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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。
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2008年05月15日
clasics #49です。終わりが近づいている頃の思い出話。
夏の終わり頃に、話はさかのぼる。 週末に旭川に行っていた父が一枚のユニフォームを手に家へ帰ってきた。黄色と青を基調としたスウェーデンカラーのユニフォームだ。 胸には父の出身校、そして袖には「創部50周年を祝して」の文字が入っていた。背番号は11番。父は旭川へ、高校生当時に所属していたサッカー部の50周年記念の祝賀会に行ってきたのだった。背番号11は、父が当時つけていた番号である。 昔から父がサッカーをやっていたということは折々に聞いていたが、こうしてユニフォームと50周年の記念誌にある父の写真をみると、ああ本当にサッカーやっていたんだなあと改めて思わされた。その夜は父と僕とで、少しばかり昔のサッカーの話で盛り上がった。 父がサッカーをやっていた当時はいわゆる「WMシステム」の走りの頃で、左利きで運動量のあった父は主に左サイドハーフと左ウイングでプレーしていた。現代のシステムで言うとダイヤモンド型の中盤の左サイドと3トップの左、と言えるだろうか。昔は芝のグラウンドなんて北海道になかっただろうから当然土のグラウンド、スパイクを買うお金にも苦労していたその頃は一足のスパイクを大事にはき続けていた。雨が降ればグラウンドはドロドロになり、そんな中で泥にまみれながらもボールを追いかけていた。ちなみに当時のユニフォームはオレンジを基調としたデザインで、今回創部50周年記念のユニフォームがスウェーデンカラーのユニフォームとなったのは、単純に「安かったから」という理由らしいけど。 50周年記念誌を紐解くと、父がいた当時のサッカー部はなかなか強かったらしく、地区代表として高体連や国体の北海道大会に何回か進出している。残念ながら近年はなかなか勝ちあがれないようだ。 その高体連や国体の道大会に出場していたことを示す年表を見ていると、一つだけ「出場辞退」と書かれていた年があった。ちょうど父がサッカー部にいた頃だ。なぜ出場辞退になったのか、ということを父に聞くと、 「出席日数が足りなくて、道大会に行くことができなかったから辞退した」 と話した。さらに続けて、 「確かそのころはなあ、俺は働きに行ってたんだよ」と言った。 父の実家は兄弟が多く生計を立てるのが苦しかった、だから小学生の高学年の頃にはもうアルバイトをしていたんだ、という話はよく僕も聞かされた。でも学校をこんなに長期間休んでまで働いていた、というのは初めて聞いた話だった。そこまで生活が苦しかったとは、正直僕は今まで思っていなかった。それと同時に、そこまでしてサッカーを辞めなかった父は本当にサッカーが好きだったんだなあ、としみじみ思った。サッカー部の頃の話になると、普段の父の表情とはまた異なって、楽しそうに、懐かしそうに相好を崩すのだった。 父の知らない一面が見えたなあ、と僕は思った。父は僕の想像もつかないくらいにとても苦労して、でも父なりに楽しい高校生活を送っていたのだ。そういう苦労した姿を見せない父の背中の強さを改めて思い知らされた僕は、自らの鬱屈した高校生活を顧みて自己嫌悪に陥ってしまった。僕にとっての父は、ある意味で未だに超えられない存在なのだということを改めて思い知らされた気がした。 僕と父がひとしきりサッカーの話をした後、僕がしきりにいいなあそれ、といっていたスウェーデンカラーのユニフォームを手にとって「お前にやるか?」と尋ねた。僕が好きでいろいろなユニフォームを集めているからだろう。でも僕は最終的には「いや、いいよ」と答えた。 たとえ昔と色が違えども、父が持って帰ってきたそのユニフォームは確かに父が泥まみれになってグラウンドでプレーした、一つの時代の証なのだ。それを簡単にもらってしまうのは、父の過ごした時代の一部分をを勝手にむしり取ってしまうような気がして、それを考えるとやはり父が持っておくべきなのだ、と思ったからだった。 今でも父は体を動かすことが好きで、ランニングもするし、冬になるとよくスキー場に通うし、本人はあまり好きではないようだけどゴルフも上手い。そんな父からスキーや水泳の手ほどきを受けたこともあった。けれど思い返してみれば、サッカーボールを蹴って遊んだ記憶はなぜだか薄い。そのことはまだ、本人に確かめられないでいる。 そうしてスポーツだけでなく、人生そのものにおいても父という存在は僕にとって一つの目標であり、羨望であり、時には憎しみであったりする。たぶんこの気持ちは一生消えることはないだろう。だからこそ僕は僕で僕なりに人生を築きあげなければいけないのだろう。それが肉親のものであれ、いつまでも誰かの影を追いかけて生きていくことなどできないのだから。 そんな話をひとしきり聞いた日の夜、僕も父のように昔のことを語る日が来るのだろうかと考えた。いつかのある日曜日の夜に、赤と黒のユニフォームを見せながら「昔はなあ、鳥居塚っていうすごい選手がいてなあ」なんて子供や孫に語る日が来るのだろうか。そんな僕の姿を想像して思わず失笑してしまった。そんな時代は僕にとって遙か未来の話に思えて、あまりにも現実味がなさすぎて、それでもそんなことを考えている僕が滑稽で。 しかし、ものすごく長い目と想像力をもって考えてみると、僕が札幌を応援しているのはいつかそういう日が来ることを信じているからじゃないだろうか。誇りと愛を持って語ることのできる未来を願っているからじゃないのだろうか。 僕らがこれから向かう札幌の未来は決して簡単なものじゃなくて、むしろ苦労の多い時代になるかもしれない。でも、それもすべては輝かしい未来のためだと信じていたいし、それを現実としていきたいのだ。
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