援したかった。 何で今さらこういう思い出話をしているかというと、最近読んだ本が僕の記憶を呼び起こしてしまったからだ。 「東京大学応援部物語」というのが、その本の題名だ。最高学府の東京大学にあって、「応援」に学生生活のほぼ全てを捧げ、厳しい規律のもとに最後の最後まで必死に応援を繰り出す。東京六大学野球の最終回、たとえ19対0で負けていても逆転を信じて疑わない彼らや彼女らたちの姿が描き出されたノンフィクションである。 応援部の舞台は東京6大学野球、神宮球場を中心に描かれる。弱いことで有名な東大野球部にあって、1勝のため、1アウトのため、1ストライクのために拳を突き出し、声を枯らし、日々の練習はともかく合宿まで行なう。 年功序列の理不尽に悩み、応援することの意義に悩み、理想と現実の矛盾に悩む。それでも彼らや彼女らは応援することを止めない。 それはどうしてなのか。自己満足か、自己犠牲か、純粋な憧れがあるからか。それぞれの応援部員の姿が浮かび上がってくる。 そしてこの本を読んで一人でなんだか高揚してしまった僕はそのまま室蘭(10月25日・大宮戦)まで行ってきて、いつもより余計に意気消沈して帰ってきた。もはや内容云々をいえるレベルではないところまで札幌は頽廃していた。勝ちたいという意識がピッチから微塵も伝わってこずに、どうしたものかとため息ばかりを雨の降る室蘭の空にいくつも吐いた。 確かに学生野球とプロスポーツのそれとでは異なるところがいくつもある。プロとしての「興行」である以上、選手はプレーを通じて観客に見せるものがなければならないし、学生野球は学校や選手それぞれに目指すものが違う。応援だってゴール裏で応援することは完全に自由意志だけど、応援部で応援することは時に強制という名をとりつつ行われる義務になる。けれどもそんな理屈はもう今の札幌には通用しないのかもしれない。改めて「何でこんなチーム応援してるんだろう」と自問自答しながら家路についた。 ただどちらにも通じるのは、日常では味わうことのできない喜怒哀楽がそこに詰まっていることではないだろうか。 一つのプレーの行方にあれほどまでに熱中して、我を忘れるほどに驚喜できることがあるだろうか。あれほどまでに仲間や友人を得ることができただろうか。あれほどまでにまっすぐに馬鹿みたいに、ただ一つの勝利だけに叫び、悩み、信じることができただろうか。交通費とチケット代を借金してまで用意して得られたものは、その金額だけでは計ることなどできないものだった。 だからこそ今の札幌の負け続け、自分を見失い、戦意のない姿がどうしても許せなかった。 この本の中で、著者がある応援部員に、 「応援で得たものはなんですか」 と問いかけるシーンがある。それに対して彼は、 「得たものは、自分の未熟さを知り、自分の弱さや卑怯さを自覚することができたこと」 と答える。 これはプレーする側にも言えるのかもしれないと思う。一つ一つの試合と練習を重ねる毎に自分の未熟さを知り、それを克服しようとする。その姿が見られるからこそ僕はしつこくしつこく競技場へ足を運ぶのかもしれない。 でもそんな姿を見ることができない最近のチームをどのような思いで見ればいいのか、と思いながら僕は今季最後の厚別(11月1日・新潟戦)へと足を運んだ。 ところがそんな僕の予想に反してチームは戦った。数的不利も審判の曖昧なジャッジにも耐えて、首位の新潟を相手に勝利に限りなく近いドローに持ち込んだ。厚別のピッチの上で選手たちが意識を高め、水際で新潟の攻撃を防ぎ、果敢にドリブルで持ち上がり、ライン際のボールを我がものとするために体を張っていた。 こういう姿が観たかったんだ、と僕は拳を握った。その気持ちと同じだけ、心の裏では、「やれるんなら最初からやっとけよ」とも思ったけど。 プレイヤーとして必要とされる技術や運動量はトレーニングでその人の限界まで高めることができても、その人の意識は自分が自分の内にある弱さやずるさや甘えに本当に気付いて、それに対峙しない限り高めることはできない。けれども、誰もが抱えているその葛藤をじっと見つめ、それに立ち向かう姿があるからこそ、僕らはスタジアムへ通い続けるのではないだろうか。そして、その姿を見せてくれるのがプロと呼ばれる人たちであってほしいと、勝手ではあるが思っている。残り3試合、そんな姿を少しでも多く見せてほしい。それが未来へ続くのだと僕は信じて疑わないし、僕にとっての応援したくなる原動力なのだから。 *参考文献 最相葉月著「東京大学応援部物語」(集英社)
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