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1978年生まれ。 コンサドーレ創立年度から応援を始め、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターン。 またコラムサイト「コンサイズム」では2001年末~2003年末までコラムを掲載。このブログではそのアーカイブと、当時を振り返るアフタートークをお送りします(予定)。
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2008年01月23日
clasics #14です。 このあたりから自分の人生がいろいろとせっぱ詰まってきたような気がする。
ちょっと仕事でトラブルを起こしてしまって、自分に腹が立ったり頭を下げるのが悔しかったり、まぁ原因の一端は自分にあるのだけど、そんな気分を抱えたまま柏へ向かった土曜日。 先週の勢いもあって、勝てると思って応援していたものの柏の強さ、というか札幌の弱さにつけ込まれてセットプレーから失点を繰り返し結局また負けてしまった。試合後のゴール裏の様子はそれぞれで、紙コップが投げ込まれたり、次の室蘭での巻き返しを期待して懸命に拍手していたり、ちょっとだけブーイングが聞こえたり。僕はといえばなにも言えずに、かといって怒りに身を震わす程の気持ちはなくてそれよりも虚脱感の方が強い感じで、じっと力無く手を挙げて降ろす選手を見ていた。 個人的な話をすると、柏に行く前はいろいろな出来事があってうれしくなったりとまどったりして僕の気持ちが左右に大きく振れてしまっているような感じでちょっと不安定で、そのままそんな気持ちが応援に出てしまったようなそんな気もした。 でもそれらの出来事はおそらくは人生を変えるほどの大きな出来事ではなくて、いずれは受け入れられて忘れてしまう運命にあって、それが仕事だったり応援だったりそういったものを根本から覆してしまうような影響力はないんだと思う。そういった小さな出来事がたくさん蓄積されているからこそ、今の自分があるわけで。 サッカーについてもそんな事が言えるんじゃないんだろうか。一本のパス、一つのトラップ、それが90分蓄積されて結果となるのが一試合、それが30試合続いて一つの年のリーグ戦。現状がどうであれ、今ここにあるサッカーは「今をどうにかしよう」「もっと向上しよう」という気持ちを持つ様々な人たちの思いや行動が渦巻く中で、全体の流れの中で最良の方向として築いたのが今の札幌。だから現状を憂えるのならば声を挙げ、手を挙げていくのが最良にして唯一の選択肢なのだと思う。小さな声でも挙げなければ届かない。けれどもそれが届いているのかいないのか、変わっているのかいないのかをはっきりと確かめる事は大きな出来事でない限りわからなくて、それにとまどってしまうのも事実。 それでも僕らはサッカーを見に行く。時には楽しく、時には必死で手をたたき、歌い、叫び、チームの勝利を願う。そして2時間後には歓喜のまっただ中にいるか敗北に打ちひしがれるかのどちらにいる(かなりおおざっぱな分け方だけど)。それは圧倒的な事実としてそこにある。サッカーがあるという事実。勝ちと負けと少しの引き分けの事実。 その中から僕らは勇気をもらう。現実を受け止めて、そこから声を挙げる勇気。一本のパスも出さずに試合には勝てない。一つ一つ、小さなプレーを重ねて行かなければ勝利も敗北もないし、試合という勝敗の決まる現実からは逃れられない。そうした積み重ねがあるから今がある。現実を認識しなければ過去も未来もない。それはどこでも同じだろう。サッカーでも、人生でも。だからこそサッカーは人生に例えられ、人生はサッカーに例えられる。 身の舞い上がるような大きな歓喜に包まれても、すべてが嫌になってしまうほどの絶望に覆われても、人生は続く。だからこそ僕はサッカーを見る。人生の凝縮されたピッチの上に目を凝らす。そこから僕は現実を見る勇気と、現実を変えようとする勇気をもらう。そうして現実に押しつぶされずに、小さな意志を積み重ねるということが僕にとっての人生なのだろう、と考えてみる。だから僕はサッカーが好きで、札幌が好きなのだろう。あの泥臭いディフェンス、労を惜しまないチェイシングが僕に少しばかりの勇気をくれる。自分の人生を生きる勇気を。
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