2006年02月09日
ストーンズ の思い出 / ミキティで賭け
ストーンズの公演日が3・29になりましたな。 最初は30日、いつの間にか28日になってJCBゴールド会員のネット販売が始まってたのは知っていたけど。昔バンドをやっていたらしい上司が「もう発売してたんだぁ」とつぶやいていたから。 チケットは18,000円だもんなぁ。ぶっちゃけ高杉。還暦越えたバンドはステージをシンプルにしてチケ代を安くするべし。 1990年の日本初公演を東京ドームで見た(聴いた)。当時のチケは10,000円でプラチナチケットと言われていた。 学生だった俺はドームでジャイアンツ見たさにシミズスポーツでバイトしていた。椅子拭き、チケットもぎり、ビンカンチェック、掃除・・・。試合後バケツに飲み残しビールを集める作業なんかもしていた。延長戦になっても時給でなく、日給5千円固定だった。2時間台で試合を終わらせる桑田が好きだった。客が少ないのでファイターズの試合の方が楽だった。ファイターズの私設応援団は自分たちでゴミを片付けるマナーの良い人たちだった。コンササポも見習わないと・・・ って全然、ストーンズネタにたどり着かないなぁ。 ドームでバイトをするといろいろなイベントを体験できる。印象的だったのがU2ライヴ、格闘技UWF。そしてなんといってもストーンズ10回公演である。東京ドームで10回でっせ! 1990年2月14日、16日、17日、19日、20日、21日、23日、24日、26日、27日。『スティール・ホイールズ』ワールドツアー。 俺は10回中6回か7回見ていると思う。行けなかった日はサークルのスキー旅行で長野に行っていた。 「生のストーンズが拝める・・・」期待に胸を膨らませて行った初日、厳しい現実に直面する。配置が発表され、ドーム外のグッズ販売テントの列整理に回されたのだ。プギャー。 しかしその後の公演はちゃんとドーム内に配置された。1階と3階の間の座席数の少ない狭い2階席に配置された時は、ほとんど立っているだけの仕事だったので、ほとんど通しで見られた。 「Start Me Up」で始まり「Jumpin' Jack Flash」で締めるちょいワルおじさん達のロックショーは、若い俺のハートをがっちり掴んだ。東京ライヴアルバム「flash point」を買って聴きまくった。 バラード曲は日替わりメニューだった。「Angie」を演る日と演らない日があった。私とあなたとストーンズさまによると、4回しか演奏していない。 ま、それはいいとして、あの時のドームで一番インパクトがあった事は、「終演後に客席通路にゴロゴロ転がっていたバーボンの空き瓶」だった。 つまりヨッパーになりながら(本場流なのか知らないが)最初で最後の公演だと思っていたファンが大勢いたということなのだろうか。いまだにあの空き瓶ゴロゴロは何だったのか謎なんですけど。 しかしストーンズは最初で最後どころか、95年、98年、03年と来日を続け、今年も日本に登場するのである。もしかしてミックは親日派? * * * * * * * * * * * * * <本日2本目のネタ> (長げーよ。) 朝刊の女性誌の広告のタイトル「美姫は太りすぎでメダルはムリ!?」に思わず反応。 俺:「太りすぎか?女性誌のバッシングが始まったか」 奥:「太ってるよ。あれじゃ4回転跳べないわ」 俺:「4回転跳ぶには筋肉が必要だから、太くてもいいんじゃないの?」 奥:「4回転跳んだ時はまだ幼児体型だったもん」 俺:「もう18歳だよ。成長するだろ、普通」 奥:「4回転はムリだと思う」 俺:「渡辺絵美も太ってたよ。じゃぁ賭けするか。跳べたら回転寿司ね」 (我が家は遠征資金を貯めるため、好きな回転寿司をセーブしている) 奥:「じゃあ、私が勝ったら宝塚神戸旅行ね」 俺:「ハァ??バランス取れてないっしょ。それなら俺はアウェー遠征1回ね」 奥:「ダメだよ、回転寿司って言ったもん。1回言ったらそれで決まり。跳べるって自信あるんでしょ?」 俺:「・・・・。」 ☆ ☆ ☆ どーですか(苦笑)、さすが北斗晶好きなだけあるわ。鬼yo
posted by おど |08:35 | 時事 | コメント(6) | トラックバック(1)